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第十章  糸口


 この日、壮介が大神島へやってきてから初めて、太陽が隠れた。雨こそ降ってはこないが、空はとても十二時前とは思えないくらい暗いもので、どんよりとした雲で覆われていた。しかし太陽が射していないからといって、この日が涼しいというわけではない。ジメジメとして逆に汗が吹き出してくるくらいであった。

 診療所の二階、喜志に貸してもらった部屋で、壮介は頭を抱え、横になっている。部屋はとても殺風景で、壮介の隣で扇風機がブーンと音を立てて動いているのみ。それ以外では壮介の荷物が隅に置かれているくらいで、他には何もない。

 頭を抱え横になる壮介だが、眠っているわけではなく、目はしっかりと見開いている。しかし時折瞬きをするだけで、壮介の身体はぴくりとも動かなかった。

 壮介はこの部屋に帰ってきてからずっとこの状態。その訳は、勿論港で起こった事件……。

 千草が何者かに惨殺され、そして瀬川が謎の割腹を遂げたこと……。

 千草は港の待合所から運び出され、診療所一階に安置されている。そして瀬川も一旦は診療所へ運ばれたものの、ここでは処置しきれないため、本土へと緊急移送された。瀬川の傷は出血が激しかったものの幸い急所から外れており、命には別状ないと喜志は語った。

 しかし……腹部から間欠泉のように吹き出す光景、あの一面に赤い色が吹き出す光景が、壮介の目に焼き付いて離れない。おそらくそれは、壮介が今まで見てきた中で、最も衝撃的なものであったのだろう。人間から血が吹き出す光景なんてそうそう見れるものではない。

 壮介が大神島へやってきてから、とても恐ろしいことが立て続けに起こっている。まるで壮介が死神ではないかと錯覚するように、昨日と今日惨劇が続いていた。

「…………」

 壮介は考える。

 新居志都美と川住千草。この二人に何らかの接点があるのか? 

 二人の殺され方をみて、同一犯人であることはまず間違いない。つまり犯人は二人を殺す共通の「理由」があったということ。

 そしてもう一人、重要な鍵を握る人物……。

 加美姉妹の父、大助。

 大助と千草は、同じ開発計画反対派ということで接点はあったであろう。しかし島の人間ではない志都美との接点について、壮介はまるで見当がつかない。

 そして悩みに悩んだ壮介は、頭を掻き毟ろうと爪を立てる。

 

 ブルブルブル……

 

 そんな時、壮介のお尻が震える。勿論、本当にお尻が痙攣を起こしているわけではなく、ズボンのポケットに入れてある壮介のケータイが震えているのである。

 壮介は横になったままの状態で、ケータイを取り出す。

 そのディスプレイには「俺の嫁」と出ていた。

「瑞希……!」

 それは壮介のカノジョである岡本瑞希からであった。壮介は畳の上に座り直し、電話に出る。

「もしもし……」

「もしもし、壮介君? 私! やっとかかった!」

 その声は、紛れもなく瑞希であった。そして瑞希の声を聞いた壮介の表情は、一気にほころんだ。


「もう、心配していたんだからね」

 瑞希のその言葉が、壮介の胸に染みる……。

 考えてもみれば、壮介が大神島へやってきてから、瑞希に一度も連絡を入れていなかった。勿論避けていたというわけではない。何度か連絡を入れようと考えていたのだが、その度に何かしらの事件に巻き込まれ、結局ここまでできずにいた。

「何で電源切ってたのよ?」

「え?」

 続けて出た瑞希の言葉に、壮介は声を上げる。しかしすぐにピンとくる。

 壮介のケータイは常に電源は入っていた。しかし瑞希は何度電話をかけても、呼び出し音はならなかった。

 それはつまり電波が届いていないということ。この大神島、都市部から離れたド田舎であることに加えて、周囲を山と海に囲まれた地域。電波の届く範囲が限定されてくるのである。恐らく、港の近くにあるこの診療所では、辛うじて電波が届くのであろう。逆に、川住旅館や加美家、大神神社には電波が届かない。

