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第六章  惨劇の夏


 早朝の大神島。廃倉庫で女性の死体を発見。

 この衝撃的なニュースは、小さな過疎の島を一気に駆け巡った。

 倉庫の周りには野次馬でごった返していた。倉庫の前にはトラロープが規制線代わりに張られ、駐在の島泉(しまいずみ)と消防団、そして医者である喜志が現場を管理した。

 あまりに残酷な死に方をした女性。その上にはブルーシートが被せられている。顔の判別ができない位損傷が激しく、かろうじて性別が判る状態であった。

 トラロープの向こう側にいる人々の面持ちは皆沈痛。そして亡骸の発する匂いに口元を押さえるものもいた。

「警察が来たぞー!」

 野次馬の後方から、誰かの声が聞こえた。野次馬が揃って振り向くと、消防団員に先導されて、数人の捜査員と十数人の制服警官の姿があった。

「下がってください!」

 制服警官たちはトラロープの前に立ち塞がり、倉庫前に群がる野次馬を後ろへと押しやり、そして捜査員はトラロープをくぐり、倉庫の中へと入っていった。

「ご苦労様です! 大神島駐在の島泉です!」

 捜査員たちの姿を見た駐在の島泉は、背筋をピンと伸ばし敬礼をした。

「ご苦労さまです」

 隣にいた喜志も私服警官に向かい頭を下げる。

 捜査員の一人、大柄で口髭をたくわえた男が一歩前に出て警察手帳を出した。

「どうも。捜査主任の歌籐(かとう)です。早速ですが被害者の確認をしたい」

 喜志は歌籐をブルーシートの前へと促した。

 歌籐はブルーシートを捲った。

「うわぁ……」

 捲った途端、後ろにいた捜査員たちから声が漏れる。中には口元を押さえ、目を逸らす者もいた。

「これは酷いな……」

 捜査主任という責任ある立場であり、かなり場数を踏んできているであろう歌籐ですら、思わず口元を押さえた。その姿は死体の損傷の激しさをまざまざと物語っていた。

長渡(ながと)! 鑑識を入れろ!」

 歌籐は捜査員の一人に合図をし、貴志の方を向いた。

「誰がこんな惨いことを……」

 喜志の表情はこれ以上ない位沈痛なものであった。

「とにかく、これから全力を挙げて捜査します。さ、先生は外へ」

 貴志は頷いた。しかし、出ようとはせず、歌籐の方へ近付いた。

「何か?」

 喜志の行動に、歌籐は怪訝な表情を浮かべた。

 そしてボソッと呟いた。

「身体は酷く切り刻まれているが、死因はおそらく窒息じゃ。首に何かで絞められた跡がある……」

「何?」

 首に何かで絞められたような跡……。

 それはこの女性が、何らかの事故ではなく、誰かに殺されたことを意味していた。


 その後、喜志と消防団員は外へと出され、警察による現場検証が始まった。

 倉庫の中では私服の捜査員と鑑識員が、現場の写真や指紋採取等に追われている。

「主任!」

 死体の傍にいた捜査員が歌籐を呼んだ。

「ここ、見て下さい」

 捜査員が指差した箇所、それは首元であった。

「絞殺か……」

「殺害場所はここでまず間違いなさそうですね。犯人は被害者を何らかで首を絞めて殺害した後、鋭利な刃物で身体を切り刻んだ」

「そうだな。被害者の身元を確認できそうなものは?」

「今の所何も……。ただ肌の感じや着衣からみて、十代から二十代の若い女性のようです」

 歌籐は再びビニールシートを捲った。

「しかし、肝心の顔がこれでは……」

 横にいた捜査員は思わず目を逸らした。警察も人の子ということである。

 その後女性の遺体は、鑑識員と制服警官の手により、倉庫から運び出された。遺体は一先ず診療所に運ばれることとなった。

 倉庫から遺体が運び出されたと同時に、歌籐も倉庫から出てきた。

「長渡! 第一発見者は?」

 すると長渡という捜査員ではなく、駐在の島泉が歌籐の前にやってきた。

「はい! 第一発見者は現在駐在所に拘留中であります!」

「何?」

 

