名君イーホン
初めて聞く冷たい響きに私はびっくりした。
背の高い手代が、イーホンを見上げている。いつの間にこんなに大きくなっていたのか。
「イーホン、仕事を放っておいていいの?」
「キャリコが来ると聞いて少し休みをもらったのだ。それよりも、その男たちは誰だ?」
私とお揃いのイーホンの左耳の血赤珊瑚に気づいたソウが慌ててナワキ式の礼をする。
「陛下、私はナワキ本島のナダカ工房の十五代目を継ぎました、ソウと申します。キャリコの妹のネルリコとおつきあいをさせて頂いています」
「私どもはナダカ工房の職人の代表と手代です。ソウのお供として参りました」
そこまで聞いて、やっといつものイーホンに戻った。
「キャリコ、今夜も泊っていくだろう?」
その言葉にソウたちがびっくりする。
そうか、ここが潮時だろう。
「イーホン、私もあなたももう年頃なのよ。外聞が悪いことはしたくないわ」
「無体なことはしない」
「それでもだめよ」
ナワキ諸島で変な噂が広がっては困る。
あくまで私はイーホンを突っぱねて、謁見が終わるとサリラ家に帰った。
すると、イーホンは執務を終えた夜、サリラ家に押しかけて来てしまったのである。
樹齢三百年はするだろう、一枚板のテーブルのある客間に、大きくて立派な絵。
一番いい客間を用意してくれたようだ。
「寝室には行かない。この客間でいいから、一晩キャリコといたいのだ」
「では、ソウたちを呼びましょう」
しぶしぶイーホンは承知した。
ソウたちはびくびくと客間に入って来て、けんもほろろのイーホンに困り切ってしまった。
側に控えていたカイコーが私に耳打ちする。
「ソウたちがかわいそうです。戻らせてあげてください。私が控えておりますから、二人きりにはなりませんし、第一イーホン様は女性嫌いで有名です。キャリコの名誉を汚すようなことは決してありません」
ソウたちに礼を言って下がってもらう。三人は明らかにほっとした顔をしていた。
イーホンはあくまで冷たい顔だ。他の人にはそんな顔をしているのか。
女性嫌いは仕方がないだろう。あんなことがあったのだから。
「王は孤独なのだ」
ぽつりとイーホンが言った。
「キャリコと話せる時間だけが私の自由だ。せっかく王都にいるのに、一緒に過ごせないなんてひどい」
過酷な生活の中で、柔らかだった男の子はサボテンのようなツンツンに育ってしまったらしい。
前世の理央が読んだ歴史小説を振り返れば、王とはそういうものかもしれない。
私という友達が唯一の気晴らしなら、喜んでつきあおうじゃないか。
「カイコー様もいますよ」
私が言い添えると、イーホンは「そうだったな」と柔らかく笑った。
「今日は執務も多くてお疲れのはずです。優秀で頑健なのは分かっておりますけれど、無理をしすぎでございますよ」
「今日は眠らないと決めてきたのだ」
「キャリコ様はどのくらい滞在なさるのですか?」
「明日にはみんなでナワキ本島に帰ります」
「だったら絶対に眠らない」
明日も忙しいだろうに、イーホンが言い張る。
カイコーが「お許しくださいね」と目で合図した。
私も「お任せくださいな」と目で応える。
それを見逃さず、イーホンが
「私を仲間外れにして何をしていたんだ」
と、すねる。
私にとっては相変わらずのかわいい子犬である。
結局、朝まで私とイーホンはお互いの生活のあれこれを語ったのだ。