「悪いな、連絡遅れちまって。この辺電波が届きにくいんだよ」

「それならいいんだけれど。もうこっちじゃ大騒ぎになってるのよ!」

 構わないと言ってはいるものの、やはり瑞希の口調は荒い。カレシの身をずっと案じていたのだから、瑞希の様子は当然といえば当然。ここで素っ気なく返されたほうが、壮介にとってはショックであろう。

「大騒ぎって、どれくらいなんだ?」

 この事件について、壮介は自身が現場で見聞きした以外の情報、つまり新聞やTVでの報道についてまるで入ってきていない。旅館にも診療所にもTVはないし、新聞もない。警察に探りを入れようにも、壮介は未だ参考人として目をつけられているので、下手に動くと思わぬ火傷を負う恐れがある。

「うん、こっちではワイドショーとかでガンガン流れているよ。島の呪い連続殺人事件とか銘打たれて」

 呪いという言葉に壮介は嫌悪感を覚える。壮介はこの夏、何度この言葉を聞いたことであろう……。

「どんなカンジで流れている?」

「どんなカンジ? ええとね……、昨日はお嬢様の件かな?」

「お嬢様?」

 壮介は「お嬢様」にピンとこない様子だった。

「ほら、昨日の朝死体で発見された女の子のこと!」

 昨日の朝、死体で発見されたのは新居志都美。

「え、あの娘ってどこかのお嬢なのか?」

「うん。ちょっと待ってね、調べるから」

 電話口の向こうから何かを漁る音が聞こえた。

「ええと……、三重県の建設業、新居興産社長の長女って、新聞に書かれてあるわ」

 壮介は新居志都美の素性を、加美千絵子の同僚ということ以外、よく知らない。しかし瑞希の話によると、新聞やTVでは志都美の人となりが大々的に報道されている様子であった。

「今は速報で今朝の事件で持ちきりだよ。確か壮介君が泊まってた所の人だよね」

 もう早くも千草の事件が報道されている。まあマスコミにとっては格好のネタであろう……。

「ああそうなんだ。それでな……」

 この時、壮介は窓の外が騒々しいことに気付く。

 壮介は電話で話し続けながら、窓の方へ移動する。そして窓を開けてみる。

 そこには大勢の報道陣に囲まれて、数人捜査員と、喪服を着た人たちが診療所へと向かってきていた。

 ここで壮介は、今日の昼頃に志都美の遺体が本土へ移送されることを思い出した。

 ということは、あの喪服を着た人たちは、志都美の親族ということ。

「悪い、またこっちから電話するわ。サンキュ」

 壮介は電話を一方的に切り、部屋を出て一階へと降りる。

 階段を降りた時、ちょうど喪服の一団と鉢合わせとなる。その一団の中に長渡も混じっており、壮介へ向かい「あっちへ行ってろ」と無言で合図を送った。その合図により、壮介は階段の踊り場まで上がり、隠れるように一団に視線を送る。

