海を渡って
一ヶ月が経った。俺は今、日本に行く飛行機に揺られている。
――一ヶ月前の俺からは想像も出来ない身分だ。孤児院育ちの子供が仕事にありつけるなんてこと、極貧国のファリカではあり得ない。
だから少なくとも、軍を目指したこと。これは間違いじゃなかったんだ。
ただ……。
「確度の高いと言える情報なのか、それは」
「日本の空軍パイロットが哨戒中に竜を見たなんて素面で言い出したら、世の中の前提が崩壊するわ。――あ、空軍って言わないんだっけ。まあ、それはいいか、些細な事ね」
「君の意見は確かに正しいと思うが……もう少し精査の時間が必要だったんじゃないか?」
「精査している間に、ファリカのようなことになったらどうするの? 私達は英雄から一転、世界の税金泥棒よ? 何もしないよりはずっとマシ。そうじゃない?」
「……わかった。俺はお前達が仕事をしやすいように現地の人間と話を付ける。ま、こっちに頭下げて頼ってきたんだ。前のように邪魔されることはないだろう」
「竜にはボコボコ、人間には爆薬を仕掛けられる――今回はそのどっちでもないことを祈るわ」
「人に爆殺されたら、絶対にお前を祟り殺してやる」
「いい度胸ね、私の守護霊と十二の頃に集めた十字架コレクションが火を吹くわよ。私の一押しは蛇が巻き付いているんだから。亡霊のあなたを絞め殺してやる」
「……なんで集めたんだ?」
「そういう時期って誰にでもない?」
ティナの話し相手――セドリック・アーカントーチの困った顔が、俺の方を向く。
俺は、小さく肩をすくめた。
「まぁ、少年少女の多感な年頃ということで。……そろそろ着くぞ。この輸送機は滑走路に置いておかなければならないそうだ。ウィクトーリアもここに残すことになる」
「それじゃ、すぐに動けない」
「……管轄外でいきなりドンパチをおっ始められても困る、ということだ」
「じゃ、竜が攻めてきたら書類でも出せばいいのかしら」
「かもしれんな。聞いておこう」
うわ、ぞっとする……と、ティナが小声でつぶやいたのが聞こえた。口には出さないが、珍しく意見が一致したな。
「現地についてからの、俺達は?」
「基地内に部屋をとってもらえるだろう。……いや、とらせる。二人は休んでくれ。いざという時に疲労が残っているのはまずい」
「了解」
「セド、可能な限りの量の資料を用意させて。フライトレコーダーの類は最優先。本人の証言はいらないわ。瞬間的な出来事だろうし、バリバリ先入観が入った情報を渡されても困る」
「はいはい、了解しましたよ」
飛行機は驚くほど静かに着陸した。
人生初の日本上陸――ただ、ここは人工的に作られた離島で、日本の本土からは数百キロ離れているけれど。
俺達は、「国際連合所属・竜対策特別機動隊」などという堅苦しい名前で呼ばれている。
今までに仕留めた竜は二匹だけだが、それは人類が倒した竜の数と同量だ。
それはつまり、竜に抗する力を持っているのは俺達だけということ。
「――この空のどこかに、いるのかね、竜が」
輸送機から降りて、見上げた空には異変の兆候一つさえない。澄み渡った綺麗な空だ。雲がゆっくりと動くだけ。日差しはファリカのものより少し強いか。
「連中に小国、大国の区別はない……よく知ってるでしょ? 私はウィクトーリアの微調整をする。あなたにも付き合って欲しいんだけど?」
「お断り」
「あ?」
「せめて調整とやらをするために、俺が一日以上寝たきりになるのを改善しろ。話はそれからだ、マッドサイエンティスト」
そう、神骸機には重篤な欠陥がある。いや、このマッドサイエンティストに言わせるとそれは些細な問題らしいんだが――機体から降りたあと、俺の意識は一日以上再覚醒しない。
