十三章 差し伸べてしまった手 ー 3
朝食を済ませた綾音は、部屋へと戻っていった。それと入れ替わりで、ルルが食堂にやってくる。今は俺の横に座り、パンをぱくついている。両手でパンを持って少しずつくわえる仕草が小動物みたいでかわいい。魔族は食事を必要としないのに、ここに戻ってきたらルルは毎朝パンを食べている。リアのパンがそれほどおいしいということか。ルルにとっては一種の趣味みたいなものなのかもしれない。
魔族は魔力さえあれば生きていられる。本来は十分な魔力がなければ活動できないが、力の強い種は自身の魔力だけで活動できる。また自身も魔力を放っているため、需要も供給もセルフというわけだ。改めて考えると脅威の生命力だな。それでいて人間と同じ食事が可能とは、便利にも程がある。
この世界で魔族が人間よりもはるかに低い文明レベルでこれだけの勢力を持っているのは、その性質のおかげだろう。今やこの地域はサタンら上級魔族によって、長い時間をかけて魔力が蓄積された。下級魔族なら召喚石を使ってほとんど無限に呼び出せる。
人間も魔力を利用する。でも、魔族が自分や他の魔族のエネルギー以外の目的で魔力を使うことってないんだよな。なんだか興味深いテーマだ。魔力にはほかにどういった使い方があるのだろうか。
「あら、健人さん。おはようございます」
考え事をしながらルルを見ていたら、葉月さんも来た。
「おはようございます。葉月さんも今起きたんですか?」
「いえ、早くに目が覚めてしまいまして。少し、外を歩いていました」
そうだったのか。今日はいい天気だもんな。
「翔太さんと美香さんも外に行ったようですね。綾音さんは?」
「真理奈と真大のことを見てます。――そうだ、葉月さん」
「はい、なんでしょう?」
葉月さんは解呪ができる。もしかしたら何か知っているかもしれない。聞いてみよう。
「葉月さんって解呪はできますけど、呪術は使えるんですか?」
「やり方を学べば、私にもできるかもしれませんね。今の私にできるのは解呪のみです」
勉強して解呪ができるようになったのか。日本人でもできるものなんだな。
「解呪はどうやって学んだんですか?」
「私が元いた時間では、私は化け物扱いされています。ですので別の時間に飛び、身分を隠して王都で資料を買いました」
「資料って、本ですか?」
「そうです」
解呪の教科書みたいなのがあるのか。呪術の教科書もあるのか? 物騒だな。
「解呪について調べたのは、やっぱり時渡りのためですか?」
「はい。時渡りを呪術で操って手駒とする、という話を城の者がしていたのを聞いて……」
時渡りを助けるため、か。葉月さんも自分のやり方で、同郷である時渡りを救おうとしてたんだな。
「解呪って、どうやってるんです? 魔力とか必要なんですか?」
「ええ、必要です。しかし、解呪に関しては微量で問題ありません。魔族の手を借りなければならないということはありませんから、この世界のどの場所でも可能と思われます」
そうなのか。魔力は魔族が存在すれば発生するから、どこにでもちょっとだけならあるってことかな。空気中に含まれる微量の……みたいな感じか。
じゃあ、呪術はどうなんだろ。魔力が必要なんだろうか。だとしたら、魔族ならいくらでも使えるのか? 時渡りへの呪術を魔族にやらせてるのはそういう理由かな。人間だとすぐに限界が来るのかもしれない。なんせ、術者が死んでも続く恐ろしい術だからな。術者への負担もすごそうだ。
「魔力をどうにかすれば、って話ではないか……」
元のエネルギーを断つことで無力化、みたいなのはゲームでよくある。それは無理そう。相手が魔族だしな。やはりその魔族本人を説得するしかない。むしろその可能性があるのが幸いか。綾音が言ってたように、サタンの鶴の一声でなんとかならないもんかね。
葉月さんと話しつつそんなことを考えていると、ドアが開いた。綾音が戻ってきたかと思ったが、そこに立っていたのは意外な人物。
「……サタンじゃないか。珍しいな」
魔王自ら、俺が呼んだわけじゃないのに食堂に来るとは。まさか、何かあったか?
