第七十一章 悪の炎を消しされ
ライモたちは夜が来る前に野営地を決めて、焚き火を囲んで食事をした。オーが川で獲ってきた魚を焼いて食べ、暖かいコーヒーを飲んで談笑した。
「オーはほんとにすごいなぁ。釣りもうまいとは。俺はダメなんだよねぇ、釣りってとかって。あのイワナ、美味しかったよ」
ダニアンが言う。
「この魚は釣りではなく、手で捕まえてきました」
オーがいい笑顔で答える。ダニアンは驚いた顔で絶句する。
クイナとライモは慣れた顔で何も言わない。
「ラティス、君はどうして騎士に入ったの?」
ライモは彼と仲を深めたいと思い、隣に座って腰掛けた。
「あ、あの。その、自分はっ。子供の頃から悪人を逮捕する正義の警察騎士に憧れていました」
ラティスの緊張はなかなか解れない。これだとしんどい思いをするな、とライモは心配している。
「そうなんだ。でも君は近衛騎士だったよね。国会議事堂の警備をしている君を見たことがある」
ライモが言うと、ラティスは目も口もまん丸にしてライモを見た。
「なっ、なんと! お、俺はずっと国会であなたを見てました。宮廷道化師として腐った騎士団を裁いてくれて、本当に感謝してすっごく尊敬しています。その、恐縮です」
「ありがとう。若い騎士がこの隊に入ってくれて、心強いよ。歳はいくつなの? 出身は?」
ライモは首を傾げて問いかける。
オーがコーヒーのおかわりを入れてくれた。
「年は二十二、出身はナーガ川近くのテイル町です。ナーガ村が流されたと聞いて、いてもたってもいられない気持ちでした」
「僕より年上だね。そうだよね、僕も早くナーガ村を復興させたいよ。それには龍を決して川から出さないことだね。陸上に来たら損害が出る」
「おっしゃる通りです。さすがライモ様です」
「そのライモ様はやめてって言ってるのに」
「ライモ」
それまで黙っていたクイナが、低い声でライモを呼んだ。
「みんな、ちょっと俺の近くにきてくれ」
クイナの深刻な顔を見て、全員が立ち上がった。
「囲まれている。十人ぐらい、気配からして相手は玄人だ」
クイナの言葉を聞いて、ライモは目を閉じて周囲の音を聞いた。焚き火の火が爆ぜる音、川の音の流れる音の中に、小枝を踏む人の足音がした。
「盗賊かと思ったが違うようだ。物盗りにしては時間をかけすぎている。街から出てすぐに、高級な馬車が追ってきているのを見た。あれは貴族の馬車だ」
「ということは、貴族の追手ですか」
ダニアンが訊く。
「そうだな。色々考えたが、ライモが勇者に選ばれたことが気に食わない貴族の情報は耳にしている。そいつらか」
クイナが頷いて答えた。
「くそっ、許せない」
ラティスがくぐもった声で吐き捨てる。
「ならば、ライモを守るまでだ」
オーが力強く言った。
ライモはため息をついた。
「…………わかりました。僕に案があります。みなさん、僕の言う通りにしてください。まずは、少し解散しましょう。こうして集まって話していると怪しまれる」
ライモは言った。それぞれ交代で眠るように見せかけ、ライモは魔術で火の煙にまぎらせて、煙文字で作戦を伝えた。クイナとダニアンはすぐに承諾してくれたが、オーとラティスには説得が必要だった。
朝になり、ライモは一人でテントから出た。
剣は荷馬車の荷物の中に押し込み、マントもつけず、軽装で川辺に向かう。顔を冷たい水で洗い、森の中に入る。
そのまま歩き続けた。
複数の足音が追ってくる。
ライモは、捕まった。後ろから襲ってきた男に口を手で押さえられ、かつぎ上げられる。
「やめて、離して」
ライモは怯えた声を出した。
「大人しくしていろ」
顔を隠した男がライモの首筋にナイフを当てた。
「お願い、殺さないで」