ウィクトーリアの中に俺の意識が置いてけぼりにされるような感覚。機体の中には俺の一部がまだ残っていて、降りたばかりの俺にはそれがない。だから起きることができない――と、俺は思っている……のだが……マッドサイエンティストのご意見は辛辣だ。
「だったら、あなたが一日寝たきりにならないような強靱な精神力を身につけてちょうだい。そうよ、その為にも微調整がひつ――」
「話にならん」
俺は話を打ち切り、建物に入っていくセドリックの後に続いた。
マッドサイエンティストと話したってしょうがない。俺とは生きている世界が違うのだ。
「いやいや、遠い所からよくお越しを。まずは、厚く御礼申し上げます」
この基地の指揮官、蓮上潤生は俺とセドリックを迎え入れて、深々と頭を下げた。
思っていた以上に老人だ。六十代の半ば頃だろうか。表情は次の瞬間永眠してもおかしくないように思えるくらい穏やかだ。
そんな老人に、セドリックは恭しく頭を下げた。ブロンドのオールバック長身男は、ザ・英国紳士とでも言うべき佇まいだ。
「こちらこそ、働き場を与えてくださって光栄です」
「さて、働き場になるかどうか――こちらの手持ちの情報も確度が高いとは言えません。とはいえ、先のファリカやアメリカのような惨事が起きないとも限りませんからな」
「我々の働き場というのは、そのような惨事を防ぐことです。――惨事が起きないに越したことはありません。幸いにも、お金は潤沢にいただいていますから。多少、湯水の如く使ったところで、問題はありません」
「はっはっは、なかなか剛毅なことで」
老人はひとしきり笑ったあと、机の上の棚からファイルを一冊取り出した。
「発見当日のデータ諸々です。お納めください。……事前にお送りしたものとは、若干差違があるやもしれません」
「ありがたく。フライトレコーダーの類は提供していただけますか?」
「もちろん。発見者の機体は無事でしたし」
「……ちょっと待った。落とされてないのか?」
「誰が落とされたと言った?」
「いや、だって竜と出会したら……少なくとも、やり合うことにはなるんじゃないか? 俺の時も、アメリカの時もそうだっただろう?」
俺の言葉に、老人は大きく口を開けて笑い出した。
「はっはっは、こちらがあの神骸機とやらのパイロットさんですか。こんなにお若いとは……。私はてっきりあなたの方が……」
と、老人はセドリックを見やる。
「私は、残念ながら乗れなかったので。今は、言うならばお目付役です」
セドリックは俺の前の、ウィクトーリアのテストパイロットだったという。
詳しいことは本人も語りたがらないし、俺も聞きたいとは思わない。
確かなのは現実だけ。ウィクトーリアには俺が乗っていて、セドリックは俺を後方から支援してくれている――それだけだ。
「おっと、すっかり忘れていた。トレイン。自己紹介を」
「トレイン・ハートライトと言います。ファリカの……壊滅した地域の孤児院で暮らしていました」
「なんと、それは……。では、あの戦いは弔い合戦であったということですか……。それにしても、お二人とも日本語がお上手だ」
「物覚えはいい方なので。それに、始まってみるとなかなか仕事がなくて、座学に集中する時間が必要以上にとれましてね。こっちのトレインは、それ以上に天才というやつです。うちのボスには負けますがね」
「はあ、そういえば設計士の方がいらっしゃるのでしたね。そちらの方は?」
「さあ、今頃自分の作品の面倒でも見てるんじゃない? あいつにとっては命より重要みたいだし。――セド、俺、先に休むわ。アレが出たら呼んで。難しい話はあいつとしてくれ」
「了解。長旅お疲れさま。ゆっくり休め」
「なら、皆様の部屋に案内させましょう。……ええと、」
