十六章 生んでしまった孤独 ー 4
ユウキ。術者はそう言った。日本人の名前だ。最初の時渡りと言われていた葉月さんよりも更に早く、この世界にやってきた。それもやはり日本人だった。この世界は日本に何の恨みがあるのか。
ともかくそれが、術者の仲間。人間に殺された仲間。術者が人間に強い憎しみを持つことになった原因。
「ユウキは不思議な力を持っていた。まあ、今で言う時渡り……君たちと同じ能力だ。僕もまだ、その力のことは知らなかった。ただ漠然とその力を感じ取り、興味本位で彼と接触した」
今から三百年以上前。時渡り、なんて名称もなければ存在も知られていない。今でこそ魔族は『時渡りの力』を気配として感じ取ることができるが、その時の術者はその気配がなんなのかもわかっていなかったはず。でもその気配を頼りに、ユウキという人に会いに行くことができたってことか。
「最初、彼は驚いていたよ。僕のような姿をした存在は、架空のものだと言ってね。別の世界から召喚されたというのは僕も驚いたが、彼の話を聞く限りそうとしか考えられなかった。不思議な力もそのためかと思っていた」
異世界の人間。何を持っていても不思議じゃない。術者は受け入れることができたんだな、そのユウキという人を。ユウキさんにとって、術者に会ったことは幸運だった。もしも人間と会っていたら……リアが出会った、カケルと同じことになっていたのだろうか?
「彼の力は強大だった。だから彼は、力を使わないようにしていた。だがどこから聞きつけたのか、人間が僕ら二人を付け回すようになった。僕はそんな連中を殺してしまおうと言ったんだが、ユウキは頑なに拒否していた。人殺しなんて絶対にやっちゃいけない、とね」
日本人だからな。それもおそらく、俺たちとも近い年代の。殺人はご法度の世界だ。この世界の法律やルールがどうあれ、殺してはいけないと考えるのが普通だ。そう、そっちが普通。
「まあ僕は、ユウキに見つからないように殺していたけどね。しつこかったよ人間は。どのくらい追われたかわからない。僕もユウキも辟易して、大きな山の上に拠点を移した。ところがそこにも人間は追ってきてね……まったく、人間は無駄なことにばかり労力を使いたがる」
それは返す言葉もないな。省けるはずの無駄をとことん省かないという問題は確かにある。
「ユウキの考えは一貫していたよ。たとえ地獄の底まで追いかけられても、人を殺しはしなかっただろうね。結果、自身が殺されてしまったわけだが」
時渡りの力を持っていながら、使わなかった。決して人を殺そうなどと思っていなかったユウキさんを殺したのか、この世界の人間は。
「殺された状況については……聞いてもいいか?」
「もちろんだ。必要な情報だろう」
俺としては聞きづらいことだったが、術者はなんとも思っていないようだ。これも魔族の感性なのか?
「ユウキは僕を逃がそうとした。人間の目的はあくまでもユウキだけだったからね。一緒に追われる僕のことを思ったのだろう。理解しがたい感情だが……」
誰かを守るために自分が犠牲になる。わかってても実行するのは文字通り命がけ。確かに、理解しがたいというのは本来そうかもしれない。
「僕は反対したんだがね。無意味だと。だけどユウキは聞かなかった。ある日、僕の目を盗んで一人で行ってしまった。それが彼の選択だった」
ユウキさんもまた、術者が自分のことを思っていると感じたのかもしれない。異世界に飛ばされ、出会った人のために自分を差し出すくらい優しい人だ。勘違いといえば勘違いだけど……
「ユウキさんのことを追いかけなかったの? 探したりとか……」
綾音が術者に問いかけた。確かに。仲間だと言うのなら、止めたりしなかったのだろうか。
「そこは正直に、後悔しているよ。彼の思いを尊重してしまったことをね。無意味だというのを押し通すべきだった」
術者の口調は変わらないが、表情に陰りが見えた。後悔、というのは本音なのだろう。元々の性格ゆえ悲痛さが表れないが、結果的にユウキさんは亡くなっている。
「ユウキはただの一度も、人殺しをしなかった。人間はそんなユウキを殺した。身勝手に異世界から人間を呼び出しておいて、殺した。まあ、人間の手で召喚されたということに気づいたのはそれよりも後だけどね」
