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第十一章  点と線


 ザーーー……

 十五時を過ぎても、雨は止む気配をみせなかった。、 

「もしもし、歌藤だ。どうだそっちの方は?」

 大神神社横の公民館。現在ここは連続殺人事件の捜査本部となっており、数人の捜査員が昼夜を問わず出入りしていた。

 その中のリーダーが、今電話をかけている捜査主任の歌藤。

 そして歌藤の電話相手は、捜査本部副主任の長渡である。

 現在長渡は本土の病院へと運ばれた瀬川に張り付いている。

「そうか、まだダメか……」

 病院に搬送されてからの瀬川、意識はあるものの未だ何も話そうとしない。瞬きもせず、ただ天井を見つめるという状態が続いていた。

「判った。じゃあ一旦引き上げてくれ。お疲れさん」

 歌藤はこのまま張り付いていても埒があかないだろうと判断。一度時間を置くことを決め、長渡に島へ戻ってくるように指示をした。

「明日の朝までに戻ってきてくれ。あと……、例の件どうだった?」

 歌藤の声のトーンが少し低くなる。そして何故か周囲の視線を気にしている様子だった。

「…………、そうか」

 そして歌藤の表情が神妙なものとなる。

「……わかった。ご苦労だった」

 歌藤はその表情のまま受話器を置く。しかし歌藤は電話の前を動こうとはしなかった。

「確か……」

 歌藤は警察手帳を取り出し、あるページで手を止める。そして再び受話器を手に持った。

 開いたページにはどこかの電話番号が書かれているようで、歌藤はそのページを見ながらボタンをプッシュしていく。

「…………」

 しかしボタンを押す手が途中で止まる。しばらくその状態で動かなかった歌藤だが、警察手帳を閉じて受話器を戻した。

「…………」

 そして電話の前で腕組みをする。

「主任、どうかされましたか?」

 そんな歌藤の行動を見ていた捜査員の一人が声をかけてきた。

「ん、いやいや」

 歌藤は我に返ったのか、苦笑いを浮かべながらその場を離れる。声をかけた捜査員は首をかしげながらその姿を見送る。

 歌藤は部屋の窓側へと移動し、窓を開ける。

 雨は未だ降り続いている。

 雨の向こうには大神神社。神社の周囲には「守る会」の法被を着た男集が集まり神社を守っている。昨日今日と殺人事件が続き、しかも会長の娘が殺されたのだから、これ以上ないくらいピリピリとした雰囲気となっていた。

「う〜ん……」

 歌藤はそんな風景を見つめながら、こう呟く。

「しばらく、様子をみてみるか」

 すると歌藤は窓側から離れ、再び電話の前へ。受話器を取りボタンをプッシュする。

「もしもし、捜査本部の歌藤だ。島泉君か?」

 電話の相手は大神島駐在の島泉のようであった。

「……いやいや、そういうことで電話したんじゃないよ。ほら新居志都美の遺体第一発見者の、君が駐在所に拘留していた大学生……そう新谷壮介なんだがね、一応の取調べは終わったからそろそろ自由の身にしてやろうと思うんだ。このままにしておくと色々とうるさくなるだろうし」

