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リナリー・トゥルーは悪役ヒロインに向いてない

作者: RION

 ――どこで間違ってしまったのだろう?


「どうして?‥‥‥私を愛してるって言ったじゃない!」


 ‥‥‥と言ったところで、本当はもう相手の気持ちが動かないのは分かっていた。けれど言わずにはおれない関係であったのもまた事実だから、諦めきれずに必死になって食い下がる。

 今の自分にはそれしかできないからだ。

 どんなに惨めだろうが為す術がない。そんな憐れな私を助けてくれる人も、またいない。


「‥‥‥君には失望したよ」


 見上げた先、壇上の高みから重い溜息とセットで吐き出された、あまりにも冷めたセリフ。

 何度も愛を囁てくれる優しい王子であった頃の姿は、今や見る影もない。

 そんな彼の隣には、思わず守ってあげたくなるような華奢で可愛らしい少女がしおらしい態度で涙などを浮かべているのだが‥‥‥泣きたいのはこっちである。

 その光景を絶望の表情で見上げている立場の少女は、でっちあげの冤罪をふっかけられて今は衛兵達の包囲網の中で膝をついていた。


 かれこれ十回目である。この展開も、結末も‥‥‥。


 いったい何度世界をやり直したら幸せになれるのか。

 最後にもう一回だけ。救済を願ってリスタートしたというのに、なけなしの決意で奮い立った少女の心はもう限界だった。


 ――なんで、どうしてこうなるの?


 途中までは何の問題も無かったのだ。なのに一体どこで間違えてしまったのだろうか。

 幸せに生きるか、死ぬか。結末はその二択しかないと運命で決まっている。

 まるで断崖絶壁に立たされたような気分だった。

 まただめなの?‥‥‥そう絶望しているところに、王子が決定的な一言を放った。


「もう看過できない。君とは婚約破棄だ。そしていかに自分が愚かであったのか、その身を持って報いを受け、



「こっちから願い下げだこのカスゥゥゥゥッー‼」



 全力の雄叫びと同時に、少女は頭に装着していた魔道具ユニットを床に叩きつけた。

 そこは、とある帝国の見習い兵達が寝泊まりする寄宿舎の一室。帝国軍皇帝直属特務大隊の団員となるべく、能力を見込まれた若者達が集う場所。


「なんなのこのクズ男はっ!?ちょっとは人の話を聞いたらどうなのー!?」


 憤慨しているこの少女こと、リナリー・トゥルーもまた能力を見込まれて入団した一人。花も恥じらう年頃だが立派な訓練兵だった。


「あーっ!ちょっとちょっとちょっと‼アンタ何してくれちゃってんのお!?」


 やけくそで投げ飛ばされた魔道具がガシャン!と音を立てて壁に激突する。

 直後、それを見た別の少女が驚愕した顔で悲鳴を上げた。


「何てことしてくれてんの!?これめっちゃ高価なのに‼」


「――あぁっ!?ごめん!」


 ハッと我に返ったリナリーは慌てて今の今自分が投げ飛ばした魔道具に駆け寄った。

 ヘルメット型のそれを何度も回転させて傷の有無を確認する。‥‥‥派手な音がしたわりに、大した破損は見られない。頭の天辺あたりの塗装がちょっと剥がれた程度だった。

 ブーンという機械音から、まだ正常に魔道具が作動している事も分かる。

 とりあえずホッとしたリナリーだが、持ち主である少女の怒りは収まらなかった。艶々と輝く滑らかなアッシュグリーンの髪を逆立て、物凄い剣幕で怒り始めた。


「罪のないゲームにここまでするっ!?しかもこれ私のだし‼」


「本当にごめんっ!つい‥‥‥でもこれ鬼畜すぎない!?選択肢ミスったら即バッドエンディングとかヤバすぎでしょ!アルカが初めにデスゲームだって言ってくれてたら私だってこんな――」


 するとアルカという名の少女が、リナリーの手中から素早く魔道具を取り上げた。


「デスゲームじゃなくて乙女ゲーム!悪役令嬢が主人公なんだから当然でしょ!今はこれが流行りなの!」


「これが流行り?!」


 リナリーは目を丸くし、アルカの背後にあった据え置き型の魔導機体をまじまじと見やった。機器の横には半透明の薄いパッケージがあり、そこには『死亡フラグを愛に変えて。トキメキ夢幻の王子様♡』と、口に出すのも憚られるタイトルがデカデカと銘打たれていた。