「…………」

 第一発見者である新谷壮介は今、駐在所の檻の中にいた。

 壮介にとって、これは非常に不本意な状況である。壮介は死体を発見し、石段を転がり落ちるように下りて、港の近くにある駐在所へと駆け込んだ。

 すると……、

「何であんな場所へと行ったんだ?」

 という島泉の質問に端を発し、

「お前はどこの誰だ?」

「犬は本当に自分で倉庫の方へ行ったのか?」

 などと、まるで壮介を尋問するかのような態度をみせ、終には、

「実は第一発見者が一番アヤシい」

 という持論を展開し、壮介を無理矢理檻へとぶち込んだのであった。

「…………」

 状況は非常に不本意なものであったが、そんな中壮介は腕を組んで考えごとをしていた。

 この夏、壮介にとって一生に一度あるかないかのような出来事が、立て続けに起こっている。

 そしてこの時壮介が思い出していたこと。それは「ともだち」のことであった。

 この夏出会った「ともだち」も、無残な姿で発見された。

 あの全身ズタズタにされた死体を目にしてから、「ともだち」が命を失ったあの事件のことを、否がおうにも思い出すことになったのだ。

「畜生……。この夏は踏んだり蹴ったりだな!」

 壮介は何かを振り払うかのように頭をガリガリと掻き毟った後、ゴロンと横になった。駐在所の檻は小さな窓一つしかなく、風通しは非常に悪かったが、鉄格子の向こう側に扇風機が用意されていたので、汗びっしょりというわけではない。

「それにしても、あの死体は……」

 壮介が倉庫の状況について思い出そうとした時、

 ガラガラガラ……

 誰かが駐在所に入ってくる気配を、壮介は感じた。

 壮介は身体を起こし、目の前にある扉を凝視していると、扉のガラスに複数の人影が映った。

「こちらです」

 島泉の声がすると扉が開いた。

「第一発見者であり、現在重要参考人として拘留しております。名を新谷壮介といいます」

 壮介の前に現れたのは、歌籐と長渡、そして喜志であった。

「し、新谷君じゃないか!」

 鉄格子の向こうで憮然とした表情を浮かべている壮介を見つけ、喜志は大声を上げて驚いた。

「喜志先生、お知り合いですか?」

 喜志が壮介のことを知っていたので、島泉は意外そうな表情であった。

「ええ、彼はよく知ってるでな。何で彼をこんな所に入れたんですか!」

「いや、だから重要参考人として……」

「彼はこの島の人間じゃないで! それにあんな惨いことをしでかすような男じゃないで! はよ出したりいな!」

 喜志は顔を紅潮させて島泉に詰め寄った。喜志のそんな反応に、島泉は戸惑った。

「まあまあ先生。島泉君、どちらにせよ私も彼の話を聞きたい。とりあえず檻から出してやれ」

「は、はい!」

 島泉はポケットから鍵を取り出し、檻の扉を開けた。



 檻から出された壮介は、駐在所の取調室で、歌籐の質問を受けることとなった。壮介は自分の住所と氏名、そして何故大神島へやってきたのか詳しく歌籐に話した。

 壮介は大神島へやってきた理由として「ともだち」についての話をしたが、信州水崎で巻き込まれた事件については、あえて触れなかった。「ともだち」について、壮介は「ネットで知り合った撮影仲間」と答えた。

 最後に歌籐は、死体発見時の状況を質問してきた。壮介は川住旅館の玄関先で犬に引っ張られた女性と会った所から、倉庫で死体を発見し、駐在所に駆け込む所までを正直に話した。

