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ひと夏の想い出

 その翌年、今日子は最高学年の6年生になっていた。

 もうすぐ夏休みを迎えるというころ、里奈が今日子に提案してきた。

「ねぇ、今日子。夏休みにさ、旅行行かない?海行こうよ!」

 唐突な里奈の発言だった。

「何言ってるの…。6年生の夏休みに、そんな暇があるとでも?」

 獣医学部の学生は大抵、6年生の夏休みごろに就職先を決める。つまり、就職活動の真っ只中。休んでいる場合ではないのである。

「えーっ!?でも、2,3日なら、なんとかなるでしょ?」

「だけど私、お金ないもん。旅行なんて無理だよ」

「それなら大丈夫。うちのおばあちゃんが、海水浴場の目の前に住んでるの。私と私の友達なら、タダで泊めてくれるよ」

「そんな…タダで泊めてもらうなんて、悪いよ」

「そんなこと言わないでよ。学生最後の夏休みじゃん。思い出作ろうよ」

 里奈にそう言われて、今日子も行きたくなってきた。

「…そうだね。じゃあ、お邪魔しようかな」


 そうして夏休み、今日子は里奈とともに海を訪れた。その日は絶好の海水浴日和。真っ青な夏の空が広がっていた。

「気持ちイイ!来てよかったね。早く海入ろう!」

 里奈はさっさとTシャツを脱ぎ捨てて水着姿になると、海に向かって走っていった。

「待ってよ、里奈!私も行くから」

 今日子もあわてて里奈のあとを追い、海に入る。

 2人は海の中ではしゃぎ回った。

 楽しかった。こんな時間が永遠に続いてほしいと、今日子は思った。

 遊び疲れて、2人がパラソルの下でひと休みしていた時だ。日焼け止めを塗り直しながら、里奈が話しはじめた。

「今日子、実はね。昨日、電話があって、片岡猫専門病院の内定がとれたんだ」

 動物病院のほとんどが犬猫を対象としているが、片岡猫専門病院は猫だけを専門に診療する珍しい病院だ。全国的にも名の知れた大きな病院で、野良猫の保護活動をする両親の手助けがしたくて獣医を志した里奈にとっては、経験を積むための最高の環境であると言える。

「凄いじゃない!良かったね。第一志望だったもんね」

「ほっとしたよ。これで卒論と国家試験対策に集中できる。今日子も、もう内定取れてるもんね。だけど、なんでわざわざあんなに小さい動物病院を希望したの?」

 里奈の質問はもっともだった。学生たちは、大きな病院を希望したがることが多い。だが、今日子が内定をもらっている病院は、獣医師1人しかいない小さな病院だ。AHT(動物看護士)も1人もいない。今日子も大小合わせて、いくつもの病院へ見学に行った。にもかかわらず、今日子は最終的にその小さな動物病院を第一志望に選んだのだ。

「そこの先生が、一番腕が良かったんだよ。その先生が猫のSPAYをするところを見学したんだけど、凄かった」

 SPAYとは、卵巣摘出術のことだ。いわゆる避妊手術である。

「猫のSPAY?そんなのどこの先生だってできるじゃん」

 猫のSPAYは、決して高度な手術ではない。余程の新米でない限り、伴侶動物ペットの獣医師なら誰でもやれる。伴侶動物の獣医師の行う手術で、最も簡単なのが猫のCAST(去勢手術)、次が犬のCAST、猫のSPAYはその次くらいにくるだろう。

「誰でもやれる手術だけど、その先生のSPAYは違ったんだ。まず、ほとんど出血しない。ガーゼを使う必要もなかったよ。それにスピードも凄い。結紮(管をしばって内容物が通らないようにすること)は正確なのに、見学に行ったどこの病院の先生よりも速かった。たぶん、うちの大学の外科の先生よりも速いと思う。‘目にもとまらぬ速さ’って、こういうことだと思った。だけど一番驚いたのは、皮膚縫合。その先生は、吸収糸で皮内埋没縫合するんだけど(この方法だと抜糸の必要がないという利点があるが、別の方法のほうが良いとする獣医師もいる)、縫ったあとは傷口がぴったりとくっついた、もうどこを切ったのかわからなくなるんだよ。なんでこれだけの腕を持つ先生が、あんな小さな病院でやってるのかはわからないけど、あのSPAYを見た時、この先生の下で働きたいと思ったの」

「そうなんだ」

「それで、‘卒業したら、ここで働かせてください’って言ったの。そうしたら、‘来たければ、勝手に来い’だってさ。履歴書も成績表も見ずに、そう言うんだよ。本当、変わった先生。無口で近寄りがたい感じだけど、私、あの先生の下で頑張ってみる」

 今日子と里奈は、海を見つめながら話していた。

「今日子は、自分の道を見つけたんだね」

「里奈だって、そうでしょ」

 そう言いながらも、今日子は寂しさがこみ上げてきた。

 2人の就職先は、遠く離れている。それだけでも寂しいのに、仕事を始めたらきっと、お互いに忙しくなるだろう。会えるのは、何年かに一度になってしまうかもしれない。

「卒業したら、飛行機か新幹線使わないと会えないね」

 ポツリと今日子が呟いた。

「何言ってるの!ちょっとくらい離れたからって、どうってことはないよ。私たちは一生モノの友達だって言ったでしょ。卒業しても、結婚しても、おばあちゃんになっても、ずっと友達でしょ!」

 里奈は明るくそう言って、今日子の背中をバシッと叩いた。

「痛いよぉ」

「そんなこと、ウジウジ言ってないで、もうひと泳ぎしてこよう。ほら、行くよ!」

 結局その日は、強力な日焼け止めを塗っていたにもかかわらず、2人とも真っ黒に日焼けするまで遊び回ったのだった。

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