ある家族の物語
マスター、ラム酒をもう一杯。え?だめ?ああ、お金なら払いますよ。もっとも、この銅貨が私の全財産ですがね。そうじゃなくて、飲みすぎですって?いいえ、酔ってはいませんよ。酔えないんです。1年前のあの日から、あの恐ろしい事実に気がついてしまった日から・・・。
今頃、私の妻は生きてはいないでしょう。かわいい二人の娘たちも盲目となってしまいました。ねえ、マスター。笑ってください。それを知っていて私は逃げ出したのです。家から逃げて、国から逃げて、自分からも逃げて、こうして酒におぼれているのです。
私はね、もとはS国の貴族の出なんですよ。貴族とはいっても、名前ばかりで、贅沢はおろか、何とか食べていけるって程度の家ですよ。父が亡くなって家督は兄が継ぎました。私は居候のようなものでしたが、気楽でした。何しろ、はじめから領地の経営なんてものには興味がなくて、むしろ学問で身を立てたいと望んでいたのですから。
30になったころ、友人の誘いである方のサロンに出入りするようになりました。たいへんな資産家の。ああ、できることなら、あそこに足を踏み入れる前にもどりたい。そうすれば、何も見ず、何も知らないまま、本に埋もれた平穏な一生を終われたでしょうに。
たとえて言うなら真夏に咲き誇るひまわりでしょうか。明るく、快活で、華やかで。年上の私にもずけずけ物を言う、負けん気が強くて聡明な。それは父親のサロンに顔を出した16歳の一人娘、名前はエマといいました。私の世界は変わったのです。恋なんてありきたりな言葉では言い尽くせないほどに。小生意気な口ぶりも、幼いわがままも、すべてがいとおしくて。
贅を尽くした居間には花園を描いたあでやかな絨毯、滑らかにすべるビロードのソファ、美術品のような陶器のカップには異国の花の香りのするお茶。あるいは森の風さえ感じられる広大な庭園の木陰に脚を伸ばして。時には、100年以上も昔の貴重な本の詰め込まれた本棚の後ろに隠れるようにして。私たちは時を忘れて文学を語り、詩を読み、歴史の物語をして過ごしました。多分、私の一生分の幸せがあの夢のように美しい夏に詰め込まれていたのでしょう。
しかし、しょせん、貧乏貴族とは住む世界が違います。まもなく、彼女の結婚が決まったと聞かされました。夫となる人は父親よりも年上だそうです。私は二度とサロンに足を向けることはありませんでした。私にほかにできることがあったでしょうか。さらって逃げるには私はあまりに非力でした。ともに死を選ぶにはあまりに臆病でした。一時の情熱と割り切るにはあまりに初心だったのかもしれません。
それでも時間とともに痛みは薄れていきました。数年後、私が結婚を考えるようになった相手は、我が家に長く勤めていたハナという女中でした。もともと低い身分の出で、ろくに字も読めず、自分の名前を書くのがやっとという女ですが、こまごまと気がついて、いつも私の望む以上によくつかえてくれました。たおやかで、包み込むような温かさ、たとえて言うなら春風のような人でした。兄はこの結婚を快く認めてくれました。傾きかけた家の再建に奔走していた兄にしてみれば、役にも立たない文学の世界に引きこもる弟の妻が何者であろうと関心がなかったのか。相手が使用人であれば、結納のなんのとよけいな出費がなくてすむと、その程度は考えたのかもしれませんが。
ハナを妻に迎えて、着飾らせてみると、見違えるように美しかったことに驚きました。豊かな金色の髪、抜けるように白い肌、少しとがった鼻、薄く端正な唇からは真珠のように光る歯がこぼれます。ハナは私の妻となってもよく台所に立ちました。もう、使用人の仕事はするなと言いましたが、彼女はこうして立ち働くのが好きなのだと笑っていました。
思いがけずやさしく、美しい妻を得たことに私はすっかり満足していました。が、同時に、これまで無縁だった野心というものが頭をもたげてきました。少しでも妻にいい暮らしをさせたいと、私はつてを頼って上流階級の家庭教師に職を求めました。さしあたって、できそうなのはそのくらいでしたから。幸い、内大臣の別邸、ようするに、正式な奥様ではない女性との間にできたお子様の教育係の一人となることができました。正妻でないといっても、その暮らしぶりときたら、私の知っていた贅沢とは、象とアリほど桁が違っていました。きっとああいう人たちはどうやって有り余るお金を使うかに日々心を砕いているに違いありません。頻繁に開かれるパーティーのたびに、裏口には酒樽や食材を積んだ馬車が並びます。そんなときは授業も早めに切り上げ、砂糖で派手に飾り付けた焼き菓子のお相伴にあずかります。それを我が家に持ち帰り、無邪気に微笑む妻とともに楽しむことでささやかな幸せを味わったものでした。
それなのに!
