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「・・・・・・ヒッ!」
茉璃香は、乗車中に背筋をよぎる嫌な予感に、短く悲鳴を上げたのだった。
「しのぶちゃん!そっちはどうなの?一志君は無事でいるの!?」
「それが、わからないの!お兄ちゃん、飛び込んでったら、そのあと、ドカーンってなって。バリーンってなって・・どうしよう?お兄ちゃんが!お兄ちゃんが!」
あれからすぐに・・おそらく、一志が、屋敷内に入ったであろう辺りから、携帯が突然切れてしまったのである。
たまらずに、茉璃香も、資料の捜索を他のスタッフに任せて、慌てて駆けつけてる最中であった。
「とにかく、落ち着いて!中で騒ぎがあってるってことは、一志君が頑張って、持ちこたえてるってことだから。あと、しのぶちゃんは、絶対!その場にいて、近づいちゃダメだからね」
心配で、胸が、張り裂けそうなしのぶをなんとかなだめようとするが、茉璃香の方も、心境は、同様であった。
本来の心配性も重なって、あれこれ最悪のケースばかり、想定してしまう。
もう、迷ってもいられない。
誤解なら、あとで何度でも頭を下げるとして、茉璃香は110番する。
緊急事態に、自分は、なんの役にも立たないと自覚していたから。
今も、動悸が乱れ、倒れてしまいそう体を意志の力で、奮い立たせているに過ぎないのだ。
茉璃香も、一志のために、懸命に戦っていた。
「ガアーーーーーーッ!」
アイリを抱きしめたまま、一志は叫び声を上げた。
既で、円筒形のナイフの機能を思い出した。
アイリに飛びつき、背中に回した腕で、ナイフの刃を受け止めることができた。
着ていたジャンパーのおかげで、深手には至っていない。
そうでなければ、骨すら断ち切って貫通した挙句、その美しい髪をアイリ自身の血で、染め上げることになっただろう。
「ウオラッ!」
気合で、痛みをこらえ、刃を振り捨てた。
そのはずみで、鮮血が円を描く。
深手ではないが、利き腕は、もう使えなさそうだ。
だが、もう十分だ。
これだけの犯罪の証拠をぶちまければ、法的機関がいくらでも踏み込めるであろう。
携帯は、途中で電波が途切れたようだが、これまでの会話は録音してある。
あとは、外の、しのぶか茉璃香が、上手く立ち回ってくれるだろう。
もう、それで任せて、痛みに転げ回りたいぐらいであったが・・・そうもいかない。
「・・ヒッ・・・フッ・・・・・」
アイリが泣き顔で、近距離で行われた惨劇が理解できないのか、腕の中で、引きつった声を発していたのだ。
「しっかりしろ!血を流してるのは、俺だ!お前じゃない!」
その声が、届いているのか疑わしい。
瞳孔が開き、わなわなと震えて、意識があるのだろうか?
ものごごろついた頃には、後頭部に重圧に耐え、その後も被験者として・・・それこそ、道具として扱いを受けた人生。
それを全否定する、この事実。
人は傷つき、痛みを覚え、温かな血を流す生き物なのだ!
それが刻み込まれた時、アイリの中で光が弾けた。
「アーーーーーーーーーーーーーーーッ!」
戦車ロボが飛び上がり、無感傷にヘルメットに装置をはめ込んだ男に、殴りかかった。
「ひぃゃーーーーーーーーーーー!」
今度は、王冶が悲鳴をあげる番だった。
避けるというよりは、恐怖にとらわれて、頭を抱えてるように見えたが、あとはわからない。
振り抜いた拳は、たやすく壁を突き破り、それでも止まらず、その巨体ごと壁の向こうに消えた。
「アーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」
アイリの絶叫と共に、ロボットは無茶苦茶に暴れまわる。
埃を舞い上げ、瓦礫を撒き散らし、そこにある物をすべて壊しまくる。
あらゆる家財、壁という壁、柱という柱に至るまで、お構いなしに。
そして、屋敷が屋根から崩れだして、降り注ぐその欠片から、一志はアイリを守るために、必死で覆いかぶさっていた。
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どのぐらい、そうしていたのか・・
光が差し込んで、降ってくる物もなくなりだした頃、一志はようやく、抱きしめた腕を緩めた。
「もういい。よくやった」
言葉として、それが正しかったのかはわからないが、
一志がそう語りかけると、アイリは叫び続けるのをやめて、落ち着いた・・というより、力を使い果たしたのであろう・・膝から崩れ落ちて、一志に抱きとめられた。
そのまま見回せば、屋敷は半壊していて、辺りは随分と壮観になっていた。
壁に、穴があきまくって、かろうじて、屋敷の原型が、補強された窓や扉によって支えられてるありさまで。
最初にあった、陰湿さなど見る影もなくなっていた。
「う・・・ぬ・・ぬぬ」
段の下から、うめき声が聞こえた。
気を失ったアイリをそこに横にして、覗いてみると、王冶がいた。
王冶の言うとおり、害獣とは、存外にしぶとい。
瓦礫に埋もれて、右足の方が、変形したまま挟まれていて、仰向けに動けずにいるようだ。
そのままで、何かを掴もうと伸ばす手の先には、例のヘルメットがあった。
一志は、武器を片手に降り立つ。
「ひぃ!」
王冶が、自ら持ち出した電磁警棒を構えている一志に、恐怖の悲鳴を上げた。
「殺すのか!?私を?不要な人間を排除し、世界を救う救世主たる、この私を!」
「い~や、アンタ一人に、いなくなってくれた方が、よほど面倒がなくていい」
王冶の言に、まるで無関心に、一志は歩を進める。
「アイリのことで怒っているのか?改革に必要な、崇高な犠牲なのだぞ!」
「押し付けられて、決めつけられて、なにが崇高だ。俺が誰かの犠牲になるとしたら、その相手ぐらいは、自分で選びたいわい」
目盛を最大にして、放出する電気が見えるほど、警棒の電圧を上げる。
「人間の進歩に、見込みのない者が生きている方こそ罪ではないか!そんなゴミ共が溢れてるこの地球上で、誰かがやらねばならないことが、何故理解できない!」
「この世はなぁ!一人一人が苦しみのたうっても、這い上がるから、意味があるんだよ!」
警棒を高々と振り上げる。
「戦う前に負けを認めた・・いや、負けを認めるのが嫌だから、戦うことからも逃げ回ってるようなクズが、決めつけるんじゃねぇ!」
怒号と共に、警棒を振り下ろしたのだった。
バヒュン
「なにっ!」
横から飛んできたネットが、一志の動きを封じた。
新手の敵か!?