「うん、判った」

 壮介が話している間、歌籐は腕を組んで話に聞き入り、その横で長渡は壮介の話した内容をメモしていた。

「新谷君、死体発見現場に入った時、何か気付いたことはあるか?」

 歌籐の質問に、壮介は当時のことを思い出そうと目を閉じ黙り込んだ。

 しばらくして、壮介は髪の毛をワシャワシャと掻いた。

「何も出てこんか?」

 そんな壮介の姿を見た長渡はため息をつき、持っていたペンを机に置いた。

 壮介は考えていた。

 何故あのような無残な殺され方をしなければならないのか。

 もし単純な殺人なら、相手が呼吸していないことを確認できれば、それで成立する。

 相手の始末を長引かせてしまうことで、自身にも危険が及ぶ可能性がある。

 そんなリスクを背負ってまで、相手の死に拘る理由とは……。


 それは、恨み。


 被害者は加害者に何らかの恨みを買い、そして惨殺されたということ。

 しかし今の壮介には、それが何なのか全く見当がつかない。

 そして壮介が気になっていることはもう一つあった。

 死体を発見した時、気が動転してしまっていたので、よくは思い出せない。

 しかし、あの死体が身に着けていた衣服に、壮介は確かに見覚えがあった。

 それを歌籐に話そうとした、その時、

「主任!」

 一人の捜査員が駐在所に駆け込んできた。そして歌籐に近づき耳打ちをする。

「そうか!」

 耳打ちをした捜査員は歌籐に向かい一礼をすると、すぐ駐在所を出て行った。

「どうかされたんですか?」

 島泉が歌籐に尋ねた。

「うん、被害者の身元が判明した。新居志都美二十歳だ」

 新居志都美。志都美……。

「ああぁーっ!」

 壮介はやっと気付いたようだった。

 あの死体の人物に……



「志都美ーっ! 志都美っ! うわああぁーっ!」

 志都美の亡骸は、倉庫から運び出され診療所の個室に安置されていた。

 亡骸にはブルーシートそして毛布が被せられ、その惨たらしい姿を見せていなかったが、遺体から発する匂いだけはどうしようもなく、何とも言えない匂いが部屋の中を充満していた。

 そしてその亡骸の横で、志都美のカレシである洋二が泣き崩れていた。

 倉庫で発見された遺体が志都美と判明し、この診療所へやって来たのは洋二だけではなかった。千絵子、遥の加美家姉妹と千草も診療所へやってきていた。

 しかし三人は亡骸が安置されている部屋の外でパイプ椅子に並んで座っていた。三人の表情はいずれも暗い。あの惨たらしい姿を見たのだろうか。遥はずっと口元にハンカチをあてがっていた。


 倉庫で見つかった死体の身元判明のきっかけは洋二だった。

 昨晩の祭で志都美と一緒に過ごしていた洋二だったが、祭の最中に志都美とはぐれてしまったのである。ケータイに連絡してみるも通じず、神社だけでなく港の方も探したが、結局見つからなかった。滞在先のホテルにも帰っていなかったが、洋二は志都美が千絵子の元にいるのではと考え、先に就寝したのであった。