その時は、時渡りという考え方そのものがなかったからな。ということは、術者が時渡りに気づいたのって……
「葉月さんのことも、気づいてたのか」
俺の質問には、術者はただうなずくだけだった。その肯定で、ある予感が俺の頭をよぎった。
「じゃあまさか、一人で人間のいる城まで行ったのって……」
「おや。よく気づいたね。そういうことだ」
そうか……そういうことだったのか。
「えーと……どういうこと?」
一方、わかっていない綾音みたいなのもいる。俺たちだけで納得しても意味がない。ちゃんと説明しないとな。
「葉月さんを人間から守るために、王都に行ったのか?」
術者が襲撃してきた時、葉月さんはまだ召喚されたばかり。力を使ったことがなかった。殺されないように必死だった。考えなかったんだろう。人間を憎んでいる魔族が、何のために単身乗り込んできたのかを。自分を助けるために来たなんて、その当時に気づけるはずがない。
「少し違う。場合によってはそうなったけどね。新たにやってきた力が害になるかどうかを確かめに行った。人間に渡すわけにはいかない力だからね」
「人間を殺していたのは?」
「それは単純に私怨だね」
意外と感情的な面もあるのか。ついでのつもりだったのかもしれない。冷酷に人間を殺す様が、人間の目には強い憎しみを持っているように思えたのかもしれない。
「ハヅキの力は予想外だった。人間に捕まったのも計算外だったよ。結果的によかったのかどうかはわからないが」
その結果が今の状況か。人間は大量の時渡りを呼び寄せ、その中の大勢を魔王に特攻させて死なせ、残っている者は呪術によって操られている。三百年で魔族も人間も滅んでいない、と考えればまだいい……のだろうか? 俺ら召喚される日本人にとってはたまったものじゃないが。でも……
「……葉月さんは何度も時を超えて、いろんな未来を見てきた。その中でも、魔族が人間に反抗して勝つ未来はここだけらしい」
「ほう……? それは喜ぶべきなのかな。原理は意味がわからないが」
確かに意味がわからない。俺らよそ者が召喚されない未来がある、というのはわからんでもないが。この世界を生きる人にとっては、未来がいくつもあるとか言われてもな。じゃあ今いる自分とか世界はなんなんだって話だ。あまり気にしすぎると病むかハゲるかしそうだからやめておこう。
「それを思うと、あんたのやったことは大きかったんじゃないかな。時渡りを呪術で操るというのは、裏を返せば人間の暴走をつなぎとめていたとも言える」
「ふむ。考えられなくもないか」
時渡りの面倒をこの術者が見ることにより、しびれを切らした人間が無理に魔族に攻め込むということを食い止めた。一括で操っているため、こうして説得と解除のチャンスを得られた。
「その、魔族が勝つって話なんだが。どうやら俺が魔族につく、というのが大きな要因らしい。さらにその中でも、今の状況はかなりうまく動けている。だからこそ、葉月さんがこうして協力してくれてる」
「だから僕も協力しろ、と?」
はえーよ。話を遮らないでくれよ。
「まあ、はっきり言えばそうなる。それもあるけど、あんたを止めるためには殺すくらいしかないだろう? そうなると、あの時渡りたちも殺す羽目になるかもしれない。一人ひとり解呪していくのも限界がある。俺は、殺したくない」
「…………」
術者の目が変わった。今の俺の台詞がユウキさんと被ったからかな。そのためにわざと言った。
「必要なら人間だろうと殺すが、あんたやあの時渡りたちは殺す必要がない。呪術を解除してくれないか?」
それきり、会話は続かなかった。術者は黙ってしまう。そんなに協力したくないのか? そうじゃないはず。要は俺を信用しきれないんだ。俺が術者の目的を代わりに果たせるのなら、こいつはこんなにも渋ったりしない。むしろ喜んで言う通りにする。こいつは、自分でやりたいとかそういう類の感情的なものは持ち合わせていない。単純に、俺には任せられないから協力しようとしないだけ。
それでも俺は返事を待った。これ以外に方法はない。力での闘いは終わった。あとは話し合いしかない。
「私からも、よろしいでしょうか」
沈黙は意外な人物によって解かれた。リアが一歩前に出て術者と向き合う。
「君は魔族か。いや、少し違う気もする」
魔族にはわかるのだろうか。リアが元は人間で、サタンによって魔族に成り代わったことが。
