第七話 墓のない王
「私を国葬する必要はない。なぜならば、この命果てるとき私はすべてを使い切って、最後の一息を吐いたら、塵となって消えるだろう。立派な棺桶など必要がないのだ。ただ世界樹で祈りの儀式をしてくれ」
エドワードの父ハンストンが遺した言葉だ。
独裁王ハイドンの父に逆らった罪で、ハンストンは生涯の半分を牢獄で過ごした。
「民主革命」が起きてハイドンが処刑され、牢獄から出されたハンストンに待ち受けていたのは膨大な仕事だった。
ハイドンを処刑まで追い込んだのは、民衆だった。
ハンストンはこの強い民衆と共に国を立て直すと決意した。
民衆のための政治「民主主義」を勃興し、豊かな国となった東の国キキレイロウからハンストンは民主制を学んだ。
貴族からは「自分たちより身分の低い者に、政治はできない」という批判があった。
「国を腐敗させ、勝てぬ戦争を企てていたハイドンが王のままでいたら、国は滅んでいただろう。我らの国を救ったのは民衆である。身分の高いあなたたちは、ハイドンが王である時代に何をしていた?」
ハンストンが言うと、貴族たちは黙った。
革命を起こしたリーダーを筆頭に血気盛んな青年たちを衆議議員に任命し、選挙制度も実施した。
エドワードの母レイラは、ハイドンの妻と愛人を城から追い出し、宝石や豪奢なドレスをすべて売り払い財源にした。
レイラは民衆革命の資金援助をした伯爵家の長女だった。寡黙で厳しく城を取り仕切った。
エドワードが十二歳になって、一人で眠れるようになっても、枕元に座ってレイラは物語を読み聞かせた。
レイラは聡明であったが、あまりにも使命に生きすぎて、自分の気持ちを言葉にするのが難しく、本の朗読で愛を息子に伝えた。
時々、レイラは無言で静かに、息子を抱きしめた。共に過ごせる時間が少ないことを知っていたかのように。
レイラが病で先立ち、ハンストンは急激に老いてしまった。
「息子よ、おまえを抱きしめ語る日々が少なかったことが悔いだ」
亡くなる前にハンストンは涙を流して言った。
冷たくなった遺骸を、エドワードは泣きながら抱きしめた。
ハンストンの体は塵とはならなかったが、遺言通りに国葬はしなかった。
王族の墓の地下深く、王族のみの死体を火葬してきた聖火で、簡素な棺を燃やした。
王が死亡した場合、三ヶ月は喪に服すことが義務とされていたが、それも行われなかった。
国民は自然と、王を追悼した。
木の根ですべての世界は繋がっているとされる「世界樹」には、キャンドルを持った人たちが王のために歌った。
偉大なる魂は世界樹の根の下にある、真実の世界へ転生すると信仰されている。
雪の降る冷たい夜でも、巨木の世界樹は暖かな火で照らされていた。
父が真に、国民に愛されていた王だとわかるその光景に、エドワードは涙が止まらなかった。
ハンストンが作った民主主義の土台を、エドワードはさらに進化させた。
衆議議員の議席を増やし、衆議院から大臣を任命した。
世界樹の前で民衆の前に立ち、演説を行った。
二十五歳で王となり、エドワードは西の国の王女と結婚した。
宰相の勧めで結婚したが、キャリーが二十歳になったばかりで自分と年が離れすぎていること、豪奢な生活をしていたキャリーが、母レイラの作り上げた質素な王族の生活には合わないのではないかということ——
問題点がいくつもあった結婚生活は、十年で終わった。
「あなたは王として貫禄に欠けてらっしゃる。なぜもっと王として堂々としてらっしゃらないの。あなたは庶民の臣下にさえ頭を下げてしまう。それに、アイラはかわいくない娘です。あの子はせっかく女の子に生まれたのに、ドレスではなく本を買う」
このキャリーの言葉で、エドワードは完全に妻から心が離れてしまった。
アイラに対する妻の冷たい態度を何度もいさめてきたが、娘を愛さない母親は不要と判断した。
「そうか、わかった。ならば出ていけ」
キャリーはすぐに離婚に応じた。
