第七十七話 センスの悪い魔物
ビリーは故郷のお祭りで女の子の衣装を着せられて踊るのが嫌だった。かといって男の子の服を着るのも嫌だった。十六歳の春に旅に出て、極寒の北国で傭兵になり、戦争に巻き込まれた。
もう戦死者を見たくないと、平和が制定されているアステール国に行き着き、自分は「ノンバナイリー」だと心理士に教えてもらった。男女どちらでもない性別、その言葉がしっくりきた。
だが、理解されない。ビリーは中性的な女性として扱われることがほとんどだ。
マイノリティジェンダーは社会で常に偏見とぶつかる。「あなたはかわいい顔をしているのに男のようにふるまうのはもったいない」と、求めてもいないアドバイスをされる。
「人間は男女どちらかだ、あなたはわがままだ」と説教される。
アイラ女王の演説が、それらの言葉を打ち消した。
すべてのジェンダーを女王が認めてくれたことが、どれだけ心強いか。
もう二度と剣は持ちたくなかった。
けれど龍を討伐するためなら、女王の国を守るためなら戦える。
「ビリー、稽古をつけて!」
野営地の朝、アイラが元気よく言う。
「いいよ」
ビリーは笑顔で引き受ける。アイラはどんどん強くなった。この子は本当にお姫様だったのか、そう疑うぐらい野生的になっていく。彼女は驕らない。常に誇り高い。
「イカル……あいつがライモの所に行くのが心配なの。きっとオーたちが守ってくれるだろうけれど。傷ついた愛する人の側に行けないのは、辛いね」
稽古を終えたあと、アイラはぽつりと言った。
「そうだね。でも、ラティスたちがあいつをやっつけてくれるよ。ラティスはライモを崇拝しているからね」
ビリーはラティスが目をぎらぎらさせてライモを見ているのを思い出した。彼とは食堂で何回か会ったことがあり、いつもライモの話をしていた。
「崇拝……? ちょっとそれ、大丈夫なの?」
アイラの目の色が変わる。しまった、とビリーは思った。アイラはライモのこととなると嫉妬深くなる。
「うん。あいつ、ちゃんと節度は守る。騎士道にはそれない」
「よかった」
胸をなで下ろすアイラを見て、ビリーは微笑む。外見は美少女なのに五歳の男児のように幼く下品なヤグ、自分のことしか考えていない変人ヒガラ、弓と魔術の使い手だが一癖あるローレライ。この隊で生活するのは大変だが、龍を討伐したあと、苦労も笑い話になるだろう。
※
朝露に濡れた睡蓮がみずみずしい桃色をしている。
ライモは手のひらですくった水に魔力を込めて、そっと睡蓮にかける。透明な川底に太い根が伸びていくのが見えた。
「しかし、考えたね。植物の根で龍を足止め、か。蓮根がまるで木の根のようだ」
ダニアンは川を覗きこんで言った。
ライモはダニアンを見上げて、微笑む。
ライモの白い肌が朝もやの中でさらに透明感をもち、艶やかだ。淡い水色の瞳の輝きを見て、ダニアンはイカルが彼にしたことを思い出し、奥歯を噛み締めた。
「ねぇ、ダニアンさん。結婚生活ってどんな感じですか?」
ライモは川に手を浸しながら言った。
「そうだなぁ、どうと言われると説明に困るが。もう結婚して二十年になるが、女房には世話になりっぱなしだね」
ダニアンは座って答えた。
「二十年かぁ。僕、もうすぐ結婚するんですよ。十八歳で。早いなぁと思うけど、この先、アイラ以上に結婚したいと思う人はいないから結婚には納得なんです。でも結婚生活ってどんなのかなぁって」
ライモの横顔には、まだ少年らしい面差しがある。
ダニアンは少し笑う。
「そういう相手と出会えたのが、奇跡で幸せだとおじさんは思うよ。俺の娘は十六なんだが、いきなり結婚すると言われたら焦るけどね」
「そうなんです。僕の婚約が決まってから、お父さんの様子がおかしくて」
