第七十話 出発
これから寒くなる。裏地がしっかりとしているショートマンはジーモンからの贈り物だ。ライモは鏡の前で身につけて、これで少しは勇者らしく見えるかな、と思う。
出発の前日、念入りに荷物のチェックをしているライモの部屋の前をジーモンが何度も通り過ぎた。ドアを開けているので眉間に皺を寄せたジーモンの顔がちらりと見えるたびに、ライモは気になって手を止めた。
「お父さん。何か言いたいなら、言ってよ」
ついにライモが声をかけると、ジーモンは咳払いをしてライモの部屋に入ってくると、ライモを強く抱きしめた。何か確認するように肩を何度も叩いて、出て行った。
夕刻、リディアが訪ねてきた。家に上がっていくように言ったが、リディアは首を横に振った。
「これ。お守りに」
リディアが差し出したのは、刺繍のハンカチだった。アイラの生誕祭で売られている恋が叶う魔法のハンカチだ。
「これ…………もしかして、あの時に買った?」
ライモはアイラとの初めてのデートを思い出す。
「そう。アイラの十五歳の生誕祭に買ったものよ。あの時は楽しかったね。このハンカチはもう私には必要ないの。お守りに持って行って。じゃあ、帰りを待っているわ」
リディアが微笑む。
「ありがとう」
リディアは軽く手を振り、去っていった。
※
「選挙が中断されたのが悔しいわ。龍は立候補したみんなに謝ってほしいわね」
アイラは夕食後、コーヒーを飲みながらエドワードに言った。
「龍が謝ってくれるような相手だといいけれどね」
エドワードが笑う。
「そうね、きっと言葉も通じない。お父様、私は不思議なほど怖くないの。だって周りのみんなが助けてくれている。無限星の印という不思議な現象にも助けられているわ。印を持つ者たちがいる。この国は何があっても滅びることはない」
アイラは自信を持って言った。
「そうだね。私も、娘が危険な旅に出るというのに、不思議と不安ではない。それはおまえが素晴らしい成長を遂げたからだ」
「元王様のおっしゃる通りだわ。素敵な婚約相手も自分で見つけた。わらわこそアイラ女王なのじゃ」
アイラが言うと、エドワードは屈託なく笑った。
※
レイサンダーは重大な任命で旅に出ることを両親に伝えた。
「そうか…………若くして出世したな。俺はおまえが理解できず、ひどいことを言ってしまったこともある、すまなかった。俺はおまえを尊敬する」
父がレイサンダーの肩に手を置いて、微笑んで言った。
「どうか気をつけてね。体を大事にしてね」
母が泣きながらレイサンダーを抱きしめた。
「お兄ちゃん、がんばって」
妹がレイサンダーの手を握って言った。
「うん、大丈夫よ。あたしには仲間がいるからね」
レイサンダーはその時、家族の前で初めて「あたし」という一人称を使った。そのことを家族は誰も変だと言わず、受け入れてくれたのが嬉しかった。
※
出発の準備は整った。
秋深まる肌寒い朝、トランペットの音が鳴り響き、三台の荷馬車が出発した。
レイサンダー率いる騎士隊は茶色の馬、アイラ隊は白馬、そしてライモ隊は黒馬が牽いていた。
大通りには騎士が並び、大勢の人々が勇者たちの出発を見送った。ライモが荷台から出てくると、幌の屋根に立ち上がって、花びらを舞い散らせた。
「勇者ライモ! がんばって!」
「龍を討て、ライモ!」
ライモは声援に手を振った。アイラも荷台の窓を開けて、人々に手を振る。
キャラバンが旅立っていった後には、ライモが落として行った花びらが集まって、鮮やかな黄色のナスタチウムが咲いた。
※
よく晴れた日に出発できてよかった。
木造の荷馬車の中は食料の木箱、毛布、それぞれの荷物が積み込まれていて、男五人が入ると狭い。
ライモは膝を抱えて座り、三人の顔を見る。オー、かさばっているな。窮屈そうだがいつもの顔だ。
ダニアンは朝早かったせいか少し眠そうだ。クイナは馬車の窓から外を眺めている。