男爵夫人。その女性はそう呼ばれていました。レースをふんだんに使った鮮やかな黄色いドレス、ひときわ目を引く高く結い上げた蜂蜜色の髪。東洋風の扇で隠した、ぽってりと愛らしい唇からはしゃれたジョークが次々と飛び出し、周りを囲む人々は楽しげに笑いさざめきます。
何のパーティーだったのかすら、今となっては思い出せません。でも、覗き見た広間の中心に居たその女性は、間違いなく、あの少女でした。ともに過ごした、夏の日がありありとよみがえります。忘れたと、忘れられたと思っていたのに。若かった日の思い出、昔話にしてしまったはずだったのに。出会ってしまったのです!
エマが結婚した相手の男爵はすでに老人といってもいい年齢でしたが、広大な領地を治め、教養のある人格者として通っておりました。領地の人々からも尊敬されていて、何一つ悪い話を聞いたことがないとうことが唯一の欠点だとさえ言われる人物です。たしかに彼女が親よりも年上の男と結婚すると聞いて一時は絶望的になりました。でも、今の彼女はどうでしょう。少女のころより、さらに自信と才気に満ち溢れ、いきいきとしています。いくら着飾っても、それ以上に、楽しい会話が誰もを引き付け、いつも周りには人の輪ができます。彼女は確かに幸せを掴んだに違いありません。私では与えうることのできなかった、富と人脈を。
これでよかったのだと、自分に言い聞かせ、立ち去ろうとしました。ところが、そのとき、私は息をのみました。彼女のスカートのすそにまとわりつく幼児を見たときに。ふっくらした頬をばら色に染めた4歳くらいの女の子です。こましゃくれた口ぶりで、手を伸べる紳士たちを見事に捌いていくさまは母親に負けていません。その子のとび色の瞳。自分と同じ色の瞳に私は確信したのです。あの子は私の子だと!
それからはお屋敷のパーティーにたびたび顔を出しました。もちろん、男爵夫人に会うために。
私は過ちを犯しました。妻への罪悪感で身もだえする一方で、彼女に会うたびに、心が沸き立つのを抑えることができなかったのです。秋を迎えるころに、男爵夫人御懐妊のニュースが流れました。つわりがひどいとのことで、社交の場に出てくることもなくなりました。だれもが口々に祝福しましたが、いつも場を明るく盛り上げていた婦人の不在を皆一様にさびしがりました。私は一人おそれおののきました。今度の子もまた、私の子供なのではないかと。なにかの弾みでこの罪が露見するのではないかと。
しばらくは何も手につかない状態でした。ところが、思いがけないことがおこったのです。妻が新しい命を授かったのです。私は目が醒めました。今までの裏切りの分まで、ハナを大事にしようと決めたのです。
ハナと私の間に生まれたのは玉のような女の子でした。母親譲りの金髪の、それは美しい、え?親ばかですって?いいえ、親の欲目ではなく、本当に美しい子だったのです。私はその子をサンと名づけ、できる限りの愛情を注いで育てました。ただ、成長するにしたがって、やや物足りなさも感じるようになったのも事実です。私自身がもともと何より学問が好きでしたから、わが子にも小さいころから本を与え、読み書きを教えました。でも、サンはどうしても勉学に興味を示さなかったのです。母親について台所仕事の真似事をしたり、庭で小鳥を追いかけたりすることに夢中になっていました。まあ、それも、この子の個性なら見守っていこうと、妻とも話し合ったのですが。
そのうち、兄が病のために急死し、思いがけず私が家督を継ぐことになりました。慣れない領地の管理に手を焼き、いっそ、土地を売ってしまって、親子3人小さな家でも借りて暮らそうかと真剣に考えました。ハナは賛成してくれるものとばかり思っていました。表立って私の言うことに異を唱えたことのない妻です。それが、びっくりするほど強硬に反対したのです。私は戸惑いました。そして、急速に妻への愛情が冷めていくのを感じました。冷めてしまえば、家名やら財産やらにこだわる妻はモンスターにしか見えません。
