♪第一章♪ 茄子色のエチュード *3*
「で、結局、コレはどうしたらいいのよー……」
大量のアブラムシに襲われているナスの葉を前に、美咲は涙目になりながら頭を抱えていた。
蒼空もいい加減、喚き疲れたのか、勝手口のところでイジけるようにしゃがみ込んでいる。
そこへ、救世主ともいうべき人物が現れた。
「なんじゃなんじゃ? みーちゃん、朝から落ち込んで、どうしたんじゃ~?」
「庄じぃ!」
振り返ると、蒼空のすぐ後ろに、アロハシャツに短パン姿というちょっぴり季節外れかつド派手な格好をした小柄な老人――美咲の祖父である庄一が、ビニール袋を片手に立っていた。
つるんと綺麗に禿げ上がった頭とサングラスに朝の陽射しがキラッと反射して、ちょぴり眩しい、と美咲が思ったのは一瞬のことで……。
「庄じぃ、コレどうしよう! 葉っぱが虫に食べられちゃう!」
すぐに大変な状況を思い出して助けを求めた美咲に、庄一は余裕の笑みを見せた。
庄一は昔、某有名ホテルの総支配人を務めていたらしく、どんな時でも冷静さを欠かさない。おまけに、退職してからの趣味のひとつがガーデニングとあって、虫の対処なんて朝飯前なのだった。
「おー、大丈夫じゃよ。こんなこともあろうと、今日は秘密兵器を持ってきたからのぅ」
かけていたサングラスを外した庄一は、姿が見えないはずの蒼空の頭をポンポンと優しく叩くと、ニカッと白い歯を見せて笑った。
「秘密兵器?」
いつからナスの葉に虫がついていることに気づいていたのか、そしてなぜ美咲以外には見えないはずの蒼空の頭を叩けたのか――二つの点で美咲は驚きに目をみはった。
庄一は任せろといわんばかりに大きく頷き、蒼空の脇を通って庭に出ると、ビニール袋から大きなスプレーボトルを取り出した。
「じゃじゃーん! アブラムシを撃退して葉に元気にする秘密兵器、竹酢液じゃ!」
「ちくさくえき……って、何それ? 殺虫剤じゃないの?」
「食べようって野菜にそんな危ないもん使ったらダメじゃよ、みーちゃん。これはな、竹の炭を焼いた時に出る煙から作られたもんでな、もちろん食べて身体に悪いもんは一切入っとらん。おまけに、葉の栄養にもなるっちゅー優れものなんじゃよ」
シュッシュッと庄一がリズミカルに、ナスの葉に液をかけていく様子に、美咲と蒼空は期待のまなざしを向けていた。
ところが、葉から竹酢液がポタポタと滴るほどになっても、アブラムシたちは死ぬわけでもなく、微動だにすらしない。
「……それ、本当に効くの?」
一転、疑わしげな視線を送った美咲を、庄一は豪快に笑い飛ばした。
「なんじゃ、みーちゃんはせっかちじゃのう。虫が一発で死ぬような強い薬じゃないと言うとるじゃろうが。まぁ、ここはワシに任せて、そろそろカフェの方の準備をしてこないといけないんじゃないかね?」
「えっ、うわっ、もうこんな時間!?」
腕時計の針はもうすぐ九時半を指そうかというところだ。カフェの開店時間は十二時だけれど、その前にやることがたくさんあるので、そうそうゆっくりはしていられない。
今日はただでも遅刻気味だったのにと、美咲は息をのむと、慌ててカフェの店内に駆け戻っていった。
美咲の姿が見えなくなった後――。
「さて、そこの少年は初めましてじゃな? ワシゃ、久保庄一と申す、みーちゃんラヴの彼氏候補じゃ」
見知らぬ少年の存在をすんなりと受け入れ、茶目っ気たっぷりにウインクした庄一に、蒼空はニッと不敵な笑みを返す。
「俺様の名は蒼空。庄一殿には悪いが、美咲の彼氏候補の座は譲らへんで!」
蒼空が美咲と出会ってから二か月――。
ナスの苗の成長と連動して、徐々に神力を取り戻し始めた蒼空は、ようやく美咲以外の人間にも少年姿として見えるようになり、会話もできるようになったのだった――。