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エッグプラネットカフェ ~茄子神様の舞い降りた店~  作者: 矢凪
♪序章♪ 茄子色のプレリュード
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♪第二章♪ 茄子色のガボット *1*

 ――高萩(たかはぎ)(れん)、男、25歳。

 東京出身東京育ち、現在は家族、両親、姉、弟と離れて、彩瀬(あやせ)駅から自転車で15分ほどの所にあるワンルームマンションで一人暮らし中。

 高校卒業後、都内の調理専門校で、親譲りの料理センスと腕に磨きをかけるとともに、調理師資格を取得。卒業と同時に、父親の営む高級料亭『香久家(かぐや)』に調理見習いとして就職するも、一年後には退職。その後、彩瀬駅前の老舗洋食屋『粉雪亭(こなゆきてい)』に再就職。

 数年前に東京で開催された国際料理コンテスト、イタリアン部門で準優勝し、調理チーフを任されるようになった――と、確かにこの経歴に嘘はない。

 が、履歴書には書かれていない、というか書けなかったことがこれ以外に多々あるのもまた、事実だったりする。

(彼女ってマジメそうだし……別に、俺、捕まるほどの悪ぃことしてたわけじゃないし)

 絶対に雇ってもらうためにも、マイナスイメージにつながる過去のあれこれには、厳重に蓋をしておこう。

 そう、漣が心に誓ったのが、4月の初めのこと。

 初めて彼女――美咲(みさき)に出会ったのは、『粉雪亭こなゆきてい』で、一年近く前のことになる。

 以来、店のカウンター越しに、何度か料理について楽しく話したこともあったのに……それにも関わらず、最近はまったく相手にしてくれなくなってしまった。

 原因はわかっている。

 (あや)()商店街に、彼女がカフェを開くらしいという話を『粉雪亭』のマスターに聞かされてすぐ、自分を雇って欲しいと頼みに行った日のことだ。

 雇って欲しい理由を聞かれて、つい必死になる余り、というか勢い余って、漣は彼女に告白してしまったのだった。


 キミが好きだから、と。


 それ以来、雇って欲しいと頼みに行った回数と断られた回数は等しく、数え切れないほどになった。

 営業妨害する気は毛頭なかったし、漣自身も仕事で遅くなって行けない日もあったが、彼女のカフェの開店前や閉店後を狙って、何度も頭を下げた。

 友達に話したら、馬鹿だと笑われ、絶対に雇ってもらえるわけがないと言われた。

 それでも、どんなにしつこいと言われようと、漣はどうしても、彼女と仕事がしてみたかった。

 まぁ、仕事がしたいというのは半分くらい口実で、山科(やましな)美咲みさきという一人の女性に惹かれていて、一緒に、同じ空間にいたいだけ、なのだが……。


 漣自身について言うと、口はちょっと悪いし、時々昔のクセで目つきが悪いと怖がられることもあるが、ルックスは悪くない。洋食屋の常連客には、彼目当てで通っている女性客がいるという噂もあるくらいで、料理人としての腕も確かだ。

 おまけに、漣は自分が本当は美咲に嫌われているわけではないことにも、自信を持っていた。

 彼女の、感情を素直に映してしまう漆黒の瞳が、戸惑いと寂しさに揺れているのが見えたから。本当は、誰かに助けて欲しい――そう言っているように見えたのだ。

 そして彼女の元へ通い始めて、気付いたことがあった。

 漣が彼女に惚れた瞬間に見たような、眩しい太陽のような笑顔が、消えていること。

 接客の時に見せているのはどこか無理して作ったような笑顔で、どうしても、心からのものには見えなかった。

 もしかしたら、漣が彼女を諦められない理由はそれかもしれない。

 ――彼女の本当の笑顔を、もう一度見たい。

「よっしゃ、明日こそ絶対!」

 漣はマンション五階のベランダの手すりに寄りかかり、かすかに星の瞬いている夜空を見上げながら、缶ビールをぐいっとあおった。


 そしてその翌日――。

「長い間、お世話になりましたっ!」

 ロッカーの荷物を片付け、料理人の魂とも言うべき大事なマイ調理器具を鞄に詰め終えた漣は、マスターとキッチンの仲間たちに深々と頭を下げた。

「漣、もしまた断られて職に困ったら、いつでも戻ってきてもいいからな」

 白髪混じりの頑固親父にしか見えないが――漣が父親以上に尊敬し、師匠と慕っている『粉雪亭』のマスターの鶴見(つるみ)幸成(ゆきなり)が、目尻にうっすらと涙を浮かべていた。