巡り会わせというか、タイミングというか、その後、私は領地の運営について人に相談する機会を得たのです。あの男爵夫人です。彼女の夫はすでに何年も前に病死し、領地を切り盛りしているのはエマだったのです。私は彼女の力を借りて何とか家を維持していこうと懸命でした。彼女と再び男女の関係になっても、もう妻に対してうしろめたい気持ちはありませんでした。領地を手放さないことはハナが望んだことなのですから、妻の希望をかなえるために、私が苦労させられているのだと、そんな思いでいましたから。やがて自分の家よりもエマの元で過ごすことのほうが多くなりました。そのころからハナは病気がちになりたびたび寝込むようになりました。
ハナが他界したのはサンが15の時でした。いくら冷めたといっても、やさしかった妻の死を悲しまなかったわけではありません。でも、私には支えが必要だったのです。私はエマと晴れて夫婦になりました。あの、まぶしすぎる夏の日から20年を経て、ようやく結ばれたことに私は有頂天になっていたのかもしれません。
男爵家に比べればきわめて質素な我が家にエマと二人の娘を迎え入れました。娘たちは母親に似て、明るくて、おしゃべりで、利発で、そして、私と同じとび色の目をしていました。一気に家の中が華やぎました。ところが、エマはサンを快く思いませんでした。母親の身分が使用人であったことを聞くや、使用人の子供は使用人として扱うべきだと主張したのです。
私はどうかしていました。15年も愛情をもって育ててきた娘に対して、そんなひどいことをと思うのが普通でしょう。でも、私は、エマの言葉を悪意とはとらえなかったのです。あの、気位の高い、鼻っ柱の強い彼女が、私の前妻にジェラシーを抱いている。それほどに、私を愛してくれていると。むしろ、うれしかった。誇らしかった。震えるほどに。それに、この、容姿だけは美しいが、いくら教えても詩の一つも暗唱することもできない、よくいえばおっとりとした、悪くいえばぼんやりした娘は、エマの娘たちに比べてどうしても見劣りがしてしまって、どうしても、かばってやる気にならなかったのです。もともとサンは母親と同じように台所仕事が好きだったのだから、好きなことをさせてやるほうが本人のためにはいいだろうと、言い訳しながら、私もエマと一緒になって、実の娘を女中部屋に追いやってしまったのです。
私はというと、元・男爵夫人の人脈で御用学者の地位を得て王宮に出入りするようになり、多忙を極めました。こうなると、せっかく手に入れた初恋の相手も、家のこともほったらかしで、そこでどんな恐ろしいことが起こっていたのか、顧みる余裕がなくなっていたのです。
いいえ、一度だけ、気づく機会はあったのです。夜中にふと目が覚めたことがありました。窓からさす白々とした月明かりが、やけにまぶしかったのを覚えています。何の気なしに外を見ました。裏庭が見渡せるほどに明るかったのです。隅にあるハシバミの木に私の目は釘付けになりました。木の前にサンが立っています。こんな夜中に何をしているのかといぶかりましたが、私は深く考えようとしませんでした。娘の奇行についてさえ考えることを放棄し、彼女を不当に孤独にしてしまっていたことに、そのときは気がつかなかったのです。気がつきたくなかっただけかもしれません。
私は王宮務めのため、数日に一度しか家に帰らなくなりました。そのころ、第6王子の結婚話が持ち上がっていました。第5王子まではすでに他国の王族とご結婚されていましたが、じつはこの第6王子は若干性格に難があるというか、うっかり政略結婚をさせてはかえってトラブルを招きかねないというか・・・。その一方で飛びぬけた美男子で国民からの人気は抜群でした。そこで国王は、民衆の中から結婚相手を選ぶことで開かれた王室のイメージを演出しようと考えたのです。花嫁選びのイベントとして王宮で舞踏会が3日にわたって開かれることになりました。