「‥‥‥どうかしてるわ」


「どうかしてるのはアンタでしょ!?なんでイベントを悉く脳筋なやり方で進めようとすんのよ! 『ざまぁ』してなんぼの場面でいちいち究極魔法ぶっ放して。そんな破壊神を誰が好きになるって!?」


「だってあのライバル滅茶苦茶腹立つし‥‥‥“言ってダメなら力を行使”って選択肢にも出てくるし」


「そこをひらりと躱してカウンターパンチを華麗に決めるのが主人公の醍醐味でしょーが!‥‥‥好感度を上げる大チャンスにも他の男に誘われたからっていう馬鹿正直な理由で王子の厚意をふいにしちゃって」


「だって約束は先にした方が優先でしょ‥‥‥」


 リナリーの苦し紛れな言い訳に、アルカは床が突き抜けるかと思うほど深~い溜息を吐き出した。


「あーあ、せっかく貸してあげたのに‥‥‥ゲームでこの調子じゃ現実世界でも恋愛は厳しいわね。今年も彼氏いない歴更新確定か。ご愁傷様」


「うっ‥‥‥そういうアルカも彼氏なんかいないくせに」


「あら、そっちもご愁傷様」


 そこでアルカはフッと笑みを浮かべ、肩にかかっていた髪をこれ見よがしな素振りで払った。


「私、もう独身は卒業したの」


「ええっ、嘘!?」


 目を白黒させたリナリーに、アルカは得意げな顔をした。


「今年の聖夜際には、カ・レ・シ、と行くつもりよ」


 な、なんだって!?

 リナリーの脳天に雷の如く衝撃が落ちた。


「いつの間に!?なんで言ってくれなかったの!?」


 リナリーは青白い顔でアルカに詰め寄った。


 ‥‥‥聖夜際とは、来る新年を盛大かつ華々しく迎えるために国を挙げて行われる冬の大イベントである。

 色とりどりの装飾や照明で街中を彩り、甘いお菓子やプレゼントで家族や親しい友人とお祝いする、一年の中で一番賑わう行事だ。


 だが近年、そんな聖夜際の様相が変わりつつあった。

 十年くらい前だ。とある有名な詩人が発信源となって、とあるジンクスが大流行したのだ。

 国内有数のお金持ちの貴公子と、下町の歌手が密かに恋に落ち、右翼左折の末聖夜際で結ばれた‥‥‥という、実際の話を元にしたロマンスが流行りに流行った。

 聖夜際の夜に愛を誓い合ったカップルは永遠に結ばれる、なんて根拠のないジンクスがいつの間にか若い子の間で通念化。そしてその波に乗っかった商売人たちの市場競争が始まり――祭りの日、街は恋人達で溢れかえるように。

 故に、お一人様にとってひじょ~に肩身が狭い日なのである。

 正直、そうでなくとも若い女が祭りの夜に一人というのはそもそも辛い。

 言うまでもなく、リナリーはそのお一人様という訳で。

 同じ穴の(むじな)だと踏んでいた親友の抜け駆けにショックを隠し切れなかった。


「私だってもう16なの。独り身を理由にいつまでもアウェーなんてごめんなの。考えても見なさい?私みたいな花盛りの乙女が、恋人たちのお祭りに何が悲しくて女友達とその父親を毎年のように同伴しなくちゃいけないのよ」


