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第二章  大神島


 それから数日後、壮介は再び列車に揺られていた。名古屋へ行く時は、始点から終点までただ乗っているだけだったが、今回は途中で何度も乗換えをしなければならない。急行列車が普通列車になり、複線だったのが単線になり、車掌がいたのが、ワンマンカーになり、ついにはパンタグラフがなくなり……、乗換えをする度に列車の様子はどんどん変わっていった。

 そしてそれとともに車窓からの風景も移り変わっていく。街から始まり、田んぼや茶畑の広がる山間部、そして目的地が近付いてくると、ソフトクリームのような入道雲の下、真っ青な伊勢湾がのぞき始めた。

 その後列車は入り組んだ伊勢湾の海岸線を走り、一度内陸部へと入っていく。幾つかの駅を通過すると、再び海が眼下に広がった。

 しかしその風景は先程の真っ青で爽やかな伊勢湾とは少し違うものであった。そこは入り組んだ入り江の中ということもあり、「真っ青」というよりどことなく緑がかった海。また海には養殖や釣りのための筏が至る所に設置されていたりと、それはどこか塩っぽくなり、お世辞にも爽やかな風景とは言えないものであった。

 そして列車は長いトンネルに入る。トンネルを抜けると、再び海は見えなくなった。


「間もなく、宇方(うがた)、宇方です……」

 車内アナウンスが流れると、座席で眠っていたかのように首を垂れていた壮介は、顔を上げて立ち上がり、そして列車のブレーキがかかり始めた頃、扉の前へと移動した。

 扉が開くと、外の熱気が壮介の顔面にムアッと襲いかかってくる。それまで少々古いとはいえ、列車の快適な空調の中で過ごしていた壮介、その額には汗の雫が次々と浮かび始めた。

 やや傾きはじめた太陽に、猛烈な熱気、遠くから聞こえる蝉の大合唱……、まさに夏真っ盛りというカンジである。

 壮介はカバンから取り出したハンドタオルで汗を拭きながら改札へと移動。最近整備された感のある駅舎を抜けるとロータリーがあり、そこには路線バスとタクシー数台が停車していた。

「ええと、どのバスだっけ?」

 壮介は一枚の紙を広げ、独り言を言いながら頭を掻く。ここは壮介にとって初めての場所。右も左も判らない。

 どこかに案内板はないかと、壮介はロータリー周辺をウロウロしていると、一人の男性が近付いてきた。

「どちらに行かれますの?」

 その男性はバスの運転手のようで、○○交通と刺繍された帽子を被っていた。

「あ、すみません。あの、大神島の船着場へ行くバスってどこから出てるんですかね?」

 すると男性は振り返りロータリーを指差す。

「それなら三番乗り場、あそこに停まっている緑色のバスだよ。もうすぐ発車だから急いで!」

 そういうと男性は壮介の背中を押して急かす。焦った壮介は男性への挨拶も早々に、ロータリーを走って横切っていった。


 そしてバスに揺られること三十分。

 駅前の広い道から、バス一台通るのがやっとの細い道を抜けて、ようやく船着場へと到着。この頃になると太陽はもう西の海へ傾き始めている。壮介が自宅を出発してからもう六時間以上経過していた。

 船着場の停留所では壮介と一緒に三人の乗客が降車。この停留所が終着ではないので、降車が済むとバスは黒い煙を上げて走り去っていった。船着場にはプレハブ小屋と、乗船するための橋が設備されていた。

「あれが大神島か」

 橋まで移動した壮介は、その海の向こうに浮かぶ、一つの島を眺めていた。ここから一キロも離れていないであろう、手を伸ばせば届きそうな距離に、目的地である島が浮かんでいる。目を凝らしてみると島の対岸にいる人々の姿を確認することができる。

 ほどなくして、対岸から一隻の船がこちらへと近付いてきた。

「よし、あれだな」

 渡し船が近付いてきたのを確認した壮介は、一歩前へ出る。

「違いますよ」

 後方からの不意な声に、壮介は思わず振り返る。するとそこには先程一緒にバスを降りた女子高生が立っていた。腰のあたりまで伸びた黒髪に眼鏡……、見たカンジ真面目そうな娘だった。

「あれはホテルの送迎船です」

 女子高生は無表情かつ抑揚のない言葉で壮介に説明する。その言葉に壮介は軽く会釈をし、そして女子高生へと近付いていった。

「渡船はいつ来るんですかね?」

「一応は十分間隔ということになっています。でも大概は対岸に人が来たら船を出すという形になっています。たぶん、そろそろ向こうを出港しますよ」

 女子高生は壮介の問いに淡々と説明。ただツッケンドンな感じはせず、どことなく知性を感じさせる受け答えである。

「そっか、ありがとう」

 壮介は笑顔で礼を言い、女子高生の隣りに並び、渡船がくるのを待った。

 そしてホテルの送迎船が到着した時、島から一隻の船がこちらに向かって出港した。


 

「代金はここ。百五十円ね」

 船に揺られている時間はほんの五分。大神島の船着場に到着すると、曾孫がいそうなくらいの老船頭が壮介に指示を出す。一緒に乗った黒髪の女子高生は定期のようなものを老船頭に見せ、早々に立ち去っていった。