 喪服の一団は全員で四人。両親と思われる二人と、兄弟と思われる少年二人……。皆表情は沈痛に沈痛を重ねたもの……。

 そしてその一団の後ろに、もう一人知った顔があった。

「あれは……、賛成派の菅林」

 新居一家に何故か菅林が、まるで一家の保護者のように同行。そして一家とともに安置所へと入っていった。



 新居一家と菅林が安置所に入ってから数分後、扉が開いた。

 そして家族と一緒に、布を被せられた一台のストレッチャーが、警官たちの手によって運び出される。

 運び出される間、誰も口を開こうとしない。ただ家族のすすり泣く声だけが、診療所の廊下に響き渡っていた……。

 ストレッチャーが階段前を通り過ぎると、踊り場にいた壮介は一階へと降り、一団の後を追う。

 一団は待合所の横を通り、出入り口へ。出入り口付近には大勢の報道陣が待機しており、診療所の前は騒然。そこに警官たちは規制線を張り、キャスターを通す道を作る。

 そして一団とストレッチャーは大量のフラッシュの中、診療所を後にした。

「やっと……か」

 待合所で一団の背中を見送った壮介の背後で声がする。振り返ると、廊下に喜志が立っていた。

「喜志先生、戻ってらしたんですか……」

「ああ、遺体の引き渡しに立ち会わんといけなかったからな」

 喜志はゆっくりと動作で、待合所のソファに腰を掛ける。その表情には疲れが滲んでいた。

「千草のほうも、夕方には持っていくそうじゃて」

「司法解剖ですか?」

 壮介の問いかけに喜志は無言で頷く。立て続けに衝撃的な事件が起きている。喜志の老体にはさぞ堪えるであろう……。

 ソファに身を横たえた喜志は大きなため息をつく。

「初めてじゃ、こんな……こんな恐ろしいことは」

 それはこの島のほぼ全ての人間が同じ思いであろう。つい一昨日まで祭で賑やかに笑い声の響く島だったのが嘘のようである。

「あの……、お疲れのところスミマセン。お伺いしたいことがあるんですが」

「……何じゃて?」

 喜志は身体を動かすことはなかったが、視線だけを壮介の方へ向ける。

「瀬川さんは千草さんとどういう関係だったのですか?」

 壮介の問いに、喜志は首だけを少し動かした。

「ああ……。これじゃてな」

 喜志はそう言うと、左手の小指を突き出した。

「へえ……。それは意外だな」

 壮介は意外と言ったが、内心はそれ以上に驚いていた。二人の年の差はもとより、開発計画の賛成派副大将と反対派大将の娘という間を考えれば、それはあまりに危険な関係といえる。

「勿論、これは秘密の関係じゃて。この件を知っているのは、わしを含めて二、三人。大神島最大のタブーじゃ」

 壮介は頭を掻く。もしこの事実をあの清太が知ったら、烈火の如く怒るであろう。

 尤も、怒り狂う相手は、もうこの世にはいないが……。

 壮介はもう一つ疑問に思っていることを、喜志にぶつけてみる。

「先程新居志都美さんの遺体受け取りの際、ご家族に混じって菅林さんがいましたよね? あれは一体……」

「……ああ」

 喜志の返事は早かったものの、今度はその後の言葉がなかなか出てこない。

 喜志は理由を知っている。しかしそれを言うのを躊躇っているような様子であった。何故躊躇うのか、当然壮介には全く判らない。

「…………」

「喜志先生……?」

 とうとう喜志は口を真一文字に結んでしまった。そしてゴロンとソファに寝そべった。

「しゃべり過ぎて、わしゃ疲れた。ちょっと寝るで……」

 喜志はポケットからハンカチを取り出し、それを顔の上においた。

 それ以後、喜志は壮介が何度呼びかけても、ウンともスンとも言わなくなってしまった。

「…………」

 この喜志の行動、壮介には理解できなかった。何故口をつぐんだのか? 壮介は特に変なことは聞いていない。ただ新居一家に何故菅林が混ざっていたのかを訊ねただけである。

 壮介は釈然とっしなかったものの、これ以上喜志に詰め寄っても収穫は得られないと判断。頭を掻きながら待合所を後にした。


 ガチャッ

 壮介は静かに診察室へと入る……。

 菅林について喜志に訊ねるも、返答を得ることはできなかった壮介。しかしそれにより途方に暮れて頭を掻き続ける壮介ではなかった。

 実のところ、ちょっとした目星はついていたのだ。そして壮介はそれを確かめるべく、この診察室へとやってきたのだ。

 以前壮介はこの診察室で、喜志にあるものを見せられた。

 大神島開発計画である。

 開発賛成派と菅林と、親が地元建設会社社長という志都美にもし接点があるとすれば、まずこれで間違いはない。

 壮介は計画の書かれた冊子を開く。そして菅林と志都美の接点を探す。一ページ、一行、一文字、隈なく探していく。

「……あっ、あった!」

 そしてそれは見つかった。冊子最後のページに載せられた協賛者名簿にである。

 新居志都美の名前こそなかったが、大神島外協賛者の欄に「新居興産株式会社」とあった。

 これで新居志都美の家と菅林が繋がった。あの場に菅林がいたことも、これで一応納得できる。

 しかし壮介には一つの疑問が浮かんだ。

 何故喜志はこれっぽっちのことを、壮介に語らなかったのだろうか?

 喜志は何か特別な事情を抱え、そのために自らのからは言えないとでもいうのか? ならばその「特別な事情」というのは、一体何なのか?