「うっ‥‥‥でも」


「しかも、団長は激務で休む暇もなく執務室に缶詰めな人なのよ?少しは配慮しようとか、そういう気持ちはアンタに起こらないわけ?」


「ご、ごもっともです」


 リナリーの父親は特務大隊を指揮する団長であり、あらゆる戦闘術を団員に指南する元帥でもあった。

 皇帝直属というだけあって常に激務。アルカの云う通り、そのうち過労で倒れてしまうんじゃないかと心配するぐらいには常時仕事に追われているような人であった。

 そんな父だが、聖夜際になると「女の子二人じゃ何かと不安だろうから」という理由で、滅多にない祝日を返上して娘に付いてくる。

 年頃ともなると、え~そんな父親うざ~い。となるだろうが、この父親はとにかく見た目が良い。実年齢四十歳、妻子ありが嘘のように若々しく容姿がずば抜けて良い。

 聖夜際に女二人という虚しさなど悉く吹き飛ばせる威力がある自慢の父親だった。


 そしてそれとは別に、リナリーは割と父親っ子である。普段あまり話すことができない父親と一緒にいられるチャンスでもあって。正直、甘えていないと言ったら噓になる。

 しかしながら、アルカの言葉は正論だ。いつまでも父親に甘えてばかりはよろしくない。


「はぁ‥‥‥なーんで足元に目がいかないかなぁ、この子は」


 すると悶々と悩むリナリーを見兼ねて、アルカが溜息を吐いた。


「一番近くに良い相手がいるじゃない。声くらいかけてみなさいよ」


 呆れかえった友人を、リナリーはポカンと眺めた。


「‥‥‥誰かいたっけ?」


「これだからアンタは‥‥‥よーっく考えなさい!全く、1ミリも、何にも心当たりがないの?‥‥‥あーもういい、教えてあげる」


 そこでアルカはビシッとリナリーの鼻先に人差し指を突き付けた。


「ノクトがいるでしょ」


「えぇ?なんでノクト?」


 途端に顔を顰めるリナリーに、アルカは自信たっぷりに腕を組んだ。

 リナリーにとってその人物は全く選択肢に無い存在だった。別にダメという訳ではないが、なんでわざわざあいつなの?と言いたくなるような人だった。

 しかし、アルカは念を押すような口調で、もう彼しかいないわよ、と距離を詰めて凄んだ。


「あいつ毎年聖夜際は宿舎に引き籠ってるでしょ?今年も絶対フリーのはず。物は試しと思って誘ってみなさいな」


「え゛ぇ‥‥‥」


「え゛ぇ、じゃないわよ。それに彼なら誘うのも難しくないでしょ?――だって兄妹なんだから」


 ♢


 翌朝、リナリーは宿舎の食堂で一人ぼけ~と朝食をとっていた。

 いつも一緒に行動しているアルカは本日不在。恋愛に無知な友人の為にと焼いたお節介のツケが回ったのか、彼女を起こしに行ったリナリーがどんなに扉を叩いても中から反応はなかった。大体予想はついている。十中八九寝坊だろう。

 そんな不真面目なアルカとは反対に、リナリーはきっちり時間通りに起床した。

 いや、ただ起き上がっただけというべきか。何を隠そう、一睡もしてないからである。その理由は‥‥‥


「ノクト、い、嫌じゃなければ私と一緒に聖夜際に行‥‥‥いき、いか、いかな‥‥‥い、い」


 無理だぁぁぁぁ!


 直後、リナリーは己の額をテーブルにゴン!と打ち付けた。


(無理無理無理!言える気がしない!)


 打ち付けた額をゴリゴリと卓上に擦り付けながら、リナリーは意味不明な呻き声を漏らした。


(恥ずかしい!よく分からないけど物凄く恥ずかしい!)


 明らかに不審な動作を晒している彼女に、周囲の困惑気味な視線がいくつも刺さる。


(普通に誘えば良いだけなのに!別に付き合ってとかいう訳じゃないのに!)


 何故こんな簡単な事を言える気がしないのか、理由が全くもって分からない。

 どういう訳か、とにかく恥ずかしい上にもどかしい。というか言ったら負けのような気さえするからまた謎で。

 そのノクトという男の顔を思い浮かべながら、リナリーはぼそりと呟いた。


「なんでノクトしかいないなんて言うかなぁ、もう!」


「――俺が、なに?」


 頭の中の男が、いきなり喋った。

 いや、そんなはずはない。リナリーは咄嗟に顔を上げた――が、


「ぎえぇぇっ⁉」


 見ると、渦中の青年が平然と隣に座っていた。

 黒い髪。黒い瞳。やや褐色暗い色の肌に、黒いシャツにズボン。全身重苦しい黒づくめのくせに顔のつくりだけはやたらと爽やかな造形の好青年。


 彼こそが例のノクト。ノクト・トゥルー。


 彼は血の繋がりこそないが、戸籍上リナリーの実の兄だった。

 そんな兄が言う。


「朝から迷惑。あとその顔、公害並みにブス」


 朝食用のトレーから手を離し、やかましそうに両手で耳を塞ぎながらノクトが言う。平然と繰り出されたストレートな悪口に、リナリーは素っ頓狂な声を上げた。


「ブス!?」


 迷惑だったのはそうだとして、しかしブスは言い過ぎだ。


「一言多い!‥‥‥てか、なんで隣に座ってるの!?」


 他にも席なんかいくらでも空いてるじゃん!

