第五章 まつり
一
そして夜。
太陽が西の海へ沈む頃、島中に張り巡らされた提灯に灯がともる。
「大神祭」という文字が、赤い提灯の灯りに浮き上がった。
この日は海風が強く、提灯と同じく島中に掲げられた幟もハタハタと揺れている。
提灯に灯がともる頃、島の人々が思い思いの格好で外へ出て、神社の方へ向かっていた。壮介もその中の一人であり、「ともだち」のカメラを抱え、この日二度目となる、神社への石段を上がっていった。
壮介はそれまで、港や石段といった風景ばかりおさめていたが、この頃になると浴衣を着た人々も目に付くようになる。提灯の下を歩く浴衣姿の人というのも、なかなか絵になるものであり、カメラを持つ壮介の手を忙しくさせていた。
石段の途中で撮影を続けていると、知った顔が石段を上がってくるのが見えた。加美千絵子である。
「やあ」
千絵子と目が合うと、壮介は手を振って見せた。後ろには千絵子の連れである志都美と洋二の姿もあった。
「アンタこんな所で何してんの?」
千絵子から見れば、不自然な場所でカメラを携えている男に声をかけられたということで、あまりいい気分ではないのだろう。その表情はしかめっつらである。
「いやあ、これが島に来た目的なんでね」
千絵子は特に興味なしという感じで、足を止めずに壮介の前を通過していく。
「ま、せいぜい頑張ってね」
去り際、背中越しにそんな言葉を壮介に残していった。
そして後に続いていた志都美と洋二は、壮介に視線を送ることなく、石段を上がっていった。
三人の姿が見えなくなった頃、壮介も石段を上がり始めた。昼間石段ですれ違う人はまばらで、その殆んどは祭の法被を着た人たちであったが、今石段には数多くの人が神社方向へと向かい、浴衣を着ている人も多かった。
中には恋人連れと思われる二人組も見ることができた。その姿を見て壮介はふと自分の恋人のことを思い出していた。
「そういや、大神島に来て瑞希に連絡してないな……。祭が一段落したら電話してみようかな」
そんなことを呟き、石段を上がっていった。
二
石段の頂上に到着すると、神社にはもうたくさんの人が集まっていた。神社には目立った外灯というものがなく、暗い所はとことん暗い。しかし神社の周辺には松明が焚かれ、普段は漆黒に包まれた神社の夜を神々しく照らしていた。
壮介は携えていたカメラのレンズカバーを外し、早速撮影を開始。夜ということと、松明という不安定な灯りということもあり、光加減が難しいようで、何度もカメラの画面を見直し、撮り直しを繰り返していた。
「新谷さん!」
撮影していると、誰かが壮介の肩を叩いた。壮介が振り向くとそこには浴衣姿の千草がいた。長い黒髪をあげ、いつもとは少し違う雰囲気であった。
「やあ」
一瞬誰か判別できなかった壮介だったが、この島で壮介の顔と名前を知っている、眼鏡をかけた少女なんて千草くらい。すぐに千草の名前が出てきた。
「撮影は順調ですか?」
千草は手に持っていた団扇で壮介の顔に向けて風を送ってあげていた。壮介の顔は汗の雫がいくつも浮かんでいる。夜になっても、気温はそんなに下がっていない。それに加えて神社周辺は松明を焚いているので、下手をすると昼間より暑いかもしれない。
「まあね。露出の調整が大変だけれど」
壮介は一旦手を止め、首に巻いているタオルで汗を拭った。
「もうすぐ神事が始まりますよ。行ってみますか?」
「それは是非。あの人だかりができている所かな?」
壮介は松明が一番集まっている場所を指差した。そこは神社の建物前で、周りには露天と思われる数件の屋台があり、その屋台が挟み込むように、人が一箇所に集まっていた。
「こっちです!」
千草は壮介の手を取り、屋台の裏手方面へと歩いていった。
「ここからだったら、よく見えますよ」
壮介が連れてこられたのは、屋台の裏手にある「守る会」のテント。ここから祭の進行を見守るため、前を遮るものは何もなかった。
