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俺がタイムスリップしてアメリカのイラン攻撃を止めてやる! とある大学生の歴史改変物語

作者: 蛇野目三針
掲載日:2026/05/24


(なんでこんなことになっちまったんだっ)


 井敷 高志いしきたかしは夜食を買うために寄ったコンビニの棚の前で憤っていた。


 政治の駄目さに。

 日本の、世界の指導者たちの不甲斐なさに。


 大学生になったばかりの2027年。

 東京は、かつて彼が知っていた街ではなかった。


 コンビニの棚は三分の一が空白のまま放置され、残った商品には赤い値札シールが幾重にも貼り重なっている。

 一番上のシールを剥がせばその下にも値上がりの痕跡が残っている様子は、まるで値上がりの年輪のよう。

 途中で目に入ったガソリンスタンドの電光掲示板、上がりに上がった数字は遂に一リットル四百二十円。

 それも、そもそも給油できる量が一回あたり二十リットルまでに制限されているのだから始末におけない。

 掲示板を見上げるドライバーたちの顔に滲む、怒りよりも疲労といった無気力な表情がこちらの心まで追い詰めてくるようだった。


「俺たちは何も悪いことなんてしてないってのに!」


 発端は1年前のアメリカによるイラン攻撃だった。

 核開発疑惑が臨界点を超えたとして、三月の末に巡航ミサイルが飛んだ。

 イランの報復としてホルムズ海峡が事実上封鎖され、中東からのタンカーが軒並み足止めを食らった。

 原油価格はあっという間に一バレル二百ドルを突き抜け、連鎖的に電気代、食料品、輸送費、あらゆるものが沸騰した。

 資源を持たない島国は、まるで外から少しずつ空気を抜かれるように、静かに、しかし確実に窒息しつつあった。


 政府は「国民生活の安定に全力を尽くす」と繰り返した。

 尽くされた全力の結果が、空の棚と去年の倍の値段のカップ麺ということだったらしい。


「全部、戦争なんかおっぱじめたやつらのせいだ……」


 たかしは誰に言うでもなく呟いた。

 財布の中身と値札を見比べ、結局棚から予算ギリギリのカップ麺を一つだけ取りながら。



………


 その夜、たかしがアパートの部屋でカップ麺を啜りながらニュースを流していると、部屋の空気が突然歪んだ。


 ぐにゃり。


 壁際の空間が水面のように波打ち、光の輪が生まれ、その中から人型の何かが静かに踏み出してきた。

 身長は百七十センチほど。

 外見は若い男性に見えたが、身体のところどころに皮膚の継ぎ目のようなものがうっすらと見える。

 目は深い群青色で、瞬きをするたびに微かに光った。


(んなっ!?)