 リナリーは、片側十人は余裕で座れる長テーブルの列を、彼に分かるように手広く指差してみせた。

 決められた食事時間にはまだ少し早いせいか、食堂内に人はまばらで空席が目立つ。

 だがノクトはカラスのような冷めたい瞳でリナリーを見据えると、


「無自覚に害をばらまかれると大勢が不幸になるってことを教えてあげようかと思って」


 またしても平然と毒を吐いた。

 なによ!と言い返そうとしたのも束の間、すかさずノクトが「そろそろ本当に迷惑だよ」と囁いた。そこで素早く周囲を確認したリナリーはハッとして首を竦めた。

 ‥‥‥注意するなら、もう少し何か言い方があるだろうに。

 とはいえ、リナリーとてノクトがこういう嫌味な奴だと承知しているので、今さらあえて指摘はしない。‥‥‥面倒なので。


 ノクトはリナリーにとって兄というより好敵手だった。互いに天稟に恵まれた前衛戦闘型で、類まれなる異能を持つ良きライバルであった。

 リナリーが入団してから七年。付き合いが長いという事もあり、比較的ノクトの方が口が達者であるという事実をリナリー自身よく分かっている。だからこそ、安く挑発に乗る=自ら墓穴に飛び込む行為だと、これまでの経験で学んでいた。

 ちなみに彼は、団長であるリナリーの父にはどこまでも従順である――が、ところがどっこい実子であるリナリーには見違えるほど当たりがキツイ。普段は何事にも誰に対しても真面目なくせに、大変遺憾である。

 ‥‥‥そんな相手だからこそ、非常に厄介だった。


(とはいえ、他に誘えるような人もいないし‥‥‥)


 致し方ない。リナリーは意を決する。


「‥‥‥ねぇノクト、聖夜際の日、何してるの?」


 出来る限りさり気なく訊ねてみた。


「‥‥‥なんで?」


 黒い瞳がリナリーへとスライド。味気ない返答にリナリーは思わず口ごもった。


「いや、別に‥‥‥」


 するとノクトは小さく息を吐いてから視線を元に戻した。


「――不測の事態に備えて大隊本部で待機。祝日で休暇をとる団員が多いから、その穴埋めに志願するつもり。前線で活躍してる団員の仕事ぶりを間近で見る機会はそうそうないから、そっちに行く予定だけど?」


「そ、そう‥‥‥え?」リナリーはポカンとし、「もしかして毎年聖夜際は警備隊に参加してたの?」


「そうだけど?」


「へ、へぇ‥‥‥」


 何というか、予想外の不意打ちをくらった気分だった。

 彼の事はある程度理解しているつもりだったが、まさかここまで真面目だったとは。


(アルカの馬鹿!どこが引き籠りニート(そこまで言ってない)なの!?)


 自己の将来を見据え、かつ社会奉仕活動に意欲的な人間に対し、「ねぇ仕事なんかせずに遊びに行かない?」なんて、言えるわけがない。

 結局、聖夜際の話はそれ以上続かず、終始無言で食事を終えたノクトがさっさと食堂を後にしてしまったのだった。


 そんな聖夜際はもう、明日である。


 ♢


 とうとう祝日。聖夜際当日。

 宿舎の窓から見えるキラキラした街並みをリナリーは灰色な気持ちで眺めていた。

 訓練場の先、目と鼻の先に祝日に沸き立つ街がある。純白の雪に覆われた中で輝く色とりどりの装飾が今のリナリーには目に痛い。目視できる範囲に点在する、聖夜際用に配置された屋根より高いモミの木の素晴らしいライトアップがまた切なさを煽る。

