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第十三章  それぞれの思惑


「ん、何だこれ?」

 診療所に到着した壮介たちは、入り口の前に置かれた茶色い鞄を見つける。

壮介はその茶色い鞄を持ち、そして「休憩中」の札が吊るされた扉を開く。休憩中だろうが休診中だろうが、基本的に開け放しだ。

「これ喜志先生の鞄じゃない?」

 そして壮介の後ろには千絵子が続く。

 二人は診療所へと入り、待合室へ移動する。そこには誰もおらず電気もつけられていない。

「喜志先生、診察室の方みたいですね」

「そうみたいね。湿布もらうだけだし、ちょっくら行ってくるわ。あ、その鞄もついでに渡してくるわ」

 二人は診察室へと続く廊下で別れる。千絵子は鞄を持って診察室へ。壮介は二階へと続く階段へと消えていった。

 

 二階に上がった壮介は、喜志から借りている部屋へ戻る。

「うわぁ、疲れた〜」

 部屋に入るなり、壮介は畳の上で大の字となる。思えば壮介は昨日の夕方から動きっぱなしで、満足な食事や睡眠を摂っていない。

 壮介は寝転がった状態でケータイを取り出す。電話の着信とメールの受信がそれぞれ一件ずつあった。

「ありゃ、全然気付かなかった」

 電話とメールはどちらも瑞希からのもの。メール受信BOXを開くと、瑞希から壮介の身を案じる内容のメッセージが届いていた。

「大丈夫? って、俺以外の人間は全然大丈夫じゃないよな……」

 そんなことを呟きならが、再びポケットに手を入れる。

 ポケットに入れてあったのは、狼の剥製から出てきた写真の入った袋。壮介は袋から写真を数枚取り出して眺める。

「ったく、お父さんは大変なものを残していってくれましたね」

 写真を見つめながら、壮介はあることを思う。

 この写真は一体誰が撮影したものなのだろうか? と。

 加美大助の失踪に千草と志都美が絡んでいたことは間違いない。そしてあと少なくとももう一人、この一件に絡んでいる人物がいる。つまり加美大助失踪の謎を解く鍵は、この撮影者が握っているのだ。

