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第八章  夕闇の砂浜


 辺りはもう真っ暗だった。

 西の空だけが僅かに明るい、そんな時刻。

 壮介は黙々と歩き続ける千草の後を追っていた。

「…………」

 もう辺りは暗く、外灯もない道を歩き続ける。今の壮介はあまりの暗さに、千草の姿を見失ってしまうどころか、足元を踏み外して側溝に落ちてしまうという不安にかられる有様だ。

 壮介は千草の後を追っているだけなのだが、もうついていくのがやっとで、とても横に並んだり前方に出たりということができない。それはあまりの暗さに恐る恐る歩いているということもあるのだが、それ以上に壮介は言葉にできないような息苦しさを感じていた。千草の歩くペースはいつもと変わらないようにみえるし、急な上り坂を歩いているわけでもない。

 何かが壮介の胸を締め付けている……。

 それは一体何なのか、壮介には見当もつかない。

「はあ、はあ……」

 歩き続けるにつれ、壮介の呼吸が荒くなる。頬には汗が流れ落ち、壮介はまるで炎天下の中歩いているような状態となっていた。

 壮介はふと足元を見た。

「ここは……」

 港で千草と出会い、壮介はずっと石畳の上を歩き続けていた。しかし今壮介が歩いているのは石畳ではなく、まるで整備されていない獣道のようなところ。辺りを見回すと、いつの間にか周囲は草木が生い茂るような場所になっていた。どうりで真っ暗なわけである。

 そしてもう一つ壮介が気付いたこと。

 それは波音だった。それもすぐ近くに。

 壮介は波音のする方向へと顔を向けた。そこは漆黒の闇で何も見えないが、この暗闇の向こうに海があることを視覚以外の感覚で確かに感じ取っていた。

 そして視線を再び正面に戻したその時だった。

「あれ?」

 そこに千草の姿がなかった。まるで暗闇に飲み込まれてしまったかのように、消え去っていたのだ。

 壮介は少し戸惑ったが、パニックになることはなく、そのまま前へと進み続けた。

 しばらく歩き続けていると、急に道幅が狭くなり、木々の枝や葉っぱが壮介の顔や肩にふれる。壮介は枝や葉っぱを掻き分けるように前へと進む。

 そして…………。

 ジャリ…………、

 砂を踏むような音がしたかと思うと、木々で遮られていた前方の視界が開けた。

「ここは……」

 壮介の目の前には、真っ黒な海が広がっていた。寄せては返す波の音が、静かに周囲を包んでいる。

 壮介は辺りを見まわし、自分は今砂浜に立っていることを認識する。

 ジャリ……ジャリ……、

 壮介は再び歩き始める。砂浜は周りを樹木や磯場で囲まれているようで、海沿いには完全に遮断された場所になっていた。

 砂浜には大小の石がゴロゴロしており、またゴミや流木といった漂流物も多く見られ、お世辞にも綺麗とは言えず、全く整備されていない様子だった。

「ん? あれは……」

 壮介の視線は波打ち際に向けられていた。そこには人影がひとつ……。

 言うまでもなく、それは千草。

 壮介は少し躊躇いながらも、波打ち際に佇む千草のほうへ歩いていった。

「フフフ…………」

 壮介が千草の傍までやってくると、千草は何か意味ありげな笑みをこぼす。

 港からここに至るまで、壮介にとって千草の行動は全く訳が判らないものであった。何の目的があって、ここまで壮介を連れてきたのか?

「ねえ、ここは一体?」

 千草の傍までやってきた壮介は、辺りを見回しながら訊ねた。

 すると千草は壮介の目を見て、ニヤッと笑う。

「フフフ、ダメじゃないですか新谷さん。こんな夜に出歩いちゃ……お化けに連れて行かれちゃいますよ」

「へ?」

 千草の言葉に、壮介は目を丸くした。言っている意味が全く判らないという様子だ。

「き、君は一体?」

 動揺する壮介に、千草は再び笑みで返し、海の方を向いた。

「新谷さん。実はね、島の名所で一つ、案内し忘れていた所があるんですよ」

 すると千草は眼鏡を取り、壮介の方へ振り返った。

「それがここ、狼ヶ浜(ろうがはま)です」

 間もなく完全な闇が支配する空……。その中で笑みを浮かべて佇む千草はとても艶っぽく、神秘的。しかしそれ以上に何とも言えない妖しい美しさを放っていた。

 その妖しい美しさは、壮介が思わず見とれてしまう程であった。



「そしてここは、大神島の象徴にして、みんなから忘れられた浜」

 千草は壮介の瞳から視線を外し、とても十代とは思えないような妖しさを放ちながら語り始めた。

「この浜は、かつて狼の社が存在し、狼を鎮めるための生贄を捧げる場所だった。明治に入って、今の大神神社が建てられ、社もそちらへ移された。そして時代が進むにつれて、みんなこの場所の曰を忘れていき、そして終いにはこの浜の存在すら忘れていってしまった・・・・・・」