 宿舎は現在閑古鳥。取り残されたリナリーは、一人寂しく朝から日が沈んだ今の今まで自室で暇を持て余していた。


 ‥‥‥あれから、一応ノクト以外の男子にも声を掛けていた。

 不思議なもので、声に出すのも恥ずかしいと思っていたはずの誘い文句は他の人ならスムーズに言えた。

 しかし結果は玉砕。声を掛けた三人中三人ともに先約がいるという。

 それから昼頃、一緒に行くかと誘いに来てくれた父にリナリーは心がグラリと揺らぎかけたが、そこはぐっと堪えて断った。


「私も行きたかったなぁ」


 もう何度目か分からない溜息を吐く。

 いっそのこと、ノクトと同じように警備に参加するのもアリだったかもしれない。そうすれば忙しさにかまけてこの虚しさを一時忘れられていたかもしれない。


(もう遅いけど‥‥‥)


 花も恥じらう十五歳。彼氏いない歴=年齢。こうして一人色のない人生を老いるまで過ごすのか。そんな途方もない想像までしてしまうのは、やっぱり今日という日に一人だからである。


「せめて晩御飯くらい一緒にどう、て聞くべきだったのかも‥‥‥ノクトに」


 そこでタイミングよくグゥゥ、と腹の虫がなった。今日に限っては食堂もお休みなのである。


「もういいや。こうなったら一人で行こ」


 リナリーは立ち上がると窓から離れた。

 適当に食べものを買って、素早く街を出てくればいい。――そうだ、雰囲気に流されてはいけない。周りなんか気にしなければいい。

 そう開き直ったリナリーは、壁にかけられていたハンドバッグを手に部屋から出た。


(よくよく考えれば、あのノクトが私と二人で出かけてくれる保証もないんだよね‥‥‥)