「いや、はは……」
テントの中には清太をはじめ法被を着た人が数多くいた。法被を着ていないのは壮介と千草のみ。何となく場違いな雰囲気を感じた壮介は、思わず苦笑いを浮かべた。
そして周囲の雰囲気を気にしつつも、神事の風景をカメラにおさめるべく、「ともだち」のカメラを胸の前に構えた。
祭の神事は、かつてはもっと大掛かりだったらしい。しかし祭を取り仕切っていた神社の神主が亡くなってしまい、それ以来簡素化されたものを続けている。
松明の灯りで赤々と照らし出された舞台には、巫女の姿をした少女が両手で何かを抱えて、一人立っていた。
「あれは、何を持ってるんだ?」
壮介は横で神事を眺めている千草に訊ねてみた。
「あれはこの祭の神具、狼の爪よ」
「爪……」
壮介はファインダーを覗き、巫女の手元をズームアップしてみた。それはまるでかぎ爪のようなものであった。
「?」
ここで壮介はあることに気付いた。
「こう言っちゃ何だけど、神具の割に随分安っぽい素材だね」
爪の大きさは大体五十センチくらいだろうか。そんな大きさの爪を、巫女の少女が「何の苦もなく」持っている。もしこれが何かの金属ならば、それは重いことであろう。しかし、少女は軽々持っていた。そして見た感じ、光の反射具合から見ても、それが金属でできていないことは明白であった。
それを聞いた千草は、ニヤッと笑う。
「よく判りましたね。そうですよ、あれはプラスチックでできています」
「それはまた、どうして?」
壮介にとって、それは素朴な疑問だった。規模はどうであれ、島の人々はそれなりに力を入れている祭である。それなのに、何故肝心の神具が、プラスチックなのか? 壮介は釈然としないという表情であった。
「あれは、レプリカなんですよ」
「レプリカ?」
千草の言葉に、壮介は目を丸くする。レプリカということは、「本物」が別にあるということ。
「レプリカって、何で本物を使わないんだ? だって祭の本番じゃないか」
壮介の問いかけに、千草はすぐに反応せず、一呼吸置いて口を開いた。
「紛失したんです。三年前に……」
「紛失?」
呆気ない千草の答えに、壮介はやや拍子抜けだったが、その間にも神事は進んでいく。壮介はすぐに気を取り直し、ファインダーを覗いた。
この時、壮介は気づいていなった。
横にいる千草の表情が、まるで苦虫を噛み潰したようになっていることを……。
三
神事はそう時間のかかるものではなく、二十分程で終了した。その後舞台の前に集まっていた人だかりは徐々に崩れていき、帰る者、屋台の前に集まる者と様々であり、各々祭を楽しんでいた。
撮影を終えた壮介は、「守る会」のテントでビールを振舞われていた。最初は法被集団に奇異の目で見られていたが、千草が壮介の人となりを説明したようで、いつの間にか輪の中に入っていた。普段あまり酒を飲まない壮介だったが、千草が目で「飲んでおけ」と合図と送ったので、大人しく従っていた。
そして時間が経ち、松明の勢いが衰えきた頃、壮介は失礼することとなった。缶ビールを三本空けた壮介の顔は真っ赤になっていた。
「気をつけてね!」
祭の片付けをしなければならない千草はまだ残るため、一緒に戻らず壮介を見送った。
壮介は足元に気をつけながら石段を下りていく。周りには壮介と同じく、家路に向かう人々の姿があった。この風景も撮影対象に成り得るのかもしれないが、少々酒のまわった壮介の頭はそこまで回転しなかったようである。
今の壮介は、石段を安全に下りていくことで、頭が一杯の様子だった。
石段をしばらく下りていると、石段を駆け上がってくる人影があった。それに気付いた壮介は目を凝らしてみると、それは千絵子であると認識した。
壮介は千絵子に声をかけようと手を挙げたが、先に一声を発したのは意外にも千絵子の方であった。
「ねえ、志都美たち知らない?」