 納得したのも束の間、壮介は再び頭を掻く。


「…………」

 そんな壮介のいる診察室……。

 扉の向こう側、喜志が苦虫を噛み潰したような表情で立っていることを、壮介は知る由もなかった。



 コンコン……

「警察だ。入るぞ」

 長渡がドアをノックしてから病室へと入る。四畳半程の個室に医師と看護士、そしてベッドには瀬川がいた。

 医師は長渡と目が合うと、軽く会釈をする。長渡も会釈をして、警察手帳を提示した。

「よかった、大事に至らなくて」

 長渡はベッドで横になる瀬川に声をかける。しかし瀬川が口を開こうとせず、ただ無機質な天井を眺めていた。

 瀬川の目はしっかりと開いている。意識もあり呼吸は少し荒いもののしっかりとしている。しかしその表情には「生気」が感じられない。朝は何ともなかったのに、無精髭が伸び、所々白髪が出ていた。

 千草の死を目の当たりにし、割腹自殺を図った瀬川。

 当初は非常に危険な状態だったが、幸い急所は外れており、大量出血の割りに傷は浅かった。しかしそれにより瀬川の意識が途切れることがなく、処置を受けるまで瀬川は地獄のような痛みと闘うこととなってしまった。

 瀬川にとって、それは死ぬよりも苦しいことだったであろう……。

「申し訳ないが、少し席を外してもらえないかな」

 長渡が医師たちにそう告げる。医師と看護士は再び軽く会釈をした後、病室から出て行った。

「さて……、早速で悪いが、色々聞かせてもらうぞ」

 長渡はベッドの横に置かれていたパイプ椅子に座り、そして手帳を広げる。

「…………」

 しかし、瀬川は何の反応も示さず、天井を見つめるだけだった……。


 ………………

「あ、もしもし主任ですか? 長渡です」

 病院の駐車場で、長渡はケータイで話をしていた。

 空は灰色の雲に覆われ、射すような陽射しからは免れているものの、その分ジメジメとして言い様のない不快感に襲われていた。

 長渡が電話をしている相手は、大神島に残って捜査を続けている歌藤。

「瀬川、駄目でした。まだ話ができる状態じゃないですね」

「そうか……、ケガはどうなんだ?」

「腹部裂傷で、医師によると全治一ヶ月という話です。でももう一般病室に移っています」

「そうか。取り合えずはよかったな。引き続き、瀬川に張り付いていてくれ」

「了解です。そちらは何か進展しましたか?」

「いやあ、今のところさっぱりだ。一応川住千草と新居志都美の共通する交友関係について、聞き込みを行っているんだがな……」

 その後、長渡は何言か話し、ケータイを切り、ポケットからハンカチを取り出して額の汗をぬぐう。

 そしてハンカチをポケットに仕舞い、ふと空を見上げる。

「こりゃ一雨きそうな空だな……」

 長渡の言う通り、空は今にも泣き出しそうな様相。この地方には久しぶりの雨となりそうであった。

 そしてこの空は、大神島へも続いていた……。



 十三時前に、壮介は診療所を出た。

 目的は昼食の買出しで、行き先は港前の商店。

 壮介が島へとやってきた時、千草が買い物をしていた商店である。

 商店は診療所から歩いて五分程、今回初めて行くことになるが、場所は港前の目立つところにあるので、迷わず行くことができた。喜志の話しによれば、ここ以外にも商店や食堂が島に点在しているそうであるが、迷うと色々と厄介であるため、一番手堅いこの商店に決めていた。

