第三話 たんぽぽ
「貴様は私の年齢がいくつだと思う?」
ジーモンの唐突な質問にライモは首を傾げた。
「私は三十歳だ。老けているので誰も私の年齢を言い当てられない。しかし、私は人相で的確な判断ができる。ライモ・マックス。貴様は歳のわりにませているな、物わかりも良い。魔術で巧みな曲芸を披露したことから普通の少年ではないのはわかったが、何か隠していそうだ。貴様の人相は見てきたことがない。宮廷道化師に私は反対だったが、おまえを見て考えが変わった」
ジーモンに凝視される。ライモは息を飲んだ。
「しかし、調子には乗るな。さあ、まずはエドワード陛下にご挨拶だ。ついてこい」
ジーモンが大股で歩き出す、ライモは小走りでついていった。謁見室まで来ると、騎士が扉を開けてくれた。
「陛下、連れてきました」
ジーモンが報告して一礼し下がる。ライモは王座の前に立って深々と頭を下げた。
「この度はわたくしライモ・マックスを宮廷道化師に任命して頂き、ありがとうございます!」
ライモは腹から声を出した。
「来てくれてありがとう。そんなに硬くならなくていいよ。しばらくは見習いとして、私についておいで、そしてアイラの遊び相手をしてくれたら十分だ」
エドワード王が笑った。
「近くにきてくれ」
エドワード王に手招きされて、ライモは王座の下に膝をついた。
「私はこの国を愛している。君も知っている通りこの国は独裁国家で多くの国民を犠牲にした暗い歴史がある。私が怖いのは、私も独裁者になることだ。だから君はいずれ、私の悪口を言う宮廷道化師になってほしい」
「わ、悪口、ですか?」
「ああ、さあ、さっそく何か言えるかな?」
エドワード王はいたずらっ子のように目を輝かせて笑っている。
王様の悪口を?
そんなこと、考えたこともない。王を喜ばせるために悪口をライモは必死に考えた。そんな風に頭を回したのは初めてだ。
「お、王様は…………僕が出したライオンに、ビビっておいででした」
言ってからライモは手を口に当てる。びびって、はないだろう。しかし王様は本当にライオンを怖がって、一瞬手で目を隠したのだ。
エドワード王の太い笑い声が謁見室に響いた。
ジーモンが怖い目のまま、片方の口角を上げる。
「そうだ、そうだった! 君の魔法のライオンがあまりにも大きいから怖かったよ!」
どうやら、期待に応えられたとライモはホッとした。そして暖かい王の笑い声が嬉しい。
「陛下、今日から僕はあなたの宮廷道化師です。あなたのおそばにいさせてください」
ライモは自信を持って、明るく笑った。
※
城の一番奥の中庭に、ライモはジーモンに連れてこられた。
「アイラ王女がお待ちかねだ。貴様の魔術でアイラ王女を楽しませろ。夕方五時ぴったりに私は迎えにくるから、待っていろ」
ジーモンは言うと、ライモの返事も待たずに足早で城の中へ戻っていく。あの人と一緒に暮らすなんて、大丈夫かな。心配を紛らわせようと、狭い中庭を見渡す。
ライラックの木から紫色の花の房が垂れ下がり、色とりどりのチューリップが太陽に向かって開いている。木製の木馬や、木のブランコがあった。
ここは王女様の遊び場なのかな、と考える。
「お待ちになって、走ってはいけません!」
叱りつける女性の声が聞こえてきて、ライモは城内から中庭に出るガラスの扉の前から退いた。
アイラが、中庭に飛び出してきた。
ライモを見つけると、エドワード王と同じく、いたずらっ子のように瞳を輝かせて、頬を紅潮させている。
「来てくれて、ありがとう。改めて自己紹介するわ。私はアイラ。王女なんて呼ばなくていいからね、あなたは宮廷道化師で、私の友達よ。よろしく」
アイラが両手で黒いドレスの裾をひとなでして整えて、勢いの良い声で言った。彼女はとても堂々としていて、ライモを見据えてくる。ライモは下を向いて、照れ隠しの方法を考えた。旅人の異国の魔術師が仮面をつけていたのを思い出す。ライモは片手で顔を多い、目から上を白い仮面を作って隠した。