 あのノクトだし、とリナリーは肩を落とした。


 ♢


 リナリーがノクトに初めて会ったのは、彼女が八歳の頃だった。


 その時ノクトは既に見習い兵として軍にいて、一方のリナリーは遠く北の田舎に母と弟と三人で暮らしていた。

 それまで父の顔さえ碌に知らなかったリナリーが特務大隊に入団した理由は、所謂一目惚れ。

 元帝国の要人であった母の身が危うくなった時、突然風のように父が現れ、母の窮地を救った。その姿に衝撃と感銘を受け、彼女は特務大隊に憧れを持つようになったのだ。


 母の後押しもあり、必死に貯めたお小遣いでリナリーはたった一人故郷を出奔。海を渡り、父のいる帝国へ苦労の末に辿り着き、飛び込みで入団試験を受けた。

 母から受け継いだ類まれなる超能力サイキックで見事試練を突破。晴れて訓練兵として入団する。

 そしてこの宿舎に案内され、最初に出会ったのが彼‥‥‥ノクトだった。

 入団した事で有頂天だった当時のリナリーに、ノクトは開口一番こう言った。


「ここは子供の遊び場なんかじゃない。団長の娘だからって誰も特別待遇なんかしないぞ。覚悟がないならとっとと帰れ」


 彼は、リナリーが差し出した握手に見向きもしなかった。


 他の訓練兵が快く仲間としてリナリーを受け入れる中、ノクトは徹底して冷たかった。

 シカトも無視もいいところ。目すら合わせようとせず、そのくせ事あるごとに己とリナリーの力量さを大勢の前で見せつけ幼い彼女の心を折ろうとした。

 そんな回りくどい嫌がらせが続き、リナリーは徐々に元気をなくしていった。

 けれどある日、とうとうブチ切れたリナリーがノクトの後頭部にドロップキックを炸裂させ、そこから取っ組み合いの大喧嘩が勃発。

 これでもう二人の仲は修復不可能かと誰もが思ったのだが‥‥‥災い転じて福をなすとでもいうべきか、その日を境にノクトが変わった。

「あぁ」だの「うん」だの、不愛想な相槌ではあるが、リナリーの言葉にノクトが応じるようになったのである。


 あの頃に比べたら、今の彼は見違えるようだとリナリーは思う。

 正直今は口を開けば嫌味。とにかく嫌味。そして嫌味な奴だけど、それなりに会話が続くようになったのだから進歩である。

 けれども、二人の間にはどうしたって埋められない溝があったのだった。


 ♢


「あれ‥‥‥ノクト?」


 リナリーが宿舎の階段を降りている時、丁度正面の出入り口からノクトが入ってきた。

 やや驚いたリナリーの声に、軍服姿のノクトが顔を上げた。


「いたのか」


 相も変わらず不愛想に彼が言う。

 もう少し顔筋をどうにかしたら女の子が放っておかないだろうに。などと思いながらリナリーは曖昧に頷いた。


「うん、まぁね」


 一人取り残されたから、とは言えない。


「聖夜際には行かなかったのか?」


「ぐっ‥‥‥」


 率直な疑問がグサッとリナリーの胸に突き刺さる。けして彼に他意は無いと分かってはいても胸にくる。

 ‥‥‥もっとこう配慮のある言葉は選べないのか、その脳みそは。


「ノクトこそ!警備はどうしたの?――まさか戦力外通告でもくらった?」


 傷ついた乙女心を知られたくなくて、はぐらかそうとしたら完全に裏目に出た。


(いつものくせでつい‥‥‥)


 煽るつもりは全くなかった。即座に撤回しようと口を開きかけたリナリーであったが、


「いや、遅番の団員と交代してきただけだ」


 ビックリな事に、予想していた展開にはならなかった。


「えっ、あ、そうなの?‥‥‥ふーん」


 功を奏したものの調子が狂う。

 だがさらに驚くべきことに、明らかに挙動不審になっているリナリーを見上げ、ノクトは何か訊きたそうな顔で首を傾げた。


「何かあったのか?」


「‥‥‥えっ!?」


 ――まさか、心配されてる?


 リナリーは慌てて目を瞬く。

 まさか彼に心配される日が来るとは。リナリーは思わず自身の目を疑ってしまった。


「ねぇ、本当にノクトだよね?誰かが変身してノクトになりすましてるとかじゃないよね?」


 すると彼の方から、馴染みのある不機嫌な溜息が聞こえてきた。


「他に誰に見える?」


(あ、いつものノクトだ‥‥‥)


 呆れた時の彼が見せる、眉毛を片方だけ上げる癖。ややうんざりとこちらを見上げる黒い瞳に、リナリーは密かに安堵した。


「ところで、出かけるのか?」


 ふいにノクトが訊ねる。彼はリナリーのハンドバックを見ていた。


「――あ、うん。食堂閉まってるから。出店で適当にすませちゃおうかなって‥‥‥」


 そこでふと、リナリーは気付いた。

 彼は荷物の類を何も持っていなかった。見回りついでに夕食を調達してくるものとばかり思っていたのが、寄る暇がなかったのかもしれない。それらしい袋が見当たらなかった。


「ノクト、夕飯は?」


「まだだけど」


 どうせなら‥‥‥。

 心に生じる迷いを打ち消すように、リナリーは深く深呼吸をした。


「――あのっ「おうノクト!こんな所に居たのか!」


 その時、せっかくの決心を水の泡にする急な横やりが入ったのだった。


 ♢


 形式上、ノクトはトゥルー家の長兄という事になる。早い話がリナリーの義理兄。

 だがしかし、彼は素直に『身内』という地位に収まるつもりは毛頭なく、もっと言えば『リナリーの義理の兄』など冗談だんじゃないとすら思っている。

 ‥‥‥それが、誰も知らない彼の本音。

 ノクトは、リナリーを家族として扱う気は無かった。



 この世には『フリーク』という先天性の特異体質がある。


 稀に異能を持って生まれてくる人間を、人々はそう呼んだ。

 リナリーのサイキックもその一種だ。

 人の姿をしている者から、人の名残を残している者まで、それらはすべからく亜種として区別されていた。

 特別な人種。生まれ持った才能。ここ十数年で少しずつ認識が変わりつつあるが、過去フリークは差別の対象だった。

 そしてこの特務大隊は、そんな世にあぶれたフリークだけを集めてできた組織である。


 ノクトは『サラマンドル』という人体発火能力の持ち主であった。


 彼は幼い頃、なかなか制御できない発火能力のせいで事故を起こしている。

 彼の生家である邸宅の全焼。結果、家族に捨てられた彼は親戚をたらい回しにされた挙句、違法孤児院に入れられた。

 違法と訊いて想像できる通りの劣悪な箱庭の中、院長はノクトを気味悪がった。半年間彼を外で飼い(・・)続け、その上タダでも売れない彼を押し付けるような形で人買に捨て値で売り渡した。けして人とは思えない境遇の中、ひたすら彼は孤独と空腹に耐え続け、流れ流れて現在彼が暮らすこの帝国付近の街までたどり着く。


