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「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
異臭と白煙の中で、少しずつ意識が戻ってきた。
なにが起こったのか・・・
茉璃香は、傷心の女の子を追いかけて、施設の一つにやって来て・・突然、空が、赤く染まったところまでを思い出した。
「キャッ!」
ふと、無意識に顔に触れていたものを払おうとしたら、それが、布を持った小さな手で、
その手の持ち主から、小さく、悲鳴を上げられた。
「・・・・・・・・なによぉ」
そこには、ハンカチを持って、困ってるような、泣いてるような、そんな表情をした女の子がいた。
「なによ、なによ、なによぉ。だって、しかたないじゃない。べつに、アンタのためにやったんじゃないんだからね!」
その子が、どこかで聞いたことがあるようなセリフを口にすると、つい口元がほころんでしまった。
おかげで、体に幾分かの活力が戻ってくる。
どうやら、自分はまた気を失ってしまったみたいだ。
周りを見れば、それもやむなしみたいな、荒廃した状況だが、それでも、茉璃香は、自身の不甲斐なさを嘆かずにはいれなかった。
誰もが、食事や運動で体を作る時期を栄養剤や寝たきりで、塗りつぶしてしまったのだ。
病気の原因は取り除かれたといっても、未だに、些細なことで倒れてしまう、この身が口惜しい。
今も、イジワルしてきた、女の子に助けられるなんて、情けなさすぎる。
起き上がろうとすれば、それだけで、さらに、ハラハラオロオロさせてしまったが、
だからこそ、倒れてる場合ではないと、辺りを確認する。
爆炎の跡であろうか、
周りは靄が立ち込めて、足元には、天井から落ちてきたのであろう、照明の破片や、むき出しの電線などが散乱していて、これでは、迂闊に動けない。
それと、二本の引きずったような跡と、枕にしていた、しのぶのミニバッグを見つけた。
どうやら、影になるこの位置まで運んでくれたみたいだ。
「エホッ、ゴホッ」
その娘が咳き込んでいる。
これは、煙にまかれないように姿勢を低くして、助けを待つのが、一番懸命であろうか・・・・・と、茉璃香一人であれば、そう判断しただろう。
「ねぇ、しのぶちゃん。この状況で、使えるものは、何かある?」
茉璃香が、そう尋ねてみる。
「携帯は、パネルが割れちゃって・・・あとは、マルチスパナと小型バッテリーと、あとは、電導のワイヤーなら、ロープの代わりぐらいにはなるかな・・」
「・・・十分ね」
なぜそんな物をデートに持参したのかは、あえて聞かないとして・・・
茉璃香の携帯は無事だったので、助けを呼ぶより先に、他の可能性を探った。
「あの換気ダクト、開けて、右沿い進めば、外に繋がってるみたい。私が台になれば、あなた一人なら、外に出られるんじゃない?」
パネルを操作して、ここの見取り図を取り寄せて、現在位置からの脱出経路である、頭上の換気ダクトを指さした。
「えっ?!」
しのぶは、本当に意外そうな顔をする。
「そんなに変?あなたに助かってほしいって、私が思ってるの・・」
無理もないのかもしれない。
思えば、第一印象が最悪だった。
厳密には、それは、茉璃香本人でないのだけど、未だに一志につきまとってるんだから、言い訳にならない。
それに、茉璃香自身、あの路地裏から始まった一連の出来事を誤魔化す気など、一切なかった。
幼き頃に、母を亡くし。数年後、自らが同じ病に蝕まれて、何の希望にもすがることができずに、細い生の糸のような日々。
全身の機能が停止する直前、時代との別離を覚悟した、冷凍睡眠。
その時体験した、自分より遥か短い生涯で、深い絶望と、そこに光を与えてくれた少年に涙した、女性の物語。
覚えてるのだ、まるで人形のように生きてきた、自らの人生より、鮮明で衝撃的に。
夢の中だと記憶にしまい込むこともできないぐらい、鮮烈に。
あの路地裏での再会に、彼が実在してくれた感動に、つい抱きついてしまった。
まるで本心に、もうひとりの自分が後押ししてくれたみたいに・・
「・・信じてくれないのも仕方ないけど、私、本当に彼に惹かれてるの。彼の優しさに」
でも、その優しさは、茉璃香本人に向けられたものではない。
これでは、そこに付け入って、すでに好きあってる男女の間に割り込んだ、ものすごく嫌な女である。
「でも、理屈なんてどうでもよくて、彼の心に触れていたい、どうしようもない気持ちがあるの。だから、二番目でもいい、彼の望むことは、なんでもしてあげたい、この言葉は嘘じゃないよ」
しのぶは、なにも言わずに聞き入っている。
この時ばかりは、茉璃香は恋敵ではなく、共感者だ。
「でもやっぱり、なにかしてくれるのは、彼の方になっちゃうんだな~」
茉璃香が、見上げた先で、朗らかに笑う。
脱出を試みた換気ダクトが、内から、二度ほど衝撃を受け、吹っ飛んだ。
「しのぶっ!茉璃香さん!無事か!?」
「お兄ちゃん!」
そこから、全身を埃まみれにして、必死な形相をした一志が現れると、しのぶも茉璃香も、やっぱり、この人と一緒にいたいと、心底願っていた。