酔いのまわっている壮介は、志都美という名前と顔を一致させるのに時間を要する。そしてようやく顔と名前が一致し、今までのことを思い出してみる。
「さあ……、神社へ行く前に会って以来、姿は見ていないなあ」
もしかしたら祭の見物人の中にいたかもしれない。しかし撮影に夢中となっていた壮介に気付けという方が無理な話である。壮介は祭から今までの記憶を丁寧に思い返してみたが、結局志都美たちの姿を見つけることはできなかった。
それを千絵子に伝えると、眉間に皺を寄せた。
「もうホテルに戻ってるんじゃないですか?」
「いや、ホテルにもいないんだよ。祭見物してたらいつの間にかいなくなっちゃってさ。ったく二人揃ってどこほっつき歩いてんだよ!」
千絵子はブツブツと文句を言いながら石段を上がっていった。
その後姿を見送った後、壮介は再び石段を下り始めた。
そしてしばらく下りていると、再び知った姿を見つけた。
「あ、こんばんは」
それは遥であった。遥は石段の途中で誰かを待っているかのように佇んでいた。
「どうしたんですか? こんな所で?」
「はい、姉の姿が見えないので、どうかしたのかと思って……」
壮介は遥に、先程千絵子を見かけたことを伝えた。
「では神社の方へ向かったのですね」
「ええ、お姉さんの連れを探しているみたいでしたね」
取り合えず、姉の所在がはっきりしたので、遥はホッとした様子だった。
「新谷さんはどちらへ?」
「いや、もう旅館へ戻るところです」
すると遥は不思議そうな表情を浮かべた。
「新谷さん、この先を下っても川住旅館はないですよ」
「ええ!」
壮介は慌てて石段を見上げた。どうやら石段を下りすぎて、川住旅館を過ぎてしまったようである。よくよく周りを見てみれば、遥が立っているのは加美家の前。加美家は港と川住旅館の間に位置しているのだから、この先を下っても川住旅館には行き着くことはない。
「ああ……。しまったなあ」
壮介は頭をガリガリ掻き毟った。その姿を見た遥は思わず口元を緩める。
「うちで少し休んでいかれますか?」
「え、いやあ、ダッシュで戻るよ。ありがとう!」
そう応えると壮介は、石段を駆け上がっていった。
遥はその後姿に向かい、ささやかに手を振った。
石段を駆け上がる最中、壮介はふと思った。
「そう言えば、遥さんも祭で見かけなかったな……」
四
川住旅館に到着した壮介は、激しい頭痛に襲われていた。急に走ったため、酒が急激にまわってきたためである。
壮介は部屋に直行し、そのまま布団の上に倒れこんだ。
そして風呂にも入らず、壮介は酒に潰されて就寝となった……。
翌朝。
東の空が白み始めた頃、壮介は目を覚ました。
壮介は起き上がると、頭を数回振った。どうやら二日酔いにはなっていないようである。
「臭っ」
しかし壮介は自分の身体が放つ臭いに顔をしかめた。
昨日あんなに汗をかいたのにもかかわらず、風呂に入っていない。汗臭くなるのは当然と言えば当然。壮介はカバンから着替えとタオルを取り出し、一階の風呂場へと向かった。
一階のフロアはまだ暗かったが、厨房には電気がついており、喜美恵たちは朝食の支度をしている様子であった。壮介は特に挨拶もせず、浴室へと入った。
そして風呂から上がると、二階への階段前で喜美恵と出会った。お互い朝の挨拶を済ませる。
「新谷さん、出発されるのですね?」
「そうですね。朝食が終わったら……。どうもお世話になりました」
壮介は深々と頭を下げた。
「いえいえ、こちらこそ。またいらして下さいな」
そんなやり取りをして、壮介は二階の部屋へと戻った。そして布団と荷物を片付け、帰る準備を始めた。
着替え等を詰め込んだ後、最後にカメラを手に持った。
壮介はしばらくカメラを眺め続けた。「ともだち」のことを思い出しているのだろうか……。
「お前の心残り、叶えてやったぞ。この借りは、後でたっぷり返してもらうぞ」
最後にそう呟き、カメラをカバンに仕舞った。
ワンワンワン!