 受話器の向こうから、島泉の驚く声が漏れる。かなり大げさなリアクションをとったようである。

「そこでだ、島泉君の方から新谷壮介にその旨を伝えてやってくれんかね。それじゃ頼むよ」

 ガチャ

 歌藤は島泉に返事する余裕も与えず、電話を切った。

 それから十数分後。

 島泉は診療所へと出向き、歌藤から言付かった、もう帰ってもいいという旨を壮介に伝えた。



「あ、もしもし瑞希か? 俺だ」

「もしもし、壮介君!」

 島泉より歌藤の伝言を受け取った壮介は、真っ先に瑞希へと電話した。

 しかし壮介は、自分が晴れて自由の身となり、やっと帰れるということを話さなかった。

「なあ瑞希、ちょっと調べてほしいことがあるんだけれど、頼めるか?」

「え? う、うん、いいけど」

 自由の身になったからといって、壮介は一目散に島から逃げようなんて考えてはいなかった。

「なあそっちで、今朝せが……否、男性が自殺をはかったっていうニュースは流れているか?」

「えっ……、うん午前中は速報で流れてたよ。それがどうかしたの?」

 瑞希は壮介の突拍子もない質問に戸惑うものの、そこは壮介自慢のカノジョである。

「その男性なんだけどな、どこの病院に収容されたか判るか?」

「病院……、ちょっと待ってて」

 瑞希は受話器を置き、壮介に訊ねられたことについて調べはじめる。その間壮介は無言で瑞希からの答えを待つ。

 そして数分が経過……。

「あ、もしもし。ゴメン、お待たせ」

「おう、どうだった?」

「その人が搬送された病院だけど、詳しいことは判らなかった。ゴメン……」

 瑞希の答えに、壮介は渋い表情。尤も、発表するとマスコミが押しかけてきたりするので、病院名が伏せられているのは仕方のないことである。

「でね、ネットでその地域の大きな病院を検索してみたの。そうしたら宇方総合病院っていう所が引っかかったの。壮介君のいる島から一番近いし、多分、そこじゃないかなと思うんだけれど」

 瑞希の言っていることは的を得ていた。この過疎地域で救急搬送に対応できる病院は限られている。また大神島からの距離、瀬川の怪我の状況を考えて、真っ先に運び込まれるのはこの病院であると考えるのが妥当だろう。

「宇方総合病院だな。住所判るか?」

「ちょっと待ってね。ええと……」

 壮介はカバンからメモ帳とボールペンを取り出し、瑞希から伝えられる病院の住所を書き取った。

「サンキュな、瑞希」

「ううん、私は全然大丈夫だよ。壮介君こそ大丈夫? また変なことに巻き込まれてない?」

 瑞希の言葉に、壮介は頭を掻いた。もう十分巻き込まれている。しかもこれから壮介は、自分から事件の渦の中へズブズブに埋もれていこうとしているのだ。

「俺だって全然大丈夫だよ。早くケリつけて、お前に会いたいって!」

「うん……。待ってるよ!」

 壮介と瑞希、二人は電話越しで、久しぶりに笑いあった。


 瑞希との電話を終えた壮介は、早速荷物をまとめる。そして部屋を出て駆け足で一階へと下りる。

「おや、出かけるんかい?」

 出口へと向かう壮介は、廊下で喜志とばったり出くわす。

「ええ、ちょっと!」

 しかし壮介は挨拶も早々に診療所を後にした。

「何じゃ、あないに急いで……」

 喜志はそんな壮介の姿を見て、首を傾げていた。

 その後診療所を出た壮介は、雨の降りしきる中、港へと向かう。そして本土への渡船に乗り込んだ。待合所は未だ規制線が張られたままだったが、幸い渡船が停泊していたのですぐ出航となった。