 ただ食事の買出しといっても、壮介に大したものは作れない。せいぜい弁当やオニギリ、カップ麺程度のものである。

 壮介は商店で、カップ麺とサンドイッチ、そしてペットボトルのお茶を一本購入して、すぐに商店を後にする。

 別にゆっくり買い物をすればいいのだが、やや急いで商店を出たのには理由があった。

 とうとう空が泣き始めたのである。まだポツリポツリ程度ではあるが、これでは決して済まないことは、凡そ昼間とは思えないくらい暗さの空が物語っていた。

 商店を出た壮介は小走りで、診療所へと戻る。まだ小降りも小降りだが、夏の雨はいきなり勢いを増すことがある。

 そして壮介が診療所前に差し掛かった時であった。

 診療所方面と島の西側へと続く道への分かれ道付近に、壮介の知った少女の後姿があった。

「あれは、遥さんか?」

 壮介の位置からは、その表情を見ることはできないが、少女の着ているワンピースに見覚えがあった。

 遥はその分かれ道を直進し、島の南側へ続く道へと入っていく。

 壮介は遥に声をかけようと、小走りに後を追う。

 しかし壮介の足が急に止まる。

「確か、あっちって……」

 その時、壮介は思い出した。

 この道はあの狼ヶ浜へと続く道でもあるということを……。

 よく見ると、診療所方面へと続く道は、石畳で整備されているが、西側へと続く道のほうは、整備されていない砂利道で、周囲の雑草や茂みの量がどっと増えている。

 島の西側には民家が殆どなく、島で一番寂しい地区である。そんな所へ、遥はたった一人で入ろうとしていた。

 そしてこの先には、壮介が変貌した千草を目の当たりにした、あの狼ヶ浜がある……。

 壮介はあの時のことが未だに脳裏に焼き付いて離れない。正直言って、この先へは二度と足を踏み入れたくない気分なのだ。

 しかし壮介はそちらへと足を向けた。本当は行きたくないはずなのだが、何故か自然と足が動く。

 

「この先に、この惨劇を解く、何かがあるかもしれない」


 そして壮介は大きな声で、遥の名を呼ぶ。

 雨は降っているが、耐えられない程ではない……。

 全く根拠のない思いが、もう後戻りできないところまで壮介を誘おうとしていた。

 

 

「遥さーん!」

 壮介は大きな声で名を呼ぶも、それは全く届いていないようで、遥は壮介に振り向くことなく砂利道を歩き続ける。

 そしてその砂利道は次第に周囲を木々や茂みで覆われはじめ、まるで獣道のようになってくる。

 壮介は遥の後を追い続ける。最初は追いつこうと考えていたが、遥がどこへ向かっているのか気になったので、気付かれないように一定の距離をとってついて行く。

「このまま行ったら、狼ヶ浜だよな」

 この道は昨晩、千草に連れられて通った道。夜は勿論暗かったが、昼は昼で暗い。周囲の木々が日光を遮っているからだ。さらに今日は空を厚い雲が覆っているため、余計に暗かった。

 程なくして波音が聞こえ始める。横を向くと、木々の間から海が見える。壮介は昨晩確かにここを歩いて狼ヶ浜へ行ったのだとジワジワを思いだす。あの時聞いた音が、ほぼ同じタイミングで奏でられている。

 そして目の前が開ける。そこには石やゴミが散らばった砂浜が広がる。

 狼ヶ浜である。

「遥さんは?……」

 壮介は遥の姿を探す。すると壮介から見て右側の磯場に遥の姿があった。遥は危なっかしい足取りで、磯場を進んでいた。

 壮介は遥の後を追う。磯場はそれ程険しいものではないが、こんな所で転んだら出血もののケガをしてしまう。壮介は足元に気をつけながら磯場に足を踏み入れる。

「ん、あれは?」

 磯場に足を踏み入れた壮介の目に飛び込んできたのは、磯場の崖にできた大きな洞であった。遥はその洞へと向かっている。

 ザーーーッ

 雨が急に強くなってきた。そのためか、遥の足が速くなる。壮介も足元を気をつけながらも歩幅を広げる。

 その時遥が不意に後ろを振り返った。そして後ろをついてきていた壮介の存在に気付く。

 壮介と目が合った瞬間、かなり驚いたような表情を見せていたが、雨の勢いが増してきたこともあり、遥は壮介に手招きし、洞に入るよう促す。

 それを見た壮介は急いで遥の元へと向かった。


「新谷さん、どうしてここに?」

 壮介と顔を合わせた遥の第一声はこれである。

 しかしそれは壮介も同じである。何故遥はこんな所に来ているのだろうか?