「あと一人……か」

 壮介は頭を掻きながら、写真に穴が開く程見つめる。

「そういえば」

 壮介はあることに気付き、持っていた写真を裏向ける。

「これは店で売ってるL版紙だな」

 そして壮介は写真の表面に人差し指で触れる。

「そんないいインクじゃねえな。安モンのプリンタで印刷したな。まあこんな写真、カメラ屋で現像できねえだろうけど」

 この写真はデジカメで撮影され、そしておそらく自宅にあるプリンタで印刷したものであると壮介は推測した。

「ん?」

 壮介はまた何かに気付いたのか、顔に写真を近付ける。そして手に持った写真全てを念入りに確認していく。

「えっ……」

 寝転がっていた壮介は、突然ガバッと起き上がった。そして周りをキョロキョロと落ち着かない様子で見回し、そして頭をガリガリと掻き毟った。

「おいおい、マジかよ……」

 壮介は立ち上がり、写真を紙袋にしまい、ポケットに突っ込んだ。

「これで一本に繋がったぞ」

 壮介の瞳にはこれまでで一番の「確信」がみなぎっていた。

「もうすぐ、もうすぐ終わるぞ」

 壮介は畳の上に置いていたケータイを手に持ち、メール作成のボタンを押す。

 そして瑞希へメッセージを送る。


「俺は全然大丈夫だ、アーホ」


 壮介が一階へ下りると、丁度千絵子が診察室から出てくるところであった。

「終わりましたか?」

 壮介の言葉に千絵子は湿布の入ったビニール袋を前にかざす。

「ホントは本人が診察に来ないと出せないけれど、今回は特別だって」

「そっか、よかったですね」

「まあね。それじゃ私帰るわ。遥、待ってるから」

 そう言い残すと、千絵子は去っていった。

「さてと」

 千絵子が去っていくのと同時に、壮介は診察室へと入っていった。



「なんじゃ、アンタも湿布が欲しいんか?」

 ノックもせず入ってきた壮介に、喜志は苦笑いを浮かべる。千絵子がやって来るまでは休憩していたのか、机には烏龍茶のペットボトルと灰皿が置かれていた。

 そして診療所の入り口に置かれていた茶色い鞄は診察台の上にあった。

 診察室に入った壮介は、診察台横にあったパイプ椅子を喜志の正面へと移動させ、そして座る。

「最近暑い日続きで、冷たいモン食いすぎて腹壊すジジババが多いんじゃて。ほれ、はよシャツを上げい」

 喜志はブツブツ言いながら聴診器を取り出し構える。

「あの喜志先生、僕は診察してもらいに来たんじゃありません。とても大切なお話があって、ここに来ました」

 その時、聴診器を持つ喜志の手が止まる。

「話? 何じゃて?」

 壮介はポケットから紙袋を取り出し、中に入っている写真を数枚机の上に置く。喜志はその写真の一枚を手に持ち、じっくりと眺める。

「…………」

 写真を手に持ってから、喜志は無言。表情も全く変化しない。

「そこに写っているのは……」

「言わんでええ」

 壮介が写真について語り始めようとした時、喜志がそれを遮る。喜志は大神島の生き字引とも言える存在。そこに写っているのが誰なのかくらいすぐ判る。

「これをどこで見つけた?」

「加美家の剥製の中から出てきました。あの狼、首が取り外しできて、中にちょっとした空洞がありました」

「そうか。加美家の姉妹は知っているんか?」

「はい」

 壮介の返事に、喜志は大きくため息をついた。

「あの姉妹も、可哀想に……」

 喜志の表情には落胆の色が浮かぶ。写真を正視できないのか視線を机から外していた。

 壮介は紙袋からもう一枚写真を取り出し、机の上に置く。

「喜志先生、ちょっとこれを御覧になってもらえますか?」

 壮介が喜志に渡した写真。それは他の写真と同じく、加美大助が千草、志都美と戯れているもの。ただ他の写真と少し違うところがあるとすれば、この写真は他の写真よりも三人から引いて撮影されたものであった。

 喜志はその写真を手に取ってみる。

「この写真が、どうかしたんかの?」

 すると壮介は喜志の方へ身を乗り出して指をさす。

「この辺を、よく御覧下さい」

 壮介が指した箇所、それは三人の姿ではなく後ろの背景であった。

「はて、別に何も変わったところはないようじゃが……」

「そうじゃありません。よおく見て下さい。見覚えがありませんか?」

「見覚え?」

 壮介の言葉に喜志は驚いたのか目を丸くする。

 しかし……、

 喜志の声が、僅かに震えていたことを、壮介は聞き逃してはいなかった。

「三人の後ろ。壁の様子、窓と襖の位置。この部屋、見覚えあるでしょう?」

 そして壮介はその写真を、喜志の手からスルリと抜き去る。

「この写真が撮られた部屋は、この診療所の二階、今僕が泊まっている部屋ですね」

 写真を掲げ、壮介は単刀直入に喜志へぶつける。大神島を襲った「惨劇の夏」の真相を暴くために。

「この診療所は、喜志先生が何十年も前から管理されていると聞いています。だから三年前にここで起こったこと、知らないとは言わせません」

 壮介は厳しい表情で喜志に詰め寄る。今の壮介の胸には、無残に死んでいった志都美、千草。そして加美姉妹対する想いが去来しているのであろう。その想いが故、今まで見せたことのないような表情となっていた。