 共に働いてきた仲間たちも皆、仕込みに忙しい時間帯にも関わらず手を止め、名残(なごり)惜しそうに漣を見つめていた。

「ありがたいんすけど、俺、今日は本気っすから。絶対雇われてきますよ。だからさ」

「……あぁ、そうだな。健闘を祈ってるぞ」

 この一か月間、代わりの調理スタッフが見つかるまでという条件で、引き止めていたのは表向きで、漣ほどの腕のシェフを失うのは、店にとって痛手だった。本当に惜しいが、彼の自由まで奪う権利は経営者としてもないので、マスターは必死の想いで心を抑え、漣の肩を励ますように叩いた。

「あ、俺が雇われたら、カフェに食いに来てくださいよ?」

「わかった、約束しよう。漣も、たまには顔くらい出してくれよ」

「おう! じゃ、みんな元気でな!」

 ヒラヒラと手を振りながら、長い歴史の刻まれた趣ある店舗に背を向けると、漣は歩き出した。

 その足で向かったのは、駅の反対側にある彩の瀬商店街の一番奥――エッグプラネットカフェだ。開店前の店に着くとすぐに、通り過ぎていく人たちに怪しまれながらも、漣はガラス戸から店内を覗き込んだ。

 午前十一時。いつもなら、この時間は食材の買出しを終えて、キッチンで仕込みをしている時間帯のはずだが、今日は彼女――美咲の姿が見えなかった。 

「あれ? いないとか、マジ勘弁だろー」

 マイ調理器具を持って、色々覚悟して、今日は一歩も引かないつもりで来たのに、肩透かしもいいとこだ。

 しかし、そう簡単に諦める漣ではない。

 もしかしたら、庭にいるのかもしれないと踏んだ漣は、カフェの横手に回り込む。 

 なぜかナスの苗ばかりの畑を眺めながら、彼女の姿を探していると、突然、勝手口の扉が開き、見知らぬ少年に手招きされた。

「おーい、そこの(あん)ちゃん」

「……誰だオマエ?」

 まだ5月だというのこんがりと日焼けしているように見える少年は、漣の問いには答えず、何か企んでいるような笑みを浮かべ返してきた。

「俺様の名は、蒼空(そら)や。(あお)い空って書いて、蒼空。ええ名前やろ?」

 胸を張って誇らしげに名乗った彼に、漣は弟の小さい頃を思い出して思わず笑った。

 それから近づいていって、昔よく弟にそうしたように、頭をクシャクシャと撫でる。

「おう、カッコイイ名前だな」

 そうやって褒めてやると、弟は面白いほど機嫌が良くなって、おやつを分けてくれたりしたのだ。まぁ、この場合、おやつが欲しいわけではなく、条件反射みたいなものだったが、少年は嬉しそうに目を細めて笑った。

「そうやろ、そうやろーっ!」

 美咲とはまた少し違う、見ている方まで元気にするような、気持ちのいい笑顔だ。今時の小学生にしては珍しく、擦れたところのない純粋さに、なぜか漣はホッとするような、妙な懐かしさを覚えた。

 例えるなら、ずっと昔、小学生時代の親友に、バッタリ道端で再会したような。

 と同時に、実家を出てから年に数回しか会うことのなくなった三歳下の弟に、久々に会いに行きたくなった。

「で、(あん)ちゃんは、ココで働きたくて来たんやろ?」

「おぅ、会ったこともねぇのに、よくわかったな。美咲さんに聞いたのか?」

 もしかして、美咲の弟だろうか。にしては歳が離れすぎているようだし、流暢(りゅうちょう)な関西弁というところから推測するに、遠方から来た親戚の子かもしれない。どちらにしろ、漣を知っているということは、カフェの関係者に違いない。

