茉璃香登場
「えへへ・・」
いつもより早い時間、一志としのぶは、一緒に登校している。
「えへへへへ・・」
連休が終わって、最初の登校日。
二人の表情は、対照的だ。
「いいな、学校や沙江子さんの前では、いつもどうりだぞ」
それは恋人というより、まるで、幼い子供に言い聞かせてるみたいだった。
「うん!」
元気いっぱいに、しのぶは頷く。
その世界中に知れ渡っても構わないみたいな喜びように、一志の方は、不安だか恥ずかしいんだか、わけのわからない心境である。
島から戻ってきて、しのぶはずっと、こんな感じだ。
嬉しさが止まらず、十年分の欲求を埋めるかのように、一志に甘えてくる。
あの島で、朝日が照らす澄んだ空気のもと、しのぶに告白され、明確に言葉にしたわけではないが、それを受け入れる態度を示した。
しのぶは泣いて喜んでくれたが、一志としては、後悔とは違うが、なにかものすごく早まったことをしたような気がしてならない。
まずは、しのぶが自分自身の可愛らしさに自覚がないというとことであろうか・・
フリンジショートに、木の実をイメージした髪飾り、笑顔の時は感情を素直に表現して、大きな瞳がクリクリ動く。
身長は、平均よりやや低いぐらいだが、それがまた小動物のような愛らしさで、そばでキョロキョロと懐かれると、抱きしめて、その頭を思いっきり胸にうずめたくなるような衝動に駆られてしまう。
この一年、お互いを妙に意識していて、距離がないような、あるような、そんな微妙な関係であったが、これからは、そういうことを気にせず喜べるのかというと・・
そんなことはない。
これまでも、しのぶがそばにいることを兄という立場を利用しやがって・・などと筋違いのやっかみをしてくる輩が、少なからずいたのだ。
それが、本当にやっかまれても仕方ないみたいな、関係になってしまった。
このことが公になれば、嫉妬どころか、殺意を抱かれかねない。
それに、もう一つ。
こちらの方が大問題なのだが、よりにもよって、このことをこの世で一番知られたくない二人組に知られてしまった。
悪友の、功一と清隆である。
秘密を握られてる点において、これはもう自ら暴露した方が、気が楽ではないのか?
いや、もう手遅れで、このことは学校中、はては町中、世界中に知れ渡っているかもしれないのではないか?
なにしろ、反社会的なことに異常な熱意を燃やす奴らなのだから。
そんなこんなで、憂鬱で気が重く、引きずるように足を進める一志であった。
・・スキップでもしだしそうな軽快な足取りのしのぶと、並んで歩けているのが不思議であった。
「ねえ、学校につく前なら、いいんだよね」
「えっ!?ああ・・」
そこは、大通りに差し掛かる手前の路地。
回り込まれたしのぶの、虚をつかれた質問に、一志はつい生返事をしてしまった。
「えい!」
一志が拒絶する可能性など、まるで考えていなかったのだろう。
間髪入れず、しのぶは一志に抱きついた。
「おい?!」
いきなり抱きつかれることになってしまった一志には、驚きより戸惑いだった。
だが、もう振り払ったりはできない。
そうする、ワケもわかっている。
ここをすぎれば人目が多くなり、一志の言う、今までどうりを実践しなければならない。
それまでに、一日分の抱きだめをしておくつもりらしい。
「おーい、誰かに見られたら・・」
「ん~、もうちょっとだけ」
しのぶは、ギュッと抱きついて離れない。
あの島で、しっかり堪能したはずだったのだが、相変わらず胸の中にしっかり収まってくれる心地よさは、飽きさせてくれない。
柔くてあったかくて、抱きしめるのにちょうどよくて・・・なんだろう、この一度に複数の感触と感情が、ごちゃまぜになって味わえる可愛らしさは。
でも、まだまだ恋人として認識が足りない、今日この頃。
心境は、ドキドキよりハラハラである。
人通りがまばらなこの時間・・・つまり、決してゼロではない。
こんなところを知り合いにでも見られたりしたら・・・
「あ~ら、あらあら」
「うわぁっ!」
後ろからの、突然、揶揄するような声に、一志は慌ててしのぶを引き剥がした。
声の主を確かめると、そこに立っていたのは、見知らぬ女性だった。
「朝から、道の真ん中で見せつけて」
派手目なスーツ姿の、ウェーブのかかった豊かな髪の、まだ若い、見た目二十前後の女性だった。
整った顔立ちで、一見して美人の範疇に入るのだが、一志としては、なんだか敬遠したくなるタイプだった。
場違いな印象から、夜のお仕事とか、そういう大人の都合の朝帰りかなにかかと勝手に解釈すると、とっととこの場を立ち去ることにした。
「あはははは、どうも失礼しました。では、我々はこれで」
笑ってごまかして、しのぶの手を取って、急いで大通りに出て行こうとする。
しのぶから『お兄ちゃん』などという単語を飛び出させてて、これ以上、事態をややこしくさせたくなかった。
だが物事は、ただ待ったり、逃げたりするだけでは、なかなか好転してくれないものらしい。
「ストップ。私、君に会いに来たの、柚月一志君。それと、一年前に妹になった、しのぶちゃんだっけ?」
後ろから抱きつかれたのが、まるで心臓でも掴まれたみたいだった。
見ず知らずの人間に、いきなり名前を呼ばれ、
さらに、探られたくない事情の核心を突かれた。
「アンタ誰だ?!」
その一言だけで、精一杯。
一志の頭の中をあれこれ、最悪のケースが駆け巡る。
「そう構えないの、私だって驚いているんだから。今日はとりあえず住所を確認しにきただけなのに、いきなり本人に会えるなんて」
「俺だけに用?」
対象が複数形でなかったことに、半分ぐらい胸を撫で下ろした。
「まあいいわ。あなた達も、これから学校があるでしょうし。積もる話は、また今度」
そう言って、女は一志の頬に、奇妙な感触を残して離れた。
それが口づけのあとだと知って、振り払うように振り向いたが、女の背中しか追えなかった。
閑静な街中に消えていく姿を確認すると、拒絶反応的に左頬を拭った。
嫌な汗をかいて、女性に迫られたというのに、大蛇にでも巻きつかれた気分だった。
何者であったのであろうか、二人ではなく、一志一人に用とのことだが、
当然、一志には全く心当たりがない。
しかし、女が残していったものは、疑問より、さらに深刻であった。
「う~~~~~~」
後ろから、いや~な視線を感じる。
蛇が去れば、次は嵐か。
「あ~~~、しのぶ」
「ヴ~~~~~~~~~~~」
そこには、怒ってるのか泣いているのかどっちなのか、そんな顔でしのぶがいた。
「なんだよ・・俺は、なにもしてないだろ」
言うとおりではあるのに、自信もって断言できない、いたたまれなさは、なんだろう。
もうそろそろ、人通りも増えてきて、二人は大通りからの好奇の視線にさらされつつあった。
微笑ましく眺める者より、見て見ぬふりをする者、そして、嘲笑したり苦笑したりする者の方が、やはり多い。
「え~~~~~~~ん」
とうとうしのぶは、泣き出して、へたりこむ。
正直、恥ずかしくて、逃げ出したい。
せめて同じ制服を着た連中だけは通りかからないで欲しいという一志の願いは、しのぶがひとしきり泣き続け、予鈴が聞こえるまで続いたのだった。
「お兄ちゃんのバカ~~~~」