 そして翌朝、加美家へ向かおうとしていたところ、偶然千絵子と出会い、志都美が昨晩加美家へ行っていないことを知ったのである。

 そこへ舞い込んできたのが、倉庫で若い女性の死体発見の一報。それを洋二たちに教えたのはこれまた偶然出会った千草である。

 そして洋二たちは死体が安置されている診療所へとやってきて、身に着けていた衣服や、身体的特徴等から、この死体は志都美であると確認したのであった。


「志都美ーっ! うわあぁーっ! 志都美ーっ!」

 扉の向こう側から、洋二の嗚咽が止め処なく聞こえてきていた。

 千絵子たちは誰もしゃべろうとせず、ただただ自分たちの足元を見ているだけであった。

「ん?」

 遥が顔を上げた。誰かが診療所へやってくる気配を感じた。そして間もなく扉の開く音が聞こえ、何人かが診療所の中へと入ってきた。

「ご苦労様です!」

 人影がみえると扉の横に立っていた警官が敬礼をした。

 診療所へやってきたのは、歌籐、長渡、喜志、そして壮介であった。

「新谷さん!」

 壮介の姿を見つけた遥は驚きの声を上げる。その遥の声につられ、千草と千絵子も顔を上げた。

「新谷さん、どうしてここへ?」

 千草も驚きの声を上げた。壮介がここへ現れることなど予想もしていなかったであろう。

「え、いやあ、まあ何となくかな……」

 壮介は頭をポリポリと掻いた。特に呼ばれたわけではないが、あのまま駐在所に残っていると、また檻へぶち込まれるのではと感じたため、貴志の後をついてきたのであった。

「まあ君は遺体の第一発見者だ。今はまだ勝手な動きをされちゃ困るからな」

 長渡が壮介に釘を刺した。勿論、壮介をついてこさせたのにも、警察の思惑があるということ。

 それは壮介への疑いが、まだ完全に晴れていないことを意味している。

「さて……、君たちは?」

 歌籐は並んで座っている千絵子たちに視線を送った。

「被害者の連れです」

 長渡が歌籐にそう耳打ちをした。

「で、部屋の中で泣いているのは?」

「被害者の恋人です」

 それを聞いた歌籐は長渡にこちらへ連れて来るよう合図を送り、そして長渡は部屋の中へと入っていった。

 

 バンッ!

「じゃあ、俺が志都美を殺したってのかよっ!」

 診療所の待合室に怒号が響いた。

 怒号の主は洋二。洋二は頬を涙で濡らしているが、その目は涙以外の理由で血走っていた。

「まあ落ち着け。まだそうとは言ってない。ただ、お前さんが新居志都美と何時頃まで一緒にいたか確認したいんだ」

「だから、時間なんてはっきり覚えてねえって、何度も言ってんじゃねえかよ!」

 苛立ちが頂点に達した洋二は待合室のソファから立ち上がり、向かい側に座っていた歌籐と長渡に怒鳴り散らした。今にも二人の刑事に掴みかかろうかという様子だった。

「ええい、落ち着かんか!」

 傍にいた捜査員が、洋二の脇を抱え、ソファに座らせた。

「離せコラ!」

 ソファに座らされた洋二は、捜査員の腕を乱暴に振り払った。

「さっきお前さんは、新居志都美とはぐれてから、神社や船着場を探して回ったと言ったな。それを証明できそうな人はおるか?」

 興奮する洋二を前にしても、相当な場数を踏んでいる歌籐の対応は冷静であった。むしろ歌籐にとって「よくある事」くらいにしか感じていないのだろう。

「さ、さあな! 探すのに気がいってたから、途中で誰とすれ違ったとか一々覚えてねえよ!」

 洋二は吐き捨てるように言葉を放った。

「何時くらいにホテルへ戻ったんだ?」

「十時前くらいだよ。それが何だってんだ!」

 歌籐は特段変わったことを訊ねているわけではないのだが、冷静さを失っている洋二にとって、歌籐の話す言葉全て挑発的なものに聞こえてしまうようだ。

「随分早いじゃないか。恋人が行方不明だってのに」

「はあっ? お前何言ってんの?」

 長渡の言葉に、洋二は敏感に反応する。長渡の放った言葉、それは明らかに「棘」を含んでいた。

 歌籐らが洋二に対し、何らかの疑いの目を向けていることは事実である。しかしそれが単に最後に志都美と一緒にいた人物だからだけではない。

 祭が終わったのは午後九時。千絵子の証言によると、千絵子が洋二・志都美とはぐれたのが、当時の祭の進行具合から考えて大体午後八時三十分頃。それから二人の姿を見た者はいない。洋二が志都美とはぐれた時、まだ祭は行われていたので、二人がはぐれたのは九時より前ということになる。そして洋二が志都美とはぐれ、島中を探し回ってホテルに戻ってきたのが十時前。時間にして約一時間十五分。

 歌籐らは、この「七十五分」に引っかかったのだ。自分の恋人を探す時間にしてはあまりにも短く、そしてホテルに戻ったら、もう探すことなく就寝しているという「あっさりさ」を不審に感じていたのだった。

