第六十一話 息を止める流されるな
雷雨が激しさを増すと同時に、川は大きくうねった。泥の臭いが濃くなり、冷たい雨が頬を刺す。
コダールは崩れそうな堤防に向かって、手をかざす。
「土の精霊たちよ、力を貸してくれ! 堤防よ元に戻れ!」
コダールが叫ぶと岩の堤防は少し形を取り戻したが、急激な流れですぐに押し流された。土色の激流がこっちに向かってくる。足の下から地響きがする。
村が飲み込まれるという絶望が目の前で止まってくれない。
一瞬、川の表面から黒光りするものを見た。太い胴体に、びっしりと重なったうろこ。コダールは目を見張った。あれは、なんだ。怖気が走って耳鳴りがした。雷鳴が遠くから聞こえる。
「もうダメだ! 避難するぞ!」
僧衣を引っ張られて我に帰り、コダールはダニアンと走った。村の世界樹が空色に光っている。嘆きの声を上げながら人々が世界樹の幹に入っていく。目を隠していても、その隣に立つバティストが悲観しているのがわかった。
バティストは唯一、世界樹の「門」を開ける。世界樹を魔力で繋げる移動魔術師だ。
コダールは足に障害がある少年を、ダニアンはお年寄りを背負って世界樹の門を潜った。
目の前にアステール城がある。世界樹の広場は逃げてきた村人で騒然としていた。
最後の一人まで救助され世界樹の門は閉じられた。
王都は先ほどの地獄の光景が嘘だったような、夕空だ。
コダールはへたりこんだ。
「みなさん、こちらへ! 城へ入って体をあっためてください。怪我をされている方はいらっしゃいませんか?」
レイサンダーたち若い騎士が声をかけて、村人たちを城へ招き入れる。
「バティスト様、これはただの水害ではありません。…………私は、見ました。もしかしたら、あれは」
コダールの脳裏に、うねる鱗の光景が蘇る。
「あれは、龍かもしれません。巨大な鱗、あれは…………」
コダールの言葉にバティストはうなずいた。
「はい。私も異様な気配、巨大で凶悪なものを感じました。そして、まだ何かがーーー」
「バティスト様!」
ヒガラが走ってきた。
「バティスト様、オーが『龍だ』と言って倒れた。息をしていない。そっちの水の龍じゃない、土の龍だ! 壁が崩れて、それで、よく見たら土が真っ赤なんだよ。真っ赤な土を食ってオーは倒れた。そっちは川の逆流だったんだろう、じゃあ、こっは…………こっちはなんだ、考えろ、モグラ、私ならわか、わかる…………そうだ山か。山崩れが起きる!」
ヒガラがわめいて、地面に座ると赤い土を石畳の上にぶちまけて、土をいじりながら呪文をとなえる。
「南の山だ! 誰か、南にある大きな山を知らないか!」
ヒガラが叫ぶ。
「ガナム山だ」
コダールは呟いた。
「そうだ、南の山といったらガナム山だろう。なんてこった、水害と山崩れが同時に起きるとは。バティスト様、世界樹の門をガナム山の方に開いてください」
ダニアンが言った。
バティストは悲しげな顔で立ち尽くしている。
「魔術協会の方々ですね。初めまして、私は女王に支える三官女の一人、リディアと申します。異常事態が起きているようですね、説明をお願いします」
小柄な少女が話しかけてきた。
「はい。この災害は龍の予兆です。龍が水害と山崩れを同時に起こしています。ナーガ川が氾濫し大きな水害が起きました。ナーガの村人は皆、助けられました。けれど」
フウカが答えた。
「ガナム山は、世界樹から遠すぎる。今から行って間に合うかどうか」
レンゲが言葉を続ける。そうだ、ガナム山のふもとは小さな村で世界樹は2キロ先の街にしかない。
「だから、助けられないとでも? バティスト様、門をあけてください」
リディアがバティストに詰め寄る。
「…………ですが、もう山崩れは始まっています。間に合わない。門を開く時間は一日に限られています。さっき開いたばかりです。せいぜい門を開けるのは三十分です、間に合いません」
バティストが額に手をあて苦しそうに言った。
「いいから、開いて! その目を隠しているリボンをほどいて、まぶたの裏の無限星の印を見せなさい!」
リディアがバティストを叱責し、額の髪をかきわけて無限星の印を見せた。バティストがリボンをとると、共鳴するようにまぶたの無限星が光り輝いた。
コダールは腕に熱を感じて袖をまくると無限星が光り熱を持っている、雨で冷えていた体が暖かくなった。ダニアンは足の甲を、フウカとレンゲは手首、それぞれの無限星の光を見た。
「リディア、持ってきたよ!」
黄色いベストを着たミモザ騎士団が集まってきた。リディアはその場でフリルとリボンのついたドレスを脱ぎ、黒い雨ガッパを着て、ブーツに履き替えた。
「バティスト様、あなたがここで門を開かないと言うなら、私はあなたを許さない。魔術協会の会長が、何を恐れている!」
リディアの喝に、バティストは目を開いた。
紫色の瞳が輝き世界樹の門が開く。リディアたちミモザ騎士団は躊躇なく飛び込んで行く。向こう側から地面を叩きつけるような轟音がした。
「俺たちも行こう」
「はい」
ダニアンとコダールも門を通った。
土埃で前が見えない。ダニアンが剣を抜いて空を切ると土が噴き上がって、土埃は空高くにまとまって、背後で落ちた。
「俺が風の魔術で視界を開き、君たちの背中を風で押すから全力で走ってくれ!」
「わかった! 全力の風をちょうだい!」
ダニアンの指示にリディアが答える。
山はまるで噴火しているようだ。赤い土砂と岩が滝のように崩れている。木々や家屋の屋根が押し流されていた。コダールは震えている大地に両手をつく。
そのまま行くな、土の地獄に吸い込まれる!