「ケント。少し、話がある」
へえ。これは本当に珍しい。
「場所を移すか?」
「ここで構わぬ。その者もいるなら都合がよい」
そう言ってサタンが俺の次に目を向けたのは、葉月さんだった。
「ハヅキといったか。時渡りを呪術で操っている魔族のことを、どこまで知っている?」
昨日はそのことを聞かなかったな。葉月さんが解呪できると知ってから、真理奈と真大の解呪で頭がいっぱいだったから。
「いえ……それが何も。名前も教えてくれませんでした。人間が地下牢に閉じ込めてしまったので、以降は話すことも……」
地下牢ってひどいな。でも、人間に危害を加えていたんだから当然か。その力を利用するというのも、非力な人間が魔族と戦うためなら当然のこと。人間は人間で、効果的な方法で魔族に対抗しようとしている。だがそのことごとくがなんか勘に障るのはなんでだろうな。
「おそらく、名はないのだろう」
「えっ?」
なるほど、そういうことか。
「魔族は自分や誰かに名付けられない限り、名前がない。そうだよな?」
「いかにも」
その魔族は誰にも名前を付けられることなく生きていたんだ。そういえば、どうやって生まれるんだろうな魔族は。卵とか?
「その名前のない魔族が単独で、人間を襲っていたのだな?」
「はい」
「そう、か……」
たった一人でか。大した度胸だ。葉月さんがその魔族は人間を嫌っていると言っていたが、よっぽど嫌いだったんだな。関わらないというわけでなく、一人で襲っていたんだから。
「……ケント。我はこれまで傍観を決め込んでいたが……それでは済まされないようだ」
「どういうことだ?」
サタンもここを出て戦うってことか? その必要はないと思うが。葉月さんが加わったことで戦力は確保できたし、総大将が前線に出るなんてリスクを負うタイミングでもないが。
「時渡りの召喚に何が必要か、覚えているか?」
時渡りの召喚? 最初に聞いたな。えーと……
「魔力があれば召喚できるんだろ? だから、この城の近くにわざわざ拠点を立てて……」
召喚するための魔力と、騙してお手軽に魔王のもとへ向かわせるための施設。それがこの城のすぐ近くにあった。俺がぶっとばしたけど。
「そうだ。一度のみでなく複数回ならば、かなりの魔力が必要になる」
そうだな。だから近くに拠点を立てたと。ここならたくさんあるからな。有り余ってる。
……あれ? じゃあ、王都での召喚って……?
「王都にもそれだけの魔力があるのか? 時渡りを何度も召喚できるくらいの」
捕まった魔族だけでそれだけの魔力を供給できるのか? チラッとしか見えなかったが、あの容姿は間違いなく上級魔族。可能なのか、そんなことが。
「おそらく、その魔族が召喚に手を貸しているのだろう。その者の魔力を使っている」
意図的に魔力を与えてるってことか。確かにそれなら、召喚もたくさんできるか。でも、なんでだ? 捕まってる魔族は、人間を嫌っているんじゃないのか。でも確かに、そうでもないと説明がつかないな。
「魔族が時渡りの召喚に関わってるから、傍観してられなくなったってか? 別にサタンが気にすることじゃないだろ」
魔族とはいえ、単独でやったことだ。サタンが負い目を感じる必要はないはずだが。
「すでに時渡りのみの問題ではない。召喚によって、今の人間には魔族でも手出しできん。原因が王都にいる魔族ならば、止めねばならん」
「…………」
なるほどね。魔族によって、魔族にとっても一大事となったわけだ。それは自分たちの問題でもあるか。
「加えて、呪術のこともだ。本来人間に成しえないことが、魔族によって実行されている。それは我にとっても脅威だ」
「人間に成しえない、って?」
「呪術にも魔力は必要だ」
「あー……」
やっぱりそうなんだな。他人を操るなんていう不可解な術。そんなことがただの人間にできるわけないか。上級魔族なら魔力は豊富にある。あれだけの時渡りを操れるのも、魔族だからこそか。
魔族にも、人間を滅ぼす以外に戦う理由ができた、か。人間や時渡りのことは知ったことではないにしても、自分たちの害となる魔族を見過ごすことはできないか。王都にいる魔族は人間に利用されているのか、それとも自らの意志で手を貸しているのか……それはわからないが、放っておいたら滅ぶのは魔族だ。ひょっとして葉月さんが見た未来では、魔族の術者がいるからこそ、人間側が勝てていたのでは? それを崩すのが、俺たち……?
