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リアルファミリー2  作者: 冴木 昴
20/24

「心の器があふれるとき―9」

突然乱入してきた黒崎。勇介は……


 黒崎は上がりこむなりあたりを興味深げに見回した。

「ひとりなの?」

「ああ、今、出かけてて……」

 言葉少なに答える。これ以上プライベートな部分に触れて欲しくないし、余計な事をいうとボロが出そうだ。早く帰って欲しいのに、黒崎は勝手にリビングに入ると、渚を抱っこしたままソファに座ってしまった。

「なんか、イメージが違うわね。こんなに可愛い赤ちゃんがいるんだから、もっと写真とかペタペタ貼ってあったり、かわいい人形があったりするかと思ったけど。やけにシンプルじゃない?」

「余計な物は置かない主義なんだよ」

 そう言いつつ、散らかったおもちゃを足で部屋の隅によける。渋い顔つきの勇介に、黒崎の膝に乗った渚が、ニコニコしながら手を振った。

「パーパー、にゅうにゅう」

「へ? にゅうにゅう……? ああ、牛乳ね」

 キッチンに向かう背中に遠慮を知らない女の声が聞こえてきた。

「あたしはコーヒーがいいな」



 一時間以上経過したのに、黒崎はまだ居座っていた。渚は女の人が好きなのか、彼女の膝から降りようとはしない。「かわいい、かわいい」を連呼されてご満悦の様子は、見ていて微笑ましいが、彼女にはいい加減帰って欲しい。

 それでも、先ほどウンチだらけのオムツを交換してくれたときだけは「黒崎先生、居てくれてありがとう!」と心の中で思いっきり感謝したが。

「黒崎さん、もうそろそろ渚、昼寝の時間なんですけど」

 とうとう痺れを切らして言うと、彼女は「すっかりあなたの存在を忘れていた」などと失礼極まりない事を言った。キスまでしておきながら、いったいどういうことなのかと、少々悩む。


(ああ……そっか……)


 渚をあやす彼女の表情を見ていて気付く。彼女も癒されたいのだ、そう思った。

 皮膚移植の件でS大病院時代の疑惑が発覚し、予想以上に事が大きくなってしまったから、きっと見た目以上に彼女は責任を感じているのだろう。


 今回の事で、いっぱいいっぱいになっているのは自分だけじゃないのだ。


 渚を膝に乗せて絵本を読んでやっている黒崎は、病院でのキビキビした彼女からは想像できないほど普通の……本当にただの女だ。そんな彼女を、年上なのに可愛いと思ってしまう自分に一瞬焦りを覚える。


 でも……

 

 今まで年上の女性を好きになった事はなかったけれど、案外うまくいくのではないのか? 

 お互い医者だ。忙しいのはわかっているが、志を同じくする者同士のほうが、結局は楽に付き合えるのかもしれない。


 何より……


 今、目の前に彼女が存在しているという事実が必要なんだと思う。そのほうが、鳴沢杏子を思うより、ずっと健全だ。


 死んだ女性に心を傾けてどうする? 


 そんな事に心をくだいても未来は無い。自分の深層心理に踏み込んで以来、たびたび歩の顔に杏子を重ねている自分を意識する。そのたびに、己自身に対するいらだちがつのる。


 ――現実をきちんと見つめろ。


 黒崎は、たしかな質感を持って目の前にいる。淡い香水の香りを吸い込み、つややかな黒髪の流れを目で追う。

 勇介の視線に気付いたのだろうか、黒崎がこちらをチラリと見た。目が合う。視線が絡む。引き寄せられる。

 勇介は彼女の隣に座り直した。

 手を伸ばし、その頬に触れる。温かい。生きている人間のぬくもりを確かめるように、吐息がかかるまで顔を寄せる。黒崎が息をつめた。彼女の漆黒の双眸に勇介自身の顔が映ったとき、ふっとその瞳がゆらぐのを見た。

 勇介の動きが止まった刹那、黒崎の唇からやっと聞き取れるくらいの声が漏れた。

「いいの? ……大事な誰かに、後ろめたくはないの?」

「いいんだ。そういうんじゃないから」

「そういうんじゃないって……」

 彼女の言葉をさえぎるように、勇介は黒崎の唇に唇を重ねた。やわらかで且つほどよい弾力のある唇の感触と、女性特有の甘い香りを味わいながら、ふっと思う。

(オレ、自分から誰かにキスしたの、ひさしぶりかも……)