 暗闇の中、千草は語り続ける。波の音しかしない砂浜、千草の透き通るような声はまるで芝居の台詞のように次々と紡ぎだされていく。

「何故、忘れられていったと思います?」

 千草は壮介に問いかけた。この問いかけを壮介にするのは二度目……。

「みんなが、それを、望んだから?」

 あの時、千草が言ったことを、壮介は恐る恐る答えた。

 すると千草は微笑んだ。

「正解」

 千草は壮介へと近付き、そして壮介の頬に手をあてた。

「私が言ったこと、覚えていてくれたんですね。嬉しい……」

 壮介の頬にあてられた手に力が入り、爪が立てられた。

 突然頬に走った痛みに、壮介は思わず千草の手を振り払った。

「なっ…………」

 今度は自分の手を頬にあてる壮介。突然のことに動揺する壮介の姿を見た千草は、笑っている。

 おかしい。

 千草を見つめる壮介の視線はそう表現していた。今まで見たことのない千草が、壮介の前にいる。

 ジャリ……と砂浜を踏む音が聞こえる。その音に壮介は一歩後ろへと下がる。壮介の額には暑さからではない汗が滲んでいた。

「そしてこの島は、忘れられることを望んだ島だったんです」

 千草の言葉を紡ぐ……。しかし壮介は千草の言葉よりも、千草と一定の距離を保つことに全神経を集中させていた。

「この島は古来より外界との接点が殆どなく、また自分たちの価値観を最優先してきました。よってこの島独自の価値観というものが生まれました」

 千草は再び壮介から視線を外し、海の方へ向かった。しかし壮介は警戒を解かない。

「長い年月を経て、この島は外界に対して、非常に閉鎖的な社会となりました。新しい文化を拒み、変わっていくことを絶対的な悪としました」

 変わっていくことが、絶対的な悪……。

 それを聞いた壮介は、あの「守る会」を思い出していた。

 彼らがあそこまで激しく開発計画に反対する理由の根底には、この島社会に代々伝わる精神が影響しているということなのである。

「でも……でも、もうそんな時代じゃないですよね」

 壮介はビクッと身体を震わせる。背筋に冷たいものが走ったような様子だった。

 壮介が思わず恐怖を感じる程、今の千草は言い様のない妖しさを放っているのだ。

「な、何が言いたいんだ?」

 壮介の頬を脂汗がつたい、そして壮介は震える声で千草に訊ねる。すると千草はゆっくりと笑顔で振り返った。

「この島の人間はね、新しいものは拒み続けるけれど、自分たちにとって不都合なものは、簡単に忘れていく、とても都合のいい思考回路なの。本当、身勝手よね」

 言い終わると同時に、千草の身体が壮介の方へと向いた。それを見た壮介は反射的に身構える。

「フフフ……」

 そんな壮介を見て笑っているのか、千草は口元を緩めている。

 しかし目は明らかに笑っていない。壮介が恐怖を感じているのは、その不自然な千草の表情にあった。

「判るよね? 新谷さんなら、判って……くれるよね?」

「な、何を……」

 壮介は千草に対して何かを言いたいようだったが、喉が張り付いて声帯が震えない、声が出ない。

「いずれこの島には、大きなホテルや旅館が立ち並び、外から人がたくさんやってくる。島の伝統なんてどこかへ吹き飛んでしまうでしょう」

 千草は壮介へと一歩一歩近付いていく。今の壮介はまさに蛇に睨まれた蛙。後ろへ下がろうにも、足は全く動こうとしなかった。

「そして……この島に昔からあったものなんて、簡単に忘れてしまう」

 とうとう千草は壮介の目の前、それも両者の鼻がくっつくくらいの距離。お互いの呼吸が、お互いの鼻先をくすぐる。

「でも……、それが時代の流れというものですよね? そうやって、常に時代は移ろいでいった……」

「!」

 千草は再び壮介の頬に手をあてた。しかも今度は両手で。千草の瞳は壮介の瞳を捕らえようとする。しかし壮介は目を逸らす。

「そう考えれば、いつまでも昔のことにかじりついているなんて、とても滑稽ですよね!」

 千草の口が、まるで口裂け女のように、その顔の端々まで広がった。そして壮介を洗脳するかのように、執拗に瞳を追い続けた。

「新谷さんも、そう思いますよね? そう、思うよね!」

 その瞬間、再び千草の手に力が入り、壮介の顔に千草の爪が喰い込んだ。

「うわっ!」

 壮介は思わず声をあげ、力一杯千草を振り払った。その拍子に振り払った側の壮介がバランスを崩し、砂の上に尻餅をついた。

 壮介は痛みに顔をしかめる。それは尻餅をついた時の衝撃によるものではなく、頬に爪を立てられたことによるもの。壮介は右手で頬を押さえた。出血こそしていないが、生々しいミミズ腫れが出来ている。

