キャラ変したい王太子と従者
2022/9/1改稿しました。
「一旦休憩だ」
手に持っていたペンを置いて、ある国の王太子が自身の従者に声をかけた。座っていた従者は自分が飲むコーヒーを用意するために立ち上がり、王太子は椅子に座ったままで深刻そうな表情を浮かべている。今この執務室には、王太子とその従者の二人だけしかいない。
「キャラ変しようと考えているのだが、お前はどう思う?」
コーヒーを用意する手を止めて、従者は王太子にそっけなく返事をした。
「滞りなく仕事してもらえれば、僕は殿下のキャラとかどうでもいいです」
「そう言わずに、私の話を聞いてくれ」
またろくでもない話だろうと、従者は察した。
「最近の近隣諸国の王太子や王子達は、非常にキャラが立っている。婚約破棄をしたり、婚約者を冷遇して逃げられたり、聖女を追放して国を滅ぼしたりと、多種多様に耳を疑うようなものばかりだ。こんな中で地味な存在の私は、完全に埋もれてしまっているのではないだろうか。私ももっと目立っていくべきではないだろうか!?」
「挙げた例が悪名高いものばかりです。殿下はそのまま何事も無く、埋もれていてください」
思った以上にろくでもない話で、従者は早く話を切り上げたかった。王太子が自分の分のコーヒーも淹れてもらいたそうにしていたが、従者は当たり前のように無視した。先程まで座っていた場所に従者が戻ってしまい、王太子は少ししょぼんとする。
「そうもいかない。どうも最近システィに、飽きられている気がするのだ」
システィとは王太子の婚約者だ。彼女は大変可愛らしい令嬢で、王太子は骨抜きにされている。王太子と従者とシスティは幼馴染なので、皆勝手知ったる間柄だ。
「婚約者に飽きるも何もありません。たとえシスティ様が殿下に飽きているのが事実だとしても、それで殿下を捨てるような方ではないでしょう」
「いや、私は婚約者に飽きられるような、つまんねー男にはなりたくないのだ!」
王太子は立ち上がって力説した。勢いよく立ち上がり過ぎて、王太子は机に足を強打した。
「そんなこと言い出す時点で、殿下は少なくともつまんねー男ではないです」
ものすごく痛そうな音がしていたが、従者は王太子を全く心配していなかった。
「キャラ変に話を戻そう」
王太子は何事も無かったかのように、椅子に座り直した。強打した足はまだ痛い。
「無理やり戻しやがった、こいつ」
幼馴染であるがゆえに、従者は王太子に対して多少の不敬は許されている。なので王太子のことを『こいつ』と呼んでも特に問題ない。
「実は既にいくつかのキャラ変を試してみている」
「もう大事故の予感しかしないのですが」
「まず手始めに、オネエ系になってみた」
幼馴染であっても、従者は王太子の思考が全く理解できなかった。
「紆余曲折の迷走の末、最終的に行き着くような場所に、最初から直行しないでもらえませんかね」
「まず形からと女装したら、システィに泣かれた」
当時のことを思い出したようで、王太子は急にへらへらしだした。
「よりによって最初にシスティ様に会ったのかよ。そりゃあ婚約者が急に奇行に走ったら、泣くに決まっています」
なんでこんな奴と婚約しているのか。もし従者だったら、三日三晩は自分の人生について思い悩むはずだ。というか、どうしてこんな奴の従者になってしまったのか。
「私より段違いに可愛いなんてと、泣きながら頬ずりされた」
「……う……そんなに可愛かったのなら見てみたかったです」
従者は不覚にも、王太子の女装に興味が湧いてしまった。
「いつもより長めにいちゃいちゃした。良き時間を過ごせたぞ。おすすめだ」
「いや、勧められてもやらねえよ」
というか、人に勧めるな。
「システィは『見た目は可愛い女の子やのに、中身はいつもの殿下でめっちゃおもろいやん』と、絶賛してくれた。本当に絶賛してくれたのだ」
「…………初心はどこ行った? 形から入って、形だけで終わってるじゃねえか」
あとなぜシスティは片田舎の方言になっているのか。従者はシスティが方言で話しているのを、聞いたことが無い。
「次に試したのが不思議系だ。妖精を意識して、触角と翅を装備してみた。装備したまでは良かったが、翅がつかえて部屋から出られなかったので、試す前にボツになってしまった」
王太子は長い棒を咥えて狭い所を通れなくなっている犬と、同じことをしていた。
