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 それから、ひと月がたとうとしていた。

 あの日の朝、遅すぎる一志の帰宅を玄関で、毛布にくるまって待っていたしのぶに、「ゴメン」そして「彼女にはもう会えない」とだけ伝えると、一志の内にある悲しみを察したのか、それ以上、なにも尋ねなかった。

 どこか近くで、遊びに行こうという約束も果たした。

 だが、その間も、しのぶは一志の心に、なにか空虚なものを感じてならない。

 このひと月、ずっとである・・・・・

 そして、この日もいつもと変わらない、一日が始まろうとしていた。

『昨晩、十一時頃、00県3号線で、女性にわいせつな行為を働こうとした男が、逮捕されました。女性に怪我はありませんでした』

 一志が制服に着替えて一階に下りてくると、ちょうど、そんなニュースが流れていた。

『男は、00市の土木作業員、那須順一、二十五歳。人気のない3号線の車内で、女性にわいせつな行為を働こうとしたところを張り込んでいた警察官に、現行犯逮捕されており、順一容疑者は逮捕の際に、「まだ、本当の女に手を出してない」と、反省のない発言をしており、警察では、余罪を厳しく追及しています』

「なに?童〇(どうピー)、相手の女性になにもなくてなによりだけど、本当の女に手を出してないって、どういう意味かしら?」

 心底軽蔑した面持ちで、沙江子がテレビに食いついている。

 じつは、あのあと、よく考えて、茉璃香からダウンロードした例の映像を一部修正を加えて、匿名で警察機関に送信しておいたのだ。

 今ニュースで報道されてる男が、その男だと断定はできないが、一志も心の中が、スーっと晴れていくようだった。

「以前、間違えて、美人のオカマさんでも押し倒したんじゃないの」

「ハハハ、それはいいわね。さあ、そろそろ出かけないと、遅刻するわよ」

 簡単な、朝のやりとりではあったが、一志にとっては、なんだか、やっとあたりまえの日常を取り戻せたような気がする。

 家を出ると、しのぶが嬉しそうに、何度も一志の顔を確認していた。

「なんだ?俺の顔に、なにかついてるか?」

 しのぶが、一志の周りをチョロチョロするのは毎度のことだが、さすがに気恥ずかしくなって、訪ねてみた。

「ううん、なんだかね、お兄ちゃんのそんな顔、久しぶりだったから」

 そうだったかなと、一志は、つい自分の顔を撫で回してしまう。

 そのとき、ちょうどあの場所に・・・

 茉璃香と初めて会った、あの路地に差し掛かった。

「俺にも、いろいろあったんだよ。そして、それを全部解決できなくて。それでも、忘れちゃいけないことを一つ一つ思い出に変えて・・うまくできたのか自信ないんだけどな。それでも、心配してくれる人がいるなら、いつまでもクヨクヨしてるわけにもいかないか」

 このひと月で、やっと、そんな小さな答えにたどり着いたみたいだ。

「ねえ、お兄ちゃん」

「ん?」

 いつものように、しのぶが一志に抱きついてきた。

 いや、いつもと違う。

 背中ではなく、無理して、背伸びして、一志の頭に腕を絡めてきた。

 顔と顔が近づく体勢に、意表をつかれていると、しのぶはそのまま、一志の頬に自分の唇を押し付けてきた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 それは、一呼吸ほどの短い時間であったのかもしれないが、跳ね上がった心臓に、呼吸自体、忘れてしまいそうだ。