 雨は降っているものの、風はそれ程吹いておらず波は穏やかで、晴れの日と同じような感じ。壮介は最前列のシートに座り、前方に見える本土側の桟橋を見つめていた。

「さあ、行くぜ!」

 壮介は拳を握り締め、そう呟いた。



 東の空がだんだん薄暗くなり始めた頃、

 雨降る川住旅館の前に、二つの人影があった。

 千絵子と遥の加美姉妹である。

「ごめんください……」

 二人は川住旅館の玄関へと入り、声をかける。最初は誰もいないかのようにシーンとしていたが、しばらくすると奥のほうから足音が聞こえてきた。

「あら、チエちゃんに遥ちゃん。いらっしゃい……」

 奥から出てきたのは喜美恵であった。今までずっと泣きはらしていたのか、目の下にはクマができていた。

「おばさま……、大丈夫ですか?」

 そんな表情をみた遥は、喜美恵を気遣う。それに対する喜美恵の返答はない。今の喜美恵には空元気を出す気力もないようであった。

「どうぞ、上がってくださいな……」

 そして喜美恵は力なく、二人を中へ促した。

「喜美恵さん……」

 千草を失い、悲しみに暮れた喜美恵の変わり果てた様子に、千絵子も絶句するしかなかった。


 チーン……

 仏間へと通された二人は仏壇に線香を供え、無言で手をあわせる。

 仏壇には千草の写真が飾られている。高校の集合写真のものなのか、写真の中の千草は制服に三つ編み姿であった。

 仏壇に千草の遺影は飾られているものの、千草の亡骸はここにはなかった。現在は診療所に安置され、今日中には司法解剖のため警察へと移送されることになっている。よって千草が川住家に無言の帰宅をするのは、それが済んでからということとなる。

「うぅ……、千草ぁ……」

 仏壇の遺影に向かい手をあわせる二人、その後ろで喜美恵が嗚咽を漏らしていた。それに気付いた遥は振り向き、喜美恵の背中をさすってあげた。

「おばさま……」

 背中をさする遥の目にも涙が浮かぶ。千絵子や遥にとっても、千草は昔からの幼馴染。その悲しみは計り知れない。

「千草……」

 千絵子は喜美恵たちの方へは振り向かない。ただただ遺影の千草を見つめ続けている。

「……ぐす」

 そして千絵子は視線を遺影から外すと、頬をつたう涙の雫を指で拭った。

 

「どうぞ」

 その後落ち着きを取り戻した喜美恵は、千絵子と遥にお茶を出した。二人が訪問してくれたからかどうかは判らないが、喜美恵の表情がわずかに緩んでいた。対して加美姉妹は未だ目に涙を溜め、手にはハンカチが握り締められていた。

