第五十八話 命を守るために戦った
健康なことは当たり前ではない。人は病で死ぬ、それをわかっていながらアステールは医療をおろそかにしている。
怒りを感じない訳ではない。けれど、クライブはストライキに参加するのが怖かったし、本当に成果が得られるのか疑っていた。
妹のクララは、政治に対して挑発をずっとしてきた。
「女に投票権がないなんておかしいでしょ、兄さん」
そう息巻き、フェミニズム協会の会合に行く妹を心配していた。
酔っ払って暴言を吐いていたから、という理由で騎士に中指を立て、あやうく騎士に殴られそうになった妹を厄介者だと感じた。
「命に値段をつけるな! 公平な医療を!」
クララはずっと叫び続けている。突き上げた拳には無限星の印がある。
その印はクライブの手の甲にもある。これが「選ばれた者にあるものです」と大男のオーに伝えられ、クライブは戸惑った。
ただ看護師としての職務をまっとうする、真面目に地道に生きていく、それがクライブの生き方だった。選ばれたくなかった。
クララに説得されて医療ストライキに参加したが、クライブはコールの声も上げられず、周りを取り囲んでいる騎士の目が怖かった。ライモが出現させたマーチングがうるさい。その鼓舞するような音が、心臓に届いてくるのが怖い。
幼い頃から、クララというおてんばな妹を守って生きてきた。
両親が病で死んでしまい、なんとか叔父を頼って看護師学校に通い、一流の大病院勤務になった。
「どうぞ、お水です」
クライブにオーが水の入った容器を渡してきた。
「水分補給をされた方がいいですよ」
オーが言って、クライブの横に立った。
クライブは水を飲んで、息を吐く。
「印があるからと言って、使命を果たさなくていいのです。俺はいろんな無限星の印を持つ者と出会いました。嫌がる者もたくさんいます。けれど、いつの間にか不思議なことに誰もがこの国で起きる革命に導かれているのです。あなたは、ここに来てしまった。それは、なぜか、あなたは知っているはずだ」
人の心を見透かしたことを言う。クライブはオーに腹が立ち、言い返したかったが言葉が出てこない。
「両親は、流行り病で立て続けに死んだ。あの時、病院が少なくて」
クライブの口から話さないと決めていたことが、ふいに出た。
「それは、大変でしたね。そして悲しい」
オーが優しい声で言った。
「あぁ…………悲しかった。どうしようもなくて」
病気を子供たちにうつさないようにと、両親は部屋に閉じこもって、看病もさせてもらえなかった。激しい咳をしながら両親は部屋に入るなと怒鳴って、叔父の家に行くように言った。
後日、両親は遺体で発見された。
クライブは十五歳、クララは十四歳だった。
クララが「看護学校に行こう」と言った。喪失で何も考えられなかったクライブはクララと同じ道に進むことにした。
いつも、そうだ。
いつもクララが導いてくれた。
「こんなはずでは、なかった。俺は、大人しく生きていたい。でも、指の間からこぼれる命の多さに気づいてしまった。あの時、父さんと母さんが死んだのは仕方ないで済まされないことだ」
「そうですね。では、あなたが今、望むことは?」
オーに問われて、クライブは正面を見た。
「病院が足りない。看護学校の学費は高くて、俺もクララも叔父に借金をしなければならなかった。医療の拡大、医療の平等だ」
「そうです。まさにそうです、あなたは答えにたどり着いた。もっと叫んでいい」
オーの言葉でクライブの中で火花が散った。
「病院を増やせ! 命を救うことに全力になれ!」
クライブは拳を振り上げて、叫んだ。
自分の声の大きさに驚いた。
「そうだ、病院が足りない!」
「看護学校の学費補助も!」
「感染症の恐怖を忘れるな!」
クライブの叫びを、前の方の群衆が引き継ぐ。
ストライキの参加者はどんどん増えて、今や大病院のほとんどの職員、フェミニズム協会のカレン、ミモザ騎士団、そして市井の人々と後ろを振り返ればすごい人数だ。
恐れるあまり、何も見えていなかった。
これだけの人が集まったストライキが意味ないわけないだろう!
「クライブさん、前の方へ。妹さんの隣へ」
オーに導かれて、クライブはクララの隣へ行った。
最前列でクララは汗だくになって叫んでおり、クライブはその汗の額をハンカチで拭った。
「兄さん、ありがとう」
クララが微笑んだ。
城の扉が開き、黒衣の男が早足で白い旗を持っているライモに近づき、耳元で何か囁いた。
「宰相のジーモンさんだわ」
クララが驚いた声で言った。
「大変、お待たせいたしました。あなたたちの訴えをすべてアイラ陛下が聞き入れ、医療改正案を出されます。国会にて発表しますので、宮廷道化師ライモに従ってご入場ください」
ジーモンが礼をして、城に戻っていく。
「はい、みなさん。どうぞ僕についてきてください。大丈夫ですよ」
ライモが鶏冠帽を被って、旗を持って歩き出す。
「おお、なんと早い対応だ。俺は一週間は粘る気でいたぜ」
キストラーが笑いながら言った。
「はい。まさか、こんな早い対応とは。しかし、信じていいのですか」
ハイムが城の様子を見ながら言う。
「安心してください。アイラ女王は民の訴えを見捨てる人ではありません」
ライモが堂々と答える。愛する人を信じているその水色の瞳が眩しかった。
国会議事堂は城のエントランスから中庭に出た、城の中央にある。円形の建物に入ると議員たちがそろい、記者たちも集まっていた。ライモは観客席にクライブたちを案内した。座ると疲労がどっと体に押し寄せてくる。緊張と不安で体がこわばっていた。
「宮廷道化師のライモです、軽装にて失礼! さて本日の主役の皆さんがいらっしゃいました。みなさま、ストライキを頑張ってくれた国民に拍手を!」
ライモが拍手する。衆議院から十人ほど立ち上がって拍手をしたが、貴族院側で拍手したのは恰幅の良いセバスチャン大蔵大臣、そしてジーモン宰相だけだ。それでも嬉しかった。
「さて、おてんば王女様…………おっと、間違った。アイラ女王陛下、医療改革の発表を!」
ライモが言うと、赤い燕尾服でショートマントをまとったアイラが、壇上に上がった。
「アステール国における医療改革案をここに発表します」
静かな議場で、クライブは膝の上で拳を握って、緊張した。
「私たちは、すべての市民が平等に医療を受ける権利を保障します。
まず第一に、すべての市民に基本的な医療サービスを提供する国民健康保険を導入します。均等に医療が行き渡るように、医療機関を整備し、すべての市民が等しく治療を受けられるようにします。つまり、お金の心配なく病院に行けるように、適切な治療を受けられるようにいたします」
アイラがこちらを見た。
「よっし、いいじゃないか!」
キストラーが大声で言い、手を叩いた。観客席ではすでにもう泣きながら拍手をしている人がいる。
「勝った、勝ったんだ私たちが」
「いや、まだわからない」
観客席で声が飛び交う。
「まだ続きますよ」
そう言って、アイラが少し微笑んでから、場を沈めて言葉を続けた。




