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リアルファミリー2  作者: 冴木 昴
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「心の器があふれるとき―3」

 本館の前でタクシーに乗り込む歩たちを見送り、夜勤の時間になるまでタバコを吸いながらプラプラと病院の建物の周りを散歩した。雨は上がっており、雲の切れ間から綺麗な月が覗いている。渚のはしかにはびっくりしたが、さらにその上をいく歩の女装に度肝を抜かれた。

「さっきは、マジでヤバかったな」

 彼が女の子だったら、間違いなく心臓(ハート)を撃ち抜かれているところだ。


(なんで、あんなに似てるんだよ……)

 明るい月を見上げながら、タバコを一本吸う間だけ、遠い時間を心の中でゆっくりと遡ってみる。


 歩の部屋で見たスナップ写真。


 その後、勇介はたびたび思い返しては記憶の狭間をさぐった。

 写真の中の少女と、初めて会ったときのことを。


 そう、あやふやな記憶ばかりだが、あの時の少女が鳴沢杏子だったのだろう。ピンクの花柄のワンピースは半そでだったから、季節は多分春か夏だと思う。当時勇介は医大に入ったばかりだった。

 父のコネで医療機器関係の展示会に顔を出したときのことだ。背広姿の大人に混じって女の子がいた。あまりに場違いだったのでとても良く覚えている。女の子はちょうど今の歩と同じくらいの年齢に見えた。父は、医療機器メーカーの友人と話をするから、昼食に同席するようにと勇介を誘った。

 展示会場になっているホテルのレストランに行くと、さっきの女の子が居た。それが鳴沢杏子だとすれば、弟の歩はそのとき居なかったと思う。

 父と友人――それはたぶん歩の父親だったのだろうが、紹介されたかどうかも忘れてしまった――は、食事もせずにさっそく仕事の話を始めた。ビュッフェ形式のレストランなので、自分でとりに行かないと食事が出来ない。女の子はポニーテールを揺らしながらそわそわと料理の方を気にしていた。

 腹が減っていたわけではないが、手持ち無沙汰だったので、勇介は父と同席者に断りを入れて料理を取りに行く事にした。

 席を立つと、女の子は嬉しそうにあとからついてきた。何かしきりに話しかけてきたが、何を話したのかまったく思い出せない。けれど、サラダとコーヒーだけとって席に戻った勇介に、女の子はせっせとスパゲティーやらポテトやらを運んでくれた。

 迷惑だとも言えず、ひとこと「ありがとう」と言うと、彼女はとても嬉しそうに微笑んだ。そう、歩が見せるあの輝くばかりの笑顔で。

 たったそれだけの事だったが、彼女の笑顔と可愛らしい仕草はよく覚えている。


 それから数年後、父は「友人が亡くなったので、彼の子供の世話をする事になったから」と連絡をしてきた。その頃はS大病院の職員寮に入所しており、狂いそうなくらい多忙な日々を送っていたので、その子供たちを紹介すると言われた時、あっさり断った。

 あの時鳴沢杏子に再び会っていたら、ひょっとして自分も彼女も人生が変わっていたかもしれない。


 あのとき彼女に会っていれば……


 近頃よくそんなことを考える。

 あのとき会って、もしもそれがあのワンピースの少女だったとすれば、彼女はきっと自分の恋人になってくれたと思う。こんな言い方は自信過剰かもしれないけれど、少なくとも、父と付き合うような事は無かったに違いない。


 ――きっと、彼女はオレを選ぶ。


 父に対して失礼な事かもしれないが、そう思わずにいられない。


 鳴沢杏子とは、その後一度だけ顔を会わせた。父の会社を訪れた際、秘書として働いている姿を見た。曖昧な記憶だが、無邪気な少女の面影は見えなかったと思う。

 でも、よく考えたら当たり前だ。その時はすでに彼女と父は愛人関係であり、勇介はそのことを承知していた。それに、そのとき彼女のおなかには、たぶん渚がいたのだ。

 少女から大人の女性になっていた鳴沢杏子。勇介はほとんど彼女の顔を見なかった。いや、今にして思えば、見ようとしなかったのかもしれない。彼女に再び会う前の段階で、勇介は杏子に対して「父親の愛人」というレッテルを貼り付けたのだ。

 市立総合病院に転勤した日、鳴沢杏子のカルテを見る機会があった。添付された写真とはいえ、「父親の愛人」の死に顔にショックを隠せなかった。

 鳴沢杏子は、とてもきれいな死に顔だった。

 この女性が父の子供まで産んでいて、その上、もうこの世の人ではない。その事実のすべてが、なんだか受け入れがたかった。

 まるで眠るような杏子の死に顔は、写真でありながら、今でもくっきりと脳裏に焼きついている。

 そして、さらにデジャヴのごとく、彼女にそっくりの歩の存在……

 父の死と、鳴沢杏子との再会と別れ。そして彼女の生まれ変わりのような歩の出現。ショッキングな出来事が重なったせいだろうか。 考えてみれば、あの日から自分はずっと混乱していたのかもしれない。


 歩を手元に置きたいと思った。彼の笑顔を見たいと思う。


 ――どうして?

 父に頼まれたからだ、そう思っていた。


 ――でも、本当にそれだけなのだろうか? 

 誰かと共に生きたいとか、家族が欲しいとか、もっともらしい理由を並べて。


 ――確かに歩と渚を放っておけない気持ちは本物だけれど、もっと他に理由があるのだとしたら?


 自分の深い部分に気付かぬふりをして、ずっと疑問に思っていたことが、今日彼女に生き写しの歩を見て一つの形になった。有り得ないような、そんな理由……。


(オレは死んだ女性に懸想しているのかもしれない……)


 どう足掻いても報われることのない思いを抱いてどうする? そんなやつはバカだ……

 きっと疲れが溜まってるせいだと、そう思いたい。


 短くなったタバコを、行儀悪く水溜りに捨てた。


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