「チエちゃん、遥ちゃん、今日はありがとう」

 テーブルを挟んで、喜美恵は加美姉妹に頭を下げた。

「いえいえ、とんでもないです。私たちなんか……」

「本当に、こんな酷いことになってしまって……」

 千絵子と遥は頭を下げる喜美恵に向かい、両手を振った。

「千草ちゃん、いつ帰ってくるのですか?」

 遥がハンカチで口元を押さえながら訊ねる。「千草」の名前を出すと涙が溢れてくるようであった。

 その問いに、喜美恵は無言で首を振る。現時点で家族にもそれは判らなかった。

「そうですか……」

 遥は肩を落とす。それを見た隣の千絵子は、そっと遥の肩を抱く。

「まだ全然判んないんですよね、犯人」

 すると喜美恵は一度小さく頷く。

「あのね……、そのことなんだけどね、ちょっと二人に聞きたいことがあるんだけれど、いいかしら?」

 突然の質問に、二人は少し驚くも、ほぼ同時に頷いた。

「私はうちお父さんから聞いて……お父さんも守る会の人から聞いた話なんだけれど、祭の日に変な噂が流れていたらしいの」

「変な噂? どんなことですか?」

 神妙な表情の遥は、喜美恵に訊ねる。

「ええ、あの……。き、気を悪くされないで下さいね。え、えっと」

 自分から切り出した話題にも関わらず、喜美恵の歯切れは何故か悪い。

「それって、うちの親父のことでしょ?」

 その時、喜美恵の言葉を遮る形で千絵子が口を開いた。

「チエちゃん、知っていたの?」

 喜美恵は千絵子が噂の件を知っていたことに驚く。そして千絵子の言葉に遥は混乱した。

「私も守る会の人から、人伝にだけれど……。親父によく似た男が、観光ホテルの送迎船に乗っていたって話ですよね?」

 千絵子の言葉に、喜美恵は意外そうな表情となる。

「まあ、どっから湧いて出てきたのかは知らないけれど」

 千絵子は目を伏せ吐き捨てる。

「私がお父さんから聞いたのも、チエちゃんと大体同じです」

「……」

 話を聞くのが辛いのか、遥はハンカチをギュッと握り締めている。

「だから昨日刑事がうちらをしつこく尋問してきたの。警察は親父が犯人じゃないかって考えているんだよ」

「チ、チエちゃん……」

 千絵子から出た言葉に、喜美恵も目を丸くする。実の父親に殺人の嫌疑がかかっているのにも関わらず、あまりにぶっきらぼうな言い方だったからである。

「あの、クソ親父……」

 そして千絵子も拳を握り締める。しかしそれは遥のそれとは違う。「哀しみ」ではなく「憎しみ」であった……。


「今日は突然お邪魔してすみませんでした」

「いえいえ、今日は本当にありがとう」

 玄関先で喜美恵と加美姉妹は互いに礼を交わす。

「もう大分暗くなってきたわね。雨降っているから足元に気をつけてね」

 加美姉妹が川住家へやって来た時、東の空が薄暗くなってきている程度だったが、雨が降り続き太陽が出ていないこともあり、現在はほぼ真っ暗であった。

「困ったことがあったら、いつでも遠慮なく言って下さいね。何でもお手伝いしますから」

 遥の言葉に、喜美恵は瞳を潤ませ、そしてもう一度深々と頭を下げた。

「では、失礼します」

 遥と千絵子は小さな紙袋を一つずつ抱えている。千草の部屋で譲り受けた、千草の遺品である。

 そして二人は玄関の軒下で傘を広げ、表へと出た。

「あ、そうだ!」

 その時、喜美恵が声を上げ、二人を呼び止めた。

「警察の人から聞かれていたんだけれど……、千草のことなんだけれどね、最近千草の様子で気付いたことってあるかな?」

 不意な質問に、千絵子と遥は顔を合わせる。

「私は一年振りにあって以来だから、よく判らないかな……。遥、あんたは?」

 千絵子の言葉に、遥はしばらく考え込む。

「いいえ、特には……。ごめんなさい」

「ううん、いいのいいの、気にしないで。親の私でも判らないんだから」

 喜美恵は申し訳なさそうに手を振る。

「ごめんなさい足止めしちゃって。じゃ気をつけて……」

「はい、それでは失礼します」

 千絵子と遥は喜美恵に向かって礼をし、そして川住家を後にした。



 太陽が沈み、夜になっても雨は降り続いた。

 陽が落ちてから雨足がさらに強くなってきたので、歌藤らの捜査は日没とともに打ち切られた。

 天気予報では今夜中に止むとの見通しなのだが、雨は勢いを増してきている。捜査本部の歌藤らは本当に止むのかと不安な表情を浮かべていた。

「このまま雨が降ると、屋外の鑑識作業に影響がでてきますね」

 捜査員の一人が歌藤の隣で呟く。

「しゃあない。お天道様には勝てんよ」

