八章 決めてしまった運命 ー 2
右手側。俺が森ごと抉り取った景色。
左手側。綾音が人間ごと切り取った景色。
初心者とプロの比較みたいな、雑で荒い傷と綺麗な切り口の並び。二様の力だが、破壊力は遜色ない。綾音もその気になればこれほどの力が出せるんだな。やはり時渡り。俺と同じ存在。
「どうして……どうして、こんなことに……?」
更地となった森を改めて見た綾音は膝と手を地べたにつき、絶望に打ちひしがれていた。
何もなくなった。安住の地も、よくしてくれた人も。一年をかけて得たすべてを失った。
「……俺のせいだな。謝って許されることじゃないけど」
俺が綾音と関わらなければ、何も起きなかった。あの人たちが死ぬこともなかった。シュナの人間どもは、死んでよかったけど。
綾音はしばらく何も言わず、動かなかった。返事をするまでに長い間があった。
「……健人のせいじゃ、ない……」
かすれて消えそうな声で、綾音は言う。
「悪いのはあいつら……あたしを助けてくれたあの人たちは、何も悪くないのに……!」
その通り。綾音と一緒に森で暮らしていた人たち……ハサルやカレンたちにはなんの罪もない。いい人たちだった。この件に関してただの被害者だ。悪いのは……
「結果論だけどさ」
俺が正しかったわけじゃない。計算通りだったわけでもない。偶然が重なってこうなっただけで。ただ今回の事件で、わかることがある。
「あの時、殺しておけばよかったろ? あの町の人間を」
シュナの町。今のところ、俺が消さずにスルーした唯一の町。森に火を放ったのはその町の人間たち。
俺と綾音で訪れたあの時。あの時に全滅させていれば、こんな悲劇は起こらなかった。
結果論だ。後からならなんだって言える。俺は最初から、全滅を考えていた。綾音がいなかったら町ごと消していた。それでも綾音の意見を尊重し、最終的にスルーしたのも俺の意志。だからこの結果も、俺の意志によるもの。
偉そうなことは言えない。後悔しても遅い。殺しておけばよかった、その最適解だけが行き場を失って浮いている。
「くっ……うぅ……!」
うなだれたままで綾音は何を思うだろう。俺が謝ることじゃないと言った。悪いのはシュナの人間だと言った。自分を助けてくれた人間たちは悪くないと言った。これらのことから、綾音はどんな答えを導くのか。
「……そう、ね……」
綾音がようやく俺の言葉に反応した。蚊の鳴くような声で、言う。
「あの時……人間なんて……」
様子がおかしい。普通ならそうだろう。だが俺はそうは思わない。これはまともな様子、正常な反応だと擁護する。
悪い奴がいる。憎い相手がいる。殺したい。殺したほうがいい。
それは極めて、正常な思考である。俺はそう考えている。
「人間なんて……たかが、人間ごときっ……!」
手をついている土をきつく握り締める。立っている俺にまでその音が聞こえてくる。
「……っはぁ……!」
綾音が荒く息を吐き出した。怒りで疲れたのだろうか。やがてゆっくりと立ち上がる。膝やハーフパンツが泥だらけだ。だが軽く払った程度で特に気にすることなく、綾音は俺とまっすぐに向き合う。
「健人。聞きたいことがあるの。いい?」
「どうぞ」
俺は綾音を仲間にしたいと考えている。そのための質問は二十四時間受け付ける体制ができている。
「この世界の人間を滅ぼす……あんたの計画は、成功するの?」
「成功するよ。お前が手を貸してくれたら、楽なんだけど」
俺はやるつもりでいる。時渡りの力があればできる。二人いればもっと簡単にできる。
綾音は俺の顔をじっと見ている。その目に宿るは……なんだろう。真剣な目だ。今まではこういうことを言うと軽蔑されていただろうが、これは違う気がする。
