私はねこホーダイを否定できない
ねこホーダイがサービスを停止したと耳にしました。
叩いてらっしゃった方も多いみたいだし、当然のことなのでしょう。
『命をサブスクリプション扱いにするな』『ねこは環境の変化に敏感なんだ』
確かにその通りだと思います。
でも、私は叩く気にはなれません。
だって私は殺処分される子らに対して、『どうにかできないかな』と思うばかりで、なんにもしてませんから。
何かをしようとしたというだけで、私は件のサービスを支持したいです。
営利目的で命を商品扱いしたというわけでもなさそうだし。
命をサブスクリプション扱い……。確かにそうなのかもしれません。
元々そういうつもりだったのか、結果としてそうなったのかは知りませんけど。
でも、それは保護猫問題をどうにかしようとした、そのための方法のひとつだったのではないでしょうか?
ねこは環境の変化に敏感……。その通りです。
ねこは家につくといいますよね。ねこカフェの子らは毎日違う人間のお相手をしても、その場所についてるからストレスは少ないのかもしれません。カフェ店員さんも見てるから、あんまり嫌がることはされないし。
でも、環境の変化にさらすぐらいなら殺処分のほうがましだとは思いません。
私はアパートで一人暮らしです。
ねこ不可なので利用したくてもねこホーダイを利用することは出来ませんが……。
それでもケージに入れて飼える動物ならいいと大家さんのお許しをいただいたので、フェレットを一本飼っています。
前はそうでもなかったのですが、約一年ほど前から仕事が忙しくなり始めて、丸二日泊まり仕事の連続になることが多くなりました。
丸二日留守をして、一時間だけ家に帰り、また丸二日留守みたいなパターンの繰り返し。
その間、フェレットくんは放ったらかしです。
餌や水は自動で出るようにして切らさないようにしていますし、トイレは四箇所作って帰るたびに掃除し、大家さんとの約束を破って部屋の中で放し飼いにしていますのでストレスはないと思います(ストレスが溜まるとフェレットは緑色のうんちをしますが、いつもいいうんちです)。
それでもよく、フェレットくんに私は聞きます。
「こんなに家にいない飼い主に飼われて、幸せ?」
彼はもちろん私の言葉などわからず、ただ顔をペロペロ舐めてくれます。
罪滅ぼしみたいなつもりで全力で遊んであげると、無邪気にはしゃいでくれます。
私はフェレットくんを幸せにしたくて彼を飼っているわけではありません。
私は自分が寂しいから、仕事から帰ったら出迎えてくれるやつがいてほしいから、自分がかわいいものを見たいから──
つまり私は自分のためにフェレットくんを飼っています。
彼が幸せそうじゃないと私が嫌だし、彼が病気で死んだりしたら私がめっちゃ悲しむし、彼が快適そうにしてないと私の自尊心が傷つくし──
自分で自分のことが好きでいたいからフェレットくんを大切にしているのです。
フェレットくんが死ぬまでの、自分のための慰めです。フェレットくんを救おうと思って飼っているわけではありません。
動物は死ぬものです。
動物は過酷な環境に投げ出されうるものです。
動物は人間社会の中では人間に管理されるものです。
ほんとうは動物は、人間のことをとても憎んでいるのかもしれません。
もちろん、動物に聞いてみなければわかりませんが。
所詮、命に意味はありません。
意味もなく生まれてきて、意味もなく消えるものです。
そこに人間が勝手に意味を与えようとするものです。
うちのフェレットくんがもし死んだとしても、ほんとうは私と関係なんてありません。
たかが動物ですし、私と血の繋がりがあるわけでもありません。
私は生ゴミと一緒に彼の亡骸をゴミ袋に入れて捨てたって、誰からも文句を言われる筋合いはありません。私の住むところのゴミ出しパンフレットには生ゴミの中に『動物の死骸』もちゃんとありますから。
でも、そんなことをしたら私は私を許せないでしょう。
だから市の経営する共同ペット墓地に入れて、いなくなってからも何度も会いに行くことでしょう。
彼はその時もう、どこにもいないんですけどね。
私が自分の満足のために、大好きだった彼に会いに行くんです。
ねこだって、意味もなく生まれて意味もなく消えるものに変わりありません。
もちろんねこの気持ちはあるでしょうし、ねこにも痛みがあるのでしょうけど、それはねこにしかわかりません。
『ねこがかわいそう』なんてのは人間が思うことです。
私が保護猫問題を『どうにかならないかな』と思うのは、ねこが悲しんでいるように私が想像するからです。
ねこがほんとうに悲しんでいるかどうかは私にはわかりません。
思うだけで何もしない私など、ねこたちにとっては敵も同然だと思います。
もちろん私がそう思うんですけど。
丸二日家にいない単身者の私はねこを飼う資格がありません。
フェレットくんの飼い主としても失格でしょう。
でも、誰からも責められる覚えはないと思っています。
私がいなければこの子は餌を獲ることもきっと出来ず、気持ちいいハンモックで寝ることも出来ず、ねこじゃらしやプロレスごっこで遊んでくれる相手もいないのです。
もちろん毎日二時間ぐらい一緒に遊んでくれる家族のところに引き取られたほうがもっと幸せだろうなとは思います。
でも、それでは私が幸せではありません。
私は、私のために、彼と一緒に暮らしたいのです。
私は私のために、彼を全力で愛したいのです。
いたずらをするからと外に放り出すなんてことは絶対にしません。
異物を飲み込んだとかで手術代が15万円とかかかっても必ず救います。
それは彼が生きたいからではなく、私が彼と一緒にいたいからです。
私はねこホーダイを否定できません。
私はねこのためになんにもしていないし、出来ないからです。
ねこをもし譲り受けたら全力で愛しますが、それはねこのためではなく、私のためにです。
でも今、私はねこのためになんにもしていません。
そんな私が、ねこのために何かをしようとした人たちのことを否定するなんて、とても出来ません。
彼らがねこのためにそれを立ち上げたのか、それとも保護猫問題をどうにかしたいと思う彼らのために立ち上げたのか、それは知りません。
でも、何かをしようとするということは素晴らしいことだと思います。
そこに何もしない私が、ねこがかわいそうだと思う私の感情のままに、否定するだけなら誰でも出来るのをいいことに、まるで自分が正義であるかのように、喚き立てることなどとても出来ません。
頭が悪いのでまとめきれませんでしたが、思ったことを正直に書きました。
もちろん自分が正しいなどとは思っていません。誰を責めるつもりもありません。ただ、自分自身に誠実に書きました。