首脳議会で何度も離婚を反対され、国会も離婚問題で三回開いた。
離婚後が国交に影響する、国の評価が下がると反対された。
しかし、ジーモン大蔵大臣が、キャリーがメイドを使いに出し、王の許可なく国の予算で宝石を何度も買っていたことを判明させた。
この不正を皇后の父親である国王が謝罪してきたことで、離婚は決まった。
ジーモンは子爵の息子だ。
キキレイロウ国で民主主義を学び、大学の博士号と官僚の経験を生かして頭角をあらわし、三十歳で「国の金庫番」とあだ名される大蔵省大臣となった。
妻の罪を発覚させ、離婚問題を片づけてくれたジーモンに、エドワードは感謝した。
そして、疲れた心で問いかけた。
「この心の穴を埋めるには、どうすればいい。何か私も気晴らしが欲しい」
「そうですね。王の話し相手と聞いて私が思い浮かびますのは、宮廷道化師です。城内においてどの位にも属さない、自由奔放で戯れて生き、王を馬鹿にすることも許され、飛び回って悪口や戯れ言をぬかしよる。それが宮廷道化師でございます。そんな者がいたら、少しは面白くなるのでは?」
ジーモンはいつも眉間に皺を寄せた険しい顔をしているが、目の奥で生き生きと笑って、強い光を発することがある。
宮廷道化師について語ったジーモンの瞳は、輝いていた。
「それは良い。そういえば、独裁王を批判した宮廷道化師のマリルの日記を、母が読み聞かせてくれた。私はあの本で汚い言葉を覚えた」
エドワードは、生真面目な顔で、バカだ阿呆だクソだの言う母が面白かった。母も時折、笑いながら読んでいた。
アイラが宮廷道化師を選んだ。
水色の大きな目をぱちくりとした、可愛らしい少年ライモ・マックスは、サーカス団の人気道化師である。
アステール国では珍しい魔術を使いこなし、ライオンを出現させてエドワードを驚かせた。
アイラも同じ年の子と遊べば、母と離別した彼女の心も癒えるだろうと、エドワードもライモを選んだ。
三角帽にフリルの大きなブラウス、裾の広いズボンにとがった靴、すべて純白。
ライモがその道化師の衣装で近くをちょこちょこ走っていると、紋白蝶のようだ。
ライモは王に怯えを見せたが、エドワードは彼の成長を楽しみにした。
「おいで、ライモ。少しは休みなさい」
執務室の休憩時間、ソファーを叩いてエドワードが声をかけると、もじもじしながらライモは王の足元に座る。
「おいで、こっちだ」
エドワードはライモを膝に乗せた。
「わあ」ライモは驚いた声を出した。
「教育係のガード夫人から聞いたよ。君が来てから一週間で、アイラは明るさを取り戻したと。悪夢にうなされて、アイラが夜中に目を覚まさなくなったそうだ。どういう魔法をかけたんだい?」
「ただ、僕は…………アイラ王女にお伝えしただけです。あなたはみんなに愛されていると。大切な存在であると」
ライモの言葉に、エドワードはハッとした。
「ありがとう。とても大切な言葉を娘に与えてくれた。私は口下手で、どう言っていいかわからない時がある。とても単純なことだったんだね」
エドワードはライモを抱きしめた。すんなりと、ライモはエドワードの肩に頬をつけた。
「僕が師匠ホルオーからいただいた言葉です。おまえは愛されている、自分を愛しなさい。師匠ホルオーは、捨て子の僕に言ってくれました」
「そうか。君の生い立ちを教えてくれ」
ライモは親に愛されなかった、孤児の辛い体験を語った。
「ニコルス団長が君を助けてくれたことに、感謝しなければ。ライモ、城に来てくれて、ありがとう。ここは君の居場所だ。蝶のように自由に飛び回れ」
エドワードが言うと、ライモはにっこりと笑って、宙に浮いた。
細い体が光って、背中に丸い蝶の羽根を生やす。
「蝶のように。いい案です」
「とてもかわいい蝶々だ。その姿を城の者たち、そしてアイラに見せてやってくれ。私のあとをついて回るのではなく、自分の好きなことをしなさい」
エドワードが言うと、ライモはうなずいて飛んでいった。