 歌藤は窓から真っ暗な空を見上げ、渋い表情で答える。

「歌藤主任! お電話です」

 捜査本部内に歌藤を呼ぶ声が響く。電話を取った制服警官からである。

「誰からだ?」

「長渡さんからです」

「長渡か……」

 歌藤は早足で電話口へと向かい、制服警官から受話器を受け取る。

「もしもし、歌藤だ」

 受話器の向こうから、長渡の声が漏れる。制服警官はその声に聞き耳を立てるが、歌藤が鋭い視線を向けると、さっさと退散していった。

「…………そうか。思った通りだな」

 歌藤がニヤリと笑う。

「で、もう行ったのか? ……そうか」

 再び受話器から長渡の声が漏れる。その声はやや興奮している様子だった。

「……よし、判った。では明日朝に戻ってきてくれ。お疲れさん!」

 歌藤は受話器を置いた。そして再び窓際へと移動する。

「…………」

 月の出ていない真っ暗な空を見上げ、歌藤は何を思う。

「さあ、ここからどう出るよ?」

 歌藤がボソッと呟く。すると横にいた捜査員の一人が歌藤の方を向く。

 その視線に気付いた歌藤は無言で手を振りその場を離れ、そして部屋を後にする。

 その時、一人の若い捜査員が戻ってきた。

「主任!」

「おうお疲れさん、大分濡れてもうたな」

 戻ってきた捜査員は雨に大分打たれており、白いワイシャツが地肌に張り付く程濡れてしまっていた。

「加美大助の件どうだった?」

 歌藤は濡れた捜査員にタオルを手渡して訊ねる、

「はいそれなんですが、ちょっと妙なんですよ」

「妙とは?」

 若い捜査員は頭や腕を拭きながら答える。

「加美大助と似た人物がホテルの渡船に乗っていたという噂は、守る会の間ではけっこう広がっていたみたいです。しかし、実際その人物を見たというのは誰もいないんです」

 すると歌藤の眉間に皺が寄る。

「ホテルの船頭は?」

「はい、船頭もそのような人物には心当たりがないとのことです」

 若い捜査員が歌藤に、聞き込みの結果を報告していく。すると歌藤の眉間の皺は次第に深くなっていき、遂に歌藤は腕を組んで黙り込んでしまった。

「すると……、加美大助の噂だけ一人歩きして、実際島で見た人間は誰もいないということか」

「そ、そうなりますね」

「判った! 雨の中ご苦労だった。今日はもう休んでくれ」

 そして若い捜査官は、歌藤に敬礼してその場を去っていった。

「…………」

 歌藤は再び黙り込んでしまった。

 歌藤をはじめとする捜査本部は、今回の連続殺人事件に加美大助が関与していることは間違いないとしていた。

 しかし肝心の加美大助の足取りが全くといっていい程掴めない。島を出たという痕跡は勿論、島に入ったという痕跡すら見つけることができないのだ。

 そもそも何故加美大助に照準を定めたのか?

 それは遺体の状況にある。

 遺体は鋭利な刃物で全身をズタズタに切り裂かれている。その傷は大神神社の神具である「狼の爪」によるものであるとみられている。

 そしてその「狼の爪」は、加美大助失踪とともにどこかへいってしまった。つまり「狼の爪」は加美大助が何らかの理由で持ち去ったのではという可能性があるのだ。

 しかしここまで加美大助の島での足取りが見つけられないとなると、犯人は別にいるという可能性も出てくるのだ。

 そもそも動機は何なのか?

 歌藤はこれに一番頭を悩ませていた。犯人が加美大助でも他の誰かでも、その動機が全く見当つかないのだ。

 ただ遺体の損傷具合から、犯人は被害者に対して何からの恨みがあるだろうと、歌藤は踏んでいる。

「明日の夜には、解決していたら、いいのにな……」

 激しさを増す真っ暗な雨空を眺め、歌藤はボソッと呟いた……。



 翌朝、

 昨日の雨空からうってかわり、夏の青空が二日ぶりに戻ってきた。昨晩は遅くまで雨が降り続き、地面には水溜りが多数できていたが、太陽が東の空から昇ってくると、それら水溜りは徐々に小さくなり始めていた。

 そんな朝陽さす港に、一人の少女が佇んでいた。

 遥である。

「…………」

 遥は眩しい朝陽に目を細めながら、港の向こう側にある海を見つめている。港には遥以外の人影はない。船着場の待合所は未だに規制線が張られ、誰も立ち入ることはできない。尤も、規制線が張られていなくても、夥しい血飛沫が飛び散っている待合所に入ろうという者は皆無であろう。

 遥は昨晩一睡もできなかった。殺された志都美や千草のこと、父のこと、そして犯人のこと。それらに思いを巡らせていると、とても安眠できる精神状態にはなれなかったのである。そしていつの間に夜が明け、外へ出てきた次第であった。

