前編
ある所に美しい容姿に透き通るような歌声を持った歌姫がいた。金色の髪に青い瞳、雪のように白い肌、まるで天使だと皆は言う。歌姫の噂は国中に広まるほどの歌声だった。
たけど、彼女は歩けない。いつも車椅子に座って歌っている、それが彼女の唯一の欠点だった。
だけど彼女は気にしなかった。歌姫は歌うことが仕事だ、踊るのは踊り子の仕事だ。
「いやー、君の歌声は本当に素晴らしいよ。ケイナ」
初老の髭を生やした伯爵が言った。
「ありがとうございます」
「君に勝るものはこの国にはいないだろう。私の知っている中でも一番の歌声だよ」
「いえ、私の歌声などまだまだです」
ケイナは謙遜していたが自分でもそんなことわかっていた。自分以上の歌姫など存在しないと。
「あっそうそう、君の大ファンだと言う子を紹介するよ。ルナ」
伯爵がそう言うと一人の少女が入ってきた。
黒目がちな瞳にふわふわと長い赤毛、そして少し子供っぽいピンクのドレスを身にまとった少女はケイナを見るとにっこりと笑った。
「初めまして!ルナです!あなたに憧れて歌姫になりました」
「まあ、本当に?ありがとう、あなたのことは知っているわ、とても可愛らしい歌声と評判だわ」
「いえいえ、私などまだまだ未熟者です!」
握手をする、力強い握手に思わず眉をひそめる。
「あっごめんなさい!緊張して……」
「いいのよ、気にしないで」
「あの、よかったらこれ喉にいい紅茶なので、よかったら飲んでください。私もよくお世話になっているんですよ」
「ありがとう、いただくわ」
湯気の立つ紅茶を飲む。なるほどよく効きそうだ、喉に紅茶が染み渡り、温かくなるーー
いや、温かいのは初めのうちだけ、すぐにそれは焼けるような熱さに変わる。
「ああっ!熱い!」
「あはははは!飲んだ!飲みましたよ、伯爵!」
喉が焼けるように熱い、痛い痛い痛い!
車椅子から前のめりに倒れ床にのたうち回る。
「これで、一番の歌姫はルナになるな」
「ふふふっこれであなたは終わよ、ケイナ」
「ーーっ!」
声が出なかった。罵倒しようとしても声にならない叫びが喉から聞こえるだけだった。
騙したな!卑怯者!お前なんかが歌姫なんてなれるものですか!
「さようなら歌姫」
惨めだった、使用人に抱えられて牢に入れられたケイナはいつしか人々の記憶から消えて行った。所詮はやりなどそんなもの、今はルナの時代らしい。毎日毎日ルナの甘ったるい歌声が嫌という程地下まで聞こえてくる。いっそのこと耳が聴こえなくなればいいのにとも思った。
聞きたくない、私の方が絶対うまく歌えるはずだ。
栄光なんてすぐに消え去ってしまう。その内、ルナも消えるだろう。そう思うことで辛うじて怒りや憎しみを押さえ込んでいた。
「お前の願い事を一つだけ叶えてあげましょう」
牢屋の前に立っていたのは黒いローブを身にまとった老女だった。いつの間に入ってきたのだろうか、パーティーにきた客人なのだろうか。
「何でも叶えましょう」
「ーーっ」
「おやおや、喋れないのかい?」
小さく頷く。すると老女はケイナの正体に気づいたのか目を開いて言った。
「どこかで見たことのある顔だと思えばあんた歌姫のケイナじゃないかい」
ケイナは泣きそうになった。まだ自分のことを覚えてくれている人がいた事に感動をした。
「歌姫はもう声が出せないのかい?」
ケイナは頷く。
「ふーん……察するにあの歌姫に声を奪われたというわけかね」
老女は維持の悪い笑みを浮かべて言った。
「お前に声を返してあげよう、ただし、あの女の声と引き換えにな」
思ってもみない提案にケイナは目を見開く。声を返してくれる、もう一度歌えるという事だろうか。もし本当ならばあの女から同じ様に声を奪えるのか。
もちろん、ケイナに迷いなどなかった。
「どうだい?歌いたいだろう?」
ケイナは泣き笑いの表情で頷いた。
老女は満足げに笑った。