運命不良者 山嶺さやか~その6
5年前、1月
「あけましておめでとー。さやかちゃん。」
「あけましておめでとう。リンゴちゃん。」
朝、リンゴちゃんが、紙袋を持って出社してきた。
「あ~、お正月休みも終わりだねー。あ、これ。ありがとうね。クリーニング出しといたから。」
紙袋は、私のブランドコートの様だ。彼女から受け取る。
「うん、ありがとう。はい。こっち、リンゴちゃんのコートだよ。」
今度は、私が、彼女のコートを返す。
「…………ありがとうね。さやかちゃん。何から何まで。」
その日の昼休み。
私は、昼食を食堂で摂りながらも、何となく周囲の不思議な様子に気付き始めていた。
「あの娘でしょ?」
「うん、ばっちり写ってたね。」
「うわー、新入社員の子でしょ?すごーい。」
一体、何の話なのだろうか、私は声のする方を向くが、しかし、その声の方向の人と目が合うと
彼ら、彼女らは慌てる様に目を反らしたり、睨むような目で、口元だけを歪めたり。
奇妙な反応を示すのだ。
「あ、さやかちゃん。一緒に食べよう。」
「リンゴちゃん‼」リンゴちゃんが来て、少し落ち着いた。何となく、居心地の悪さを感じていたからだ。
しかし、その後すぐの事だった。
「リンゴ君、ちょっといいかい?」
と、彼女は後からやって来た高杉部長に、何やら連れて行かれてしまった。
なんだかなぁ。私は、ランチを半分も手をつけずに、食事を終える事にした。
ところが
今度は、勤務部署に戻っても、周囲のひそひそとした声が聞こえだしたのだ。
もう?なに?仕事始めそうそう、皆、何にそんなになってんの?
「はあ」溜息を吐きながら、私は仕事道具のパソコンの電源を入れた。
「ん?」私の社内用のメールボックスに、数件のメールが入っていた。
その内2件は、どうやら社内全体に送られている様だ。
私は、古いメールを開き。
驚愕した。
「○○部署、T部長、新入社員を忘年会で持ち帰り‼」
そう書かれたメールには、A4サイズ程の特大の写真も添えられていた。
「あ………あああ……………」
写っている二人の男女。
横を向いてはっきりと顔が見えるのは………間違いない………高杉部長だ。
その横、後姿だけ写っている。女性は。
私のコートを着た。
「リンゴちゃん…………」
恐らく、この写真だけで本人を特定できるのは、本人達を除いて、事を知る私だけだろう。
しかも、私の驚きはそれだけでは終わらない。
二人のその写真、二人が今まさに入ろうとしていたのは
駅裏のホテル街。その一つのシティホテルの入り口だったのだ。
ぶるっと、身体が震えた。社内はこのスキャンダルで持ちきりだったのだ。
私が、午前中にこのメールに気付けなかった事は、どうやら、私達の部署だけには
昼過ぎからこれは送信されているからみたいだ。
私は、乾いた喉で、息を飲みながら
もう一つのメールをクリックした。
「ふえええええぇええええぇええ⁉‼⁉???」
その内容に遂に私は絶叫した。
周りの人は、7割が驚き、恐らくは私の反応が予想できた3割は、クスクスと笑っていた。
その私を絶叫させたメールの内容は
私の予想の範疇を更に凌駕する
とんでもない内容だったのだ。
T部長の相手は
同じ部署のS・Yと判明。
そのイニシャルは。
この真実を知る私の記憶の人物ではなく。
間違いなく。
私自身の事を指し示していた。
私は、暑くも無いのに、ひたすらに流れ続ける汗を拭いながら
彼女の仕事机、そして、部長の机をきょろきょろと伺う。
二人はまだ戻ってきていない。
二人の関係に、驚きはした。
驚きはしたが、二人はいい大人だ。
行ってしまった事の責任は、本人達がとるのが当然だろう。
しかし、今の事態は、そこに全く関係していない私が巻き込まれている。
社内全体に、その誤解が防がれる事も無く。駄々漏れている。
「じょ、冗談じゃないわ…………」