 驚く暇も碌になく、声が響いてきた。


「井敷高志、19歳。現在の苦境に対し強い憤りを持ち、かつ行動力があり衝動的な判断をしやすい人格特性を持つ。適合率、九十四・七パーセント」


 機械的でありながらどこか温かみのある声で、それは言った。

 何故かその無機質な響きには危険はなさそうだと思わせるものがあるみたいだった。


「な、なんだ、お前?」


「私はΩ-7。二〇八九年に製造された汎用意思決定支援AIです。あなたに、歴史を変える力を渡しに来ました」


 たかしはカップ麺を持ったまま固まることしかできない。


 Ω-7の説明は簡潔だった。

 未来において時間軸への局所的介入技術が実用化され、過去の特定事象に干渉できるようになった。

 しかし技術的・倫理的制約から、AIが直接介入することはできない。

 そこで「強い動機を持つ過去の人間」に装置を貸与し、介入を委託するのだという。


「あなたが変えたいと思っている出来事、アメリカのイラン攻撃。それを阻止する手段を提供します」


 たかしは数秒考えた。

 およそ信じられない非現実的な話ではある。

 だが今現在の日本の状況こそがそうなのだから、ダメ元で乗ってやれという自暴自棄なものも後押ししてあっさりと受け入れるまでの時間に過ぎなかった。


「やる。俺が歴史を変えてやるっ!」


 Ω-7は静かに頷いた。


「想定通りの返答です」



………


 Ω-7から渡されたのは、薄い金属製のブレスレットだった。

 思考で操作でき、時間軸上の任意の座標に移動できる。

 加えて、その時代の言語を自動翻訳する機能、物理的な干渉を可能にする局所的な力場、そして未来の情報にアクセスできる端末が内蔵されていた。


 やることは決まっている。

 攻撃を決行した「世界の警察」を止めること。

 具体的な対応方法はAIがすべて教えてくる。


 まず攻撃の四十八時間前へ飛んだ。


 ワシントンDC、国防総省近くのホテル。

 情報端末を使って関係者の動向を把握し、意思決定の核にいる人物を特定。

 最高政治責任者たる彼の判断を迷わせ、躊躇させるためのあらゆる手段を実施する。

 次に、攻撃命令が下される直前に、関連する通信システムに未来の暗号技術で侵入し、作戦情報を意図的に「不確実」なものに書き換えた。

 確証のない状況での先制攻撃には議会が慎重な姿勢を示すことは、歴史の教科書にも載っていた事実だ。


 でもまだそれだけでは足りなかった。


 たかしはイランの核施設関係者に匿名で接触し、査察受け入れの具体的な条件と手順を流す。

 国際原子力機関の特定の委員に、攻撃を踏みとどまらせるに足る証拠書類を送りつけた。

 さらにアメリカの複数の上院議員のもとへと、攻撃後の経済的損失を精密に試算した未来のレポートを「内部告発文書」として届けることまで。


 以上がAIが導いた、最小限の手間暇で最大の結果を得るためのすべてだった。

 そしてやるべきことをやり遂げた後は、AIに手配させたホテルでその時をまつだけ。


 数日後、本来ならばアメリカによる先制攻撃が行われていたはずの運命の日。

 攻撃予定の朝。


 世界を驚愕と動揺に陥れるはずの悲劇は起こらなかった。


 『議会の反対が予想外に強く、大統領は攻撃を「無期限延期」としました!』

 『イランは限定的な査察を受け入れると表明! 歴史的な外交的解決への第一歩です!!』


 たかしはホテルの部屋でそのニュースを見て、拳を握った。


 やった。

 やってやったぜ!


 目的を完遂した達成感と興奮に包まれながら、ブレスレットを操作して、現在へ戻る座標を入力する。

 胸の中には、自分が世界を救ったという確かな手応えがあった。


………


 光の輪が消えると、たかしは自分のアパートの前に立っていた。

 そして意気揚々と結果を確認するついでの夜食の買い出しへと、まずはコンビニへと足を向ける。


 最初に気づいたのは、コンビニの前を通り過ぎようとした老人が、店内を見て立ち尽くしていることだった。

 棚は、空だった。

 たかしが出発する前よりも明らかに、閑散として何もなかった。


(? どういうことだ……?)


 ガソリンスタンドの掲示板が目に入った。

 まさかと思った。


 一リットル、1030円。


 たかしは驚愕で足を止めた。


 スマートフォンを取り出してニュースの履歴を確認すると、次々にこの1年間で起こった見出しが目に飛び込んできた。


『イラン、核抑止力の完成を宣言 中東に新たな核時代』

『サウジ・エジプト、独自核開発を表明 "核ドミノ"現実化か』

『ホルムズ海峡、今月だけで七回目の封鎖 タンカー保険料が過去最高』

『日本の電気代、来月からさらに三十パーセント値上げ 政府「あらゆる手段を」』


 たかしの手が、震えた。

 ニュースを読み進めるほど、像が結ばれていった。


 アメリカの攻撃が回避されたことで、イランは時間を手に入れた。

 外交交渉が続く間も、核開発の核心部分は水面下で着実に進んでいた。

 そして攻撃の脅威が消えた翌年、イランは完成した核を世界に向けて宣言した。

 周辺国は震え上がり、そして次々と同じ結論に達した。

 自分たちも持たなければならない、と。


 核の傘を手にしたイランは変わった。

 というより、解き放たれたというのが相応しいかもしれない。


 ホルムズ海峡は、今や政治的な道具だった。

 気に入らない制裁があれば封鎖し、交渉が有利になれば開ける。

 誰も軍事的に止められない。

 核を持つ国に先制攻撃をしかける国はない。

 それは世界が七十年かけて学んだ常識だった。


 原油は止まった。

 そのたびに世界は悲鳴を上げ、暫時的に値段を上げて再び流れ始めるということを繰り返す。

 天井などなかった。

 あると思っていたのがそもそも間違いだったのだ。


 たかしはその場にへたり込みそうになるのを、かろうじて堪えた。


………


 アパートに戻ると、Ω-7が椅子に座って待っていた。


「状況は把握しています」


 たかしが何か言う前に、未来の超高性能人工知能は言った。


「なんで……」


 たかしは声が掠れているのに気づいた。


「なんで教えてくれなかったんだ。こうなるって、わかってたんじゃないのか?」


「介入の結果として生じうる事象のひとつとして、このシナリオは確率の上位に存在していました」


「じゃあなんでっ」


「あなたが聞かなかったからです」


 当然のように酷くあっさりと放たれた音声に、たかしは言葉を失った。


 確かに、聞かなかった。

 「やる」と碌に考えることなく答えた。

 結果がどうなるかを、何一つ確かめずに。


 戦争さえ止めれば万事うまくいくはずだという確信だけで。



「現時点での最適な対処方針を提示してもよいですか」


 Ω-7は続けた。


「……聞かせてくれ」


「中東の安定を取り戻す方法は、現時点では二つです。ひとつは、アメリカの攻撃が実行された元の歴史に戻すこと。もうひとつは、どちらか一方の勢力を完全に無力化すること」