「私のことはセドリックと。エリート街道を邁進していたのは昔の話。今は肩書きらしい肩書きのない、ただのお目付役ですから。何より、あなたの方がずっと年上でしょう?」
「わかりました。では、セドリック殿はどうされますか?」
「もう少し、情報をいただければと。些細なものでも構いません。うちのトップは……狂人ですが、天才なので。何から手がかりを見つけるかわかりません」
「では、考え得るだけの情報をお渡ししましょう」
大人達の会談が始まったのを尻目に、俺は案内の兵士と共に、二段ベッドが二組ある簡素な部屋に通されたのだった。
――それから、早くも二週間が経とうとしていた。
その間に起きたことと言えば、現地の皆さんの温かい歓迎を受けたぐらいか。食事に訳のわからない調味料を混ぜられるわ、座っている椅子を蹴飛ばされるわ、日本人の陰険なこと。
お陰で、最近は食事も部屋で取ることが多くなった。食堂から部屋に移る間に飯は冷えるし、嫌でもマッドサイエンティストと顔を着き合わせなきゃならない。事あるごとに調整という名の実験台になることを強要されるのはもうたくさんだ。
「暇か?」
「暇」
セドリックは日に二度、国連本部に業務連絡を入れている。情報の分析は全てティナに任たようで、いつも眠そうにキーボードをカタカタ鳴らしている。
「日報、代わりに打つか?」
「それ、暇潰しになる?」
「あまりにも退屈で倦怠感が三割増になるぞ」
「最高。死んでもやりたくない」
「そうか、残念だ。……今回の相手についての、お前の意見は?」
「分析はマッドサイエンティストに任せてるんじゃないの?」
「実際に命を張るのはお前だ。……現場の指揮官として、トレイン・ハートライトの意見を聞きたい」
俺はセドリックに見せられた、戦闘機の航行記録の映像を思い出す。
それは本当に一瞬だった。何の前触れもなく、霞のように銀色の鱗は空中に現れた。
戦闘機はもちろん回避行動を取ろうとする。だが、明らかに間に合う距離ではなかった。
しかし――戦闘機は落ちなかった。竜は再び姿を消し、戦闘機の搭載カメラは青い空と白い雲だけを映した。
「霞みたいな竜だ。姿を消すのも現すのもお手の物。竜単体の戦闘力はよくわからないが、高速で飛ぶ戦闘機をあの一瞬で回避していることから、機動力があるのは間違いない。ただ、ウィクトーリアの速さなら対処はできる――と思う。あとは出たとこ勝負かな」
「蒼い炎の竜と、アメリカの黒い竜と比較した感想は?」
「――今度は、まぐれがなくてもちゃんと勝つ」
「運も実力のうちだ」
「もし俺が初戦で死んだ後にそんなこと言うやつがいたら、片っ端から呪い殺す。二度目のまぐれはない。そう思っていないと」
「……なら、少しぐらいティナにも協力的な姿勢を見せてやれないか? ぶっつけ本番で恥かくのは私達だって嘆いてたぞ」
「だったら仕様を改善しろっての、アホらしい」
「ま、安全性や使い勝手の観点からいっても、確かに現状の神骸機には首を捻らざるを得ないのは確かだ。機体を調整していたパイロットは今寝たきりになっているので、有事の際の出撃は不可能です……なんて笑いものだ」
セドは椅子にもたれかかりながら伸びをしつつ、ため息を吐いた。
「神骸機ってのは……一体何なんだろうな」
「マッドサイエンティストに聞いてくれ。俺は、与えられたものを使ってるだけさ」
「疑問に思ったりはしないのか?」
「……色々と不満はあるけど、最終的に竜を倒せるのはアレしかなくて、動かせるのは俺だけなんだ。余計なこと考えたってしょうがないだろ。そういうの、セドやあのマッドサイエンティストの仕事……だと思うけど?」
「ははっ……それもそうか。いいねえ、若いって」
「なんか言った?」
「いやいや、何にも」
なんか余計な一言が付け足されたような気がしたけど――気のせいだったか?




