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「ただいまー」
帰宅直後、玄関を開けて、家に入ろうとする一志に、しのぶは後ろから抱きついてきた。
「仲のいい兄妹のフリは、ここまででいいんだよね」
いやではないが・・そんなふうに考えていたのかと、ちょっと呆れてしまうことにした。
ここは、はっきり言ってやるべきであろう。
「なあ、しのぶ。これは、周りからどう受け取られるかが問題であって、誰でもどこでも、イチャイチャしちゃダメだろう」
「なんで?」
あまりに無垢な瞳で見上げられて、問われては、一志は凄んでしまうが・・・
「なんでって・・そりゃ~、本来なら、俺達ぐらいの歳の、血の繋がりのない男と女が一つ屋根の下だなんて、問題あることなんだぞ・・・付き合ってるっていうなら、なおさらだ」
そこまで言って、自分で恥ずかしいのか、顔を赤くする。
「ヘンに噂にでもなったりしたら、良識人ぶった余計な大人達が、この家に踏み込んでくる、なんてこともあるかもしれない」
なにより、功一清隆を筆頭に、世の男共が黙ってない。
「俺は、今の幸せを大切にしたいんだ。他人に掻き回されるなんて嫌だ。お前だってそうだろ?」
「お兄ちゃ~ん」
しのぶは、共感を態度で示した。
だから、こういうことをしてはいけないのだが・・より強く、一志に抱きつき、勢いで、玄関に倒れ込んでしまう。
今が幸せで、人に邪魔なんてされたくないと言ってくれた。
愛する人が、自分と同じ気持ちでいてくれる-----こんなに嬉しいことが、他にあるだろうか。
しのぶは感動に、むせび泣きだしてしまうのであった。
ただし!
一志の本心は、やや異なる。
捨てられては、拾われて、持ってかれては、また置いてかれ・・すでに、並の人間の一生分の波乱に満ちた人生を送っている一志としては、もう静かに、余生を平穏無事に過ごしたい・・・というのが、心からの願いであった。
これ以上、ややこしい事態は、他人だろうと、身内だろうと、増やして欲しくない。
ただ、それだけである!
その気もないのに、勘違いで、女の子に涙させて・・・一志は今、ひょっとして、ものすごく罪なことをしてしまったのではないだろうか?
「お帰りなさーい」
そのとき、リビングから、いつものように、若い女性の出迎える声がした。
いや、気のせいか、いつもより、さらに声が若かったような・・・
「キャーーーーーーッ!でたーーーっ!」
「失礼ね。人をまるでオバケみたいに」
リビングから現れたのは、沙江子ではなく、一応、しのぶとは恋敵ということになる、茉璃香であった。
「とうとう、家にまで潜り込んで!」
「それも誤解です。家の前で、ばったり会った沙江子さんに事情を話したら、快く、お招きいただいたんです」
「二人の知り合いなんでしょ?帰ってくるまでの間、私も、お話聞きたかったから、上がってもらったんだけど、いけなかった?」
茉璃香の後ろから、のほほんとして、沙江子が出てきた。
「いけなかったって・・・」
いろいろ聞いたのであるならば、二人を鉢合わせれば、どういう結果を招くか、予想は付きそうなものだが・・
一志は、本当にこの人に愛されてるのか、自信がなくなってきた。
「事情って、なに!?」
「もちろん、デートの、お、さ、そ、い」
最近まで寝たきりだった人が、なに慣れないことやってんだか。
茉璃香は、少しかがんで、強調された胸元から、なにかのチケットを取り出した。
実際に、こういうことされたら、どう対処したらいいのだろう・・・調子に乗ってるとか、おちょくられているとか、そう判断すればいいのだろうか?
一志は、なんだかお芝居に付き合わなきゃみたいな傷ましさを感じた。
チケット自体にも興味もあったが、人肌に温められたそれを受け取ってしまった。
かばうように立っていた、しのぶの頭の上で・・・
「イヤーーーーッ!バカバカバカ、エッチ!」
「なんじゃそりゃー!」
しのぶは、下駄箱にある非常用の懐中電灯を取り出した。
ただし、それはしのぶの改造済みで、電圧を上げて、光度を絞り込めば、人の肌ぐらい簡単に焼く、レーザーと化す。
「ぐわちゃちゃちゃちゃちゃちゃちゃ」
茉璃香本来の思惑とは異なるが、挑発するという当初の目的は果たせたわけだ。
「うわ~~~~ん」
さっきまであった恋人気分も吹き飛び、しのぶは声を上げて泣き出して、自分の部屋まで駆け出して、勢いよくドアを閉めて、閉じこもってしまった。
「それじゃあ、私は、残った一志君を遠慮なく・・」
「それもダメッ!」
プロのジャブさながらに、しのぶは飛び込んだ勢いと、同じスピードで戻ってきた。
自らこさえた黒い塊を取られまいと、ひしと抱きつくのは、理不尽であろうか・・
「それじゃぁ、勝負しましょ」
ビッと、しのぶを指差して、茉璃香は、その豊かな胸を張る。
「勝負?」
「そう、勝負の方法は今度のデート。一志君がどちらを選ぶか」
「なに言ってるの?お兄ちゃんは、わたしを選ぶに決まってるじゃない」
なかなか、そう信じさせてくれないから、しのぶは、こんなに動揺しているのだろう。
「じゃあ、オッケーなんだね、今度の日曜、時間は十時」
「そんなの、絶対絶対、お兄ちゃんは、わたしを選んでくれるに決まってるんだから~」
乙女の熱き戦いである。
いささか自分勝手のような気がするが・・
止める者は誰もいなかった。
沙江子にしてみれば、事の仲介をした張本人だし、当事者の一志はといえば、そのとき全身火傷で、とっくに意識がなかったからだ。