「……ふふっ」
綾音が笑った。うつむき加減で目を閉じ、口元を緩ませる。
「……あたしの手は必要? 協力したいんだけど」
顔を上げて俺を見る綾音の目は別人のように怪しく、どこか艶っぽくなっていた。
協力したい、と。したい、っつったな。
「必要だな、もちろん」
「そう……」
綾音が邪魔だなんて、考えたこともない。そもそも誘ったのは俺なんだし。むしろこっちから協力を頼むところだ。
「……ルルは、どう? あたしが今更、仲間になるなんて言って……信用できるかしら」
綾音の視線がルルへと移る。ストレートに協力すると言わなかったのはルルのことを考えたからか。敵対している今、軽々しく仲間になるとは言えないわけだ。ルルは素直で正直だから、どういう反応をするか……
「……別に、いい。ケントがそれでいいなら」
いいのか。確かに、俺は必要だと言ったが。
「だ、そうなんだけど。これは、オッケーってこと?」
「そうだろ。ま、ルルに認められたいなら、努力を怠らないこった」
俺は特に努力とかしてないけど。すぐに気に入られた。
「何よ、偉そうに。でも実際、あんたはルルと仲良しだもんね……見習うことにするわ」
そうしろ。俺に服従すればルルも認めてくれるだろう。敬え。崇め奉れ。
綾音が変わった。全体的に。目や表情、性格まで変わってるんじゃないのかこれ。吹っ切れたか。吹っ切れたのか。とりあえず、人間への怒りで何かのスイッチが入ったのは間違いない。演技でこんなことにはならないだろう。
悲しいことも腹立たしいこともいろいろあったが、晴れて綾音が仲間になった。なんか複雑な気分だけど。ルルがどう思うにせよ、俺は綾音のことを信用する。綾音がこれからどうなってくのか、観察させてもらうとしよう。
「じゃあ、改めてよろしく……って、今は握手できないか、あたしが」
綾音が手を伸ばした。が、泥だらけなのに気づいてすぐに引っ込める。さっき絶望して地べたと握手してたからな。
「構わねえよ。手なら俺のほうが汚れてる」
「……そう。それなら」
逆に俺のほうから手を出し、握手する。会った時よりもお互いに強く、手を握った。
泥くらい、洗い流せばいい。俺みたいに悪いことしてたら水洗い程度じゃ……あ、今はもう綾音も同じ穴の狢か。散らした数は俺と比べ物にならんが。
「じゃあ、これからは魔王軍に入るってことでいいのかな?」
「ええ、そのつもりよ」
やった。仲間が増えた。すごい。
思わず語彙力を失ってしまったが、これは本当にすごい収穫だ。すさまじい好条件での加入。ちょっと行きすぎな感じすらある。が、綾音が本気でそう思ってくれるのはありがたい。
「えーと……それじゃ、どうしようか。予定では、ここから俺はルルに運んでもらって、ゼーレまで戻るつもりだったんだけど」
人間が二人のままだから、運んでもらうのは無理がある。また歩くか? だるいな。今来たばかりの道を戻るのは精神的にきつい。
「そうね……魔王の城って、ここから近いの?」
「まあ、先に進むよりは近いな。行く?」
「どうせなら顔を合わせておきたいわね」
それもそうか。時渡りを仲間にし、城以外の唯一の寄る辺をなくした。こうなった以上、一旦帰るのも手かな。綾音という戦力が加わったことで、できることも増える。計画の見直し等、やってみる価値はあるか。
「なら、城に行くか。南だな」
俺がそう言って、進行方向へ足を向けた時。
「待って。その前にやっておくことがあるでしょ?」
やること? なんだろう。あ、墓だけでも立てていこうってことかな?