「どうやら、術者の魔族が最重要とみて間違いなさそうだな。で、サタンよ。具体的にはどうするんだ?」
サタンが出るわけにもいかない。例えば俺と一緒に行動したら、人間は間違いなくそこを狙ってくる。俺はまず、操られている魔族を解放しなければならない。敵が魔王を倒すために全戦力を投入してきたら、それどころではなくなる。
「リアーネ。これよりはお前も、ケントと共に行け」
「えっ……? で、ですが……」
リアまで戦力に加えるのか。それだとここがサタンだけになってしまうが。
「我のことは問題ない。ケントの報告では、時渡りがここに侵攻してくることはない。相手が魔族となれば、お前が役立つこともあるだろう」
「待った。リアに戦う力はあるのか? 危険だぞ」
「ない。だが、リアの話術は他の魔族にはないものだ。相手が魔族ならばケント、お前が話すより効果はあるだろう」
「それはそうだけど……」
時渡りだが、俺も人間。人間を嫌っている魔族を相手に説得するなら、魔族がいたほうがいい。それにはキースやルルよりも、リアのほうが優れている。それでも、戦う能力のないリアを連れていくのは……
「私は賛成です。彼との衝突は避けられず、戦力的な意味でも最大の衝突になります。手はすべて尽くすべきかと」
葉月さんはサタンに賛成か。確かに最大、下手すりゃ最初で最後の決戦だ。こっちも戦力の出し惜しみをするべきじゃない。リアがいれば……なんてことにはなりたくない。
「私は……」
リアは迷っているようだ。人間でありながら魔王に降ったリアは、サタンへの思い入れが強い。サタンをここに一人残して行くことが不安なのだろう。魔族の王だから大丈夫、とかそういう話じゃなくな。
「……リア。俺からも頼んでいいかな? 無理にとまでは言わないけど……」
さすがに引きずっていくわけにはいかない。リアの意志が優先だ。でも、来てほしい。葉月さんの言うように、持てる手は尽くしたい。術者の魔族がもし利用されているだけだとしたらなおさらだ。
「……わかりました。参りましょう、ケント様」
「助かるよ。ありがとう」
リアもパーティに加わるか。戦う力がない人を連れて歩くのは初めてになるな。守らないと。
「リアーネさんのことは、私がお守りいたします。有事の際、ケントさんはルルさんを守る必要があるでしょう」
「ありがとうございます、葉月さん」
そういうことは決めておいたほうがいいよな。葉月さんがいてくれると話が円滑に進む。ありがたい。
「じゃあ、次はリアも連れていく。そしておそらく、最後になる」
「うむ。お前に任せる。我にできることはあるか?」
「ここで待っていてくれればいいさ。この世界での俺の居場所はここだからな」
「フ……わかった」
帰る場所は必要だ。最後だからな。何もなくなったら、人類抹殺という目的も無意味になる。
「それじゃ、がんばらないとな。準備万端にしていくとしよう。この城、しばらくうるさいかもしれないけど……」
「構わぬ。好きにしろ」
魔王様の許可が下りたか。なら、存分にやらせてもらおう。
四人分の戦力、整えないとな。