「キャーーーーーーーーーーーーーーッ!」

 唇を離して、路地の壁際にうずくまって、真っ赤になった自分の顔をペチペチたたいてるしのぶに、同じく、顔を真っ赤にしている一志が言った。

「泣くほど恥ずかしいなら、やらなきゃいいだろ!」

 叱りはしたが、怒ってはいない。

 口づけされた頬ごと緩みきった顔で、一志は、ここが公道であることも忘れて怒鳴りつけた。

「だって、だって・・」

 ひと月前に、見知らぬ女性に先を越されて、やっと追いつくことができたわけだ。

 しのぶなりに、かなり勇気を振り絞ったのだろう。

 最近元気のない一志に、元気になってほしいという、思いもあったかもしれない。

「無理しなくていいんだよ。お前は、今のまんまで。お前が、ほかの誰かと張り合う必要なんて、全くないんだからな」

 頭を撫でてやると、しのぶは嬉しそうに目を細める。

 しのぶのこういうところに、本当に、救われるのだった。

「あ~~~ら、あらあら」

 聞き覚えのある声がした。

 いや、まるっきり、再現である。

 期待を抱えて、一志は振り返えった。

「相変わらず、見せつけて」

 茉璃香である!

 あの日の朝以来、もう会えないと別れを惜しんだ茉璃香が、そこに立っていたのだった。

「どうして・・・」

 何故か!という疑問より、やはり再会を嬉しく思う気持ちが大きい。

 そして、しのぶは、その一志の表情の変化を見逃さなかった。

「どうしてって、約束したでしょ、また会いに来るって。次の体に慣れるのに、一ヶ月かかっちゃったけど」

 よちよちと・・本当に歩き慣れてないみたいな、カラを割ったばかりの、ヒヨコのような足取りで、一志に近づいてくる。

 思わず、一志は受け止めてしまうが、そのままギュッと抱きしめられてしまった。

「ああ~、夢じゃなかった。本当にいてくれた・・」

 その、包まれるようなふくよかな感触に鼓動を高鳴らせながら、一志は気づいた。

 茉璃香のチョーカーと、同じデザインのリストバンド、あと、足首にも同じものがある。

 アクセサリーとして擬態してあるが、これは確か、電気信号で装着者の運動をサポートする、医療器具ではなかったか。

「・・・もしかして、茉璃香さん。あそこで寝てた、里柾茉璃香さん本人・・」

「小さなことは、気にしないで。今はこうして、また会えたのだから。ああ・・体があって、抱きしめることが、こんなに気持ちいいなんて・・」

 確かに・・こうして抱き合っていれば、以前とはまるで違う、

 ふくよかで暖かで、その吐息に自然に全身の血液が高ぶって、どこかに集まっていくような・・・・・ようなって、これは全然、そのまんまだ。

「違うでしょ!いや、なんだか違うと思う。そんな簡単に、割りきっていいはずないでしょ!」

 茉璃香本人が、自分が仮死状態でいた時の、外の記憶があるという。

 そんなありえないことが起こったのだとしたら、今回もまた、あの老人の発明に振り回されたことになる。

「ん~~~~~~~~っ」

 そこで一志は、自分と茉璃香の間をこじ開けて、割って入ろうとする、小さな生き物に気づいた。

「はなれて~~~っ」

 仕方ないといったふうに、茉璃香はしのぶを間に入れてあげる。

「んーーーっ、また、わたしのお兄ちゃん取りにきたーっ!」

「違うのよ。ちゃんと聞いて。生まれ変わることができたら、すぐに会いに来るって約束を守りに来ただけで・・・でも、その時は、なんにでもしてあげるって約束してくれたから、私からも、なんでもしてあげるっていうのもありかな?」

「そんなこと、わたしだってしてあげるもん。あなたなんて、いらないもん!」

 さっきまで、ホッペにチュウぐらいでワタワタしてたお子さまが、なに言ってんだか・・

「一志!」

 大通りから、自分を呼ぶ声に、一志はとてつもなく嫌な予感を感じつつ、振り向いた。

「これは、どういうことか、きちんと説明してもらおうか」

 何故かそこにいた、功一と清隆の姿は、禍々しいほど黒いオーラが、一志の目には、はっきり写った。

 自分を取り合う、美女と美少女と、それを羨望する男性陣。

 この上ないほど、幸福な構図であるにもかかわらず、一志は自分の運命を呪いたくなった。


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