ライモは泣き顔で呟いた。
「なんだ、勇者と聞いていたがとんだ弱虫じゃないか。おい、泣くのはいいがお漏らしはよしてくれよ」
ライモを担ぎ上げた男が、笑って言った。
「そうだな、あっさり捕まりやがって。いいか、でも連れの方はやっかいだ。おい、香水をまけ」
黒い布で顔を隠している、背は低いが体格の良い男がリーダーだとライモは見抜いた。腰に先の曲がった短刀を装備している。
手下らしい若い男が、森に赤色の液体をまいた。きつい香水の匂いがする。
「あーあ、この香水をやれば女が喜ぶのに。本当なんですか、犬より鼻がいい男の話って」
「本当だ。おい、無駄口叩くな。さっさとそいつを連れて行くぞ」
ライモは森の奥深くにある小さな小屋に連れてこられた。
苔むした小屋は何年も使われていないようだ。ライモは床に落とされ、痛がって体をよじった。
髭面の男が縄を持ってきて、ライモに迫ってくる。
「嫌だ、何するんだ! やめろ、やめてくれ!」
ライモは小屋の隅に逃げる。
「大人しくしろ」
男たちに体を押さえつけられ、ライモは縄で縛られた。ライモは体をよじって逃げようとするが、腹を殴られて動けなくなった。体が痺れて痛い。
「何…………この縄、痛い、痛いよ」
ライモは泣き声で言った。
「この縄は魔力封じの縄だ。しかし、こいつどうするんだろうなぁ。このツラと体だ、高く売れそうなのによぅ」
髭面の男がライモの顎をつかみ、舐め回すように見つめた。
「知らねぇよ、貴族様の考えることなんざ。あんまり遊ぶなよ」
リーダーの男がそう言って小屋から出ていく。
「んー、坊ちゃん。痛いか、どこがどう痛い?」
中年の男がライモの頬を軽く叩いて言う。
ライモはただ涙を流す。
「怖くて何も言えないみてぇだな。宮廷道化師の坊ちゃん。どれ、命乞いしたら助けてやらないこともないぜぇ。ただそのあとはわかるだろう、俺の言いなりになってもらう」
髭面の男がライモの細い腰をつかんだ。
「こういうやつ、いたぶるの大好きなんだよねぇ。なあ、もうちょっと遊んでもいいんじゃねぇの。傷さえつけなきゃいいだろう」
中年の男の手がライモの服の中に入りかけた。
「おい、貴族様がきたぞ」
ドアが開き、若い男が言う。
ライモはそちらを睨んだ。
ブーツの足音をさせて、二人の身なりの良い男が入ってきた。
貴族院の議員、アールモンドとティルダーだ。
おまえたちか、とライモは心の中で呟く。
「なんと無様な。我々の方が正しかったな。こんなにやすやすと盗賊に捕まる男が勇者など笑わせる」
アールモンドがライモを見下げて言う。
「まったくだ。この恥知らずめ。王族の血を我々が汚されるのを黙って見ていると思ったか」
ティルダーがふんぞり返って言った。
灰色の肉に埋もれたティルダーの目をじっと見つめ、ライモはアールモンドの一重の小さな目と、大仰な金色の刺繍が施されたコートを眺める。
「それで、どうします? こいつは高く売れますぜ。俺たちが買い取っても構わないですが?」
髭面の男がニヤニヤして言った。
「いや、殺す。こいつの顔は多くの人に知られすぎた。生かしておいては厄介だ」
アールモンドが言う。
「では、どう殺します?」
リーダーの男が尋ねる。
「そうだな、苦しんで死んでもらおう。縛られて動けない状態で、火に囲まれる恐怖を味わってもらおう。おまえが私たちを言葉で痛ぶってきた恨み、思い知れ」
「はは、それはいい。そうしよう」
アールモンドの提案にティルダーがうなずく。
「では、そうします。おまえたち、出ろよ」
「つまんねーな」
リーダーの命令で男たちは出ていった。小屋の戸が閉められ、中は暗くなった。戸口から赤い火が侵入してきた。焦げ臭い煙でライモは咳き込んだ。
