♪第四章♪ 茄子色のセレナーデ *5*
6月のナス祭は梅雨真っ只中ということもあり、朝から弱い雨の降り続く日となった。
庭のナスには恵みの雨なのだが、晴れの日より確実に減る客足が演奏会に響くのではないかと心配された。
バイトの休みを貰った悠馬は開店前にカフェを訪れ、演奏会の準備――と言っても、カフェの窓際の席を避けて作られた特設演奏スペースで楽器の調整をしたり、スケジュールの打ち合わせだけだったが――をしていた。
「じゃあ、演奏披露は毎時30分から10分くらいで、体験したい方は演奏の後に希望者を募って、という感じですね。わかりました」
美咲に提出された曲目リストには、様々な国の民謡や、童謡といった誰にでもわかる曲をメインに、サウスウィンドがカヴァーして歌ったことのある、世界的に有名な曲なども混ぜ込んであった。
その時お店にいる客層を見て悠馬が判断し、リストから曲を選ぶ予定になっている。
里桃が現れたらサウスウィンドを、というのが目下、悠馬の目標らしかった。
「疲れたら遠慮なく休んでいいからな。あと、客がいない時とかも」
「はい、でもそんなに疲れないですし大丈夫だと思います」
「じゃ、こっちは頼んだぞ」
美咲と漣が、演奏会用の特別試作メニューとして、来店者全員に振舞われるナスイーツの準備のためキッチンへ姿を消すと、店内には悠馬だけが取り残された。
縁日風の賑やかな内装だった先月のナス祭とは違い、今月はクラシックな雰囲気が漂っている。白木のテーブルには真っ白なレースのクロスがかけられていたり、カウンターの上に立てかけられているメニューボードには五線譜が描かれている。
壁に飾られている写真は、綺麗な花畑や白い灯台、教会といった西洋的な雰囲気を演出するものが多いが、そのどれもが、吸い込まれそうなほどの青空や、鮮やかな夕焼けなど、空にこだわりの感じられるものだった。
と、店内を見回していた悠馬の視界に、窓の外に一人佇んでいる黒髪ショートカットの女性が飛び込んできた。
あれは――里桃の姉の里杏、に見えたのは、短くなった髪形のせいだ。
薄桃色の傘から時折覗かせる里桃の表情は、店内に入ろうか迷っているようで、悠馬は先月の失態を思い出して声をかけるべきか悩んだ。
が、迷ったのは一瞬で、すぐに店の外に飛び出す。
「あのっ、僕、ずっと貴女にお礼が言いたくて……」
突然現れた悠馬に、里桃は驚いて顔を上げる。傘の色を反射しているわけではなく、桃色に染まった彼女の顔に、悠馬までつられて顔を赤く染めた。
「ええと……いつも、僕のブログにメッセージをくれていたのは、貴女ですよね?」
小さく頷いた里桃に、悠馬はホッと息をつく。
「ありがとう、ございます。僕、あのメッセージにいつも励まされてました」
聞くと元気になれるというメッセージにこそ、悠馬は元気をもらえていたのだ。
「本当はピアニストを目指してたんですけど、手をケガして痛めちゃって……音大受験を諦めて家出して、暇つぶしに始めたブログだったんです、あれ」
ピアノでプロになるという夢は捨てざるを得なかったけれど、それでも音楽は変わらず好きで、わずかな時間なら動く手で短い曲を作って、ネットで公開した。サウスウィンドのように、人の心を温かくする曲を作るのが夢で、そして、初めて反応をくれたのが、今目の前に立っている彼女だったのだ。
お礼と、ずっと温めてきた想いを、今度こそ伝えようと思っていた。
そしてそれは、里桃も同じで。
「そうだったんですか……でも、本当に、わたしのほうこそ、たくさん勇気、もらって」
いつも里杏の後ろにくっついて歩いているばかりだったのに、初めて里桃の方から、自らの意思でルマに会いたいと願い、カフェに行きたいと里杏を誘った。