 そしてもう一つ、洋二に疑いの目を向ける要因が、志都美の亡骸にあった。

 志都美は何者かに首を絞められてから、身体を鋭利な刃物でズタズタに切り裂かれている。

 しかし志都美の身体には犯人と争ったような痕跡……例えば、衣服の乱れや、犯人に抵抗して引っ掻いた後が、まるで見られなかった。

 これは何を意味しているのか? 場数を踏んできた歌籐はすぐピンときたであろう。

 犯人は被害者の顔見知りではないか?……と。

「悪いが、もう少し付き合ってもらうぞ。お前さんが昨晩の事を細かくキレイに思い出してくれるまでな!」

 未だ興奮し続ける洋二に向けて、歌籐は低いトーンで言い放つ。その目は鈍く光り、周りの空気は一気に張り詰めた。

「チッ。何でこんなことに……」

 先程まで威勢のよかった洋二であるが、歌籐の眼光で完全に威圧されてしまい、そ弱々しくそう呟いた。



 ミーンミーンミーン……

 真夏の太陽が青い空のてっぺんまで昇った頃、

 昨日祭の行われた神社の近くにある島の公民館には数人の警官が出入りしていた。

 公民館の入り口には「大神島殺人事件捜査本部」と書かれた紙が張られている。

 公民館の二階の部屋では、診療所に引き続き歌籐らは洋二を取り調べ中。ここまで執拗に洋二を取り調べているということは、やはり洋二に疑いの目を強めているということのようである。

 そして公民館一階の大部屋。ここには壮介と加美姉妹がいた。

「…………」

 三人とも表情は硬く、いずれも無言。何を喋っていいのか判らないという様子だ。公民館を出入りする警官も、そんな三人の心境に配慮しているのかは判らないが、無駄に話しかけてくる者はおらず、傍に麦茶のペットボトルを置いていくのみであった。

 壮介は大部屋の時計を見た。時計は五時十三分を指している。壮介たちがここへやって来た時から、この時計は一分たりとも進んでいない。そして壮介は腕時計に目をやった。壮介の時計はもうすぐ十二時になろうとしていた。

 正午を過ぎると、三人にオニギリが差し入れられた。しかし三人とも手をつけようとしなかった。

 壮介は加美姉妹の方へ目をやった。二人とも俯いており、その表情は決して明るいものではなかった。

「ん、なんだあいつら?」

 一人の警官が、窓の外を見て言った。その言葉につられ、壮介は窓の外が見える所へ移動した。

 その窓からは、昨日祭が行われた神社の境内が一望できるのだが、その境内に十数人の人影があった。

 そしてその集団は公民館の方へ向かってきていた。

「なんだお前らは!」

 公民館へと突き進んでくる集団に、入り口を守っている警官が警戒を強める。

 そしてその集団の中心にいる男性が、一歩前に出てきた。

「ここの責任者と話がしたい」

 その男性はこの暑い中、黒スーツにオールバックと、過疎の島には似つかわしくない格好をしている。本人は至って普通に話しているつもりかもしれないが、その姿は明らかに威圧感が漂っていた。

「誰だ、あいつ?」

 すると壮介の横へ千絵子がやってきた。

「あれは大神島ホテルのマネージャー、菅林よ」

「すがばやし……」

 壮介にとって、菅林の名前を聞くのは、これが初めてではなかった。

「ああ、開発計画賛成派の」

 その壮介の言葉を聞いた千絵子は目を丸くした。

「アンタ、なんでそんなこと知ってるわけ?」

「え、いやあ、昨日喜志先生に聞いたんだよ」

 すると千絵子は眉間に皺を寄せた。

「ったく、余所モンに余計な事教えやがって……」

 壮介たちは公民館入り口で警官と立ち話をする菅林を注視する。話は途切れ途切れでしか聞こえてこないが、取り合えず菅林たちの要求は、ここの責任者である歌籐に会わせろということのようである。しかし警官はそれを拒んでいるようであり、半ば押し問答のようになっていた

「ん、あれは?」

 菅林の後ろの集団に、壮介は見知った男を見つけた。

「なあ、あの右端の人って、確か……」

「うん、瀬川だよ」

 菅林が束ねている集団の中に、あの瀬川の姿があったのだ。

「あの人は開発計画賛成派の副リーダー的存在よ」

「ふーん、あの人が……」

 壮介は頭をポリポリと掻いた。

 ここで壮介はあることを思い出した。それは千絵子たちを出迎えに船着場へ行った時のこと。あの時、壮介は港にいる人間殆どの視線が、自分たちに集中しているような感覚に襲われた。この時は何故なのか全く検討がつかなかったが、瀬川の立場を知った時、それについて合点がいく。