「ニイチャン、今日どこに泊まるんね?」

 渡し賃を箱に入れ、船を降りようとした壮介に、老船頭は訊ねてきた。

 その問いに、壮介はポケットから一枚の紙を取り出した。

「えっと、川住(かわすみ)旅館です……」

「川住か……。旅館つっても、民宿に毛の生えたような所じゃがの。あのオレンジの看板の横の道を、ず〜っと上がっていったら看板が出てるわ」

 この老船頭、言葉は汚いが親切にも宿までの道順を丁寧に教えた。壮介は振り向き、老船頭に礼を言い、その場を後にした。壮介が港から出た頃、船は再び本土へ向けて出向していった。


『ようこそ 大神島へ!』


 港を出た所にある休憩所らしき建物の横に、古びた島の案内板が掲げられている。島はそれほど広い面積ではなく、一周するのに一時間もかからない。二軒の観光ホテルと一軒の民宿が主な観光施設で、後は民家が殆んど。そして島の中央には神社があった。

「ここで祭があるわけだな」

 壮介はそう呟きながら、この案内板をケータイのカメラで撮影した。これは地図の代わりということである。

 そして壮介は案内板の前を離れ、船頭の言っていたオレンジの看板の方へと歩いていった。


「ん、あれは?」

 港を出て、壮介は観光ホテルや商店、食堂などが立ち並ぶ十字路へと差し掛かった。その時、道路を挟んで右向かいに建つ商店から、同じ渡船に乗っていた眼鏡をかけた黒髪の女子高生が出てきた。女子高生は手にビニール袋を提げ、壮介に視線を向けることなく、島の中央部へと続く道へと入っていった。

 そしてその道は壮介の宿である川住旅館への近道でもあった。壮介はまるで女子高生の後を追うように道へと入っていった。

 この島の中央部へと続く道、最初は両手を広げた大人が三人入りそうなくらいの幅があったのだが、進むに連れて次第に幅が窄んでゆき、最初の石階段についた頃にはやっとすれ違えるくらいまで狭くなっていった。

 そしてこの石階段から、急に勾配がキツくなり始める。この大神島、平なところは少ないようで、家屋はまるで棚田のように段々に建てられていた。

 黙々とただ石段を見上げて歩いていると、前を行く女子高生が不意に振り返った。

「何でついてくるんですか?」

 女子高生は眼鏡越しに壮介へ訝しげな視線を送る。壮介が自分の後ろを歩いてきていたことに、もしかしたら最初から気付いていたのかもしれない。

「あ、いやあ…………」

 壮介はバツが悪そうな表情。女子高生にまるで自分が不審者であるかのような目で見られたからであろう。苦笑いし、頭を掻いた。

「スンマセン……。川住旅館って所に行こうと思って。こっちじゃなかったのかな……」

 すると女子高生の表情から警戒心が一気に消えた。

「あら、お客さんだったの」

 そして女子高生は階段を下り、壮介の一段下まで来て振り返った。

「私、川住旅館の娘、千草(ちぐさ)と言います。ではご案内します」

「え、あっ!」

 川住千草は壮介に挨拶をすると、壮介が肩から提げていたバッグを奪い取り、階段を上っていった。

「いやぁ、そんな悪いよ!」

 さすがに手持ち無沙汰となったのか、壮介は千草を追いかけ、奪われたバッグに手を伸ばす。

「じゃあこれ持って下さい。今日の夕飯ですよ」

 千草は振り返り、食材の入ったビニール袋を手渡した。

 そして石段を駆け上がるように上っていった。



「ただいま〜」

 延々と続く石段を五、六分上っていったところで、錆付いた小さな看板があがっており、少々読み難いが『川住旅館』と書かれていた。千草は看板の脇道へ入ると振り返り、壮介へ手招きをする。

「ここが……」

 壮介も脇道へと入っていった。千草の後ろには、木造二階建てでかなり年代ものの建物があった。

「どうしたの? イメージと違った?」

「え、いやあ…………」

 壮介は頭を掻いた。船頭から「民宿に毛が生えたようなところ」と聞いていたので、あまり期待はしてはいなかった。壮介はそんな心の内を千草に見透かされたようで、バツが悪かったのだろう。