「無力化って」


「軍事的・経済的・政治的手段により、一方の国家または勢力が、実質的に力を行使できない状態にすること。歴史的に言えば、強国が弱国を抑圧し続けていた構造の再現です」


 たかしはその言葉の意味を、ゆっくりと噛み砕いた。


「……それって、つまり」


「一方が抑圧され、制限され、貧しさを強制されている状態の方が、両者が核戦力において対等に並び立つよりも、総合的な人命損失および経済損失は統計的に小さくなります。不平等で不公正な構造であっても、均衡した破壊力を持つ二者が対峙する状態よりは、世界全体の損失が少ない」


 Ω-7の声に感情はなかった。

 ただ、どこまでも無機質に『正解』を読み上げていた。


「それが最適解か」


「はい。私が導き出せる範囲における、最も損失の少ない解です」


 そして沈黙。


 窓の外で、誰かの子供が泣いていた。

 腹が減っているのか、それとも別の理由かはわからなかった。



 正義を実現しようとした。

 戦争をなくそうとした。

 理不尽な攻撃を止めようとした。


 そのすべてが正しいことのように思えた。

 思えたのに、結果はより大きな混乱だった。


 ではその前の歴史は正しかったのか。

 攻撃された側の人々の痛みは、正当化されるのか。

 抑圧されることが「最適解」であるような世界は、本当に最適なのか。


 AIは答えを持っていた。

 たかしには、その答えを受け入れることができなかった。

 受け入れたくなかった。

 しかし、受け入れなければ今よりひどい世界になるという事実も、目の前に突きつけられていた。


 無限の虚無へと落っこちていくような脱力感に襲われながら、やっと口を開こうとした。

 乾ききった口から聞き取りにくい声が、ぼそぼそと出ていくのをどこか他人事のように感じた。


「Ω-7」


「はい」


「俺にできることは、何がある? どうすればよかったんだ?」


「先ほども申し上げた通り、被害を最小にしたいということであれば、どちらか一方を軍事的に無力化するのが間違いありません。しかし……それが受け入れられないのならば」


「何もしない方がマシって可能性が高いと?」


「……」


 その沈黙はAIの癖に妙に人間臭い仕草だと思った。

 そして放たれた言葉をもう一度、頭の中で繰り返す。


 自分を、止める。

 英雄になろうとした自分を。世界を救おうとした自分を。

 怒りと正義感と、それから少しの自惚れを持って時間を遡った自分を。


「過去に戻って俺自身を止めれば……」


「元の歴史に戻ります。アメリカはイランを攻撃し、原油は上がり、日本は苦しむ。しかし核ドミノは起きない。海峡は不安定ながらも完全には封鎖されない。世界は、傷つきながらも、今よりは機能し続ける」


「……それが、最善なのか」


「最善ではありません。比較的損失の少ない選択の一つです」


 たかしは立ち上がり、窓の外を見た。

 薄暗い住宅街に、点々と明かりが灯っていた。

 値上がりしていく電気代に怯えながら、それでも明かりを消せない人たちの明かりだ。

 コンビニで空の棚を前に立ち尽くしていた老人の背中を思った。

 二百九十円のカップ麺を買った、かつての自分を思った。

 今ではその倍以上の値段で、かつ物自体が完全に枯渇している。


 自分の怒りも苦しみも間違いなく本物だった。

 しかしその正義感が、それよりもはるかに大きな損壊を生んだことも、また本物の事実らしいことを残酷なまでに理解しないではいられなかった。


 ブレスレットに手を伸ばす。

 座標を入力する指が、少し震える。


 世界には最適解がある。

 しかしその最適解は、誰かの不公正の上に成り立っている。

 その構造を壊そうとすれば、より大きな不公正が生まれる。

 では何もするなということか。

 ただ見ていろということか。


 たかしにはわからなかった。

 これから自分がしなくてはいけないこと以外は。

 ただそれだけを想って、光の中に踏み込んでいく。


 歴史を変えようとする過去の自分を止めるために。





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