レイサンダーの推薦で隊に入ってくれたラティスは、剣を抱えて正座でうつむいている。緊張しているようだ。
「今日からみなさん、よろしくお願いします。改めまして、僕は勇者ライモ・マックスです。この旅についてきてくれて、ありがとう」
ライモは雰囲気を良くしようと、明るい笑顔で言った。
「とんでもございません! お、俺を龍討伐の構成員に選んでいただき、光栄でございます。よろしくお願いします!」
ラティスが勢いよく頭を下げて床に平伏す。そのまま静止してしまった。
「あの、そんな大げさな。どうぞ頭を上げてください」
「俺に敬語を使わないでください、ライモ様!!!」
ラティスが大声を出したので、馬が驚いたのか荷馬車が揺れた。
「いや、そちらこそ、あの……ライモでいいから…………ラティス」
ライモが言うと、ラティスが肩を震わせ始めた。
クイナが横を向いて、笑う。ダニアンは苦笑いをしている。
ラティスは床にぼろぼろと涙を流している。
オーがその雫を指ですくいとり、ぺろっと舐めた。
「なんと塩辛い涙だ。しかしこれは、嬉しくて泣いているぞ。名前を呼ばれて喜んでいる。はっははは、さすがライモのファンだ」
オーが笑った。
「うぉおおお、涙を味わわれたっ! 恥ずかしいっ」
ラティスは起き上がり、荷馬車の隅で三角座りをした。
「おい、オー。謝れ」
「すまない。申し訳ない。しかし良い涙だった」
ライモに小突かれてオーが謝る。
ライモはラティスの情緒が不安でたまらない気持ちになった。
※
アイラたちを乗せた荷馬車を引く馬が一番、足が速い。石畳の道も土の道も軽やかに馬は歩いていく。
馬車に乗ってすぐにヒガラとヤグは、隅の方で寝てしまった。
ローレライは弓を磨き、ビリーは窓から外を見て警戒している。
「ガナム村の遺体を早く保護しなければ。そして弔いの儀式を」
アイラは言った。そのために足の速い馬を選んだ。
「そうだね。早く遺体を遺族に引き渡したい」
ビリーは窓の外を見たまま言った。
「その前に、あたしたちの身の心配もした方がいいわね。女ばかり、そして女王がいる。賊に狙われるわ」
ローレライが言う。黒い肌に灰色の大きな瞳、分厚い唇には銀色のピアスをつけている。両耳にもたくさんピアスをつけて、黒と白のチェック模様のワンピース、首には黒いマフラーを巻いている。
「そうね。でも、私たちなら負けないでしょう。来たら逆に狩ってやるまでよ。ローレライ、あなたのことを教えて。出身はどこなの?」
アイラは尋ねた。
「中東の方よ。遊牧民族暮らしだったから、荷馬車はなんだか懐かしいわね。アステールに来てからは、治療や占いで食べてる」
「そうなのね。どうしてこの隊に入ってくれたの?」
「んー、ヒガラが面白そうだって言うから、かな。ごめん、正義の女王様にこんなこと言うの、失礼かしら」
ローレライが少し目を伏せて、こっちを試すような視線をよこす。
「いいえ。目的はなんだって構わない。あなたは治療の力があるし、足の甲に無限星の印がある。運命の導きよ」
アイラは素足のローレライの足の甲に、白く浮かび上がっている無限星の印を指さした。肌の色が黒い人は白く印が浮かぶ。
「さすが、女王様。度量が広いのね」
ローレライがにかっと歯を見せて笑う。
「私にも弓の使い方を教えてよ」
「いいわよ。毒矢のうまい使い方を教えてあげるわね」
「ははっ、初日から飛ばし過ぎないでよ」
ビリーは軽くアイラとローレライをたしなめた。
「うーーーんっ、こらっ、ライモぅ、んーーーまた裸見たったぁ、隙ありぃ」
グヘッとヤグが寝言を言った。
「は? こいつ、今、ライモの裸見たって」
アイラはローレライの矢を手にした。
「ちょ、ダメダメ」
ビリーに止められる。
「やーね、寝込みを襲うのは弓使いの美学じゃないわよぅ」
ローレライがアイラから弓矢を取り上げた。
「ローレライ、アイラはこのようにライモのこととなると暴走するの。注意してね」
ビリーが説明した。