主だった貴族や名前の知れた資産家のところには招待状が送られました。もちろん、我が家にも。エマは娘たちを参加させればどちらかは必ず結婚できると、根拠のない自信に鼻息を荒くしていました。もしあと20年若かったら、ゼッタイ私が王子を射止める。今でも、年齢に制限がなければやれるとあきれたことを言い出す始末です。私は反対しました。万が一、あのろくでもない第6王子と結婚なんてことになったら、一大事です。だいたい、イベントで大勢女性を集めてその中から選ぼうなどと、ばかばかしいにもほどがあります。もちろん、娘たちはどこへ出しても恥ずかしくないくらいきれいでかわいらしいのですが、着飾った女性がひしめいていれば、容姿ではさほど優劣がつくとは思えません。しかし、エマはこう言います。そのために教養も話術もダンスも身につけさせたと。きれいなだけの女には負けないと。数百人単位の群衆の中で話術だなどと、お笑い種ですが、どうやら、エマは娘が王子に選ばれることが、彼女自身の評価になると思っているふしがあってゆずりません。結局、勝手にすればいいと、私はまた、投げ出してしまったのです。
舞踏会の当日は私は王宮に詰めていました。裏方は何かと大変なものです。2日目が終わってから今回の舞踏会の企画に携わった主なメンバーや警備の担当者が集められました。王子がすでに特定の女性にめぼしをつけたと。ところが、この女性の身元が分からないのです。入り口でも確認できておらず、だれに聞いても、飛びぬけた美女ではあるが初めて見る顔だと。本人も王子にすら名前を名乗らなかったと。その上、12時の鐘と同時に広間を飛び出し、姿を消してしまったと言うではありませんか。さらに不思議なことに王宮の出口を固める門番すら、出て行くところを見ていないのです。あまりに怪しい。招待状のない、つまり戸籍で把握できていない女性が参加している。それはつまり、不審者ではないか。他国のスパイか?最悪、王子に近づいて暗殺を企てているのかも?とたいへんな騒ぎになりました。
3日目は危険回避のため中止すべきとの案も出ました。しかし、王子を殺すつもりならいくらでも機会があったはずだから、少なくとも、危害を加えることはないだろうという結論になりました。しかし、不審者を放置するわけにはいきません。何とか、捕まえて、身元を明らかにしないとなりません。警備を倍にし、私は一計を案じました。彼女が現れたら、広間を出る前に、階段にのりを塗っておくのです。うまく足止めできれば、とらえることができるでしょう。
果たして彼女は3日目も現れました。私が人ごみの向こうに見ることができたのは銀色輝くドレスに包まれた細身の後姿だけでした。
12時の鐘が鳴ります。私はここにも細工をしました。少しだけ、早く鐘が鳴るようにして、のりが一番粘り気が強くなるタイミングを計ったのです。はたして謎の美女は広間を飛び出しました。階段に脚をとられます。物陰に隠れていた衛兵がいっせいに駆け寄ります。ところが、彼女は靴を脱ぎ捨てると、飛ぶような速さで走り去ったのです。それが人ならぬものに見えたのは、あまりにもまぶしく光るドレスのせいだったのでしょうか。
あとには片方の靴が残されました。ガラスの靴です。
翌日、王子は3日のうちに靴の持ち主を探し出せと内大臣に命じました。できなければ大臣を打ち首にすると。王宮は蜂の巣をつついたような騒ぎです。残忍でかんしゃくもちの王子のことです。本当に打ち首にしかねません。いいえ、やつあたりに出入りの者を片っ端から処刑するなんてことも考えられます。文字通り、国を挙げて、靴の持ち主探しが始まりました。各戸しらみつぶしに若い女性を引き出して靴に足を入れさせてみて、靴に合う足の持ち主を探すのだそうです。私はむしろこれを作ったガラス職人を探して、売った先を聞きだした方が早いのではないかと思いましたが、とても意見の言える雰囲気ではありませんでした。