 それは大神島開発計画。あの時、壮介と一緒にいたのは加美姉妹に千草、そして洋二に志都美である。千草の父親は開発計画反対派である「守る会」のリーダーであり、そして加美姉妹の父親大助は、先代の「守る会」リーダーである。そんな集団の中に、開発計画賛成派のナンバー2がいるのだから、視線を集めても不思議ではない。それにあの時、港にいる殆どの人間が、祭の法被を着た「守る会」のメンバー。好意的な目で見る者はおそらく皆無であろう。

「新谷さん!」

 遥が壮介の名を呼んだ。振り向くと大部屋に長渡が姿を見せていた。

「あっ刑事さん、あれ、あれ」

 壮介は長渡を呼び、窓の外を指差した。長渡は壮介の元へとやってきて、窓の外を見た。

「ん、何だあいつらは?」

「大神島開発計画賛成派の方々らしいですよ」

 長渡は眉間に皺を寄せて、窓から離れ、大部屋から出て行った。そして程なく、窓の向こう側に姿が現れ、賛成派に応対している警官の方へ向かった。

「あ、ご苦労様です!」

 長渡の姿を見た警官は敬礼をした。

「アンタがここの責任者か?」

 菅林が長渡の前に立ち、訊ねてきた。

「私は捜査本部の長渡だ。主任は今取調べ中で立て込んでいる。用があるなら私が聞こう」

 すると菅林はスーツの胸ポケットから封筒を取り出した。

「これを責任者へ渡してほしい」

 封筒は長渡の方へ差し出されたが、長渡はすぐには受け取らなかった。

「これは何だ?」

「嘆願書ですよ」

 菅林の言葉に、長渡は眉をひそめる。

「警察の方に宣言しておいてほしいんですよ。今回の事件は、開発計画と一切関係ございませんと」

 菅林をはじめとする賛成派の主張はこうである。

 今回の事件、その猟奇性から考えて、マスコミが喰いついてくること確実。そんな中、賛成派が一番恐れることはマスコミにあることないこと書き立てられ、風評被害を喰らうことであり、それをできる限り阻止したいのである。そのため賛成派は、集団で捜査本部へやってきたのである。

「それは充分判っている。ありもしない話をされるのは捜査本部としても不本意だからな」

 長渡はそう答え、差し出された封筒を受け取った。

「そちらの意見は主任に伝えておく。さ、もうよろしいでしょう」

 すると菅林はニヤッと笑い、一歩下がった。

「頼みますよ。何せこの島の命運がかかっているんですからね」

 菅林は振り返り、後ろにいた賛成派の集団に合図を送った。すると集団も振り返り、公民館から離れていった。

 そしてこのまま神社の境内を後にすると思われたその時、

「あっ!」

 集団の一人が声を上げた。賛成派の視線は神社から港の方まで続く石段に向けられていた。

 その石段をこれまた十数人の集団が上がってきていた。その集団はそろいの法被を着て、旗を掲げる者もいた。

 そしてその旗には「大神島民生活を守る会」と銘打たれていた。



「なんやお前らっ!」

「何でお前らがここにおるんやっ!」

 大神島開発計画賛成派と反対派、二つの派閥が顔を合わせた瞬間、神社の境内が一気に殺伐とした雰囲気となった。両派とも、今にも飛び掛ろうかという感じである。

「菅林、お前こんな所で何しとるんや?」

 反対派集団の中心には、千草の父である清太がいた。清太は憎しみのこもった視線を菅林へと突き刺した。

「私たちは警察の方々にお話があってここへ来たのですよ。アンタこそここへ何しに来たんですか?」

 菅林の言葉もまた、鋭い棘を含み、清太へと向けられた。

「俺たちは神社を守らなあかん責任があるんじゃ! お前らには神社に一歩も踏み入れるなと何度も言っているやろが!」

 清太の発言の後、後ろに控える反対派の集団から「そうだそうだ!」と合いの手が入る。それに対し、菅林の後ろに控える賛成派の集団からは、「うるせえ!」等と罵声が発せられた。