 そんなことを考えた漣だったが、単に、昨日まで美咲以外の人間には蒼空の姿が見えなかっただけで、毎日のように店に来ていた彼のことを知っているのは当たり前なのだった。

「ま、細かいことは気にしたらアカンねんて。とにかくほれ、はよ中入れや」

「いいのか? 美咲さんは?」

「俺様がええ言うたら、ええねん。美咲ちは今ちょっと取り込み中やからな」

 そこまで言うなら、と漣は勝手口の方から中に入らせてもらった。

 と、入ったすぐそこは、漣が初めて見る、エッグプラネットカフェのキッチンだった。

 広さ的には『粉雪亭』のキッチンの半分ほどしかないが、綺麗に整頓されていて、パッと見た感じ、使い勝手は良さそうだ。

 まだこのカフェが新しいのだと、ひと目見ればわかる、銀色に輝くシンクや棚に並んだ調理器具たち。このカフェの規模に釣り合っていないような大型冷蔵庫に、漣は思わず首を傾げた。

 作業台脇の床に見える四角い()めこみの(ふた)、その下は貯蔵庫か何かに利用されているのだろうか。今日はまだ使われた形跡のない小型オーブンだけは、妙に使い古された感がある。そして何より、イタリアンを得意とする漣の興味を最も惹きつけたのは、まだ一度も使われてないのではと疑いたくなるほど綺麗な、そして大きく立派な石釜だ。

 あれを上手く使えばオーブンで焼くよりもずっと早く、おいしいピザが焼けるだろう。もちろん、他の料理にも活用できそうで――まだ雇われると決まったわけでもないのに、漣の料理人魂は嬉しさに舞い躍った。

 中央に設置されたステンレスの作業台の上には、今日のランチ用に買ってきたものなのか、大長(おおなが)ナスに小丸(こまる)ナス、赤と黄色のパプリカ、タマネギ、トマト――新鮮な食材の数々が広げられている。

 美咲は野菜を洗っている途中に出かけたみたいだったが、料理人の漣からすると、いてもたってもいられなくなった。

 こんなところに長時間出しっぱなしにしたら、せっかくの鮮度が落ちてしまう。

 ならばいっそのこと――。

「なんや(あん)ちゃん、めっちゃ料理したそうな顔しとるなぁ」

 鋭い蒼空の指摘に、漣は珍しく驚いたが、余裕の笑みは崩さなかった。

「おぅ、バレたか。食材見ると、こう、ムズムズしてくるんだよな」

 食材は新鮮なモノを新鮮なうちに、手際良く調理する。そして料理人にとって、時間は命、おいしさを守る大切な要なのだ、というのが、漣が最初に学んだ料理の基本だった。

「ふぅむ……時に(あん)ちゃん、その大長ナスがどう調理したら一番おいしくなるか、知っとるか?」

「なんだよ、俺を試す気か? 知ってるに決まってんだろ。大長ナスは皮が固いからな、焼きナスが一番だろ」

 蒼空は妙に上から目線で話してくるが、子供の扱いに慣れている漣はまったく気にしなかった。このくらいのガキはどいつも、偉そうな態度をとりたがるもんなのだ。

 どうだ、参ったかー、と言わんばかりに答えると、蒼空は自分よりもずっと背の高い漣を見上げて、不敵な笑みを浮かべた。

「おーっ。(あん)ちゃん、なかなかやりよるなぁ! おもろいから、ええコト教えたるで」

「いいこと?」

「せや。もうすぐ美咲ちがココに戻ってくる。したら、美咲ちの前で、そこの食材使(つこ)うて料理して、食わせたらええ。絶対、(あん)ちゃんのこと雇ってくれるで」

 そんな、キッチンを乗っ取るような真似をしたら、美咲は気を悪くしないだろうか――と一瞬考え、しかし漣は蒼空の提案に乗ることにした。

「なるほど、俺自身より、料理の腕を認めさせるってのは、手だな……わかった、やってみるぜ」

「よっしゃー。これで久々に違う味のもんが食えるんやな、(あん)ちゃん、応援しとるで!」

 蒼空はさりげなくさっき美咲に指摘していたのだったが、似たような味付けのナス料理ばかりに、飽きがきていたのだった。

「……違う味? なんかよくわからんけど、サンキューな」

 そうと決めたら、何を作るかだ。

 漣が食材を眺めながら、その組み合わせや味付け、彩りにこだわった盛り付け方法まで思い浮かべていると、そこへ美咲が戻ってきた。


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