待ち望んだ客人
「うおっ!?なんだこりゃ!」
沈黙を破ったのは、悲鳴に近いガルドの叫びだった。
常緑のはずの硬い葉が、意思を持った礫となって騎士たちの鎧を叩き始めたのだ。バチバチと火花が散るような音を立て、風もないのに森全体が狂ったように揺動を始める。
「全員、警戒!四方から接近します!」
エイの鋭い警告が飛ぶ。彼は咄嗟に女を背中に隠すように立ち、抜剣して周囲を睨み据えた。騎士たちが即座に円陣を組み、背中を合わせる。先ほどまでの余裕は消え、肌を刺すような濃密な殺気に、誰もが喉を鳴らした。
「……やはり、貴様か」
メアは苦々しく呟き、円陣の中心で地面に座り込んだままの女を睨みつけた。女は相変わらず濡れたまま、ただ目を丸くしている。だが、この異常事態の引き金が彼女であることは、もはや疑いようもなかった。
暗闇の奥、藪の中から、爛々と輝く赤い光が、一つ、また一つと灯り始める。
「なんなんですか、これは……」
ビィが声を上げた。彼の足元では、泉から這い出した無数のカニたちがハサミをジョキジョキと鳴らし、威嚇するように具足を叩いている。頭上からは小鳥たちが弾丸のように飛び出し、女を囲むように旋回して騎士たちを翻弄した。
「ちょこまかしやがって!鬱陶しい!」
苛立ったイーガが、足元のカニを蹴散らそうとブーツを振り上げた。
「いけません、イーガ!」
エイの制止は一歩遅かった。だが、イーガの足がカニに届くことはなかった。いつの間にか集まっていた亀の重厚な甲羅が、盾のようにカニを覆い、鈍い音を立てて蹴りを受け止めたのだ。
「……全員、手を出すな」
メアが低い声で命じた。その視線の先では、暗闇に潜んでいた巨大な狼たちが、ゆっくりとその姿を現していた。数頭ではない。森の闇そのものが牙を剥いたかのような、圧倒的な群れ。
その時だった。
「こら。お客さんだよ。やめなさい」
喧騒を切り裂くように、女の凛とした声が響き渡った。
魔法か、あるいは呪文か。次の瞬間、狂乱していた森の騒めきが嘘のように止んだ。
叩きつけるようだった葉はひらひらと舞い落ち、カニたちはハサミを止めて行儀よく整列した。小鳥たちは一斉に女の肩や周囲の枝に止まり、つぶらな瞳で騎士たちをじっと見つめている。
「……は?お客さん……だって?」
足を上げたまま固まっていたイーガが、呆然と呟いた。
暗闇から迫っていた巨大な狼たちまでもが、叱られた仔犬のようにお座りをし、静かに尾を揺らし始めている。そこにはもはや、獣特有の凶暴さは微塵も感じられなかった。
「……貴様、今、何と言った。こいつらが……お前の庭の番犬だとでも言うつもりか」
メアの声には、隠しきれない困惑と本能的な忌避感が混じっていた。
一方で、エイは女の言葉を噛みしめるように目を細めた。女の前に膝をつき、視線を同じ高さに合わせる。
「お客さん、ですか。……手荒な真似をした我々を、そのように呼んでくださるとは」
「こっちこそごめんね。みんな、私がいじめられてると思ったみたい」
女が困ったように笑う。彼女の肩の上では、一匹のカマキリが未だに戦闘態勢を解かず、メアに向かって鋭いカマを振り上げていた。
「……いじめられて、ですか。そのように見えても仕方のない状況でしたね。大変失礼いたしました」
エイは苦笑を浮かべ、心底申し訳なさそうに頭を下げた。騎士団の制服に身を包んだ美丈夫が、地面に座る正体不明の女に跪き、謝罪する。その光景に、若い騎士たちは顔を見合わせた。
「エイ。何を考えている」
だが、メアの瞳はさらに冷たく研ぎ澄まされた。
「そいつの言葉を真に受けるな。我々を惑わすための幻惑か、精神干渉の類だ。問答は無用。抵抗するなら、斬る」
メアが剣の柄を握り直し、一歩踏み出した。
その瞬間、パラパラと、彼の頭上に小さな雨が降り注いだ。
それは尖った葉でも、鋭い石でもない。鳥の巣に使われるような、何の変哲もない小さな小枝や木の実だった。
「またかよ!今度はなんだってんだ!」
ガルドが頭を庇ってぼやく。それは攻撃とは呼べないほど微々たるものだったが、森全体が「やめろ」と無言の抗議をしているような、異様な圧迫感があった。
「メア隊長、お待ちください!」
エイが立ち上がり、メアの前に立ちはだかった。
「彼女は我々に敵意を示しておりません!森が、この地にいる生き物たちが、まるで彼女を守ろうとしているかのようです!我々が手を出せば、今度こそ本気で牙を剥いてくるかもしれません……!」
エイの言葉を裏付けるように、狼たちが再びゆっくりと立ち上がり、低い唸り声を上げてメア一人を睨みつけた。
「……」
メアは忌々しげに舌打ちをした。力でねじ伏せようとするたびに、理屈を超えた現象が起きる。彼は苦々しく、ゆっくりと剣の切っ先を下げた。
「やめなさい。無駄遣いしないの。せっかく芽が出たのに」
女が空を仰いで叱りつけると、またしても雨はぴたりと止んだ。
イーガが足元の枝を拾い上げる。それはただの枯れ枝ではなく、先端に柔らかな緑が芽吹いた、生命力に満ちた若枝だった。
「……どうやら我々は、とんでもない方と出会ってしまったようですね」
エイは、感嘆とも畏怖ともつかぬ溜息をつき、メアに向き直った。
「メア隊長。重ねて具申いたします。彼女への武力の行使は、百害あって一利なし。ここはまず、対話による情報収集を優先すべきです」
メアは何も答えず、一度だけ強く目を瞑った。
「……わかった。だが、警戒は解くな。エイ、お前に任せる」
隊長の許可を得て、エイは安堵の表情を浮かべた。彼は再び女の前に膝をつき、今度は友好的な、穏やかな笑みを浮かべた。
「改めまして、自己紹介を。私は黒狼騎士団のエイ・ランティスと申します。あなたのお名前を、お聞かせ願えますか?」




