二章 手を貸してしまった魔王 ー 4
「……お。ルルか」
しばらく待っているとドアが開き、盆を持ったルルが入ってきた。この部屋も、押して開けるだけのドア……というかもはやただの仕切り板。これは単なる好みじゃなく、知能が低い魔族でも簡単に開けられるようにこうなってるのか? まあ中が見えなければそれでいいか。そのうち慣れるだろう。テントみたいなものだと思えば。
あれだと、盆持って両手が塞がってても簡単に開けられるな。……まあルルの片手は空いてるんだけど。盆もそれに乗ってる陶器も、けっこう重そうなんだけどなあ。ルルは片手で楽勝か。
「ありがとう。いただくよ」
「うん」
ルルから盆を受け取り、テーブルに置く。部屋に椅子は一つしかないので、ルルにはベッドに座ってもらった。陶器の器にパンとスープが。スープはともかくとして、パンを焼く技術があるのか。知能が低いと言っていた割には人間とそう変わらないよな。でも確かにルルやエドも普通に人間の言葉でやり取りできるし、サタンやリアーネに至っては人間の俺よりもよっぽど知的。この五人だけは人間と同じ程度だと思ったほうがいいかな。それなら、火や窯を使う技術があっても何も不思議じゃない。
「ルルたち魔族も、こういうの食べるのか?」
「魔力があるから、必要ない。でも、リアーネの作るパンはおいしい」
さすがにそこは人間とは違うか。魔族が人間の食べ物を食べてるイメージってないしな。でも、おいしいという感覚はあると。食欲とは違うが、言わば趣味みたいな楽しみはあるってことかな? ってことは消化はできるのか。便利だな。
ていうかパンうめえ。マジうめえ。作り置きなのか冷めてはいるけど、それでもうめえ。焼きたてだとどんな味なんだろう。きっと絶品なんだろうなあ。大げさかもしれないが、この世界でもこういう食べ物がいただけるというのはありがたいことだ。食は精神衛生の観点からも必須だからな。
とまあ、食レポはこのくらいにして。ルルにいろいろ聞いてみよう。一対一でいい機会だ。ルルならこの勢力のこと、抵抗なく教えてくれそうだし。ちょっとゲスい考えだが、背に腹は代えられない。
「ルルはいつからここにいるんだ?」
「……忘れた。かなり前から」
「かなりって……何年くらい?」
「……百年? 二百年かも」
……見た目より月日重ねてるか。予想はしてたけど。でも実際の見た目はこんなにも可愛い少女なんだし、どうだっていいな。高齢かどうかなんて二次元の話。現実ではそんなこと気にならないな。
しっかし、百年か二百年かが曖昧ってすごいな。時間の感覚が俺のような人間とは根本的に違うんだろうなあ。ルルでそのくらいってことはサタンは……?
「サタンって何年くらい生きてるんだ?」
「知らない……」
だよな。これは本人に聞こう。おそらく千年単位の答えが返ってくる。
「じゃあリアーネとかエド、キースは? ルルがここに来たときからいたのか?」
「リアーネとキースは、いた。エドはルルよりも後」
一番後輩があの態度なのか。って、これは人間の主観だから関係ないか。力が全てだもんな魔族は。サタンが率いるここの魔族だと、知能が高いのはたったの五人。エドが大きい態度になるのは何もおかしくないし間違ってないわけだ。
でも、サタンは当たり前として、リアーネもほか四人の中だと立場が上のように見えるけど……どういう力関係なんだろうな。これも本人に聞くか。
「エドとキースはいいとして……リアーネはルルから見てどんな人?」
「リアーネは、なんでもできる。頭もいいし、優しい」
お姉さん的なキャラか。イメージ通りだな。リアーネからはほかの魔族のようなプレッシャーを感じない。まあルルもそうなんだけど……なんというか、接しやすい。人間の情報を集めてるみたいなことを言ってたし、対応も心得てるってことなんだろう。本当に有能だな。ルルの言うなんでもできる、ってのもあながち間違いじゃないのかも。