 そんな地獄からノクトを救い出したのが、リナリーの父親‥‥‥ジフであった。

 ノクトがジフに従順なのは、心からの敬愛の印。

 しかし、リナリーに冷たく当たっていた理由は、嫉妬心という単純なものだけではない。


 さる取っ組み合いの大喧嘩の後、彼はリナリーにこんな事を言った。


「唯一面倒を見てくれていた本当の家族でさえ、俺とはまともに口も利かないし目も合わせなかった。‥‥‥ジフさんがお前を見る時の目と、俺を見る時の目は違う‥‥‥ガキ臭いけど、それが何より怖かった」


「お前の事が嫌いだったんじゃない‥‥‥怖かったんだ」


 ノクトのサラマンドルは、この特務大隊の精鋭フリーク達にさえ、あまりにも荷が重い苛烈極まりない能力だった。

 けれどもジフは何も言わずにノクトを養子として受け入れていた。


 それは遠く田舎で平々凡々に育ったリナリーには考えられないような話であった。

 フリークでも周囲から温かく見守られ、両親から愛されて育ったリナリーと、自分ではどうすることもできず本当の家族から捨てられたノクト。

 ジフと血の繋がりがあるリナリーと、そうでない彼。

 実の親子にはなれないという、どう足掻いても覆せない真実と、ジフには本当の家族がいるという引け目が、彼を常に不安にさせていた。

 彼は本当に、ただ怖かっただけなのだ。


 そんな自分の心境を正直に言葉にできたのは、精根尽きるまで大喧嘩したせいだったのか、

 もうどうにでもなれと思ったからだったのか、ノクト自身にも分からない。

 けれど、そんな彼の心の中の、永遠に解決する事のできないと思っていた心の氷を溶かしたのが、他でもないリナリーであった。


「‥‥‥なぁんだ、ノクトって実は凄い寂しがり屋さんってだけだったんだ。怒って損しちゃったよ、もう」


 思わず目を見開いて固まるノクト。ボロボロのリナリーは、そんな彼を見て何故か嬉しそうに笑っていた。


「私、生まれて八年お父さんの顔も知らなかったの。でも、もしお父さんがウチにいたら、きっと今の私ならこう言ってたわ――『こら!帰ってきてる場合じゃないでしょっ!』って‥‥‥お父さんは子供を見捨てるような人じゃないって信じてたけど、うんうん!ほんっとーに良かった!」