 そんな壮介を前にして、喜志は視線を落としたまま。まるで壮介の想いから目を逸らして逃げているようであった。

「喜志先生! どうか教えてください。三年前、大神島で一体何があったのですか!」

 カチャ

 その時、椅子の軋む音がした。喜志は立ち上がり窓の方へ向かった。

 喜志は窓を開けて、外へ顔を出す。

 昼下がり、昨日の雨とは打って変わり雲一つない青空、セミの大合唱が全方向から響きわたる。

「今年の夏も、暑かったのう……」

 すると喜志は、窓を閉めた上にカーテンも閉め、外からの光を遮断した。

「すまんが電気つけてもらえんじゃろか?」

 遮光性の高いカーテンが閉められたため、診察室は昼間とは思えない程暗くなってしまった。壮介は立ち上がり電灯のスイッチを押した。

 そして二人は再び席へ戻る。

 喜志はポケットから煙草を取り出して火をつける。そしてとてもゆっくり、煙草を芯から味わい、まるで生涯最後の一本かのように吸った。

「新谷さん。あなたはけっこうな街のご出身だそうで?」

 喜志の唐突な質問に壮介は面食らうものの、首を縦に振る。

「そうか。ならばこれから話すことは、新谷さんには全部理解してもらえんじゃろて。それでもええか?」

 壮介は喜志の内心を計りかねていた。しかしここまで来て尻込みはできないと、再び首を縦に振る。

「どうぞ教えてください。三年前、何があったかを」

 喜志は煙草を灰皿に押し付ける。煙が全く出なくなるまで押し潰した。

「それはの、島のためじゃて。全ては、島のためなんじゃ……」

 遂に、重い重い喜志の口が開く。

 そしてそれは、この「惨劇の夏」終焉への第一歩でもあった。



「貴志先生、以前大神島開発計画について、ご自身は中立の立場であると仰いました。でも、それは違いますね?」

 壮介は静かに訊ねる。額には汗が光る。それは暑さからか、それとも脂汗なのか。

 壮介の問いに、喜志は再び煙草に火をつけて答える。

「そうじゃ。わしは以前より、菅林と通じておった。島のためにな」

 島のために……。そこだけが今までの喜志の言葉の中で、唯一強調されている部分。そこには老医師のたしかな主張が感じられた。

「何故、それが島のためにとお考えなのですか?」

 壮介は一つ一つ言葉を選びながら質問を続ける。今の診察室は異様なまでの緊張感に包まれていた。

「判らんかの?」

 その時、喜志の鋭い視線が壮介の瞳をとらえ、壮介の顔が強張る。

 喜志は言葉を続けず、一度煙草をふかし、そして煙を吐く。

「昔から大神島は、外界から情報や文化が入ってくることを異常なまでに嫌ってきた。新しいものに染まることを絶対的な『悪』として捉え、それを拠りどころに島の結束力を維持してきたんじゃて」

 この大神島に関する話、壮介が耳にしたのは二度目。壮介はこれと同じような話を、狼ヶ浜で千草から聞かされていた。その時のことを思い出したのか、壮介の額から汗が流れ落ちる。

 喜志の話は続く。

「ところが、今の島はどうじゃ? ただでさえ開発の遅れているここら地域の中でも一段と遅れておる。学校も廃校になり、若いモンは次々に島を離れていく。島に残るんは、未だ島の因習にしがみついているジジババだけじゃて」

 大神島は典型的な過疎の島。それは壮介もこの島で過ごしているうちに薄々感じていていたこと。

「そんなジジババの面倒を誰が見るっちゅうんじゃ? このままいけば大神島は姥捨山同然じゃ。もしわしがいなくなったら、誰がこの島で医者になるんじゃ? 誰が島の命を救うんじゃ?」

 喜志の語気が荒くなる。喜志には彼なりの島への想いがあり、それを一気に吐き出していた。

 人前では絶対に出すことができない想いを……。

「ある時、菅林がわしの元へやってきた。わしに大神島開発計画へ賛同してほしいとな……。わしは島の医者という立場上、どちらかの派閥に入ることはできないと話した。しかしその時、菅林は診療所の新築話を切り出したんじゃて」

「新築?」

「そうじゃ。もし開発の手が入り、島に人がたくさん訪れることとなれば、行政も島の医療体制の強化に動かざるを得なくなる。そうなれば今の古い診療所から新しい診療所に建て替えられ、新しい医師も島にやって来るだろうと。わしは、その話に、乗った。この島の未来のため、その話に乗るしかなかったんじゃ!」