「ふん、アンタらは相変わらずですね」

 菅林は清太らを鼻で笑うように吐き捨てた。

「お前ら、今度は何を企んでるんや?」

「企んでいるとは失敬な! 私たちは今回の事件が計画に影響を与えないよう、警察のみなさんにお願いにあがっただけですよ」

 すると清太はニヤッと笑う。

「ん、何がおかしいんや?」

 その笑顔に、菅林は露骨に不快感を示した。

「へん、計画なんぞ潰れてまえばいいんや! 島の伝統を守れんような奴に、未来なんかあるか!」

 この清太の発言に賛成派からは再び怒号が飛び出した。それに対して反対派もすさまじい怒号で返す。まさに一触即発だ。

「お前ら、何をやってるか!」

 あまりの騒ぎに、ついに見かねた警官数人が両派の間へと入った。

 両派とも興奮おさまらぬという感じではあるが、警官が介入したことにより、乱闘に発展することはなくなった。

 菅林は振り返り、後ろに控えていた瀬川と二言三言交わした。

「みんな落ち着け!」

 瀬川が怒り狂う集団を宥めてまわった。菅林はここで「守る会」と争うのは、賛成派にとってメリットがないことを悟ったようである。

「みなさん、行きますよ。こんなのを相手にしてはいけません」

 そして菅林は、前に立ち塞がる「守る会」の集団を避け、石段の方へ移動した。賛成派の集団もそれに続いた。

「このボケが! お前も狼様に呪い殺されてしまえ!」

 清太が最後に毒づいたが、菅林は振り返ることなく、石段を下りていった。

 菅林たちが去った後、神社の境内には何とも言えない気まずさだけが残った・・・・・・。


 大神島開発計画を巡る賛成派と反対派の争い。その一部始終を壮介はじっと見つめていた。これが島を二分する争いである。

 壮介はふと横を向いた。そこには壮介と同じく窓の外を見つける加美姉妹の姿があった。

 しかし姉妹の表情はそれぞれ違っていた。神妙な表情で見つめる遥に対し、千絵子はまるで汚いものでも見るかのような蔑みの視線であった。

 そんな二人の表情を見比べ、壮介は頭をガリガリと掻いた。



「ったく、どいつもこいつも!」

 窓の外を見つめ、千絵子が苛立ちに任せて吐き捨てた。隣では遥が膝を抱えて座っている。

 神社の境内には「守る会」の法被を着た面々が次々と現れ、境内周辺をうろついていた。何をしようとしているのかは壮介たちには判らない……。

 壮介も千絵子と同じく、窓の外を眺めているが、心は全く別の所にあった。

 壮介は清太が去り際に言ったことを思い出していた。


「お前も狼様に呪い殺されてしまえ!」


 清太は「お前も」と言った。ということは、もう一人「呪い殺された」人物がいるということ。

 もしそれが今回殺された志都美のことを指しているのならば……、

「ああ、くそ……」

 苛立った壮介は、頭をガリガリと掻き毟る。

 そんな時、後方から壮介の名を呼ぶ人物がいた。

 振り向くと声の主は喜志であった。

 そして喜志の隣には長渡も一緒におり、壮介たちに向かって手招きをした。壮介は加美姉妹を促して立ち上がり、喜志たちの元へと移動した。

「新谷君はもう終わってもいいぞ。長い時間ご苦労だった」

 長渡は壮介の肩をポンと叩いた。

「先生もお疲れ様でした。ご協力感謝します」

「いえいえ、こんな爺でも役に立つなら、いつでも協力しますで」

 二人は互いに深々と頭を下げた。 

「じゃあ行こうか」

 喜志は壮介を出口の方へと促した。

「あの、遥さんたちは?」

「加美家の方々には、まだ聞きたいことがあるんだ。申し訳ないがもう少し協力してくれ」

 すると長渡の言葉に、千絵子の苛立ちが爆発した。

「何でだよ! うちら洋二の付き添いで来ただけで、そんな関係ないじゃんか!」

「落ち着いて! 二、三聞きたいことが増えたんだ。すまないが協力してくれ」

 長渡は千絵子をなだめるような口調で答えた。

 千絵子は納得できないような様子であったが、遥は長渡に向かって頭を下げた。

「判りました。ほら、お姉ちゃん」

「ありがとう。ではこっちへ来てくれ」