「……あのジーモン宰相も、我が子の結婚となると、ちゃんと様子おかしくなるんだね」
ダニアンはつぶやく。ライモは本当にいい子だ。真面目で愛嬌があり、聡明で勇敢だ。女王が愛した理由は、ともに旅をしていてわかった。
「ライモ様!」
ラティスの叫び声が聞こえた。
「逃げてください、奴が来ました!」
ラティスの言葉を聞き、ライモの表情が強張った。
地鳴りがして川面が揺れた。睡蓮の花が震える。騎士たちの騒ぐ声がした。黒い巨大な背びれが川から浮き上がった。
「あれは、サメか! ここは川だぞ!」
ダニアンは叫んだ。
「あれは、僕が退治します。ダニアンさんはイカルの方へ行ってください」
マントを脱いで、ライモはダニアンに微笑みかけた。
「僕が一生懸命に育てた蓮の花、台無しにされたくないんで」
静かに怒っているライモを見て、ダニアンは頷いて隊に合流した。
魔物がいる。尖った耳に三つの赤い目で、鋭い爪をもつ長い尾を地に叩きつけている魔物と、三つの首がある狼。
尖った耳の魔物は鼻をひくつかせ、襲ってくる気配もない。狼も尻尾を立てて三つの首を違う方向に向けている。
「おい、ライモをどこに隠した? 俺のお姫様はどこだ?」
狼の後ろから若い男が出てきた。黒いマントをまとった痩躯の、鋭い目をした男。こいつがイカルだと、ダニアンは納得した。卑しい笑い方をする。
「貴様にライモ様を指一本触れさせん!」
ラティスが叫び、ダニアンをチラッと見た。「いいよ」とダニアンは頷く。ラティスは目が三つある魔物に剣を向けて、走る。魔物は尻尾でラティスを払おうとしたが、剣の方が早かった。中央の目を刺され、ギェェと魔物が声を上げる。
ダニアンは地面に手をついて、土を隆起させて魔物の腹を突いた。イカルが地面に叩きつけられる。次に狼の周りの土を陥没させる。
「ジョヴァン!」
クイナの詠唱でダニアンは魔力の防壁に守られた。
ラティスとオーにも防御力を上げる光が注がれた。
オーが無言で狼に近寄った。三つのうち、中央の狼の口を腕と肘の間で挟み、そのまま持ち上げて地面に叩きつける。狼の左の顔がオーの足に噛みついた。オーは噛まれたまま、再び狼を投げ飛ばす。ダニアンは岩を転がして狼にぶつけた。
オーが岩を片手で持ち上げて、狼の腹にぶち込んだ。
血飛沫が上がって、あたりに生臭い臭いが立ち込める。
狼は舌を出して、ぐったりと動かなくなった。
オーが狼を殴る。泣いていた。
「くそっくそっくそっ! 誇り高き狼をこんな醜い姿にするとは! イカル、貴様は美的センスがないっ!」
オーが叫んでいる。
ラティスは襲ってきた魔物をかわし、長い尻尾を切り落とした。背中を刺して切り裂く。赤黒い血が流れて、魔物の赤い目が白くなった。ラティスが魔物の胸を突き刺すと、しゅうしゅうと音を立て、煙を吹き出しながら、魔物は骨になった。
オオカミも骨になっている。
悪臭にダニアンは咳きこんだ。
「おい、待て」
クイナが逃げようとしたイカルの手首をつかんだ。
イカルは血にまみれてへたり込んでいる。
ラティスがイカルの首に剣を突きつける。
「おまえ、おまえは俺がこの世で一番、憎んでいるものだ。ライモにしたことも、魔物たちを醜い姿にしたことも。おまえが生きていることが許せない」
オーがイカルの股の間に、どん、と足をついた。
「ふ、ふへっ。ま、魔物は川にもいるぜ。俺はまだここで終わらないからな!」
イカルが消えた。
「くそっ! さっさと斬ればよかった!」
ラティスが地面に剣を突き立てた。
オーとクイナは、川に向かって走る。
「ラティス、行くぞっ。川の魔物とライモが戦っているはず!」
ダニアンが呼びかけると、ラティスは全速力で駆けて行った。