「何をするんだ?」
聞き返すと、綾音は親指でどこかを指し示した。今までに見た榊原綾音のイメージと異なる、乱暴なハンドサイン。それに、その方向は……
「シュナ……だっけ? あの町も処分しておかないと、でしょ?」
「…………」
処分、ときたか。優しかった性格が半周回って俺みたいになってる。あるいは俺より悪いかもしれない。
「でも、面倒じゃないか? あそこまで行くのも時間かかるぞ」
「ここから届かないの? ほら、ルルに上まで連れてってもらって、上から」
そんな二足歩行ロボットみたいなことできるか? そりゃ、飛べば角度がつくから狙えないこともないだろうけど。
「……やってみる?」
「物は試しね」
なんでそんな生き生きとしてんだ。昨日まで……いや、数時間前まで「人を殺すのは駄目」って主張を通してただろ。
「じゃあ綾音、お前がやる? 俺、そんな遠いところ狙える自信ないんだけど」
「やりたいけど、その場合……」
ちらっ、とルルを見る綾音。俺が行かないってことは、ルルに綾音を運んでもらうということに。やってもらえるだろうか。
「ルル。俺を運ぶ時みたいに、綾音を抱えて飛んでくれるか? 嫌ならそう言ってくれていい」
ルルにも譲れないことはあるだろう。綾音のことが嫌いなら、しょうがない。俺がやろう。
「……いいよ。やる」
「ほんとに?」
「うん」
引き受けてくれた。ルルは優しいなあ。……ルルが一番優しいんじゃないかな。
「よし。綾音、そういうことだから」
交渉は成立。綾音はちょっと緊張した様子でルルに向き直った。
「よ、よろしく、ルル」
「うん」
おっ。綾音にも返事をした。ちょっと前進した、かな?
綾音がルルに抱えられ、上空へ飛んでいく。豆粒みたいになるほど高く飛んだところで、綾音は狙いをつける。数秒の後、時渡りの力が放たれた。それはここからでもわかったが、町は破壊した……のかな? 地響きとかそういうのがないからわかんないな。遠すぎて音も聞こえない。綾音の破壊は綺麗すぎて、何も起こっていないように感じる。本当に対象の部分だけ切り取ったような壊し方するからなあいつ。
ルルが下りてくる。綾音の足を優しく地面に立たせ、自身も着地して俺の傍に寄ってきた。
「うまくいったのか?」
「ええ。木端微塵よ」
綾音が嬉しそうに手を広げて言う。大丈夫この子? ネジ一個飛んでない?
「ありがとう、ルル。助かったわ」
「……別に」
ここでもルルは返事をするが、そっけない。返事も曖昧なものだ。まだ心を許したわけじゃないか。そんなすぐにとはいかない。
それはさておき、鮮やかなもんだ。腐っても時渡りか。いや、腐ったから鮮やかになったのかこの場合は。……どっちでもいいな。
「そんじゃ行くか。城に帰ろう」
「ええ、行きましょ」
豹変した綾音が若干怖いが……きっと、今だけのことだろう。ちょっと興奮しているだけだ。城でゆっくりしたら、元に戻るだろ。
久しぶりの帰還だ。サタンとリアはどうしてるかな。会うのが楽しみだ。
城へと引き返すこと数日。日が高いところまで昇った時間に、目的地に到着した。
「へえ~。近くで見るとこんな大きいのね、この城」
魔王の城の前まで来て、綾音は上を見上げてそう言った。
悲劇の前とは別人のようなルンルン気分で歩いていた綾音。到着してますます気分が高ぶったのか、声に弾みが感じられる。
「…………」
それにルルはうんざりしたように、綾音から顔を背ける。ここまでの道中、キャラが様変わりした綾音にさんざん絡まれたからだろう。疲れた顔をしている。
もう語るのも疲れるが……ここに来るまでの間、綾音はずっとルルと話していた。そのたびに俺がフォローしなければならないので俺まで疲れた。真面目系だったのが一転しておしゃべりになり、対処が面倒になった。
「ここに魔王、サタンだっけ? いるのよね。早く行きましょうよ健人」
こんな調子なのである。帰ることを決めてから、ずっと。綾音は誰とでも話すタイプだけど、こんな無邪気にペラペラ喋る奴じゃなかったのに。あるいはこっちが素なのか? 遠慮がなくなったことで素が出てるだけとか。
「どうしたの? ほら早く早く」
