左手。
「両手を使う」ことを前提に話が進みます。
万が一、障害をお持ちの方などその点をご不快に感じる方がいらっしゃいましたら、読むのをお避け下さい。
「ねえ、ちょっと考えたんだけどさ、左手って不思議だね」
夜、二人で立ち寄ったダイニングバーのカウンター席で、俺の隣に座った彼女が言う。
彼女の突然の話題転換は今に始まったことじゃないから、そこは驚かないが、正直なんの話なのかさっぱり見当もつかない。くるくる変わる話題は、多分彼女の頭の良さゆえなんだろうなあ。きっと、口に出すより先に脳内でどんどん話が展開していくんだろう。
「なんのこと?」
取り敢えず、相槌は打っておく。
すると彼女は目をキラキラさせて持論を展開させる。
「だってさ、ペン持つのも右手、お箸持つのも右手、料理だって掃除だって全部右手の独壇場でしょ?左手って、右手と同じ機能なのに、大体が添えられるだけじゃない」
「あのね、でも左手添えないと出来ないこと、たくさんあるじゃないか」
例えば瓶の蓋を開ける時。タオルを絞るとき。
そう言うと、彼女はあっさりと「うん、そうだね」と肯定した。
「それってさ、つまり、右手は左手を必要としてる、ってことでしょ?必要とされるってことは嬉しいことだよね。」
カラン、と彼女の手の中でスプモー二のロンググラスが音を立てる。彼女はいつもスプモー二。俺はグレープフルーツが苦手だからあまり好きじゃないけど、グラスに透ける茜色のカクテルは、何だか彼女に似合っている。
「だから、左手は右手と一緒に頑張るの。お互いに助け合って、支え合ってなり立ってるんだよ」
そこまで喋ると、彼女は底に2センチほど残ったカクテルグラスをそっとコースターの上に置き、手元のバッグを引き寄せる。
「だからね」
中から小さな水色の箱を取り出し、静かに銀色のリボンを解いた。そして、その中から銀色に光を反射する、小さな石のついた指輪を取り出す。
俺は箱を見た段階から固まってしまっていた。
だって、あれは。
「この間貰ったこの指輪の返事、こんなのはどうかな?」
俺が彼女に渡したまま返事が保留になっていた、小さなプラチナの指輪がゆっくり彼女の左手の薬指にはまっていく。
そして、指輪をした手を俺の手に重ね、恥ずかしそうに柔らかく微笑んだ。
「私、あなたの左手になりたい」
お読みいただきありがとうございました。