♪第四章♪ 茄子色のセレナーデ *1*
ナス祭から一週間が過ぎた頃、祭に参加してくれた悠馬たちを始め、商店街の人たちの口コミの効果なのか、それと同時に里杏が配り始めた里桃の作ったチラシの効果なのか、エッグプラネットカフェに訪れるお客さんの数は徐々に増えてきていた。
ランチタイムは、そろそろ満席状態になりつつある――そんなある日のことだった。
「あれっ? もしかして、漣? 漣じゃねーの?」
美咲がキッチンでスコーンを作っている間、ホール側で接客のフォローをしていた漣の姿に、入ってきた青年から声が掛かった。
真っ黒に日焼けした肌に、オレンジ髪、鋭い目つきに黒革のグローブを両手にはめた青年は、やや時代遅れのビジュアル系バンドボーカリストか、不良にしか見えない。
「おー、灯也じゃん、久しぶりだなー。何、俺に会いにきてくれたのか?」
「アホか、俺は同僚に頼まれて、買出しに来ただけだっつの! ココって、テイクアウトできんだろ?」
「できるできる。チラシ見たんだな?」
数日前から美咲の提案で、サンドイッチ類やスコーン、飲み物のテイクアウトサービスを始めたのだが、これがなかなか評判が良かった。里桃に作ってもらったチラシに、そのことを書いておいたのが、ようやく功を奏し始めたということか。
「あーそうそう、同僚にすっごいナス好きの女の子がいてさ、ホントは自分で来たいらしいんだけど、ちょっと訳ありで来れなくて、俺が使いっパシリに……」
「はははっ、お前は警察官になっても相変わらず、だな」
「厳密には警官じゃねぇけどな……って、そういうお前だって、こんな商店街のカフェでシェフかよ。実家の方は放っといて平気なのかよ?」
「はいはい。で、注文は?」
灯也の言葉を無理やり遮った漣は、ぐいっとメニュー一覧を突き出した。
「おぅ、そうだった。じゃ、ナスが一番たくさん入ってるヤツを5個で!」
「まいどっ。美咲、注文入ったぞー、ナストマサンド5つなー」
はーい、という返事がキッチンから聞こえた。
が、サンドは美咲の担当と決まっているものの、彼女が今スコーン作りをしていることを思い出して、漣はすぐに自分もキッチンへ手伝いに入った。
「あ、こっちは大丈夫よ。彼、漣の知り合いなんでしょう?」
待たせている間、話してればいいのに、という美咲の気遣いに、漣は照れくさそうに頬をかいた。
「まぁな、高校時代の友達っつーか」
「……漣って、もしかして」
元不良? などと、美咲が聞けるわけもなく。きっと聞かれても困るし、そうだと言われても何となく気まずくなりそうなので、そこで問いかけるのを止めた。
「何?」
「なんでもないわ。ほら、こっちは私にまかせて、彼と……」
「……わかった。サンキューな、美咲!」
漣は苦笑いしながらそう言うと、キッチンから出て行った。
すぐに、楽しそうに会話する声が聞こえてきて、美咲はホッとしたのだった。
「なぁ、美咲……ナスやんってば今度は何を始めたんだ?」
友人を見送った漣は、しばらくして焼き立てスコーンを店頭販売用に持ってカウンターへ出てきた美咲に尋ねた。
「んー……あぁ、なんか、恋愛相談らしいわよ」
「恋愛相談?」
美咲は漣の視線の先を追って、肩をすくめる。
いつものようにカウンター席に座っている蒼空の隣には、どこでどういう噂が流れているのか、『茄子神様の恋愛相談』を目当てにやってきた女性客が座っていた。
女性は真剣な表情で、蒼空の話に耳を傾けている様子だ。
蒼空の方はといえば、着々と育っている庭のナスと連動して、神力を回復させつつあるのか、わずかな間にまた少し背を伸ばし、今では誰彼構わずその姿をさらすようになっていた。しかも、無邪気に外を駆け回っている小学生といったイメージは、いつの間にか、浅黒肌で童顔の美少年というものに塗り替えられていた。
「おねえさん、もうすぐ素敵な出会いがあるで。せやから、焦らんでええで。おねえさんはたくさん魅力的なトコあるさかい、その魅力をちゃんと見つけて輝かせてくれるヤツっちゅうのが、現れるで」
営業スマイルとでもいうのか、蒼空は美咲たちには見せたことがないような爽やかな笑顔を相手の女性に向け、しかしいつもと変わらぬ軽快な関西弁で話していた。
そんな蒼空を、女性は完全に信じきった様子で見つめている。
「ホントですかっ?」
「まぁ、ひとつアドバイスっちゅーなら、自分にもっと自信を持つことやな」
「自信……ですか?」
