「ぼくらのゆくえ―6」
翌日、小児科の内海女医を訪ねた。
黒崎から話がいっていたらしく、彼女は満面の笑みで待ち構えていた。
「北詰先生ありがとう。ホントによかったわ」
内海は勇介を例の赤ん坊の元へと案内した。
「イツコがね、色々とアドバイスしてくれてね、コレを見ていただきたいの」
内海は勇介にペーパーを手渡してから、赤ん坊のガーゼを外し始めた。渡されたペーパーには簡単なオペ計画が書かれていた。三回に分けて移植する計画らしい。黒崎は整形外科だから、こういうのは誰より詳しいのだろう。
患者の容態を実際に見せてもらって確認し、改めて気を引き締めた。この小さな女の子の将来が掛かっていると思うと、たかが皮膚移植などとは口が裂けても言えない気分になってくる。
赤ん坊は勇介の胸元を指さして、何かもぐもぐ言った。自分の胸に視線を落とすと、ライオンの人形が見えた。歩にもらったボールペンを胸ポケットに差したままだった。
(子供って、目ざといな……)
勇介は、一生懸命こちらに向かって手を伸ばす赤ん坊の指先にそっと触れた。思いがけず強い力で人差し指を握りかえされ、心の中で誓う。
(絶対に、キレイにしてやるからな)
小児科から戻る際、本館の廊下で外科の一ツ木主任を見かけた。彼は製薬会社の営業マンと話をしているところだった。二人は親しいのだろうか。なにやら笑い声が聞こえた。
(一応、挨拶しておくか……)
背後から声を掛けてみた。
「一ツ木主任、昨日はお手数お掛けしました」
振り返った彼は、勇介を見てさっきまでの笑顔を引っ込めた。
「ああ、北詰先生」
声のトーンの低さに、柄にもなくビクッとしてしまった。
(なんか……この人、昨日と違う……?)
用事が済んだのか、一ツ木は営業マンにお辞儀をすると、こちらに向き直った。別人のようにキツイ眼差しを向けられて、背筋がゾクリとする。彼はその眼差しとは対照的に柔らかい声で言った。
「黒崎先生にも困ったもんですよ。いっそこの病院にお勤めになってくれればいいものを。まあ、彼女のワガママには慣れてますけどね」
意味深なセリフにピンときた。
「黒崎先生が絡んでいたから、昨日は許可してくれた……と?」
「そう、とっていただいても構いませんけどね。……今後は、例外はありませんから」
一ツ木は銀縁メガネの奥の目を細めて、値踏みするように真正面から見て言った。
「SK製薬の重役だったんですってね。北詰先生のお父上は」
ハッとした。
そういえば、さっきの営業マンはS大病院にも来ていた事を思い出す。たしかFF薬品だったと記憶している。
「大学病院でバックが無くなったら、さぞ大変だったことでしょうね。そのかわり、お父上のおかげでそれまで随分と良い思いもなさっていた、と聞いてますけれど」
勇介は無意識に唇を噛んだ。
(全部、知ってるってことか)
父のスキャンダルも、S大病院を追われたことも、S大病院で勇介がどういう立場だったのかも。
一ツ木は薄い唇を歪めて言った。
「SK製薬営業部長という大きな後ろ盾に胡坐をかいて、やりたい放題。心臓外科の第一人者・香川教授に取り入って他の医師の分までオペの機会を奪って手柄をたてていた、野心家の若手……」
「なに!」
「……というウワサを聞いたことがあったんですけど、まさかそんな方がこんな市民病院に居るとは、驚きましたよ」
「ま、せいぜい頑張って」と言って、一ツ木は颯爽と本館のロビーへ歩いて行ってしまった。
勇介は一言も言い返せなかった。
ただ、拳を握り締めるしかない自分が情けなくてしかたがない。同僚からは非難されたこともあるし、中傷もしょっちゅうだった。それでも今まで頑張ってきたのは、とにかく勉強して、いい医者になりたいと、純粋に思ったからだ。
たくさん経験を積めば、より多くの患者を扱える。そしてさらに機会が増えて、より難しいオペを執刀できる。外科医の高みに上ること、それが結果的には患者のためになる、そう思ってやってきたのに。
父のスキャンダルが発覚したとき、ことごとく執刀を拒否された事が脳裏に甦る。
――余計な事をすると、ここでも使ってもらえなくなるよ。
一ツ木はそう言いたかったのだろう。
「救命は急患だけ診てりゃいい……ってか」
勇介は踵を返すと自分の持ち場に戻った。
父のことや、自分の過去は今さらどうにもならないのだ。気持ちを切り替えなければならない。医局に戻ったとき、ちょうどコールが来ており、彼は救急車を受け入れる為に入口へ走った。
暗雲が立ち込めてきました。
話をおもしろくするにはどうすればいいのかな。この先どうやって書こうかと、ちょっと悩みます。
早くもイキギレかもしれない。がんばれ!冴木!
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