十一章 知ってしまった真実 ー 5
本来、人殺しというのはすべきではない。
それはその通りだ。しかし、人が害を成す場合はどうか? 人間は、農作物を荒らす動物を追い払い、駆除する。自分の脅威となる虫もそうだ。
生物を駆除する理由は、要は害を成すかどうかだ。ならば人間に深刻な被害をもたらす人間も、駆除されるべきだろう。通常、同族を殺すという発想には至らない。だがそれをする人間がいる。
ここは異世界。日本人の法律は通じない。この世界にも殺人に関する法はあるだろうが、従う理由はない。捕まらなければ何も問題はない。異世界だからこそ、必要な殺しができる。
しかし、必要だとしても人を殺してはいけない。新たに俺たちの仲間となった翔太と美香は、正常な思考をしている。俺や綾音のように辛辣を通り越して残酷な人間というのはなかなかいない。
「そんな簡単に人を殺せるものなんですか?」
なので、その境界で衝突する。翔太も少し態度が軟化して敬語でおしゃべりしてくれるようになったが、この溝だけは埋まらない。美香も同じだ。こうして一緒に旅はできても、志を共にして戦ってはくれない。正しいことと悪いことが交わることは難しい。人類抹殺によって時渡りが日本に帰れるとなれば利害は一致するだろうが、そんな保障はどこにもない。現状、翔太や美香のようなまともな思考をした時渡りが俺に協力する理由はないわけだ。
「簡単に殺せる力を持ってるから……って話じゃないよな。お前たちとは受けた扱いが違うから、この世界の人間に対して思うことも違う。時渡りの歴史は三百年だ。この世界の時間で三百年もの間、多くの人間が地球からこの世界に飛ばされては死んでいる。この世界の人間の、身勝手な理由によってだ」
魔王を倒す勇者を求めてのことならまだよかった。実際は自分たちが楽をして魔族を駆逐するためだけの捨て駒だ。それが三百年。許す許さない以前に、放置できることじゃない。
「奴らは時渡りのことを化け物だと言って、それに協力するほかの人間すらも同じ扱いをしてる。二人が思っている以上に、ろくでもない連中なのよ」
『…………』
綾音の言葉に、翔太と美香は目を見合わせる。ピンと来ていないというより、この世界の人間がそんな邪悪な存在だとは微塵も考えていないようだ。
王都に召喚され、住処を用意され、世界を救う勇者として扱われる。俺や綾音とは雲泥の差だ。これじゃ、考え方も雲泥になるわけだな。
「まあ、そう簡単にわかってもらえるとは思ってない。綾音だって最初はそうだったし」
そもそも、わかれというのが無理な話だ。同じ時渡りだからといって、俺の思想に賛成するとは限らない。これは想定内のことだ。
「ともかく、だ。今のお前ら二人は俺にとっては護衛対象だ。敵対しないのなら守ってやる。同じ日本人を見捨てることはしない。質素な生活だけどな」
サバイバルするにも翔太と美香の二人だけでは非常に厳しい。俺が楽をしているのはルルの助けがあるからだ。どこからでも肉を取ってこれるし、火もある。この世界、自然環境はとてもいい。空気はどこも澄んでいるし、水も綺麗。危険な生物もいない。猛獣がいたら力使って仕留めてやるところだが、見たことがない。もしかしたら土とかも地球よりいいものなのかも。同じ条件でサバイバルするなら地球よりも快適だ。
「ありがとうございます、速水さん。私たちも、できることはお手伝いします」
ありがたいのはこっちも同じだ。そうだ、手伝いといえば。
「なあ、二人とも。時渡りの力を合わせる方法って知らない?」
「力を合わせる? どういうことですか?」
知らないっぽいか。説明しよう。
「ゲームみたいな話になるが、時渡りの力には個人差があってな。攻撃力と防御力で勝敗が決まる。攻撃側が強いと、防御側がバリアを張っても壊される。防御側が強いと、攻撃を完全に防げる。でも、複数の時渡りでバリアを重ねれば防御力を上乗せできる。じゃあ、攻撃はどうやったら足せるのかって」
防御の上乗せも、どういう理屈なのかは知らない。壁が何枚もあるから攻撃の威力が殺されているだけなのか、本当に壁そのものが強くなっているのか。
「そんなことができるんですか? 力を合わせるという考えはありませんでした……」
一人ひとりの力が強大だからな。それに、個人で簡単に使える力だ。合わせるという発想がないか。アニメとかでやってるカラフルなエネルギー波が一本に集まるアレ、どうやるんだろうか。俺らの力って直線だから、途中で合流とかできないんだが。
「綾音、攻撃って曲げられないの?」
「唐突に何よ。なんであたしに言うのよ」
だってお前が一番上手いじゃんか。お前ができないことは俺もできない。
「前に石を三日月にしてただろ。あれどうやったんだよ」
「あれはその形にくり抜いただけよ。攻撃の軌道はあんたと同じ直線」
「人間一人だけピンポイントに消したのは?」
「足元から上方向に直線。あの範囲で曲げられるわけないでしょ」
恐ろしく正確に狙っただけってことか。なんでそんなに器用なんだ。地面を壊さず、周りの人間を傷つけることなく一人だけとか、本当にゲームみたいだな。
ともかく、そういう合わせ方は無理か。となると、攻撃の際に力を合わせて撃つのか。息を合わせるってことになると、一朝一夕じゃ無理な気がするが。いや、時渡りは攻撃の力の流れは見えるから、案外いけるかも?