 プップッ

 本土側の港で渡船が出航の合図を出す。釣り客のため、大神島の渡船は早朝から運転している。大神島と本土の間は近く、年代物の船でも五分とかからない。出航したかと思えば、船はもう大神島の船着場へ接岸しようとしていた。

 船が接岸すると、釣り客と思われる数人の男性が船から降りてきた。釣り客は無言で佇む遥には気にも留めず、さっさと港を後にする。

「出航するよー」

 船頭は一応遥に声をかける。しかし遥は反応しない。それを見た船頭は不思議そうな表情を浮かべながらも、船を本土へ向けて出航させる。

 この光景、今朝遥が船着場に姿を見せてから、延々と続いていた。

「…………」

 海を見つめ遥は何を想うのか……。その表情から遥の内心を窺い知ることはできない。

 そして再び本土側の港から、プップッと船の出航を知らせる合図が鳴らされる。

 船は変わることなく、五分少々で本土側から大神島の港へとやって来る。この日の朝は風がなく、波も殆ど立っていない。

 船は船着場へと接岸して停止する。そして先程と同じく、数人の釣り客が島へ降り立つ。

「えっと、お金どこだったっけ?」

「ここや。ニイチャン、いい加減覚えぇな」

 その時、遥の瞳が揺らぐ。遥は船着場に停泊する渡船に視線を変えた。

「新谷さん?……」

 遥は壮介の名を口にして、渡船へ恐る恐る近付いてみる。

 そして渡船から一人の男性が顔を出す。壮介であった。

「新谷さん!」

 遥は壮介が意外な所から姿を見せたため、驚きの声を上げる。そして遥の存在に気付いた壮介も、同様に驚きの声を上げた。

「遥さん! どうしたのこんな朝っぱらに?」

 壮介は渡船から船着場に降り立つ。そしてその壮介の元へ遥は駆け寄る。

「新谷さんこそ。いつ島から出ていたのですか?」

「昨日の夕方に。ちょっと確かめたいことがあってね」

「確かめたいこと……ですか?」

「ああ、ちょっとね」

 壮介は遥の問いに、ややはぐらかし気味に答えながら、船着場を後にする。そして遥はその後ろをついていく。

 壮介も昨晩はあまり眠れていないのか、顔色はあまりよくなかった。しかしその瞳はとてもギラギラしている。

 その瞳の色を見る限り、壮介は島の外で何かを掴んできたようであった。


「今から狼ヶ浜の祠へ行く」

 遥の問いに壮介は早歩きで答える。壮介の足は診療所にも加美家にも向かわず、あの狼ヶ浜へと続く砂利道へと向いていた。

「祠の所へですか? あそこに何が?」

 早足で砂利道を進む壮介の後ろ、遥は背中へ向けて訊ねる。

「それはまだ判らない」

 意外な答えに遥は目を丸くする。しかし壮介の足は止まらない。

「ただそこにはこの事件を解く何かがある。それが何かを確かめるために行くんだ」

 遂に壮介は走り出していた。遥も必死に後を追う。

 砂利道が獣道となり、太陽と青い空が生い茂る樹木で隠れる。そして目の前が開け狼ヶ浜が姿を見せる。壮介は足場の悪い中でもスピードを緩めることなく、祠のある洞を目指す。