そう叫びたいのをコダールは飲み込んだ。
リディアたちは、果敢に走っていく。
人命を救うために。
「土の精霊よ、どうか静まってくれ…………!」
地面の亀裂に光が走り、コダールの魔術が地を固めていく。
コダールは汗をかきながら魔力を放出した。
※
予想したより状況は絶望的だった。
悲鳴が聞こえる、助けを呼ぶ声が聞こえるからリディアは走る。
「もし、私が帰ってこなかったら、あなたたちは逃げるのよ!」
リディアは叫んだ。
「そんなことはさせるものか! あんただけ覚悟決めてるんじゃない、私たちも覚悟がある。一人でも多く救う!」
エルサが追いついてきて、リディアに言った。
リディアはキッとエルサを睨む。
「あんたは来るなって言ったでしょっ! 女王を守るのはあんたよ!」
「うるさいっ! 私は足が早いし、力もある。あんた一人行かせられるか!」
エルサがリディアの先をいく。
「助けて、誰か!」
「くるしい、誰か…………」
うめき声が聞こえるが、どこに埋まっているかわからない。リディアは赤い土をかき分けて探した。白い小さな手を見つけて引っ張る。五歳ぐらいの小さな子だ。
「ビリー、この子を運んで! 後に来た者は救助した人を運んでちょうだい!」
「わかった!」
ビリーが子供を受け取って走る。ダニアンが来て、強烈な風を吹かせた。土が払い除けられ倒れていた人たちが現れた。一人一人に声をかけ、意識のない者は体格の良いティナやユナが運んでいく。
リディアは埋まっているスコップを見つけて、倒れた屋根を押し上げた。中にいた女性はぐったりしていて、顔を見ると口の中が土で埋もれている。脈は止まっていた。
間に合わなかった。
その下の方から、赤ん坊の泣き声が聞こえた。リディアは女性の死体をかき分けた。赤ん坊を腕に抱く。よかった、生きてた。
背中を、引っ張られる。
「リディア、もうダメだ! 山崩れの速度が早い、このままではみんな生き埋めになる!」
エルサが叫ぶ。
リディアは、土砂がせまってくるのを見た。
土の津波に人と家具が見えた、人の体が家具とぶつかり折れ曲がった。
何かが飛んでくる。
リディアは赤ん坊をかばって、頭を強く打った。
「行くぞっ!」
エルサに背中を押された。
何もかもを押しつぶしていく土の酷い音が聞こえた。
「…………助け、られなかった。たった数人しか」
リディアは閉じようとする門に入りかけて、頬に強い衝撃を感じた。エルサに頬を打たれた。
「助けられたんだよ! あんたは助けた。十分に、十分にがんばっただろう。お願いだ、もうあんな無茶やめてくれ」
エルサが泣き崩れた。
リディアの腕から、ヘレナが赤ん坊を抱きとってあやす。
世界樹の広場では、医師や看護師が走り回っていた。土ぼこりにまみれている村人たちは、生きている。
「リディアさん、額から血が出ている。消毒をしよう」
ジーモンが、リディアの額に布を当てる。
リディアは、ジーモンに抱きついた。
「すみません、少し、このまま」
リディアは目を閉じた。ジーモンはそっと抱き返してくれた。そのたくましい腕にリディアは安心する。
「ずっと、あなたに恋をしていました。私は今、自分を自分で誇れます。私は無茶をしたけど、人を助けました。あなたの背中を見て私は強い人間になろうと決意したんです。あなたには愛する人がいること、その素晴らしい方のことも、知っています。土ぼこりに汚れ、血を流した私は、どうですか。とても、カッコイイでしょう?」
リディアはジーモンから離れて、微笑んだ。
「このバカっ! かっこいいけど、もう無茶するな!」
エルサが抱きついてきた。
「はい。とてもあなたは素敵だ、リディア。ただし、もう騎士を泣かせるな」
ジーモンが微笑んで、傷の手当てをしてくれた。
「はい」
リディアはエルサの背中を撫でて、答える。