朝食を摂るため部屋を出ようとしていた壮介は、突然聞こえてきた犬の鳴き声に足を止めた。
窓へと近付き障子を開けると、近くで犬が吠えているようだった。
その時は大して気にもとめず、障子を閉めて部屋を出た。
一階へ下り、食堂へ向かう時、一人の女性が旅館の玄関先にいた。
ワンワンワン!
犬の鳴き声の正体はそこにあった。女性は一本のリードを握っており、その先には中型の柴犬が繋がれていた。
「どうされたのですか?」
喜美恵もやってきて、女性に声をかける。
「ああ、すみません。この子いつもと違う方へ走っていっちゃって。あっ!」
女性が喜美恵さんとの会話に気を取られていたその時、一瞬リードを握る手が緩んだのだろう。柴犬は突然走り出し、握られていたリードが手の中をすり抜けていった。
「コラ待てーっ! キャッ!」
女性も後を追うが、慌てていたため、段差で躓いてしまった。
「大丈夫ですか?」
喜美恵は玄関を下り、女性の介抱へ向かった。そして壮介も靴を履き玄関を下りた。
「俺犬を追いかけますね!」
そう言うと壮介は玄関を駆けていった。
石段前に出て辺りを見回すと、石段の下り方面に犬の姿を確認した。そして壮介は石段を駆け足で下り始めた。
犬はどんどん石段を下っていき、やがて港の見える所で一旦止まった。
「よし、そこで待ってろ!」
壮介はそう叫び、一気に駆け下りた。そして犬の元に到着した。
「よしよし」
壮介は犬の頭を撫でようと手を差し伸べた。
しかし犬はそれをすり抜けるように再び走り始めた。
今度は石段の途中から路地へと入っていき、そしてある倉庫のような建物の前で止まった。
そして犬は身体を地面スレスレまで伏せ、グルルルと低く唸っていた。
「…………」
壮介は犬へと近付いた。犬は壮介の方を向くことはなく、ただ倉庫の方を向き唸っていた。
倉庫はかなり古いもので、屋根は半分崩れかかっている。そして木製の扉は半分開いた状態になっていた。
壮介は不思議な感覚に襲われていた。その表情は一気に険しくなった。
何かとても「イヤな予感」がしているようであった。
壮介が感じている「イヤな予感」。壮介がこれを感じるのは初めてではない。
この夏「四度目」である……。
別にそうする必要はない。しかし壮介は恐る恐る倉庫へと近付いた。
ワンワンワン!
壮介が扉に手をかけると、堰を切ったように犬が再び吠え始めた。
壮介は思い切って扉を開けた。
「うっ!」
開けた瞬間、言い様のない臭気が壮介を襲った。
「何だ、このにお・・・・・・」
鼻をシャツの袖で隠しながら、壮介は中へ足を踏み入れた。
そして、倉庫の中央に「何か」があった。
「…………!」
壮介は反応できなかった。それが何か認識できなかった。
しかしそれを目に焼き付ける時間が経過していくにつれて、それが何かであることを徐々に認識していく。
そして壮介は遂にに認識した……。
「う、うわぁーっ!」
壮介は絶叫し、その場に尻餅をついた。
壮介が犬に導かれ、そして目にしたもの、
それは全身をズタズタに切り裂かれ、内臓が飛び出した女性の死体であった。
「ま、まじかよ……」
壮介は震える手で、頭をガリガリと掻き毟る。
壮介の新たな「惨劇の夏」が、ここに始まった。