「綾音、俺に合わせるとかできるんじゃね?」
「まあ、それをしなきゃいけないんだしね。やるんなら健人を基準にしたほうがいいでしょうし」
俺基準か。確かにそうだ。力の強いほうが基準になったほうがいいのが世の常。
「余裕のあるうちに試しておいたほうがいいな。翔太、美香。お前ら、時渡りの力の使い方は知ってるんだよな?」
「はい。でも、よろしければ教えていただきたいです」
丁寧な言葉遣いだな美香は。まだ中学生なのに偉い。
「そうね。二人も自分の身は守らなくちゃいけないし、レクチャーしてみましょうか」
綾音のレクチャーか。あの器用さは間違いなく綾音個人の技術だろうから、教えても実行はできないだろうなあ。でも、教えることは大事だ。
「…………」
一方で翔太は口を結んで黙っている。事情を話しても、あまりいい印象は持たれていないな。やんわりと仲を深めていくとしよう。
「翔太。お前も今は素直に俺たちについてくるといい。お前としても、できるだけ力をつけたほうがいいだろ? 誰と戦うにしてもさ」
「……確かに、そうっすね」
俺と戦うつもりなら、翔太は強くなる必要がある。俺や綾音に教えを請うのが賢明だ。これをダシにして仲良くなろう。
「ルル。時渡りの動きはどうだ?」
「わからない。移動してるような、してないような……」
「近くにいる?」
「いない」
近くにはいないと。それならいいだろう。寄ってきたら戦う。こっちも人間の足だから、ちょっと逃げたところで移動距離は知れてる。そこで体力を使うよりは待ち構えたほうがいい。
「あとで練習しようか。ミスってこの拠点を壊さないでくれよ」
綾音がいい感じにくり抜いてくれた洞窟を、同じく綾音が加工してくれた木の板で塞いである。簡易拠点。綾音の能力ならリアルマイ〇ラできそうだな。あ、壊せても置けないか……残念。
翔太も美香も、力は使える。護身に関しては大丈夫そうか。少なくとも、人間と戦うだけなら。やはり問題は時渡りだ。王都にいる時渡りはどんな状況か、翔太と美香も知らない。逆に誰ならわかるだろうか。王都でも地位の高い人間?
「――そうだ。美香、王国の姫様ってどんな人か知ってる?」
王都にいたということは、緑の姫のことを知っているかもしれない。緑の姫は現王女なのかどうか。これで違ってたらますます何者だってなるけど……
「見たことはあります。緑色の髪の、綺麗な人です。性格はちょっと……きついですけど」
「きつい……? 髪型はどんなの?」
「整ったショートヘアです。前髪ぱっつんで」
美香が指をⅤの字にして、自分の前髪を切るような手振りをしながら言う。俺が見た人と全然違う。それ絶対緑の姫じゃない。しかもこの美香の反応からして、性格もかなり悪いんだろう。やっぱ絶対違う。
「緑の姫とは違うみたいね。あの人、何者かしら?」
ほんとにな。あの人はすごく長い髪だし、性格がきついなんてとんでもない。真逆だ。
「緑の姫……なんだかかっこいいですね。どんな方なんですか?」
美香、お前も綾音と同じセンスか。この呼び名、そんなにいいのか。
「神出鬼没のお姫様さ。緑の長い髪で、ドレスを着た人だ。この世界に飛ばされた時に、俺に声をかけてきた」
含みのある言い方だったが、結局何の情報もなかったんだよな。だからますます謎が深まる。セントルス王国、だったか。国の王女じゃないならあれは誰だ。どう見ても一般人の服装と雰囲気じゃない。
「あたしも見たことはあるのよ。会話はしてないけど」
綾音の前にも現れた。が、俺と違って話はしていない。どうして俺には話しかけて、綾音には何も言わなかったのか。化け物とされる時渡りに自ら近づいているのは何故なのか。
「え……お二人は王都にはいなかったんですよね? 王都とは違う場所で会ったんですか?」
「そうさ。王都どころか、大陸の反対側の魔王城の近くで会ったぞ」
「えぇっ!?」
王都と魔王城。大陸の西端と東端。普通に考えて王族の人間がいるはずがない。ドレス姿でたどり着けるような場所じゃない。
「お城の人たちが王都の外に出るなんて、ないはずです」
だろうな。それは考えられない。やはりあの人は普通じゃないんだ。瞬間移動でもしてるのか、もしくは……