 壮介は喜志の勢いに圧倒されそうになっていた。しかしここで押されていては真相には近付くことはできない。壮介は延々と想いを吐き続ける喜志を遮る。

「それが、これなんですか?」

 壮介は再び写真を喜志の目の前に掲げる。すると喜志の言葉は止まった。

 そして今まで喜志が放った言葉の中に、一つの確信があった。

「この写真には新居志都美と川住千草が写っています。一つ確認します。川住千草、彼女は反対派大将川住清太の娘ですが、彼女自身は開発計画賛成派ですね」

 壮介が会った狼ヶ浜での千草。今まで見たことのない浮世離れした様子ではあったが、話していたことには確かな主張があった。

 それはいつまでも因習にしがみつく島への嫌悪。

 それにより壮介は、実は千草は賛成派の人間と密かに通じているのではないかという疑念を持っていたのだ。

 そして喜志の独白により、それが確信に変わった。

 またもう一つ確信を感じることがあった。

 千草と通じていた賛成派の人間というのは、この喜志であるということ。

「これはあくまで僕の推測です。間違っていたなら訂正して下さい」

 壮介は写真を紙袋に戻し、額の汗を拭う。

 そして壮介は語り始めた。

「貴方は菅林さんと共謀し、当時の反対派大将加美大助へ新居志都美と川住千草をけしかけて骨抜きにし、あわよくば賛成派へ寝返らせようと画策した」

 壮介の言葉に、喜志の眼が大きく見開かれる。

「言うなればハニートラップ。貴方は千草を、菅林さんは志都美を巧く手懐けていたのでしょう。写真は脅しに使うため、貴方が撮影したものですね?」

 喜志は壮介の問いに頷く。

「ただ、一つだけ違うことがある。その何とかトラップを仕掛けると最初に言い出したのは、わしらじゃなく千草たちじゃて」

 意外な事実に壮介は驚く。あの二人は自ら進んで加美大助に抱かれることを選んでいた。千草と志都美の二人にも、開発計画を実現するという揺るぎない主張があったということなのだろう。そのために、二人は自分の父親程年齢の離れた男に抱かれた……。

「貴方たちの計画は順調に進んでいました。しかし計算外のことが起きた。加美大助が忽然と姿を消した」

「その通り。あれは驚いた……。しかし、それが今になって死体で出てくるとはな」

 喜志は当時のことを思い出すかのように、虚空を見つめている。

「大助がいなくなったことで、わしらの計画は最後の最後で頓挫してもうた。そして三年後の今、中途半端な形で此処に至るっちゅうわけじゃて……」

 喜志は煙草を灰皿へと押し潰して立ち上がり、診察台のほうへと近付く。そして診察台に置かれてある茶色い鞄を手に取る。

「喜志先生、それは?」

 壮介が訊ねると、喜志は無言で鞄のチャックを開ける。

 そして鞄の中にあるものを、壮介に見せ付けた。

「それは……、狼の爪!」

 驚きのあまり、壮介は思わず立ち上がり診察台へと近付く。

「これが本物……、何故ここに?」

 壮介はしゃがみ込んで「狼の爪」をまじまじと見つめる。

「これはある日千草がわしの所へ持ってきたんじゃて。それ以来、わしが密かに保管していた」

「そんなものが、どうして診療所の前に置かれていたんですか?」

 壮介は空になった茶色い鞄を喜志へと向ける。

「菅林にくれてやったんだがの、突っ返されたんじゃて。全く、あのトカゲ男が……」

 喜志は苦々しい表情をみせる。そして「狼の爪」をポンと小突いた。

「この爪はの、わしらが今までやってきたことの象徴じゃて。これがある限り、わしらは自分たちがやってきたことから目を背けられん。永遠にな……」

 喜志の独白を聞きながら「狼の爪」に見入っていた壮介は、この時あることに気付く。

「この爪、刃がたっていない?」

 壮介は試しに爪に自分の指先を押し当ててみる。すると一見鋭い爪先は、指の柔肌を貫通することなく跳ね返った。

「貴志先生、この爪誰かに持ち出されたとかは?」

 すると喜志は首を振る。

「これは菅林の元へ持っていくまで金庫で厳重に保管していた。暗証番号はわししか知らん」

 喜志の答えに、壮介は頭をガリガリと掻く。

「ということは、一連の犯行に使用された凶器は、これではないということになりますね?」

「そういうことになるじゃろ。以前は刃がたっていたらしいがの、祭の神事で子供が触るから危ないっちゅう理由で、刃を処理したんじゃて」

 壮介は「狼の爪」を手に持ってみる。かなりの重量のようで、壮介の腕に筋が浮かび上がった。

「凶器はこれではない。つまり、凶器は刃物であれば何でもよいか……」

 壮介は「狼の爪」を見つめながらブツブツ呟く。そしてしばらくして、壮介は「狼の爪」を鞄に戻した。

「新谷君、わしらはこれからどうなるんじゃろな?」

 椅子に戻った喜志は、三本目の煙草に火をつける。

「さあ」

 それに対する壮介の答えは、意外にも素っ気ないものであった。

「貴志先生の身の振り方は、先生ご自身でお考えください。貴志先生と菅林さんが行ったこと、これがどういう罪になるのかはよく判りません。ただそれにより、一つの家族を目茶苦茶にしてしまい、そして加美大助が命を落とすきっかけを作ってしまったことは、紛れもない事実でしょう……」