炎は生き物のように壁を這い上がり、あっという間に天井に向かう。
「はぁ、まったく」
ライモは呟き、縄で縛られた体で床を這い、炎に近づく。縄の結び目の先に火をつけ、焼き切った。手首が火で焼ける痛みが走る。煙にむせて涙を流しながら、ライモは急いで縄を外して立ち上がった。
川で顔を洗った時に、濡らしたシャツの襟に触れる。
「ツーライシェイ、ツーライシェ」
喉を使って魔力を放出する。天から大量の水が降ってきた。火はあっという間に消え去る。ライモは小屋の戸を蹴破った。
アールモンドとティルダーは化け物を見るような目でライモを見る。
オーが数人の男を捕まえてなぎ倒し、ダニアンが土を隆起させ首だけ出した状態で男たちを埋めた。
クイナとラティスが逃げようとしたティルダーとアールモンドを捕まえる。
「おのれっ! ライモ様を殺そうなどと!」
ラティスがティルダーを突き飛ばして、剣を抜いた。
ひっ、とティルダーが悲鳴をあげる。
「やめておけ。君は誇り高き騎士だ。こんな醜悪なものを斬るな」
ライモはラティスの腕をつかみ、剣を降ろさせた。
ライモは指を鳴らしてアールモンドとティルダーを背中合わせにして、縄で縛る。
「自分の手は汚さずに、盗賊を金で雇って捕まえて、殺そうなんて。もっとマシな暗殺方法ぐらいあるだろ。ずいぶんと品のない無粋なことをしたな」
ライモは濡れた髪をかきあげ、冷たく言った。
「僕を殺して自分たちが龍を殺したかったの? それぐらいの勇気がないと勇者は殺せないよ? 僕はおまえたちが追ってきてることを知っていた。わざと捕まったんだよ。ここで逃げてもしつこいおまえたちは追ってくる。目障りだからね、ここで確実に捕まえたかった。拉致監禁、殺人教唆。その罪でおまえたちは投獄だ」
ライモはアールモンドとティルダーを指差して言った。
「も、申し訳ございませんっ。わ、私はアールモンドに言いくるめられて」
「何を言う! お、おまえは乗り気だっただろ」
「言い訳をするな! おまえたちはすぐに投獄行きだ。ライモ様にしたひどい行いを悔い改めろっ。クソ、こいつらマジで斬ってやりたい。あーーー、ライモ様の手に火傷を負わせて。このバカども!」
ラティスが怒鳴り散らす。
ライモは首だけ土から出している男たちの額を、順番に蹴った。
「さっきはよくもやらしい目で見て、触ってきたなクソ野郎! ほんまめっちゃきしょかったわ! おまえらどうせろくでもないことばっかりしてきたんや、ブタ箱入って臭い飯食え!」
ライモは特に髭の男と中年の男を、三発殴った。
「気持ち悪かったから、川で体洗ってくる。あと火傷も冷やさないと」
「ライモ、早く手当てをしよう…………おまえ、さっき西の言葉を使ってたが、どうした?」
クイナが心配そうにライモを見る。
「ああ、それはヤグからうつったみたいでって、ぐえっ」
オーに抱きつかれて、ライモは驚いた。
「まったくおまえは、無茶して! ギリギリまで助けに来るなって言ったが、俺は本当に本当に心配したぞ。おまえが焼け死ぬかと思って」
オーが号泣している。
「ごめん。でもちゃんと計画してたから。クイナさん、僕の東洋魔術、進化してたでしょ。窮地に陥ったからか、自分でも思ったより大量の水が出せました」
クイナはライモの額に、強烈なデコピンをした。
「もうこういうのは、やめてくれ。こっちの心臓に悪い。早く来い、火傷の手当ては早くしないと跡が残る」
「はい、ごめんなさい」
ライモは静かに謝った。
「はー、よかった。おじさんの寿命も縮むよ、ライモくん」
ダニアンがため息をついて言ったので、「ごめんなさい」と謝る。
ラティスは騎士が引き取りに来るまで、ずっとアールモンドとティルダーを叱っていた。