「……ええ。昔は、人間でした」
「それは珍しいね。何か、魔族になりたい理由があったのかな」
術者はリアに興味を示しているが、それは単なる好奇心のように思える。同情とか共感とか、そういったものは感じられない。
しかし、リアのほうは当然、何の考えもなしに声をかけたわけではない。
「私にも、友人がいました。時渡りの友人が」
「ほう?」
リアにも、術者と同じような出来事があった。カケルという時渡りの少年と出会い、そして失った。もちろん、人間の手によって。そのためにリアも居場所を失い、サタンを訪ねて魔族となった。
「その友人の命は、人間の手によって失われました。私はそれを恨み、魔族になりました」
淡々とリアは語る。リアにとっては辛い記憶だ。あまり掘り起こしたくはないだろうに。
「あなたが人間を嫌うのはわかります。目的のため、魔族を倒そうとしたのもわかります。しかし本来、矛先は人間に向いているはず。状況が変わった今、健人さんと手を結ぶことが最良ではありませんか? ユウキという方のことを無念に思うのなら……」
術者がどう思っているかはわからないが、リアにとってのカケルはそうだな。リアはカケルのことで人間を恨んでいるから、人間を滅ぼそうという俺の考えに賛同している。だが、この術者がどうか。
「無念か。……初対面の人間に、そんな思い入れはないよ」
ん? 今一瞬、雰囲気が変わったような。
「まあ、もう僕にできることはない。君たちの言うことを信用するのも悪くないか」
協力してくれるのか。感情で動くタイプじゃないと思ってたのに、何が心を動かしたんだろう。さっきの表情は……悲しみ?
「いいだろう。術は解く。しかし、彼らをどうする? 自我が戻れば、好き勝手に動くことになるが」
ともかく、よかった。協力が得られた。これで一安心だな。術者の言う通り、時渡りたちを――
「……なあ。あんた本当に、名前がないのか?」
ずっと一人だったならともかく、ユウキさんという人間の仲間がいた。名前がないのは不便だったろう。ユウキさんが名前をつけたはずだ。
「もう何百年も使っていない。それに、あれはユウキがつけた名前だ」
その名前で呼んだのはユウキさんだけか。本当に大事な仲間だったんだな……
「じゃあ、新しく名前をつけよう。呼ぶための名前がないのは不便だし」
「別に構わないが、名前がないのはそんなに不便かな」
不便だよ。こんなにも人数がいるのに。いつまでも術者ってわけにもいかないし。そもそも、もう術者じゃなくなるからな。
「えーと、じゃあ……」
どうしよう。人の名前だからな。変なのはつけられない。なんか意味のある言葉を思いつければいいんだが、ルルの武器の時と同様俺には知識というものが……
「……スズラ、というのはいかがでしょうか」
名付けが下手な俺が悩んでいると、葉月さんが静かに告げた。スズラ。どういう由来だろうか。
「スズラ? 不思議な響きだね。まあ、ハヅキが付けた名前ならいただこうか」
術者改めスズラは、この名前を気に入ったようだ。名前そのものより誰にもらったかが重要なのだろうか。
ともかく、本人が受け入れてくれてよかった。これからはスズラと呼べる。名前があるって素晴らしいな。
「それじゃ、スズラ。話を戻そうか。呪術を解いた後の時渡りたちをどうするか、って話だったな」
もちろん、考えてある。サタンにも伝えたな。
「時渡りのことは説得する。どうなっても始末は俺がつける。その前に、スズラ。聞きたいことがあるんだ」
「なにかな?」
つくづく話しやすい人だ。人間ができてるな。魔族だけど。
「お前は人間のところで、時渡りの召喚をやってたんだよな? 時渡りを元の世界に返す方法に心当たりはないか?」
わずかな希望。方法を知っているとしたらスズラだけだろう。これがあるかないかで説得のやり方も結果もまったく違うものになる。
質問には即答が多かったスズラだが、これには考え込んだ。さすがにわからないか……帰したことなんてないだろうしな。
「……考えたことは、ある。帰す方法ではなく、召喚の理屈についてだがね」
「召喚の……? 何かわかったのか?」
別の世界から人間を呼んでくる。俺や綾音はもう適応してしまっているが、完全にただのファンタジーだ。ファンタジーを理屈で説明できるのか?