 壮介は茶色い鞄を見つめながら答える。喜志の方へは振り返らず、背中越しに伝える。

「命を落とす、きっかけか……」

 喜志は煙草をくわえながら、壮介の言葉の意味を噛み締める。その意味、他の誰よりも喜志は一番理解していた。理解しなければいけなかった……。

「一旦、戻ります。それでは失礼します」

 壮介は振り向き、喜志に向かって軽く頭を下げると、診察室を出て行った。

「……身の振り方か。わしもとうとうヤキがまわったの……」

 喜志は大きくため息をつく。

「新谷君。わしゃ、もう明日の朝陽も拝めんよ……」

 喜志は何かを諦めたかのように、誰もいない診察室で寂しく呟いた。



「ただいま〜、遥、湿布もらってきたよ!」

 壮介と別れた後、加美家に戻った千絵子は玄関の靴を揃えぬまま遥の部屋へと向かう。

 しかし千絵子は遥の部屋へと向かう必要はなかった。部屋へと向かう廊下の途中、居間に遥の姿を見つけたからだ。

「ちょ、は、遥?」

「あ、お姉ちゃん、お帰りなさい」

 千絵子の姿を見た遥は、笑顔で応える。それに対し千絵子は驚きの表情であった。

「遥、あんた大丈夫なの? もうちょっと休んでなよ!」

 千絵子は遥の元へ駆け寄り、両肩を抱き寄せる。

「うん、私はもう大丈夫。いつまでも泣いていられないから。心配かけてゴメンね、お姉ちゃん」

 そして遥の視線は千絵子の腕にぶら下がっているビニール袋へ。

「湿布もらってきてくれたんだ。ありがとう」

「あ、そ、そうなんだ。腰の方はどう?」

 すると遥は腰をさすりながら歩いてみせる。本人は普通に歩いているつもりなのだろうが、やはりまだ痛みが残っているのか、その動きはややぎこちないものであった。

 そんな遥の姿を見た千絵子は、歩き続ける遥の動きを止め、腕にぶら下げていたビニール袋を渡す。

「まだ痛むんでしょ? ほら早く貼っといで。何ならお姉ちゃんが貼ってあげようか?」

 苦笑いをしながら自分の肩を抱く千絵子に、遥は舌をペロッと出し笑ってみせた。


「ねえお姉ちゃん……」

 姉妹は遥の部屋で、お互いの肩を抱きながら座っている。

 遥は千絵子の耳元で、囁くように姉の名を呼んだ。

「本当はね、私まだ……泣きたいの」

 そして遥は千絵子の身体に、自分の身体を預けていく。

「お父さん、本当に死んじゃったのかな?」

「遥……」

 徐々に涙で湿っていく遥の声、千絵子はそんな妹を強く抱きしめる。

「ごめんね、遥……」

 妹を優しく、そして強く包み込む姉の口から出た言葉、それは謝罪であった。それが何に対する謝罪なのか、遥には判らない。しかしその言葉は、千絵子の心の底からの想いであることを、遥はしっかりと感じ取っていた。

「お姉ちゃん……」

 千絵子と遥、二人はお互いの胸に顔を埋める。お互いがお互いを慰め合っていた。

「ねえ遥、私と一緒にいよう。お姉ちゃんと、ずっと一緒にいよう」

「うん、ずっと一緒だよ……」

 すると千絵子は顔を上げて、遥の瞳を見据える。

「遥、この島から出よう。こんな所から早く出てさ、お姉ちゃんと一緒に暮らそう!」

「え…………」

 千絵子の誘いに、遥は答えに戸惑った。

 この島から出る……。遥は今まで、そのようなことを一瞬たりとも考えたことはなかった。この島で生まれ、そしてこの島で育った遥にとって、この島での生活が全てだったからだ。そんな遥の視線は泳ぎ、動揺を隠せないでいた。

「遥……、困らせてごめん」

 答えに困惑する遥の様子に気付いた千絵子は、とっさに視線を横へ反らした。

「ううん、いいのお姉ちゃん。私の方こそごめん」

 遥は姉の両手を強く握る。すると千絵子も妹の手を握り返す。

「私、頑張るから。だから、お姉ちゃんも頑張って」

 遥は見透かしていたのだ。

 自分と同じように、本当は姉も誰かを頼りたがっていることを。

 自分が崩れてしまえば姉も同じように崩れてしまうことを。

「遥……」

 陽が傾き始め、徐々に暗くなり始めた部屋で、互いを支え合う姉妹は、ずっとずっと手を握り合っていた……。



 夕方、壮介は部屋にいた。

 壮介は畳の上に座り、腕を組んで考えごとをしている。

「…………」

 壮介の前、畳の上には剥製から出てきた紙袋と狼ヶ浜の洞で拾ってきた石が置かれている。壮介はそれをジッと見つめながら、何か考えごとをしているのだ。

 壮介が悩んでいること……、

 それは加美大助が何故あの場所で死んでいたのかということ。

 まだ警察の方から正式な発表はないものの、加美大助は他殺でほぼ間違いないであろう。もし他殺ならば、一体誰に殺されたのだろうか?