 そう独り言ちて、地べたに寝そべったリナリーは、その澄み切った湖を思わせる碧眼で空を見上げた。


「私もそんなお父さんに憧れてここに来たの!‥‥‥世界はこんなに広いのに、私達同じ奇跡を見てここにいるなんて凄い‥‥‥!ノクトもそう思うでしょ?」


 ノクトを映すリナリーの瞳には、もう何の(わだかま)りも怒りもなかった。ついさっきまで大喧嘩すら忘れてしまったかのように、彼女の笑みはあまりにも無邪気そのもの。

『――実の子を放り出して他人の面倒を見ていたなんて。その上、逆恨みなんて馬鹿馬鹿しいにも程がある!』

 少なくともノクトは、そう責められると思っていた。


 ‥‥‥信じられない言動だった。けれど、そんなリナリーを、ノクトは信じることにした。


 そして、信じられる仲間から大切な存在に、大切な存在からただ一人の少女に‥‥‥ノクトの中で、リナリーの存在が徐々に変化してったのだった。



 ♢



「ノクト!お前も来いよ、早く着替えてさ!」


 唐突に割り込んできた歓声に、リナリーは思わず口を噤む。

 扉を叩きつける勢いで入ってきたのは、同じ訓練兵の少年だった。


「ほら早くしろ!四十秒で支度しろよ!?」


「なんだ急に‥‥‥いったいどうした?」


 当然聞き返したノクトに、興奮気味の少年はじれったいとばかりに足踏みをした。


「――ったく!こんな時にお前ってやつはっ‥‥‥今、広場に武器商人が来てんだよ!聞いて驚くな?なんと魔剣が売られてんだぜ!?」


 魔剣、と訊いた途端、ノクトの肩がピクリと動いた。


「‥‥‥本当か?」


 声色に真剣さが宿る。その背後でリナリーは息を呑んだ。


「――あぁ本当も本当!ガチだ!目ん玉飛び出るくらい高いから買えやしないけどさ、こんな機会滅多にないだろ?ノクトも絶対興味あるって思って急いで呼びに来たんだ!」


 ――魔剣。その名の通り魔力が籠められた剣である。選ばれた強者だけが所持できるという、絶大な力を持った希少な魔道具だ。

 この帝国で所有者はたった三人のみ。現皇帝とその配下二名。配下二名のうち、一人はリナリーの父親ジフである。

 少年の云う通り、自他ともに認めるジフ崇拝者であるノクトは魔剣に相当な興味があった。そしてリナリーもその事を知っていた。

 と、少年がそこでやっと階段上のリナリーに気が付いた。

 バチッと目が合って、しばし硬直。それからノクトとリナリーを視線で往復し、


「あ‥‥‥もしかして今取り込み中だった?」


 状況を察したのか、申し訳なさそうな苦笑いを浮かべる。リナリーは気まずく視線を逸らした。


「‥‥‥ううん。別にそういうのじゃないから、気にしないで」


 片手を顔の前でブンブンと振りつつ、リナリーは曖昧に笑った。

 すると、そんなリナリーを見上げていたノクトが、


「‥‥‥せっかくで悪いけど」


 やや肩を竦めて少年を振り返った。


「俺、用事あるから」


「えっ‥‥‥でもお前」

 

驚く少年をよそに、ノクトはその肩を掴んで無理矢理回れ右をさせた。


「滅多にない機会なんだろ?俺の事はいいから、気にするな」


 早く行けよ、とばかりにその背中を押す。


「いや、でも」


「大丈夫だから、ほら。――いい聖夜際を」


 困惑する少年を、ノクトはそのまま閉め出してしまう。断るところから閉めだすまでの所要時間は約五秒。唖然とするほど早かった。

 その様子をポカンと眺めていたリナリーに、ノクトは清々しいほど何もなかったかのような顔で訊ねた。


「悪い、話が途中だったな。‥‥‥それで?」


 言いつつ、ノクトは何故か満面の笑みで階段に足をかけた。

 トン――と、ノクトの靴音が無音の廊下にやけに大きく響く。リナリーはハッと我に返った。


「あ、あのいや別に、大した話じゃなくて」


「ふーん?それで?」


「だからその、用が無ければご飯でも一緒にどうかな~って思っただけで」


「行く」


「は?」


 即答だった。リナリーは思いがけず凝固する。


「聖夜際だろ?行く」


 わざわざ言い直したノクトを、リナリーは目を点にして見つめた。


「いや、でも用事は?」


「着替えてくる。少し待てるか?」


 質問を見事にパスしたノクトが横を通り過ぎていく。


「え?うん‥‥‥って、ちょっと!だから用事は――」


 咄嗟に踵を返したリナリーに、ノクトがすかさず言った。


「用なら今できた」


「はぁ?」


「聖夜際に行きたかったんだろ?――俺と」


 ニッと笑ったノクトを見て、リナリーは思いがけず発狂しかけた。


「いやいやいやっ‼そーゆー意味じゃないからね!?けして深~い意味じゃ‥‥‥って、こら、人の話は最後まで――」


 するとノクトは、困った奴を宥めるような、早い話が上から目線でリナリーを見下ろした。


「架空のカス男に頼るぐらいなら最初から俺に相談しときなよ。阿呆リナリー」


「聞こえてたんかい‼」


 顔を真っ赤にして叫ぶリナリーに、ノクトは声を上げて笑ったのだった。

 しばらくして、何やら楽しそうに言い争う二人が宿舎から出てきたところを、何故か怒り狂った状態で帰宅したアルカが目撃したという。

 翌朝、何があったのかリナリーに問い詰めるアルカであったのが‥‥‥リナリーは挙動不審でその話題から逃げ続けた。そして頑として口を割ることはなかった――


 と、思わせて、


「えぇっ!?ノクトに告られたぁ!?それって禁断の兄妹間恋あ――」

「バカアァァァァー-ッ‼」


 アルカの絶叫を聞きつけたジフが素っ飛んでリナリーの部屋に飛び込んできたのは、また別の話である。


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