しかし、人海戦術というのはたいていのことはできてしまうものです。ついに、靴の持ち主が見つかりました。しかも、我が家で。
小さすぎるガラスの靴に足を押し込むために長女は踵を削りました。次女は小指を切り落としました。女というのは思いきったことをするものです。
サンの番が回ってきました。ガラスの靴に足を滑り込ませたサンは前掛けのポケットからもう片方を取り出すと、こちらを振り返り、一瞬、笑ったような気がしました。
にわかに空が暗くなります。頭上を黒い雲が覆いつくしていきます。いいえ、それは雲ではなく、無数の小鳥の群れ。鳥たちはいっせいに急降下してきます。とっさに地面にうずくまりました。轟音のような羽音で何も聞こえません。
あたりが明るくなり、顔を上げます。そこで見たものを私は生涯忘れません。鳥に眼球をえぐられ、血まみれでうめき、のた打ち回る娘たち。それを、艶然と微笑んで見下ろすサン。
「私の家族に何をした!」
私は夢中でサンに飛び掛りました。サンはきびすを返して駆け出します。風のような速さで。追いついた私はサンの腕を掴みました。裏庭の隅のハシバミの木の下で。私は全身の毛が逆立つのを感じました。ハナ。そこにいたのは間違いなくハナだったのです。
言葉ではなく、あらゆるものが流れ込んできます。知りたくもなかったたくさんのことが。打ちのめされた私を残し、サンは王宮の馬車に乗って去っていきました。今からちょうど1年前のことです。
マスター、私の話を聞いてくれたお礼にいいことを教えましょう。もうすぐ、S国とK国の間で戦争が起きます。え?なんでそんなことが分かるかって?
今、国王は病床にあり、実権は第一王子が握っていますがね、第一王子も長くはないでしょうよ。第6王子が、いいや、ハナが狙っていますからね。あの時、ハナの想いが伝わってきたんですよ。いまにこの世界の全てを手に入れるって。戦争好きな王子を使って、K国もN国も併合して大陸全土にわたる一大帝国を築く。そして、その女王になるってね。
そうそううまくいくかって?いや、彼女には実績がありますから。もう、殺してるんですよ。私の兄を。兄は病死じゃなかったんです。ハナが毒を盛ったんですよ。私に家督を継がせるためにね。私に家を継がせて、ゆくゆくは領地を広げていこうと思ってたようです。まあ、彼女としては最初は兄を籠絡するつもりだったのが、兄のほうは、使用人を人間と思ってない人でしたから、手を出すことすらしなかったそうです。兄らしい話です。
でも私は彼女の予想よりはるかに無能で、領地を手放したいなんて言い出すしまつでしたから、我ながら、よく殺されなかったものです。ハナはね、知っていたんですよ。私とエマの関係を。資産を増やす手段と割り切って男爵夫人との交際を黙認していたんです。私は彼女の掌の上で踊らされていたようなものです。
結局、ハナは志半ばで亡くなりました。死んでから、さらに強欲になったのか、肉体という枷がなくなって、本当の望みが表に出てきたのか。ハナはサンの体に乗り移り、毒はおろか、魔法まで使えるようになっています。そして、今、一国の王妃の座まで手にしようとしています。ええ、彼女なら、きっとやり遂げるでしょう。
マスター、K国と戦となればこの辺も危険です。避難したほうがいいですよ。私?私はもう、疲れました。何にって、逃げることにですよ。せめて、取り殺してくれればいいものを。私も、私の娘たちも、哀れなサンでさえ、彼女の踏み台でしかなかったんです。でもね、行けるものなら、南に行きたい。ずっと南の地の果てには、一年中、夏しかない国があるそうです。そこにはきっと、あの、美しい夏の庭園もあるのでしょうから。