「部屋から出られなくて良かったと思います」
実は九十度向きを変えれば、触角と翅を装備した王太子が部屋から出ることは不可能ではなかった。王太子がこのことに気付かなかったのは、きっと不幸中の幸いだ。犬と同レベルであることは図らずも露呈してしまったが、不幸中の幸いのはずだ。
「続いてインテリ系で、メガネをかけてみた」
「殿下は形から入るのが好きすぎませんか?」
形から入ろうとしている時点で、もうインテリ系からは程遠い。その前に試していることも踏まえると、インテリ系からはさらに遠くなる。
「それが……」
王太子は妙に口ごもった。
「……システィの私を見る目が怖くなって、メガネはすぐに外した。あの大きな瞳で食い入るように見つめてくるのだ。かなり怖いぞ」
「殿下が怖くなるとはよっぽどです」
「メガネを外しても、もはやシスティはメガネしか見ていなかった」
「システィ様はメガネスキーでしたか」
幼馴染といえども、従者は初耳だ。
「私そっちのけで、システィはメガネを喜んで持って帰っていった」
せっかくの二人きりのお茶会は、システィの途中退席により開始五分で終了となった。残された王太子は一人寂しく、ケーキをやけ食いした。
「殿下はメガネに負けましたか」
「今後メガネに負けないためにも、やはり私はおもしれー男にならなければいけないのだ!」
王太子の悲痛な叫びが執務室に響いた。
「殿下のせいで、システィ様のキャラまで崩壊していく……」
従者は王太子よりも、最近王太子に毒され気味のシスティの方が心配になった。幼い頃はよく王太子を遠くに投げ飛ばして、楽しそうに遊んでいたシスティ。……いや最初からそこまで普通でもなかった。
「こんな風にいくつか試してみて、まだ試していないのが俺様系だ。今から試すから、お前の意見を聞かせて欲しい」
「俺様系? 意見を求められても、いまいち分かりませんけど」
王太子と従者双方に、俺様系の知り合いはいない。ただ女王様系ならいる。王太子の母親なので、女王様系というか本物の女王である。
「俺様もいまいち分かっていない。俺様が思う俺様を、俺様は実行しているわけだが、俺様は俺様出来ているだろうか?」
「ちょっと待ってください。あの殿下、一人称を俺様にさえしておけば、俺様系キャラになれると思っていませんか?」
「ばれたか」
王太子はてへっと舌を出した。特に可愛げは無い。
「おい、図星かよ。おい。まじかよ、おい」
従者は頭を抱えた。
「私が思いついたのはこれで全部だ。だがどのキャラもしっくりこない。お前も何か案を出してくれないか」
「…………面倒くさい…………。……では癒し系はどうですか?」
突っ込み疲れた従者の、癒されたい願望が漏れ出た。
「私の方が癒されたいから却下だ。って、何だその目は」
従者は目を見開いて、王太子のことを見ていた。
「いつも好き勝手やっているので、殿下はストレスと無縁だとばかり思っていました」
「私にだってストレスの一つや二つはある。私のことを何だと思っているのだ」
「僕としては仕事さえしっかりしてもらえれば、殿下のメンタルはどうでもいいです」
従者は心の底からどうでも良かった。
「もっと私を大事にしてくれないか」
「いやです。断固拒否。こんなバカ話に付き合っているだけでも、感謝を要求します」
「ありがとう」
予想外に感謝の言葉をもらい、従者の機嫌が多少良くなった。
「もう少し殿下のバカな相談に、付き合って差し上げましょう。他に僕が思いつくのは王子様系です」
「王子が王子様系になっても、全然奇をてらっていないではないか」
王太子が従者を馬鹿にしてくる。
「奇をてらうって言っちゃったよ、こいつ。腹立つ顔するな、こいつ」
「それに何もしなくても、私は既に十分王子様系だ」
思わず従者は叫んだ。
「え!?」
従者の叫び声で王太子は驚く。
「何だ!?」
「本気で言っていますか? 本気で? 本気で? 本気で? ほ・ん・き・で?」
「…………冗、談だ」
従者の圧が強すぎて、王太子はそう言わざるを得なかった。
「ですよね。殿下は話すとちょっとアレなのが露呈するので、もう黙っていればいいのではないでしょうか。つまり寡黙系です」
「寡黙系だと? …………」
数秒後。
「ふっ、もう無理だ」
「お前その程度も黙っていられないのかよ。秒単位じゃねえか」
王太子は仕事中もよく独り言を言っている。従者が同じ部屋にいてうるせえと思うぐらいには、よく言っている。