なんか、よかったな。エドやキースと仲が悪いルルだけど、リアーネのことは慕ってる。圧倒的なトップとしてサタンがいて、様々な面でそれを支えるのがリアーネと。なかなかうまくまとまってるんだな魔王軍。
「ルルは、ここにいるのは楽しい?」
「うん。でもエドとキースは嫌」
はっきり言うなあ。あの二人の態度だと無理もないか。できた大人ならともかく、子供なルルには受け入れられないだろう。俺が仲介してなんとかできればいいんだが、自信ないな……
「それに今はケントがいるから、すごく楽しい」
「そっか。俺も、ルルたちといると楽しいよ」
来てよかった。地球よりずっといいや。こんな可愛い子と話すなんて、地球じゃほぼ不可能だもん。命の危険が伴うけど、要は死ななきゃいい。死ななきゃ安い。
これからは時渡りの力を引っ提げ、ともすれば一騎当千の戦争生活だ。楽しむのもいいが、気合入れていかないとな。明日からすぐに行動開始だ。……そういえば。人間と戦うことについてルルはどう思ってるんだろうか。
「あのさ。今更なんだけど。俺はこの世界の人間と戦うつもりでいるんだけど、ルルはいいのか? 下手すると戦争とかになるけど」
「? 人間と戦うのは当たり前」
「……そ、そっか」
これは失敬。やはり人間と魔族は考え方から何もかも違うようだ。
これで何の躊躇いもない。人間との開戦も辞さない。予定通り、ひとまずサタンに今後の相談をしないと。
「ルル。明日はサタンやリアーネとこれからについて相談するつもりなんだけど、ルルも一緒に来る?」
「うん」
よし。ルルは子供だが、頭を使うことに抵抗はなさそうだ。決してお馬鹿ちゃんではない。まあ仮にお馬鹿だとしても、エドやキースよりは扱いやすいが。キースは頭よさそうだし、実りのある話ができると思うんだが……惜しいな。
「俺は飯を済ませてしばらくしたら寝ることにするよ。また明日、話そうな。ルルのこととかも、もっと聞きたいし」
「……うん」
ルルが若干さみしそうな顔した。今の間は俺と離れることについて考えたんだろうなきっと。リアーネに注意されてはいるが、それでも俺といたいと。かわいい。こんなに好かれちゃっていいのか俺。異世界モノならルルは確実にヒロインじゃないのか。しかしさすがに今日初対面の少女と同じ部屋で寝るというのはいかがなものか。俺はいいけど、世間的に。魔族には男女の意識がないのだとしても、俺が世間的にヤバい。
結局その後、食器を回収してもらいつつルルとバイバイした……のではなく、俺もルルと一緒にキッチン(?)へと向かい、そこで解散した。あまりにも名残惜しそうにするルルをドアから出す形で見送るのがなんか切なかったゆえ。
ルルの態度は、明日また会えるのに大げさだな、と思ったのだが。よくよく考えてみればルルは魔族。少なくとも今の時点で百年以上は生きている。そしてこれからも長いはず。そうなると時間の感覚は人間とは大きく違う。俺と会ってからここまで、数時間。人間の俺目線だと一時間でも長いくらいだが、仮に魔族が五百年生きるとしたら、数時間なんて人間の感覚ではほんの数分に感じることだろう。それなら「もう帰っちゃうの?」みたいな気持ちになるのもわかる。人間で例えると……ようやく会えた気の合う人と、一言二言挨拶しただけで離ればなれになってしまうみたいな感覚かな? まあ正確にはわからんが、そうだとすると確かに物足りないな。ルルの長い人生、話したいことはたくさんあるのかもしれない。数時間、数日じゃ語りつくせないほどに。
などなど考えていると、ルルが俺の中でどんどんほほえましい存在になっていく。状況だけでは単なるさみしがりの子供みたいだが、こうやって考察すると違う側面が見えてくる。やっぱり物事というものは多くの視点を持たなければ駄目だな。自分の中の常識だけで語ってはいかんぞ少年少女諸君。