「あら、大変……」

 千草の言葉には、感情というものが全くこもっていない。千草は壮介の前に膝をつきしゃがみ込んだ。

「大丈夫、怖がらないで。その傷、私が治してあげる……」

 言い終わると同時に、千草は自分の顔を、壮介の顔に近付けてきた。

 そして……、


 ベロッ…………、


 舐めた……。

 壮介の頬を、舐めた……。

「!」

 壮介は驚きと恐怖のあまり、千草から離れようとする。

 しかし……、

 千草は壮介の両肩を掴んだ。しかも細身の少女とはとても思えないような力で、壮介の両肩を掴んでいる。決して華奢ではない壮介だが、全く逃れることができない。

「ほら、怖がらないで……。何なら私のことも舐めてくれて、いいのよ?」

 千草は壮介の身体に馬乗りとなり、再び壮介の頬へ顔を近付けた。

 そして千草の舌が壮介の頬を這おうとした時、

「う、うわあああっ!」

 遂に壮介の恐怖がピークに達した。壮介は大声とともに瞬間的にものすごい力を出し、千草の身体を押しのけた。今度は千草が尻餅をついて砂の上に倒れこんだ。

 そして壮介は、千草を介抱することなく、一目散に砂浜から走り去っていった。


 

 漆黒の闇。波音だけが、静かに聞こえる……。

 その中に、一人の少女が佇む。

 その少女の名は、川住千草。

 先程、壮介の身体に馬乗りになろうとして、跳ね除けられ、服には砂が沢山ついてしまった。

「…………」

 千草は無言で、砂まみれとなった自らの姿を見つめている。壮介に跳ね除けれるも、その表情に怒りや悲しみといった感情は表れていない。

 そして……、

「フフ…………」

 笑った……。

「あの時と、同じじゃない……」

 千草はポツリと呟いた。そして海の方へと振り向き、一歩一歩波打ち際へと近付いていった。

「あの時の貴方と同じ……、フフフ……」

 そして足元に波が被ろうかというところで、千草は止まった。

「でも……、最後は私のモノになった。最初はあんなに嫌がっていたのにね」

 暗闇に包まれた砂浜、千草以外には誰もいない。何の影もない。千草は一体何者に対して話し続けているのだろうか?

「フフ、フフフ…………」

 千草は肩を震わせながら笑い続けた……。

 そして、

「いるんでしょ? さっさと出てきなさいよ!」

 砂浜に、千草の絶叫が木魂した。

「ほら、いるのは判ってんのよ! 今もどっかに隠れて、私のこと見ているんでしょ? 隠れてないで男らしく出てきなさいよ!」

 千草は突然砂浜を走り出した。そして何者かを威嚇するかのように、物凄い形相で喚き散らした。

「はっ!」

 散々喚き散らした後、今度は急に静かになった。

「んもう、何怖がってんのよ」

 すると、さっきとは正反対に猫撫で声でしゃべり始めた。

「貴方、もしかして私のこと怖がってるの? フフフ、ホント怖がりなんだから……。ほら、私全然怒ってないわよ。うん、怒ってない……。ほら、早く出ておいで、そして私といいことしましょ」

 千草はブラウスのボタンに手をかけ、ブラウスを脱ぎ捨てた。そして上半身下着姿で、砂の上に座った。

「ほら……、はやくおいで」

 千草はまるで車の下へと潜り込んだ飼い猫を呼ぶような声で語りかけている。しかしどちらの方を向いて語りかけているのか、全く判らない。それは千草自身も同じであろう。

「ほら、おいで……、おいで……」

 最初は優しい猫撫で声。しかし次第にその声に棘が飛び出してくる。

「おいで、おいで……おいで! お・い・で!」

 千草の呼ぶ声に、誰も何も反応しない。ただただ波の音がするだけ。

「…………」

 遂に千草は黙り込んでしまった。

 そして……、

「この、くそったれがあぁっ!」

 およそ人間とは思えない、鬼のような絶叫が、砂浜全体に響き渡った……。


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