楽しそうに手招きしてくる。なんだこの、テンション高いクラスメイトに修学旅行で振り回される感じ。サタンに会ったら落ち着くのかなあ……
「お邪魔しまーす。あ、門番お疲れ様でーす」
門番の魔族に挨拶までして城に入っていく綾音。当然だが門番は会話ができないので、無反応も無反応。無視とも取れる対応だが、綾音は気に留めずひょこひょこと歩いていく。
「……行こうか、ルル」
「……うん」
改めてルルとの結束を感じつつ、俺たちは綾音に続いて歩く。
なんだろう、この感じ。遊園地への遠足で半強制的にグループを組まされて、お互い何も起こらないよう無難な行動をしていたのに、一人が自分の好きなキャラクターとかに抱き着いてしまったような空気。
「綾音、ちょっと待て」
「うん? 何?」
キャラクターショップを探すかのように軽快に先を行く綾音を呼び止める。
「俺が前を歩く。お前はまだ、サタンの仲間ってわけじゃないからな」
俺たちはともかく、サタンやリアにとって綾音は未知の存在だ。初対面で不意打ちされたらたまったものではない。しないだろうけど、俺は立場上綾音を監視する必要がある。
「あれ。あたしって信用ない?」
「魔族からの信用はまだないだろ。俺が架け橋になるって言ってんの」
「なるほど」
微妙にめんどくさくなったなこいつ。前のほうが物分かりはよかったかもしれない。
玄関にサタンはいなかった。初めて訪れた時はここに堂々といたんだったな。あれは時渡りを迎え撃つためだったが、時渡りが来なくなったからやめたのかな。じゃあどこにいるんだろう。とりあえず部屋を回ってみるか。リアもどこにいるんだろう。
「ルル。リアとかサタンって、普段はどこにいるのか知ってる?」
「魔王様は、部屋にいると思う。リアーネはわからない」
部屋っていうと、作戦会議で使ってたあの部屋かな。リアの部屋は知らないなそういえば。そもそもここ、どこが誰の部屋って決まってるんだろうか? エドやキースの部屋ってあんの? まず城にいるかどうかがわからないけど……
「……ケント様? 戻っておられたのですか?」
おっ。いいところに。リアの声だな。間違いない。
「ああ、今着いたんだ。ちょうどよかった」
声のしたほうを見ると、リアがいた。後ろにいる綾音をリアに指し示す。
「こいつは綾音。新しく仲間になった時渡り。綾音、前に話したリアーネだ」
互いに紹介。驚いている様子のリアと、興味津々に身を乗り出す綾音。
「へえ~、この人が。美人ねえ」
綾音がまじまじとリアを観察している。なんだろうな。根っこはこういう性格なんだろうか。好奇心が強いってだけかもしれない。それがちょっとばかし理性が飛んで、こうなっているのか。
「時渡り……? 本当に見つけられるなんて……さすがですね、ケント様は」
さすがってのは違う気がするが……成果として最高に近いことは事実だし、賛辞として受け取っておこう。
「俺もびっくりだったよ。ところでサタンいる? ほかにもいろいろと報告したいことがあってさ」
「でしたら、食事に使っていたあの部屋へどうぞ。お茶を入れますから、どうぞおくつろぎください。サタン様をお呼びします」
お茶か。何も気にせずにくつろげるのはここだけだし、お言葉に甘えて一息入れようか。
「お茶って、紅茶? あたしも手伝うわ」
「ありがとうございます、アヤネ様。しかしあなたは客人なのですから、お手を煩わせるわけにはまいりません。どうか、お気遣いなく」
相変わらず丁寧な物言いだ。いきなりやってきた綾音にも敬意を忘れない。この軍におけるリアの存在は偉大だ。とても安心する。こんな人に出迎えられるって、最高だな。
「そう? そういうことなら遠慮なく」
意外にも綾音はすんなり引いた。ここに来るまでルルにはさんざん絡んでたからリアにも同じように行きやしないかと心配だったが、大丈夫そうだな。
「じゃあ、行こうぜ」
「はい。こちらへどうぞ」
リアに案内されて奥へ。これも久しぶりだな。一人、綾音が増えているのも感慨深い。同時に若干の不安もあるが。綾音はここでうまくやれるだろうか。ややこしい構図になったら苦労するのは俺なんだが……俺が自分でやったこととはいえ、どうか何も起きないでほしい。