 二人は長渡へ促され、公民館の二階へと上がっていった。

 その姿を見送った壮介は、玄関の方へと移動した。


「あれは……」

 公民館の玄関で、壮介はある人物の後姿を確認した。

 それは洋二だった。

「あれだけ細かく尋問されてたっぽいのに、もう疑いが晴れたのか?」

 洋二の後姿を見つめながら、壮介はボソッと呟く。

「彼が犯人じゃないのは、判ってたことじゃて」

 壮介の小さな呟きに、傍にいた喜志が返してきた。

「それはどういうことです?」

 壮介の問いかけに、喜志は黙ったままであった。そして無言のまま靴を履き、玄関を出た。

「喜志先生!」

 壮介は慌てて靴を履き、貴志の後を追った。

「喜志先生、僕は一つ気になっていることがあります」

「なんじゃて?」

 壮介が気になっていること、それは壮介が駐在所の檻に入れられている時……。

「先生が、檻に入れられている僕を見た時、駐在さんに向かってこう言いましたね。「彼は島の人間じゃない」と」

 すると喜志の眉がピクッと動いた。

「はて、そんなこと言ったろうか?」

 壮介は、何故この島の人間でないという事実が、今回の殺人事件の容疑者ではない証明になり得るのか、ずっと気になっていたのである。

「何か関係あるのですか? 今回の殺人事件と、この大神島が」

「…………」

 壮介の問いかけに、喜志はしばらく無言であったがが、ついにその重い口を開いた。

「あの殺人、島の人間でないとできない、思いつかない……」

 壮介は貴志の言っていることの意味が理解できなかった。

「あの傷、君も見ただろ……」

 志都美の身体は鋭利な刃物で全身をズタズタに切り裂かれていた。

「あの、まるで獣に引っ掻かれたような傷じゃて」

「引っ掻かれたような傷……」

 壮介はあの時のことを思い出してみた。確かにそれはまるで引っ掻かれたような傷であった。

 そしてここで壮介はピンときた。

「ま、まさか……あれは」

「そうじゃ、あの傷は狼の爪でつけられたものに間違いないじゃろうて」

 狼の爪……、それは大神祭で使われている神具。しかし祭で使われているのはプラスチック製のレプリカで、本物は三年前に紛失したと、壮介は千草から聞かされていた。

「しかし、祭で使われているものに殺傷能力はないはずです。 まさか、本物がこの島のどこかにあるというんですか?」

 すると喜志は大きなため息をついた。

 喜志は一体何を知っているのだろうか?

 喜志は一体、壮介に何を伝えようとしているのだろうか?

「本物の……、鉄製の狼の爪は三年前にどこかへ消えてしまった。それは知っているんじゃな?」

 喜志の問いかけに、壮介は深く頷いた。

「実はな、その狼の爪と同じ日に、忽然と姿を消した者がいたんじゃて」

 壮介の頬に汗がツゥーッと流れ落ちる。

「加美大助じゃ。あいつは狼の爪を持って、どこかへ消えてしもうたんじゃて」

 加美大助……、遥と千絵子の父親である。

「じゃ、じゃあ、二人は?」

「間違いないじゃろう……。警察は大助を重要参考人として身柄を押さえにかかるじゃろうて。それで大助の情報を姉妹から聞き出したいんじゃろ。尤も、二人が大助の居所を知っているとは思えんがの」

 三年前、狼の爪を持って失踪した大助が、島に帰ってきている?

 そして志都美を惨殺した?

 警察はそんな疑いを持っているのか?

 しかし、ならば何故大助は志都美をあんな無残な姿にしなければならないのか。

 壮介には殺人の動機が全く思いつかない。

 そしてまた頭をガリガリ掻いていると、喜志が壮介の肩を掴んだ。

「新谷君!」

 喜志の目は真剣そのものである。

「悪いことは言わん。早くこの島から出られよ! この島には、とんでもなく恐ろしい「狼」がおる!」

 突然の喜志の必死の訴えに、壮介は身体を硬くする。

 壮介は何も言葉を返すことができなかった。

 

 ミーンミーンミーン……


 セミの鳴き声だけがやかましく響いていた……。


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