「はあ、はあ、はあ……」

 壮介の後を追う遥の額からは汗が吹き出す。遥の足では今の壮介に並ぶことはできなかった。

 そして壮介は洞の中へと入っていく。やや遅れて遥も洞に到着した。

「はあ、はあ……、し、新谷さーん!」

 洞の中、遥の壮介を呼ぶ声が木霊する。しかしそれに対する壮介の返事はない。

「新谷さん、一体どうしたんだろう?」

 遥は洞の中を進む。程なく祠が現れるが、そこに壮介の姿はない。遥は祠の後方を抜け、洞の奥へと進んでいく。

「あ、新谷さん!」

 すると洞の奥、注連縄が張られている所に壮介の後姿があった。

 壮介の姿を見つけ、駆け寄ろうとした時、

「あ、ちょ、ちょっと新谷さん!」

 遥が驚きの声を上げる。壮介が注連縄をくぐり、奥へと入っていったからだ。

「え、あ……、ど、どうしよう……」

 遥は壮介の後を追っていきたかったが、それは躊躇われた。遥にはこの注連縄をくぐり奥へと進んでいけるほどの度胸はなかった。

「新谷さーん!」

 遥は腹から声をだして壮介の名を呼ぶ。すると壮介は遥の方を振り返り、両手を振った。

「え、えっと……」

 壮介の行動に対し、どうしていいか判らなかった遥は、取り合えず壮介の方へ向かい両手を振ってみた。

 しかしそれを見た壮介は、さらに奥へと進んでいく。

「ああ、ど、どうしよう……」

 奥へと進むことができない遥は注連縄の前で、ただただ壮介の帰りを待つしか術はなかった。



「あれ、遥さんこっち来ないのか……」

 後ろを振り向き、遥がついて来ていないことに気付いた壮介は、そう呟いた。

 壮介は注連縄をくぐった先、真っ暗な洞の中を歩いていた。手には島へ帰ってくる前に予め購入した懐中電灯が握られている。

 壮介は大神島へ戻る際、真っ先に訪れるつもりにしていたのが、この洞である。

 ここには何かがある。

 そんな直感が、今の壮介を突き動かしている。壮介は躊躇うことなく一歩一歩奥へと進んでいく。

 そしてしばらく進んでいくと、突如暗闇が途切れ、灰色の壁が現れる。洞の端まで行き着いたのだ。

 壮介は懐中電灯で周りを照らしてみる。上下左右隈なく照らす。

「ん?」

 壮介から見て左の壁側に何かを見つけた。壮介は懐中電灯で照らしながら近付いてみる。

「これは……」

 壮介はあるものの前に立ち、そして再び懐中電灯でそれを照らす。

 それは青色の布であった。壮介はそれを恐る恐る手に取ってみる。

「これは……、パンツ?」

 壮介が手に取ったもの、それは男性用の下着であった。所々泥で汚れ、破れてはいるものの原型は十分留めていた。

「…………」

 壮介は下着を手に持ったまま黙り込む。そして片方の手で頭を掻き毟る。

「もしかしたら、ビンゴかもしれないな!」

 壮介は再び周りを照らしてみる。そしてさらに足元を重点的に照らし出した。

「俺の考えが正しければ、ここには……」

 その時であった。

 懐中電灯が、あるものを照らし出した。

 壮介はそれを照らした状態で、その場所へと近付く。

 その場所には、特に何かがあるということではなかった。

 ただ、その場所が少しおかしいのである。

 大小の岩がゴロゴロしている洞の奥、人がここまでやってくることはほぼ皆無であろう。

 そんな洞の奥に、不自然に石が何重にも積まれた場所があった。またその周りを掘り返したような跡もあり、そこだけ地面の色が周囲と違っていた。

 壮介は積まれた石をいくつか手に取り、懐中電灯で照らしてみる。

 そして……、

「あった! ……どうやら、間違いなさそうだな」

 壮介は頭をガリガリと掻いた後、手に取った石をポケットに入れた。

「これで犯人の動機ははっきりしたな。あとは……」

 壮介は懐中電灯を地面に置き、両手を左右のポケットに入れる。

「あとは、どうやって一本の線にするかだな」

 壮介は両手をポケットから出す。

 その手には石が一つずつ握り締められていた。

「見えてきたぞ、この事件の真相、そして犯人の顔が!」

 壮介は再び石をポケットに入れ、そして懐中電灯を手に持って歩き始める。

 光の射す方へ……。


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