 壮介は不思議そうな表情を浮かべる遥の顔から視線を落とす。遥は胸に紙袋を抱えていた。

「いやあ、港前で呼んだんだけれど、気付いてもらえなくて……。ゴメン、何かつけてきちゃったみたいで」

「いえ、私は全然構わないですが……。ここは島の人でもあまり近づかない所なので」

 その言葉に壮介は苦笑いを浮かべる。

「濡れちゃいましたね。大丈夫ですか? よかったら、これ使ってください」

 そう言うと、遥はポケットからハンカチを取り出して壮介に渡した。

「ああ、ありがとうございます」

 壮介はハンカチを受け取り、腕や首筋を拭いた。

「まさか、こんなに降ってきちゃうとは思わなかったです」

 壮介からハンカチを受け取った遥も苦笑いを浮かべる。

「そうですね……。ところで、遥さんはどうしてここへ?」

 壮介は再び遥の抱える紙袋に視線を落とす。それに気付いた遥はクルッと振り返った。

「……お参りです」

「お参り?……」

 遥は無言で洞の奥へと歩を進める。壮介もその後ろをついていく。

「あ、あれは……」

 すると程なくして、小さな祠が姿を現した。

「ここは、昔の大神神社なんです」

 遥はそう言うと、祠の前で腰を下ろす。

「ここが?」

 この時、壮介は千草の言っていた「狼の社」について思い出し、背筋をビクッとさせる。千草の言っていた、生贄を捧げるための社は実在していたのだ。

「そして、ここは私たちにとって、とても大切な場所なんです……」

「大切な場所?」

 遥は紙袋から、花とワンカップ酒を取り出した。

 そして祠の前に挿してある枯れた花と、紙袋から取り出した花を交換し、ワンカップ酒を祠の前に置いた。

「…………」

 そして遥は拍手を打ち、手を合わせて目を瞑る。それにつられ壮介も手を合わせる。

 十秒程そのような状態が続く。

 そして遥は目を開け、手を下ろす。

「ここは、私と姉の秘密の遊び場でした」

 遥は立ち上がり、壮介の方へ向き直る。すると壮介は未だ目を閉じて手を合わせたまま。その姿に遥はクスッと笑みを浮かべ、それに気付いた壮介は慌てて目を開ける。

「姉は昔から腕白で、いつも男の子に混じって遊んでいました。そんな姉に連れられて、私はこの場所を知りました。何でも、姉が一人で探検ごっこをしている時、偶然ここを見つけたそうなんです」

 遥は枯れた花を持ってきた紙袋に仕舞う。そして持ってきていた雑巾で社を拭く。

「それ以来、ここは私と姉の秘密基地のような場所となりました。姉は、ここは秘密の場所だから、誰にも言っちゃダメだと私に言いました。今考えたら、こんな社があるのだから、秘密なんて有り得ないですよね。でも当時の私たちは子供だったから、誰も知らない秘密の場所を作ったことが、楽しくてしょうがなかったのです」

 遥は再びクスッと笑う。あの頃の子供じみた「秘密ごっこ」に笑っているのであろうか。

「今でもここにはよく来るの?」

 すると遥は頷く。

「よくって程ではないですが、二週間に一度くらいは、ここの掃除に」

 壮介は社へと近付く。社の向こうは真っ暗だが、次第に目が慣れてくる。

「ん?」

 そして壮介は社の奥に、まだ空洞があることに気付く。

「この奥は何があるか知ってる?」

「いえ、そこまで入ったことはないですね。古い注連縄が張ってあります」

 壮介は足元に気をつけながら社の奥へと進む。

「あ、新谷さん、危ないですよ!」

 遥が呼び止めるも、壮介は暗闇の奥へと突き進んでいく。

 社の奥は三、四メートル程の幅があるものの、高さは二メーター弱で、壮介が頭上を気にする程度。

 そして五メートル程進んだ所に、所々緑色に変色した注連縄が張られていた。空間はその先も続いているようで、壮介がいくら目を凝らしても何ら見えなかった。

「これか……、随分年代物の注連縄だな」

 壮介はそう言いながら、注連縄に手を触れようと近付く。

「あれ?」

 そして壮介が注連縄に触れた、その時!