「結論から言うと、わからない」
「あ……やっぱり」
そりゃそうだよな。まいったな……帰れない、なんて言ってみんな納得しない。どうすれば——
「つまり、理屈でないことが答えじゃないだろうか」
「——え?」
スズラの話は終わっていなかった。俺は完全に終わったつもりだったのだが。
「どういうこと?」
呆ける俺に代わって綾音が問いかける。スズラの視線が俺からルルに移った。
「例えば、先ほど僕と打ち合った二人。君たちは魔力を使い、無から武器を作ることができる。しかしその武器、刃渡りや重量などを計算しているかな?」
「んな面倒なこと考えてねえよ」
「…………」
スズラはそう答えるとわかっていて質問したのだろう。読みの通り、エドもルルもそこまで深く考えていない。ルルは俺がブロッサムと名付けた大剣、エドは銃弾のように魔力を撃ち出すこともできる剣。特にエドのは凝った形状だが、武器としての性能を考えて作ったわけではない。単にイメージで作っただけだろう。
「魔力を使って何かをする。それらはすべて、言葉で説明できるような仕掛けはない。ただこうしようという意志のみで作っている。召喚もおそらく同じだ」
理屈じゃないことが理屈。理論で説明できない不思議なことというのは日本にもあるが、まさか異世界転移のカラクリが気持ちの問題だとは思わなかった。そんな馬鹿なとは思うが、三百年も時渡りの召喚にかかわってきたスズラが言うなら、絶対にないとも言い切れない気がする。気持ち、というのは確かに大事だ。異世界に飛ぶなんていう大事を成すのは理論や計算ではなく気持ちの力。そう考えられなくもない……のか?
「ってことは、帰りたいって強く願うことで帰れるの? そんな簡単にいくかしら……?」
綾音が首を傾げている。まあそれが常識的な反応だ。
「無論、準備は必要だろう。魔力と……彼女の言う通り、帰りたいという強い意志。これは僕が準備するものではないかな」
「スズラが時渡りをこっちに召喚する時、そうしてたのか?」
「多量の魔力が必要だ。だからそう何度も連続しては使えない。意志についてはよくわからないが、目的が召喚なのだからその気持ちはあっただろうね」
魔法のことはよくわからないが、何かをしようとするには確かに意志が必要だ。それは俺たちの元の世界でも同じ。目的が大きければ大きいほど、達成には強い意志が要る。だから召喚などの魔法においても、重要なのは意志……?
「……考えられなくもない、か」
「健人あんた、納得できるの?」
綾音が渋い顔で俺を見る。こいつは考えが現実的だな。思えば異世界に対応して生活したり、俺の思想に抵抗していたりと、綾音は本質的にはファンタジーが苦手なのかもしれない。
「俺やお前が力を使うのも、要は意志によるものだろ? そう考えたら、魔力を使った召喚が同じような理屈でもおかしくはないんじゃないか」
「理屈ではそうかもしれないけど。でも、それはこの世界での話でしょ。日本から人間を召喚したり日本に帰ったりすることが、気持ちだけでどうにかなるとは思えないわ。ここは『現実』じゃないのよ?」
現実、か。そうだな。ここは俺たちの知る現実世界じゃない。日本、地球とこの世界がつながっているとは思えない。『別世界を行き来する』のと『この世界にあるものを使う』ことは違う。綾音の言うことももっともだ。むしろそっちが正常と言える。しかし、だ。
「どっちみち、これしか手がかりはない。彼らを説得するには、元の世界に帰れるという前提が絶対に必要だ。今すぐには無理でも、帰れるということは自信を持って言わないと」
「大丈夫かしら……嘘をつくにも限界があると思うんだけど」
「まあな。不安なのは俺も同じだよ」
それでも、そこだけは妥協できない。これで「帰れませんどうしましょう」なんて言い出したら誰もついてこないどころか暴動が起きる。暴動まではいかなくても、俺たちが信用なんてされるはずがない。彼らは操られていたんだ。下手すると異世界に飛ばされたことすら理解しないままの人もいるかもしれない。そんな彼ら、時渡りたちを納得させ味方につけるには、帰れると自信を持って言わないと。元いた地球に、日本に。
(…………)
日本に、か……帰れるのかな、本当に。
「健人? どうかした?」
「ん。ああいや、なんでもない。説得のことを考えてただけだ」
ぼーっとしてしまったか。綾音はよく気付くよな、こういうところ。
「ともかく、説得は俺に任せてほしい。スズラも、それでいいか?」
「それは僕に確認を取ることじゃないだろう? 好きにするといい。僕の目的はもう終わった」
その主張は変わらずか。潔いというかなんというか。まあ、任せてくれるなら期待を裏切らないよう頑張らないとな。スズラの方は俺に期待なんてしてないだろうけど。
説得のための策はある。やってみよう。その後のことはその後に考えればいい。