「幽霊って可能性もあったりして」
「そんなまさか……」
まさかだけどな。日本でも見たことないのに。俺は霊感とは無縁だから。
「幽霊なんていないでしょ。偶然そこにいただけじゃないすか」
「大陸の端っこの魔王城に、ドレスでか? そんなことあるかねえ……」
「行動そのものがおかしいんなら、そう考えるしかないでしょ」
急に喋ったな翔太。口数少なかったのに。幽霊の話になった途端すごい勢いで否定しだした。幽霊は非現実的だから否定はしたくなるけど、その反応はまさか……黙っておいてやるか。
緑の姫が今の王女と別人だろうということはわかった。手がかりは相変わらずない。王都まで確認に行く必要はなくなったが。
「ただの人間じゃないのは確かよね……本人に説明してほしいわ」
まったくだ。人間とコミュニケーションが取れないから、本人に聞く以外の方法がない。どこかで会うか、情報でもあればいいんだが……
話はとりあえずこれくらいか。ルルが感じている時渡りのことも気になるし、そろそろレッスンに移るとしよう。
ルルに見学されつつ、第一回、時渡りによる時渡りのための訓練。時渡りの力を使う時は、見晴らしがよく障害物が何もないところでやりましょう。自然を大切に。
力を使うのもそうだが、俺たちは普段の移動も広い場所を選んでいる。現実で深い森とか絶対入りたくない。外から見てても先が見えないし、中に入ったら方向感覚もクソもない。綾音はよくあんなところに住んでたよな……それだけ隠れ家に適してたってことか。俺もあの時は確信めいたものがあったし、時渡りを探すのに必死だったから強気に入ったけど。
それではレッスン開始。俺と綾音が先生だな。
「時渡りの力は、要は気持ちの問題だ。強くイメージすれば力も強くなる。で、そのイメージについてなんだが。俺の仲間による仮説では、殺意が重要らしい」
「さ、殺意……ですか?」
美香が困惑して首を傾げた。翔太も渋い顔で俺を見ている。
「時渡りの力は破壊の力。イメージする力も暴力的なくらいでちょうどいいってことじゃないかな」
「速水さんのためにあるような力っすね……」
いいなその表現。嫌いじゃない。それはいいとして、だ。
「なんか気になってたんだけどそれだ、翔太。美香も、俺のことは健人でいいぜ」
「そうね。あたしも苗字じゃ長いから綾音で」
速水、じゃ違和感がある。翔太と美香は俺たちのことを苗字で呼んでいる。中学生なら少なくとも俺と五つは離れているから当然っちゃ当然だが、なんだかよそよそしい。ここには日本の礼儀とかもないしな。
「そうですか? じゃ、じゃあ健人さんで……」
美香が気恥ずかしそうにしているのがかわいい。うん、やっぱり名前のほうがしっくりくる。
「よし。翔太もそれでな。じゃあ説明に戻ろう。時渡りの破壊は直線的で、射程距離はがんばれば伸びる」
「がんばれば?」
「ああ。ここなら全力出しても地面が抉れるくらいだ。とりあえずいろいろやってみるといい」
何事も練習からだ。綾音ほど器用なことはできなくても、強弱の加減くらいはできるようになるだろう。
翔太と美香はしばらくは自主練として。こっちもやることがある。
「綾音、合わせてみようぜ」
「仕方ないわね。じゃあ、撃ってみてよ。合わせる」
「合図とかしたほうがいい?」
「力の感じでわかるわ。むしろ言葉で合図されるとズレるんじゃない?」
確かに。とにかくやってみるか。
手を前にかざし、狙いをつける。平原ゆえ何もないが……遠くに見える木でも狙うか。綾音が合わせやすいよう、いつもよりゆっくりと力を込める。程よいところで放つ。それとほぼ同時に綾音も力を放った。しかし。
「違うな」
「違うわね」
考えなくても肌で感じる。確かに同時ではあったが、ただ二本の線が飛んだだけ。力が合わさってはいない。方向が完璧なのはさすがと言わせてもらう。
「どうやるのかしらね。別の人間から出る力と合わせるのって」
言葉にするのは簡単だが、実行しようと思ってできることではなかった。いかに綾音でも、自分の力をコントロールするのとは勝手が違うか。