「そうやな、あとは、おねえさん、そのままでも美人さんやとは思うけど、たまにはアクセサリーとか付けてオシャレしてみたら、もっと輝けるかもしれへんで」
「アクセサリー、ですか?」
意外そうな表情になった女性客の視線が、ふと蒼空の手元に置かれているペンダントに自然と向けられた。
シンプルなシルバーストラップで、先端に小さなナス形ロケットが付いているものだ。
「あ、このペンダント、気になるって? これはなぁ、前に相談にきた女の子に一度あげたもんやけどな、ボクに占ってもらった後に彼と結婚できました言うて、ありがとうって返しにきてくれたんや。ものごっつ効く茄子神様の縁結びペンダントやねんでー。どや、キミも使うてみるか?」
軽妙な蒼空の語り口に、女性の視線はペンダントに釘付けになっている。
カウンターのところで密かに耳をそばだてていた美咲は、悪徳詐欺の手口を思い出してハラハラしていた。今までただの恋愛相談だけだと思っていたので、まさかお客さん相手に変な商売まで始める気なのか、と。
案の定、女性は蒼空の話に乗せられてしまったようで、
「それ、お高いんですか?」
興奮気味の声のトーン、これは少しくらい値段が高くても買ってしまう流れだ。
しかし、蒼空の答えは意外なものだった。
「いやいや、お金なんていらへんって。ここにまたお茶でも飲みに来てくれるだけでいいねん。今度は彼氏さん連れてな」
これまたとびきりの、天使のような微笑みを浮かべた蒼空に、女性の目が恋をしたような、うっとりとしたものに変わった。
どうやら、あの笑顔には、母性本能をくすぐる効果もあるらしい。
「……は、はいっ! あの、ひとりでも、また来てもいいですか?」
「もちろんや!」
「あ、ありがとうございます!」
女性は頬を紅潮させて蒼空にお礼を言うと、席を窓際の空いていたところに移る。それから、もともと飲んでいた紅茶にナスイーツを追加注文して食べ終えると、満足げな笑みを浮かべて帰っていったのだった。
「ちょっと、蒼空ってば、あんなこと言っちゃって大丈夫なの?」
ペンダントの件は売りつけたわけではないのでともかく、もうすぐ出会いが……など、もしそれが嘘で、彼女がこのカフェの悪評を立てるようなことがあれば、後々まで経営に影響するかもしれないではないか。
不安げに訴える美咲に、しかし蒼空はムッとした様子で言い返した。
「なんや、俺様がせっかく本気だしてカフェの売り上げに協力しとんのに」
「そ、れは、そうだけど……」
確かに、恋愛相談目当てで来て飲み物だけを注文したかと思えば、相談結果に満足したお礼にという意味なのか、スコーンを持ち帰る人や、食べて帰る人がほとんどだった。
「それとも、美咲ちは俺様の力、疑うてんのん?」
「え……じゃ、あれって全部本当のこと? もしかして、未来が見えるの?」
「俺様を誰やと思ってんねん! 茄子神様やで、偉いんやで、凄いんやで! まぁ、まだ本調子やないから、少し先の未来しか見えへんけど~」
自信たっぷりに胸を張って、美咲が用意した梅ウォーターをゴクゴクと飲んでいる蒼空に、漣が目を輝かせた。
「マジで!? ナスやんすげぇな! 俺も見てもらってもいいか?」
期待のまなざしを向ける漣から、蒼空はなぜかプイっと顔を逸らした。
「ナスやん、じゃないやろが……」
「あー悪ぃ、ついクセで。じゃなくて、お願いします、蒼空さま!」
「どないしよっかなー。兄ちゃんは俺様の恋敵やしなぁ~」
「そこをナントカ!」
パンっと蒼空の前で手をあわせて拝む漣だったが、蒼空はからかっているだけのようで意地悪そうな笑みを浮かべて、首を横に振った。
「やっぱつまらんから、兄ちゃんのは見てやらへんわ」
「ひでぇっ! あ、じゃあ、美咲のは? 美咲は見てもらったりしないのか?」
唐突に話を振られた美咲は「え」と固まり、そして困ったような笑みを浮かべた。
「……それって、見えるのは恋愛に関してだけ?」
「いや、別に制限ないで」
「……そっかぁ」
「なんや、美咲が見たい言うなら、見てもええけど?」
蒼空の言葉に、漣が再び「ずるいなー」とぼやくが、美咲は首を横に振って、それきり黙ってしまった。
ほんの少し未来が見える、蒼空の力。
もしも、あと数か月前に蒼空と出会えていて、その力が使えていたら美咲は――。
「私……もう少し早く、蒼空に出会いたかったなぁ」
そのつぶやきは誰にも聞こえず、漣と蒼空は突然に黙り込んでしまった美咲の様子に、顔を見合わせて首を傾げたのだった。




