♪第四章♪ 茄子色のセレナーデ *6*
窓の外に見える空は真っ黒い雲に覆われ、時折、雷鳴を轟かせていた。
そんな中、降り続く雨に濡れた様子もなく、颯爽とカフェに現れた美女は、カウンター席に座ると、誰もいない店内をつまらなそうに見やった。
一人で接客をしていた美咲は、すぐにカウンターにお冷と紙おしぼりを、そして試食のココナッスケーキを置きに進み出る。
里杏は授業に出るからと帰ってしまい、悠馬と里桃は休憩がてら楽器屋にCDを見に行くと言って出て行ってしまい、漣はといえば、かかってきた電話に、話を聞かれたくないのか庭へ出たきり戻って来ていない。蒼空は、ナスミンで遊び疲れたのか、二階で昼寝をしてくるといって姿を消してしまった。
「……あの、ご注文は?」
見るからに機嫌の悪そうなその女性に、一人きりの美咲は心細いながらもいつもどおりの接客を心がけ、しかしわずかにひきつった笑顔で尋ねた。
しばしの沈黙に美咲が首を傾げていると、女性の口が意地悪げな笑みを作った。
その冷たく鋭い視線に、まるで蛇に睨まれた蛙のごとく、美咲は固まった。
女性の発しているのは苛烈なまでの、神力――その威圧感に、美咲の背筋に冷たいものが伝う。以前にもこれに似た感触を美咲は味わったことがあった。
もっとも、その時は、今とは正反対で温かくて不思議な感じがしたけれど。
目の前にいるこの女性は、蒼空の仲間なのだろうか。
と、女性は美咲を睨みつけたまま、ようやく口を開いた。
「アタシは認めない。こんな、何も知らずに、彼の力を使いまくっておいて、客が入らなくてものほほんとしてる奴なんて……アンタ、どう見ても店長に向いてないわよね」
初対面のはずの目の前の女性に、なぜそんなことを言われなくてはいけないのか、という怒りよりも、納得してしまった自分に、美咲は息の根を止められたように、身動きがとれなくなっていた。
かろうじて開いた美咲の口から出たのは、「店長に向いていない」ことに対する同意。
「そうかも、しれないですね」
しかし、美咲のその言葉が女性の怒りに油を注いでしまったらしい。ガタンと勢いよく立ち上がったかと思うと、女性はパチンと派手な音が店内に響かせた。
美咲は何が起きたのかわからないまま、ヒリヒリする左頬に、手を当てた。
「信じらんない。なんで彼は……蒼空は、こんな子を選んだのよ。私たち一族の運命がかかった大事な選択に、なんでっ……」
吐き捨てるようにつぶやかれたその言葉から、美咲は聞きなれた名前の部分だけを聞き拾った。
(蒼空が、選んだ?)
そこへ、凍りついた空気を吹き飛ばすかのごとく、明るい関西弁が割って入った。
昼寝から飛び起きたみたいに、髪に残っただらしない寝癖も、張りつめていた緊張感を一気に解きほぐしていく。
「なんでってそりゃ、俺様が美咲ちのことを好きだからに決まってるやろが。俺は信じてるんや」
深い紫色の瞳をまっすぐに女性に向けて、蒼空は言った。
女性は悔しげに眉をひそめ、そんな蒼空を見返す。
「裏切られては傷ついて、嫌われては泣いて、人間なんて、自分の欲のために我ら神様を利用するだけしておいて、感謝の言葉もなく、いらなくなったら忘れるのよ? なぜそれでも人間を信じると、言い切れるの?」
「せやなぁ……俺様は、美咲ちみたいに一生懸命生きとる人間たちが、好きやからかなぁ。いつか裏切られたり嫌われたりする日が来ても、楽しかった日々は消えんしなぁ」
泣き笑いのような表情で答えた蒼空に、視線を送られた美咲はハッと我に返った。
気がつくと、女性の姿はカフェの中から消え去っていて、美咲の耳には嘲笑と嫉妬を含んだ声だけが残されていた。
「まぁ、せいぜいあと1か月、悪あがきでもすることね」
「蒼空……彼女は一体……?」
「あー、あんな口うるさいババァのことなんか気にせんでええがな。それより、昼寝したら喉乾いたねん! いつもの一杯、頼むで!」
いつもと変わらぬ様子でニッと白い歯を見せて笑った蒼空に、美咲は何も聞けないまま頷いたのだった。