「フフ……、さ、どうぞ」

 苦笑いを浮かべる壮介に、千草は口元を緩め微笑んだ。壮介には初めて見せる、違った表情。そして千草は壮介の方へ手を差し出す。壮介もそれに応え、川住の門をくぐった。

「千草おかえり。あら、後ろの方は?」

 二人が玄関に入ると千草の母親が出迎えた。そして母親はすぐに千草の後ろにいる壮介に気付いた。

「お客さん。確かお一人のお客さんいたでしょ」

「どうも、予約していた新谷と申します」

 壮介が名乗ると、母親はフロント(と思われる場所)の前へ行き、ノートを開いた。

「ああ、新谷さんね。電話で予約してくださった。お待ちしておりました」

 そして母親はノートを壮介の元へと持ってきた。ノートの表紙には「宿帳」と書かれている。

「これに今日の日付と名前、連絡先をお願いします」

 母親はノートを壮介に手渡した。

「はい、鉛筆。あ、持っててくれてありがとう」

 千草が壮介に鉛筆を手渡し、代わりに壮介の手から食材の入ったビニール袋を引き取った。

「まあ、お客さんに荷物持ちなんぞさせて、コラ!」

 母親は千草の頭をコツンと小突いた。千草はエヘヘと笑い、荷物を持って奥へと消えていった。

「さ、新谷さんもどうぞ。お部屋へご案内します」

 その言葉に、壮介は靴を脱いで中へと入った。



「さ、どうぞ」

 壮介は千草の母親に案内され、二階の客室に到着した。客室は六畳で、年代モノのTVと木製の丸い卓袱台が備え付けられており、卓袱台の上にはポットと急須、湯呑みが置かれている。それはどこの旅館にもあるような風景であった。

 千草の母親は先に部屋へと入り、奥の障子を開けた。窓の外には近所の民家の屋根が真正面にあり、屋根の間からは夕焼けに染まる夏の空と、僅かに海が覗いていた。

「夕食は六時から八時までの間、朝食は七時から八時までの間となっています。お風呂は一階で、昼の三時から朝の九時までご利用頂けます」

 千草の母親は卓袱台の前まで移動し、急須にお湯を入れ、しばらく置いてから湯呑みにお茶を注いだ。

「どうぞ」

「ああ、ありがとうございます」

 壮介はここでようやく腰を下ろした。

「私、一応ここの女将をやっております、川住喜美恵(きみえ)と申します。どうぞよろしくお願いします」

 「一応」という部分をユーモラスに強調して、喜美恵は壮介にお辞儀をした。壮介もつられるように頭を下げた。

「新谷さんは確か二泊でしたよね?」

「え、ああ、はい。明日からの祭に参加しようと思って」

 壮介がこの島へ来た目的。それは「ともだち」の代わりに、この島で催される祭りを写真におさめるため。

「ああ、そうですか。大神神社の祭に。よくご存知で」

 壮介は苦笑いを浮かべた。この祭を選んだのは「ともだち」であるわけで、壮介が目星をつけたものではない。だから、祭について殆んど知らないというのが正直なところなのだろう。

「神社の祭は明日の夜になります。大したものではないですが、是非御覧下さいな。ではごゆっくり」

 喜美恵は笑顔でそう言い、部屋を後にした。

 


 夜。

 夕食を終え、風呂から上がってきた壮介の部屋に、コンコンとノックする音が響いた。

「どうぞ。開いてますよ」

 布団を敷き、そこに寝転がってTVを観ていた壮介は、起き上がり扉の方を向いた。

「こんばんは」

 扉が開き、現れたのは千草だった。長い髪と眼鏡は先程と同じだったが、制服ではなく水色のワンピースと白いエプロン姿だった。

「ああ、こんばんは。夕飯おいしかったよ」

 川住旅館に到着してから、今まで千草の姿を見ることはなかった。勿論、旅館の仕事をサボっていたわけではなく、夕飯の用意や、浴場の掃除等、家族一丸となってこの旅館を切り盛りしている。千草も重要な働き手なのである。あとこの旅館には父親で漁師をしている川住清太(せいた)、祖母の川住千乃(ちの)が同居している。

「フフ、ありがとうございます。そりゃ腕によりをかけさせてもらったから」

 千草は笑みを浮かべながら、布団を敷いたため、壮介が隅の方へ寄せた卓袱台の横に座った。

「新谷さん、お祭を見物に来たんですってね。お母さんから聞きました」

「うん、写真撮影が趣味でね。祭の風景をおさめようと思って」

 それを聞いた千種はフーンと二、三度頷いた。納得しているというより、意外に感じている様子である。

「こんな辺鄙な島のちいさな祭が、よく目に留まりましたね」

 壮介は苦笑いを浮かべた。「ともだち」の一件がなければ、壮介は祭どころかこの島の存在にすら気付くことはなかったであろう。

「祭は明日の十八時からです。それまで新谷さんはどうされるのです?」

 千草は急須の注ぎ口を指で突っつきながら訊ねてきた。

「いやあ、特に決めてないけど。まあ島を探検してみようかな……」

 すると千草は身を乗り出してきた。

「それだったら、明日私が島を案内したげるわ。明日は学校もないしね」

 おそらく千草は最初からこの提案をするために、壮介の部屋を訪れたのだろう。待ってましたというな様子であった。

「いや、それはありがたいけど……。でも悪いなあ、休みっても旅館の仕事があるだろ」

「その辺は大丈夫。お客さんの接待も仕事のうちだから」

 千草は突付いていた急須を元の位置に戻し、そして立ち上がった。

「それに……ね」

 立ち上がり、扉の前まで移動した千草が、壮介の方を振り返った。

 その笑顔は、先程までの清楚なものとは少し違っていた。

「この島を何にも知らないで歩いていると、お化けにつれていかれちゃうかもよ」

 どこか妖しい笑みを浮かべ、千草は壮介の部屋を後にした。



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