ボタボタと、顎を伝う汗がキーボードに落ちる。
結局その噂は瞬く間に広がり
勤務終了の夕方には、社内の人達全員の知る事になった。
リンゴちゃんも、部長も結局、食堂で以降、会っていない。
私は、食事も喉を通らない状態で
翌朝、二人が誤解を解いてくれている事を期待しながら
会社に向かった。
「はい、彼女に、とてもしつこく付きまとわれていました。」
「部長に何度も相談を受けていました。彼女は私の友人ですので………彼女を止められずに、部長に大変なご迷惑をお掛けしてしまった事になり、本当に申し訳ありません。」
私は、立ちくらみを覚える中、出社して即座に呼ばれた社長室で
意味の全く分からない二人の説明を
聞いていた。
社長が、頭を掻きながら
「いや、山嶺さん、そして高杉君。困るよね。皆、とても混乱しているんだよ。」
「申し訳ありません、社長。私の誠意が彼女に伝わらないばっかりに。」
私は、もう、自分が地面に立っている事すらも解らなかった。
「ぶ、ぶちょ?リンゴちゃ?ななな、ななななに?なに言ってるの?」
口元がブルブルと震えた。
「しゃ、社長‼違います‼違います‼誤解です‼あの、メールの女性社員は私ではありません‼」
とてつもない大きな声で、私は悲鳴の様に社長に訴えた。
「し、しかし。」
「この写真のコートはブランド物だと、君が秘書課の子達に自慢していたと、いう話を聞いておるのじゃよ。」
私の勢いに、たじろきながら、社長がそう言って、私の鳩尾が、冷たく痛む。
あ、あのコートで、写真の女が私と、思われてたのかーーーーー。
二人を私は、睨んだ。
「なんで、そんな嘘をつくんですか?」
二人は、仏頂面で、右の足の方を見ていた。そして、恐ろしい程冷たい無表情で、私を見るのだ。
「山嶺さん。部長にご迷惑をかけるのは、もう止めてください。」
「は?」
「あなたのせいで、会社も部長も、とても迷惑を被ったのを自覚していますか?」
まるで、何の感情も無いその言葉で、私の吐き気は強くなる。
「リンゴちゃん、何言ってるの?」
「部長にしつこく、いいよってるの私、見たんだから。」
「それは、リンゴちゃんでしょ?」
「よーーーせ、よせよせよせ、とりあえず、今日は、これで。この件の処分はまた、後日決めるから。仕事に戻りなさい。いいね?喧嘩してはいけないよ?」
社長が、私とリンゴちゃんの間に入り、制裁する。
仕事?
今日?
私は、部署に戻らず、ひたすら押し寄せる吐き気をトイレで解放していた。
意味が解らない。今、自分が。
あの二人に、一体どういう事にされてしまっているのか。
トイレに、数人が入って来る。
「でも、驚いたよね、あの子全然、大人しそうだったのに。」
「部長、困ってたんでしょ?ねぇ、リンゴちゃん?」
その声に、私の身体が「ビクン」と反応した。
「うん、もう、本当部長部長、うるさくってさー。」
「嫁、娘もいるんだからやめとけって、言ってたんだけどー。」
「なんか、『そこもいい』とか、言ってましたねー。」
「うっわ、最低のぶち壊し女じゃん。」
キャハハハハハと、蔑む笑いが聴こえ。
私は
やっと理解できた。
彼と、彼女は
自分たちの過ちが
ばれ
醜く、逃れる方法を必死に考えたのだ。
そして、お互いで口裏を合わせ
私がコートを貸すという親切の偶然を利用し
「大学時代からの親友の同僚である私」
という、蓋で
全てを隠してしまったのだ。
私は、その日から
苦しい程の頭痛と、動悸に襲われ
しばらく、入院して
仕事を辞めた。
その後も、仕事を辞める度に
直ぐに、気を取り直して新しい仕事に臨んだが
職場の人達の私への言葉が、どれもこれも疑心暗鬼となって
「あの子、すごい愛想無い。」
「仕事がしにくい。」
「生意気。こっちが話しても無視する。」
人間関係の構築が出来なくなっていた…………