 壮介は洞で白骨死体を発見した時、瞬時に他殺の可能性が高いことを確信した。そして犯人として川住千草ではないかと考えた。

 しかし瀬川と喜志の証言により、その可能性は非常に薄くなる。もし反対派大将である加美大助を陥れるのためであれば、殺人はあまりにも面倒でありリスクも高い。それに千草が企てていたハニートラップが順調に進んでいたのであれば、ますます殺す必要などない。

 何より加美大助がいなくなったことに千草が一番動揺していたことで、千草犯人説の可能性をさらに低くなった。

 さらに壮介はある仮説を立てていた。加美大助を殺した人物と、今回二人を殺した人物は同一人物ではないかということ。もしそうならば、犠牲者の一人である千草は当然犯人リストから外れる。

「あー、くそっ!」

 壮介は頭をガリガリと掻き毟る。壮介はこの島へ来て、何度頭を掻き毟ったことであろうか。

 悩む壮介。しかし悩んでばかりというわけではなかった。壮介は確実に真相へと近付いている。

 まず確信を持って言えること、それはこの事件に大神島開発計画が深く絡んでいるということ。

 そして犯人は被害者に対し、激しい恨みを抱いていたということである。

「ならば……何故恨みを抱くに至ったか?」

 殺された志都美と千草は、加美大助にハニートラップを仕掛け賛成派に寝返らせようとした。つまり犯人は加美大助と近い人物である可能性がある。

 志都美は賛成派業者の娘、千草は反対派大将の娘……。

 ここで壮介は千草の立場について着目する。

 千草は反対派大将の娘であり、自身も反対派の活動に積極的に参加していたが、実際は密かに賛成派と繋がっていた、いわば「裏切り者」だ。

 そして千草は……、

「う〜む!」

 壮介は渋い顔をしながら頭を掻き毟る。

 そして立ち上がった。

「…………」

 壮介は犯人について、一つの結論を導き出そうとしていた。

 もし千草の殺された動機が、開発計画以外にもあるとするならば、それを実行しようと考えるのは、この島で一人しかいない。

 そしてその犯人が、次に狙うのではないかという人物も、壮介には目星がついている。

「よ〜し」

 壮介は部屋の隅に置いてあったリュックを肩にかけ、部屋を出る。

「いっちょ、餌をまいてみるか」

 

「何? 島を離れるじゃて?」

「はい、家族とかが心配しているので、一旦帰ろうかと思います。後は警察に呼ばれたらその都度出頭しようかと。捜査本部にはちゃんと許可は取っていますので」

「そうか……急な話じゃの」

 喜志は突然の話に驚いてはいたが、普通に考えたらそういうことになるであろうと、後になって納得していた。そもそも壮介はこの島の人間ではないのだから。

「それでは、電車の時間があるので失礼します。どうもお世話になりました」

 よく考えてみれば、壮介はこの島に来てから喜志に世話になりっぱなしであった。それら感謝の意味を込め、壮介は何度も礼をした。

「ああ、もう行くんかい。また気が向いたら島へ来たらええよ」

 喜志の言葉は素っ気ないものであったが、表情は少し別れを寂しがっている様子。

「はい、またいつか!」

 壮介はそういい残し、診療所を後にして港へと向かった。


「…………」

 そんな壮介の姿を、遠くから見つめている人影があった。

「…………」

 その人物は、壮介が渡船に乗り込むのを確認すると、ニヤッと笑う。

 そして手に持っているものを、胸の前にかざしてみる。

 手に持っているもの、それは刃渡り十センチ程の果物ナイフ。使い込んでいるようで、刃には所々細かい錆が付着していた。

 持っているナイフを、今度は目の前でかざす。

「これで、ようやく、終わり……」

 そして再び、笑った……。


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