「はーっ……」
やや固いベッドに仰向けになり、体を伸ばす。動き回っていたので若干の疲れがある。環境は大きく変わってしまったが、今日はスッキリと眠れそうだ。
「……波乱の一日だったな」
波乱も波乱、波が高すぎて海ごと頭上を飛び越えていってしまいそうだ。俺今日、大学行ってたんだけどな。普通にだらけながら講義聞いて、帰るところだったんだ。あの一本を最期に……
「そうだ、煙草は……」
煙草どこいった? ポケットに入っていない。異世界に飛ばされるなら煙草も一緒に飛ばしてくれよ。あと何本かは楽しめたのに。この世界に煙草はないだろうなあ。葉巻ならワンチャンある? リアーネに頼めば出てきたり……しないか。禁煙だなあ。
でも、これは煙草に限った話じゃない。俺が今まで当たり前のように使っていた道具のほとんどが、この世界にはおそらくない。理由は最初に見た二人の恰好。ある程度科学が発展した世界にあんなじいさんが存在するはずがない。この世界はまさしくファンタジー。火を使ってサバイバルする世界だ。電気とか水道とか一切ない。そんな世界で、俺のような現代の人間は生活していけるのだろうか? しかも、魔族と一緒に。まあ、変な人間と一緒よりかはマシなのかもしれんが。
「……はあ」
そりゃため息も出るさ。嘆いていても仕方ない。寝る前に、頭を整理しておこう。
本日、俺は異世界へと転移してきた。俺と同じであろう人間と、俺と根底から違う存在であろう魔族とが生きている世界。電気も高速道路もない、漫画のようなファンタジー世界。俺はこの世界に『時渡り』と呼ばれる存在として呼び出された。
この世界での俺は人間はおろか、魔族すら退けるほどの力を持っているらしい。ちゃんと冒険して仲間を集めてレベルを上げれば魔王だって倒せそうだが、どうもこの世界の人間はそれをさせてくれない。ゲームと違って現実は非情だった。
このままだと犬死必至なので、俺は魔王と仲良くすることにした。魔族に話を聞くと、この世界の人間は薄情な奴ばかりらしい。俺がこんなことになったのも、元はと言えば人間のせいだ。そして俺が人間と敵対することもまた、連中の自業自得。勝手に召喚されたことやその後の扱いをふまえて、この世界の人間に同調する理由はない。むしろ倒してしまいたい。
というわけで俺は、本日より魔王軍となって人間と敵対する。魔族というと幅広いようだが、人間である俺がコミュニケーションをとれるのは五人だけのようだ。サタン、リアーネ、ルル、エド、キース。これからはこの五人がいわゆる仲間となる。若干二名に不安があるが、仲良くやっていこうと思う。
ファンタジーな世界で、主人公ポジションである俺が、仲間を連れ、何をするか。人間と戦うのである。俺にこんな理不尽を強いたこの世界の人間に復讐……などとたいそうなことは言わないが、まあそっちのほうが面白そうだし? ファンタジーで魔族と戦うなんて普通すぎるし。サタンたちとあの人間たち、現時点でどっちにつきたいかと言えば間違いなく魔族だ。人は外見より中身だな。
この世界での方針は決まったが……今頃、俺のいた日本はどうなっているのだろう。時間的にはもう夜だ。当然ながら俺は家に帰っていないから、このままいくと捜索願とか出されるだろうか。そもそも、日本にいた本来の俺はどうなってしまったのか? 死んだのか、本当にここに召喚されたのか、それとも魂だけ抜けてしまったのか。あるいはこれは別の世界線で、元の俺は今も日本に存在しているとか……だとしたら、今いる自分はなんなのか?
おお怖い怖い。あまり想像しないでおこう。今の俺が俺だ。それでいいじゃないか。
「多分、もう元の世界には戻れないだろうなあ……」
ほぼほぼ諦めの気持ちでぼやきつつ、俺はこの世界で最初の眠りに落ちていった。