 なめらかな髪を撫でながら、頭ごと引き寄せたときだった。


「い~やあ~!」


 甲高い声と共に胸に強い衝撃を受け、勇介は思わず黒崎から離れた。

 胸元を押さえながら、何が起きたのか理解する。

 彼女の膝に乗っていた渚が、こちらに向かって頭突きを喰らわせたのだ。渚は勇介の膝に乗り移ってくると、「いや」を連発しながらぽかぽかと胸を叩いた。

 クスッと黒崎が笑う。

 勇介もつられて思わず微笑んだ。

「パパがいけないことするからよ」

 黒崎がいたずらっぽく言う。

「まいったな……」

 歩といるときとは違うけれど、どこかほんのり温かな気配が満ちてくるのを感じる。


(たぶん、このほうが正解なんだ。鳴沢杏子はいないのだから……)


 渚は黒崎の元にもどってゆくと、その豊かな胸に顔を押しつけた。小さな右手が黒崎の左胸を無遠慮に揉んでいるのを見て、ちょっとうらやましくなる。

「渚ちゃん、おねむ?」

 上目づかいでたずねられて、ドキリとする。渚を寝かせば、ここには二人きりだ。

「あ、うん。そろそろ昼寝の時間なんだけど」

 

 ――どうする? 帰る? それとも……


 眼差しに力を込めて、心の内でそう問いかけてみる。じっと見つめ合うカタチになる。これで、たいてい落とせた。過去には……


(あれ……?)


 彼女の眼差しに、ふと違和感……

 勇介を見る黒崎の瞳は、彼を素通りしてどこか違うものを見ているようにも感じられる。

 お互いに見詰め合っていながら、別のものを見ている感覚は、いったいなんなのか。

(ひょっとして、オレ、なんか勘違いしてるか?)

「パーパ」

 渚が再び膝に乗り移ってきて、勇介は身を引いた。

「あ、ごめん。もう帰る、よね?」

 なんとなく気まずい空気でそう言うと、

「ええ、そうね」

 返事をしながら、黒崎は勇介ではなく渚を見ていた。渚は勇介の首にしがみついている。顔をこすりつけてくる仕草は、もう眠気の限界なのだろう。

 黒崎の目が、なぜだか悲しげに曇っている。その表情を見て、先日のことを思い出した。彼女の心を支配しているのは、甘い恋愛感情だけではないのだと。

 勇介は渚を抱いて立ち上がった。

「ほんとに、もう寝かさないと……」

「あ、そ、そうね」

 黒崎もバッグをつかんで立ち上がる。

 玄関へ向かう廊下で勇介は言った。

「このあいだの話、どうかあのことは気にしないでください。SK製薬から金が流れていたとしても、今さらどうにもなりませんし。知らなかったとはいえ、もしも事実なら、ボクはそれ相応の制裁を受けなければなりませんが、それはあなたとは何の関係もありませんから」

「でも……」

 何か言いたそうな黒崎に、「もうじき家族が帰ってくるから」と言って、勇介は玄関のドアを開けた。



 帰ってゆく黒崎を、ルーフバルコニーから見送った。

 傷を舐め合うみたいに寄り添うのは、お互い柄じゃない。屋上でのキスは、たぶん彼女の同情だ。そして、さっきのは……

 鳴沢杏子を心の中から追い出すために、思わず目の前の黒崎に手を伸ばした。


(オレは彼女にすがろうとしたのかもしれない)


 それは、渚を抱きしめて癒されていた、さっきの黒崎とまったく同じではないか。

 腕に抱いた渚はいつの間にやら気持ち良さそうに眠っていた。規則正しく呼吸する小さな温もりは誰のものでもないけれど、彼女のものでない事だけは確かだ。

 あのとき、一瞬心がぐらついたが、たぶん黒崎とは、お互いを温めあうような関係にはなれないのだろうと思う。もしかすると彼女も同じように感じているのかもしれない。それが、あの違和感の正体だ。

それに、黒崎はこちらの心の揺れに気づいていたのでは。そう考えると、つくづく思いとどまってよかったと思う。こんな気持ちで女性をどうにかしようなんて、ゲス野郎の所業だ。

(弱みに付け込むようなマネ、しないでよかった)

 そんなのは、北詰勇介のプライドが許さない。それに、今の自分には歩と渚が居る。今回の事ぐらい、それでじゅうぶん乗り越えていけるだけの癒しがある。

 

 S大病院時代とは違うのだから。


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