力を合わせる方法か。演出としてはよくあるものだけど……真似してみるか。
「綾音、手つないでみない?」
「なんでよ。嫌よ」
「二人の力を合わせるっていえば、手つなぐだろ?」
「発想が微妙に古いわよ。そんなのでできたら世話ないわ」
世話ないに越したことはないじゃないか。成功したらめでたしめでたしだろ。
「とにかく、却下。別のやり方を探すほうが有意義よ」
そんなに嫌がらなくても。恋人つなぎしろって言ってるわけじゃないし、いいじゃないか試すくらい。
「そんなに嫌か? 前に握手したじゃないか」
「握手と手をつなぐのとでは月とスッポンでしょ。試したいなら翔太くんとやれば?」
それじゃ意味ないだろ。時渡りとしての能力が高いお前と組むことが重要なんだから。翔太とじゃ絵面も特殊なものになるし。
まあ、嫌ならしょうがない。現実的に考えて、毎回手をつなぐってわけにもいかないしな。近くにいればできる、くらいになりたいところだ。
「あ、あの、健人さん!」
「ん? どした、美香」
美香が練習の手を止めてやってきた。翔太はその動きを気にはしているようだが、一人で練習を続けている。
「わ、私でよければ協力しますけど……」
協力? あ、手をつないでやってみるってことか。美香なら絵面は問題ないな。せっかく申し出てくれてるんだし、試すか。
「それじゃ、やってみようか」
「は、はい!」
俺の思想に正義の心で反対しながらも、協力してくれる。さっきも手伝うって言ってくれたし、中学生なのにできた子だ。育ちがいいのかな。それじゃ美香と手を――
「……待った。あたしがやる」
つなごうとしたら綾音が割り込んできた。美香を遮るように手を広げ、俺を睨んでくる。どうしたんだ。手をつないで力を使うことがそんなに駄目なのか?
「なんだよ。別に変なことしようとはしてないぞ」
「そんなことわかってるわよ。美香にやらせるわけにはいかないって言ってんの。年上のあたしがやらなきゃでしょ」
まるで意味がわからんぞ。俺は危険物か何かか。まあいいや、やってくれるんなら。
「じゃあ、はい」
「…………ん」
綾音と手をつなぐ。柔らかい感触だ。中身は凶悪でも、やっぱ女の子だな。では改めて。
さっきと同じように力を溜め、放つ。綾音が合わせる。しかし、結果は同じ。
「……ほらね。こんなことでできるわけないのよ」
綾音がぶっきらぼうに俺の手を振り払った。そんな冷たいこと言うなよ。何事も試してみるのは大事だろ。科学はそうやって発展してきたんだしさ。ともかく、手をつないでどうにかなる問題じゃないってことだな。検証が必要だ。
「そういえば、防御は? これに重ねられる?」
攻撃は難しいけど、防御のための壁はどこかに置くだけ。綾音ならまったく同じ場所に置くこともできそうだが。
「ほら」
「おお、これは……」
あっさりとうまくいった。俺が置いた壁に重なって壁が作られた。俺の力と綾音の力が重なっているのが見える。さっきの攻撃の力とは違い、ちゃんと力が俺のよりも高まってる。すごい。
「……あんたこれ、加減してるのよね?」
「え? 当たり前だろ」
全力には程遠いぞ。軽くだ、軽く。
「……とんでもないわね」
それはどうも。力が強いのはわかるが、綾音が理解できないレベルか? 加減してこれはねーだろって話か? まあいいか。
防御はちゃんと力を合わせられることがわかった。ならば攻撃もできるはずだな。ぴったりと重ねればいける。攻撃は難しいが、練習しよう。手をつなぐ以外なら、綾音も協力してくれるはずだ。
「ケント」
おっ、今度はルルか。モテモテだな俺。
「どうしたんだ?」
「やっぱり、動いてる。何か、来る」
時渡りか。動いてるかどうかわからないってのはなんだ。気を消すとかそんな能力を持ってるのか? 時渡りの力が個々で違うから、そういうこともあるのかもしれない。
ルルが感じているものの正体はなんなのか。まあ時渡りなんだろうけど、その時渡りが何者かを確かめよう。
その、次の日のことだった。ルルがしきりに「動いているのかどうかわからない」と言っていた意味を理解するのは。それと、一つ、後悔した。
この時にもっとちゃんと練習しておけばよかったなあ、と。