「うわっ!」

「きゃっ、新谷さん!」

 暗闇の中、壮介は足を滑らせて転倒した。頭は打たなかったものの、腕や足を岩に強打した。

「いって……」

 身体を岩に打ち付けた壮介は悶絶。しばらくその場から動けなかった。

「新谷さん! だ、大丈夫ですか!」

 遥が心配そうに駆け寄る。

「あ、ああ……、ご、ごめん」

 全身に走る激痛を堪えながら、壮介は身体を起こす。

「きゃっ!」

 遥が再び悲鳴を上げる。そして震えながら壮介の左腕を指差す。

「新谷さん、腕から血が……」

 見ると、壮介の左腕から出血があり、肘から下へと流れ落ちていた。

「ああ、ホントだ……」

 壮介は右手で流れる血を拭う。血は腕から流れ、地面の石にも付着していた。

「ああ、けっこう出てんな」

 壮介は右手で、石についてしまった血も拭い去る。

「……あれ?」

 急に壮介は眉間に皺を寄せる。

 壮介の視線は自らの血を拭った石へと向けられていた。

「新谷さん、どうされたのですか?」

 壮介は地面に転がる一つの石を手に持った。

「…………」

 そして壮介はその石を手でこすり始めた。

 何度も何度も、手が擦り切れてしまうのではないかと感じる程に、石を擦る。

 その意味不明な行動を、遥はキョトンとした表情で見つめている。

 五分程、壮介は石を擦り続けた。

 そして今まで擦り続けていた石をポケットに入れ、立ち上がった。

「新谷さん……」

 遥は壮介に駆け寄り、持っていたハンカチを左腕の傷口にあてがう。出血は未だ止まっていない。

 しかし壮介の関心は、そちらになかった。

 ただ注連縄の張られた、暗闇の向こう側をじっ見つめていた……。



 その後壮介と遥は、雨が小降りになったのを見計らって狼ヶ浜を出発。共に診療所へと向かった。

 診療所に入ると、待合所に喜志が立っており、壮介が遥と連れ立って帰ってきたことに少し驚いていたが、同時に壮介の腕の傷にも気付き、すぐ診察室へと通された。

 傷は尖った石による裂傷で、縫合の必要はないもののけっこう深いものであった。取り合えず消毒の処置がなされ、二の腕には包帯が巻かれた。

「二、三日左腕はあまり動かさんようにな」

 喜志は何故このような傷を負ったかについて、壮介に訊ねてはこなかった。

 そして壮介は喜志に礼を言い、診察室を後にした。

「ありがとう、もう大丈夫」

 待合所で壮介は遥に頭を下げた。遥の表情は未だ心配そうだ。

「本当に、ごめんなさい……」

「いやいや、遥さんは何も悪くない。完全に俺の不注意だ」

 壮介は左腕を押さえ、申し訳なさそうな表情で答える。確かに、この怪我は壮介が注連縄に気をとられたことによるもの。遥に特別非があるということではない。

「そんな思っていた程ひどくないみたいだから。二、三日このままでいたら大丈夫ですよ」

 壮介は未だ不安げな遥へ向け、ニカッと笑顔を作り、腕をブンブン動かしてみせる。

「いでっ!」

 だが、無駄に動かしすぎたのか、左腕を押さえて顔をしかめる。

「はは、いやいや……」

 壮介は苦笑いを浮かべ、頭をポリポリと掻いた。

「……もう」

 そんな壮介の姿を見て、遥にも笑顔が戻った。

 その後、やはり壮介の左腕を心配していたものの、遥は診療所を後にした。

 遥の背中を見送った壮介。遥の姿が見えなくなると、すぐさま二階へと上がった。


 二階の部屋に戻った壮介は、ポケットに中に入れていた石を取り出す。

 石はソフトボールくらいの大きさで、灰色をしている。そしてその灰色のなかに、赤黒いシミがついていた。

 壮介は社の奥でしたように、その石の表面を手で擦ってみた。

 何度も、何度も、繰り返し擦ってみる

 ………………

 壮介は自分の掌を見つめる。

 手には何もついていない……。

「まさか、これは……」

 壮介はガリガリと髪の毛を掻き毟る。

「このシミ、これがもし、血ならば……」

 壮介は頭を抱え、しばらく黙り込む。

 そして、ガバッと顔を上げる。

「詳しく調べてみる必要がありそうだな……」

 壮介の瞳が、いつになくギラギラしていた。

 きっかけはちょっとした好奇心。

 その結果、思いのよらない所にまで辿り着いてしまう。

 そしてそれは、もう後戻りのできない所。

 壮介は見つけてしまったようだ。

 この惨劇を解く、糸口を……。


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