「なんで仮面つけたの? かわいい顔をもっと見せて。私、あなたを初めて見た時、女の子かと思ったわ。目が大きくてまつげが長くて。 お人形さんみたいな子が蛇やライオンと戦って、謁見室を花畑にするなんて最高じゃない。ねぇ、このちっちゃな中庭をもっと面白くしてよ」
アイラが楽しそうに言いながら、距離を詰めてくる。
ライモが下がると、じとっとした目でアイラが見てきた。
「アイラ王女様! まあなんと品のないことをなさるのでしょう。また走って、それにそんな下賤な者に近づいて友達とは何事です」
紺色の詰襟のドレスに、白髪をお団子にした老女がアイラを叱る。
アイラはあごを引いて、老女を睨みつけた。
「アリス・ガード公爵夫人、下賤な者という言い方は差別よ。訂正してください。ライモは宮廷道化師ですよ、あなたも見たでしょ、彼の魔術を」
アイラの叱責にガード公爵夫人は動じずに、背筋を伸ばして向き合う。
「いいですか、私はあなたの教育を陛下から任されているのです。あなたが王女らしい振る舞いをするように教育する責任が私にはありますのよ。いいですか、あなたはもう十二歳、わきまえてくださらないと」
律としてガード夫人が言った。
「答えになっていないわ。王女ならば人をけなす言葉を使ってはいけないでしょう。人を見下すことの方が下品」
アイラは顔をしかめた。
ガード夫人は仕方なさそうにライモを見て「失礼しました」と冷たく言った。
いいえ、とライモは首を横に振る。捨て子のサーカスの道化師、公爵夫人からしたら一端の人としてみなすのは難しいのだろう、生きてきた階級が違う。
「アイラ王女、庭を素敵にします。もし、この花が自分の身長ぐらい大きくなったとしたら、何が面白いと思われますか?」
「んー……そうねぇ。あ、たんぽぽ! おっきい黄色のふさふさした花、それで殴りあいしよう。だったら痛くない!」
「な、殴り合い!?」
「男の子って、戦いごっことかするんでしょ? わたし、やってみたいの」
変なこと言う王女さまだな、ライモはおかしくて笑ってしまう。
やめなさい、とガード夫人が目で訴えているのをライモは無視した。
「では。さあ、このたんぽぽの綿毛に、フーッと息を吹きかけてください」
ライモは手のひらから、たんぽぽの綿毛をひとつ出してつまみ、アイラに渡した。アイラが受け取って息を吹きかけると、彼女の身長と同じ大きなたんぽぽに変化した。瑞々しい緑の茎に、ほこほこした黄色の球状の花。
「わあ、すごい! よし、それじゃあぽこぽこしてやる!」
えいっ、とアイラがたんぽぽを振り下ろす。ライモはさっと逃げて、芝生に手をついバク転し、木馬にまたがった。
「逃げたなっこのっ!」
「ほら、王女! こっちですよ!」
ライモは次はブランコに移動し、立ち漕ぎからジャンプして王女から逃げる。
「待て待て待て、このー!」
きゃははは、とアイラが大きな口を開けて笑う。
ライモは逃げながら笑った。
庭を駆け回る少年少女を見ていられなくなり、ガード夫人はため息をついて手を額に当てた。
「あー楽しかった」
日が暮れて、アイラは満足しきった顔でブランコに腰掛ける。ライモは高台にある城からしか見れない沈む太陽を見つめた。
「ねぇ、悪夢を見ない魔法って……ある?」
アイラが呟く。ライモはアイラの横顔を見た。
「ありますよ。悪夢を見るんですか?」
「うん。知ってるでしょう、王と皇后の離婚。あの皇后が夢に出てて言うの、あんたなんか嫌いだって」
ライも胸が痛んだ。こんなかわいい王女様に、そんなことを言うなんて。
「悪夢を見ない魔法、あなたにかけます。アイラ王女、僕を信じて、目を閉じて」
ライモは師匠に教わった、魔法の呪文を思い出す。
「あなたは嫌われてなんかいません。みんな、あなたのことを愛しています。明るいあなたの笑顔が好きです。ずっと笑顔を見ていたい。あなたは、愛されている。だからもっと自分を愛して」
ライモは仮面の下で涙をこぼした。
「それ、最高の言葉だ」
アイラが立ち上がって、言う。太陽が沈んでも、彼女がいれば怖い夜なんてない、彼女が太陽だから。
もう、悪夢なんて見ないで。
ずっと笑っていてよ、アイラ。