初めて自分のイラストを美咲たちに認めてもらい、自信が生まれ始めた。会いたかった彼からは一度逃げ出してしまったけれど、こうしてまたチャンスをくれたのだ。
あともう一歩、勇気を出すこと。里杏と仲直りするためにも、今、言わなければ。
二人は同時に、口を開いた。
「僕は、里桃さんが好きです」
「わたし、ルマくんのことが好きです」
そんな二人のやり取りを、カフェの中からこっそり窺っていた蒼空がにやりと笑う。
「ええやん、ええやん! やっぱ愛はええねん! なぁ、漣?」
「……って、なんで俺に話を振る? そう言うなら、俺にもアドバイスくれよなー」
突然現れて、丸ナスの身をくり抜いて流し込んだナスの冷製スープを味見していた蒼空に、漣は苦笑した。
すぐ後ろでココナツとナスの入ったのココナッスケーキの生地を混ぜていた美咲は、二人の会話に手を止めた。
「わ、私、橘田くんたちを呼んでくるね」
いつまでも雨の中にいたら風邪を引いてしまうから、と理由をつけて、美咲は聞きたくない話から逃げ出した。
「あ、逃げられた。蒼空が変なこと言い出すからだぞ。お詫びにアドバイスを要求する」
「んー……しゃあないなぁ。アドバイス? 塩っ気をどうにかした方がええんちゃう?」
「スープの味のアドバイスじゃねぇっつーの!」
「誰がスープの味や言うた? ま、あとは兄ちゃんがどう動くか、それ次第やな」
塩っ気、というのがスープの味ではないアドバイスならば、と漣は思考を巡らせ、ある人物の姿がふと思い浮かんだ。しかしそれは、まだ誰にも打ち明けていないことのはずだと思い至り、ハッとする。
「……蒼空、お前、ホントに未来のことが視えてんのか?」
「さーてと、俺様はナスミンの演奏まで昼寝してくるさかい、あとがんばってやー」
素知らぬフリを決め込んだ蒼空は、スッと姿を消す。
代わりに飛び込んできた双子姉妹の賑やかな声に、漣は我に返ったのだった。
「お、なんだ? 晴れて両思いってか?」
キッチンから顔を出すと、顔を真っ赤に染めた悠馬と里桃、そして、腰に手を当てて呆れたようにため息をついている里杏の姿があった。
この二人が昨日、カフェでケンカしたという話を美咲に聞いていた漣は、すでに仲直りしている様子の姉妹に首を傾げる。
「うまくいったのは、蒼空のアドバイスのおかげ、みたいね」
自嘲気味につぶやかれた美咲の声に、里桃がパッと顔をあげた。
「それ、違います! 美咲さんのアドバイスからも、いっぱい勇気もらいました! 髪を切ってあーちゃんの真似したら、あーちゃんみたいに何でもハッキリ言える気がしたし。美咲さんのこと、わたし大好きです。ルマくんのことも、漣さんのことも、蒼空くんのことも。でも、でもね、やっぱ、あーちゃんが一番だから……ね」
「だーかーらー、それが馬鹿だっつってんの! そんなこと言ったら、悠馬くんに失礼でしょうが、馬鹿りっちゃん!」
「いえ、僕のことは気になさらないで……」
慌ててフォローする悠馬をキッと睨みつけた里杏はしかし、ふぅと息を吐いた。
「ありがとね」
里桃に勇気をくれた悠馬たちに、そして、里杏が一番と言ってくれた妹に、心からの想いを言葉に乗せて。
ナッスーと気の抜ける時計の音が響くまで、カフェの中には温かい人の想いが、静かに溢れていた。
ナスミンもとい、テルミンの演奏には、ランチタイムにきたお客さんたちはみな見事に興味を示してくれ、体験会も無事に終えることができた。
客がわずかしかいなくなってしまった14時の回では、里桃に聞かせたかったという曲を披露した後、悠馬が手取り足取りテルミンを彼女に教えたり、それを蒼空が妨害するかのように間に割って入ったり――と、賑やかな時が過ぎていった。
あるお客さんが入ってくる、その時まではーー。