王冶に、他に仲間がいたのか?
一志の攻撃は既で塞がれ、これぞ天祐と、王冶は、痛み以外の感覚のない右足を引きずり出し、ヘルメットを掴み、被った。
「ハハハッ、私の勝ちだ!回線、フルオープン!もはや、肉体などいらぬ。私の精神が世界となる。支配してやるぞ!街を!国を!そして世界を!手始めに、この場所に、核ミサイルでも、打ち込んでやる」
「無理ですね、そんなことは」
そこに、えらく冷淡に、事実を述べた者がいた。
「お久しぶりです・・と、ここはあえて、こう挨拶させていただきます、乙星王冶さん。里柾祈吉の娘の茉璃香です」
どうやら、一志を止めてくれたのは、茉璃香だったようだ。
得物は、車に常備携帯している、不審者撃退用の、バズーカ型のネット銃。
ここであったことは、屋敷が壊れたとたんに送られた、一志の携帯のメモリーから把握している。
「たった今、当時の研究所の設備に残っていた、データをまとめました。そのヘルメットは、あくまで装着者の五感をプログラム化して、送受信するだけの装置だと。対象となる、コンピューターのプロテクトを超えるほどの性能はないそうです」
茉璃香は、その報告書であろうファイルを王冶の前にばら撒いて見せた。
「なにを馬鹿な!この惨状を見ろ。これが、このマシンの持つ力でなくて、なんだと言うんだ!」
「ESP・・愛情に恵まれない、特に女の子が、そのストレスから、手を触れずに物体を動かす能力を発揮した事例があります。あなたが、アイリちゃんに行っていた研究とやらも、アイリちゃん自身の能力をパワーアップさせる、暗示的なものに過ぎなかった・・・こちらは、そう結論づけました」
王冶は、アウアウと、口をパクパクさせるだけで、なにも反論を思いつかないみたいだ。
それどころか、信じたくない思いでいっぱいであろう。
自分の半生が、まったくの無駄どころか、自らの勘違いと思い込みと、娘にこそ備わった、特別な超能力に振り回された挙句など。
「メカと一体化するために、装着者の意識を奪い、その欠点を誤魔化すために、あたかも、まるで電脳世界に取り込まれたみたいなビジョンを見せる・・自分こそが優秀で特別だという妄想に取りつかれたあなたに、ふさわしい作品ですね。それともう一つ、そのメカがいくら高性能でも、十年前のスペック。調整もなく使用するには、装着者の脳が耐えられない可能性があるとのことですよ」
「なんだとっ!?」
王冶は慌てるが、慌てて、それをどう行動に移すかが思いつかないみたいだ。
そんな、慌てふためく姿に、今時のデザインのヘルメットが、よく似合っていた。
「どうするんです?そんな、地球の外にまで飛び出しそうなぐらい、回線をフル稼働して。間違いなく、人間の脳の処理能力を超えてますよ」
忠告するも、後の祭りであった。
この難を逃れた、秘密の地下室にある、王冶自身が設置した、最先端のコンピューター。
それが、主の命令を忠実に実行した。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉーーーーーーーーーーー・・・・」
王冶が獣のような絶叫を上げる・・・そして、それもすぐに、力のないものに変わっていく。
世界中に張り巡らされたネット情報を詰め込まれたのか、それとも、それ以前に、脳がショートしてしまったのか・・・
自滅--------それが、他者を顧みず、自らを過信した男の最期であった。
白目をむいて、泡を吹き、痙攣しながら崩れていく様を茉璃香は、それが自己の責任であるかのように見届けた。
「・・・・・こんな止め方をして、ごめんなさい。でも、こんな人を傷つけて、一志君の人生と引き換えにするみたいなことは、して欲しくなかったから」
ネットに絡まって、動けないでいるであろう一志に、茉璃香は優しく、まるで聖母のように、そう語りかける・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・語りかけはしたのだが、それが一志の耳に入ることはなかった。
「ちょっと!?一志君!」
一志は、ずいぶん前から、気を失っていたからだ。
原因は、感電であった。