「他には何かないか?」
「他? 他ですか? わんこ系とかですかね」
「それはいいかもしれないな。さっそく首輪をつけて、庭園でシスティに散歩してもらおう」
今の季節は庭園の花が見頃だ。婚約者同士で散歩するには良い場所ではあるが……。
「殿下、それはただの犬です。もっと言えば、そういうプレイです。これ以上システィ様に、謎属性を付加するんじゃない」
一瞬システィなら嬉々として首輪とリードを引っ張り回しそうだと思い、従者はそれ以上考えることを止めた。
「では延々と蕎麦を食べればいいのか?」
「蕎麦? ちっ、わんこそばめ。世界観をぶち壊しやがって」
異世界から伝来した蕎麦は、瞬く間にこの世界中へと広がり、元々あった麺料理を駆逐した。外来種の恐ろしさに関しては、今一度肝に銘じて頂きたい次第である。
「ちなみに私は蕎麦にはワサビが欠かせない」
「僕はあのツーンが苦手です」
従者の数少ない苦手な物だった。
「お子ちゃま舌だな」
ワサビ好きな王太子が、従者を馬鹿にしてくる。
「いっそぶん殴ってやろうか」
「お前に殴られると本気で痛いから止めてくれ。私に対するお前の敬意は、一体どこに行ってしまったのだ。……殴られるといえば、ドМ系もあるな」
ちなみにどこに行ってしまったも何も、初対面の時から従者に敬意は存在していない。人目がある時は敬意があるかのように振る舞っているが、振る舞っているだけである。一瞬たりとも敬意が存在したことはない。
「お、ドМ系やってみましょう。ぜひやりましょう」
従者は右手を握りしめた。ついでに左手も握りしめた。
「よし、お前がノリノリだからドМ系は無しだ」
「久しぶりに一発殴りたかったです」
現在従者は両手を握りしめているので、間違いなく一発ではすまない。
「軟弱な私をいじめないでくれないか」
王太子はちょっとビビっている。従者に殴り掛かって来られたら、王太子の運動神経では避けられない。王太子はシスティの投げ技を避けられたことも、たったの一度だって無い。
「不敬とか言い出さないところは見直しました。あ、ナンパ系は……システィ様が可哀想ですかね」
「いやそんなことはないな。私は次々と標的を沈めていき、最終的に私はこう呼ばれるのだ。船の厄病神と」
「そっちの難破かよ! 僕が言いたかったのは、女性に手当たり次第で声をかけるような、軽くてチャラついた方のナンパです」
王太子は船酔いが非常に激しいので、船の厄病神には絶対なれないだろうなと、従者は思った。そういえば、次の公務には船旅がある。
「ううむ、システィを傷つけるようなものは駄目だ。やはりシスティへの愛は示していきたいところだな」
「それなら…………、ヤンデレ系、ツンデレ系、クーデレ系……」
王太子は従者の発言をドヤ顔でまとめた。
「…………つまりクーヤンツンか?」
「混ぜてどうする。混ぜるな。どこかの国の人名みたいになってるし、それはもはやただの情緒不安定な奴です。いやそこでなぜデレを抜いた。デレを抜いたら駄目だろ。いいとこ無しじゃねえか」
デレ大事。デレすごく大事。
「他となると……、あ、私も今一つ新しいものを思いついた。腹黒系だ」
「ああ、レッサーパンダ様は可愛いですね。あの黒いお腹には一度触れてみたいです」
従者はもふもふのお腹を想像した。
「ああ、可愛いな。女装した私並みにな!」
もふもふのレッサーパンダの想像に邪魔が入り、従者はキレた。
「お前ごときがレッサーパンダ様に対抗意識を燃やすな! そしてレッサーパンダ様に即刻謝れ!」
従者は王太子に対して多少の不敬は許されているので、王太子のことを『お前ごとき』と呼ぼうが特に問題ない。
「すみません」
従者の剣幕が凄すぎて、王太子は素直に謝った。
「よろしい。もう殿下は殿下が思っている以上におもしれー男なので、変わらずそのままでいいと思います」
こんなふざけた王太子、そうそういてたまるか。
「そういうわけにはいかないのだ。やはりこのままでは、システィをメガネから取り戻せない! どうしたら憎きメガネからシスティを取り戻せる!?」
「まだ取り戻せてなかったのかよ!? 一国の王太子が、無機物のメガネにどんだけ完敗してんだよ!?」
王太子とメガネのシスティをめぐる熾烈でバカバカしい争いは、しばらく続いた。このバカバカしい争いで、従者は特に何もしなかった。