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第四十五話 王の回復、そして新しい星

 震える手で、エドワードは卵を持った。白くつるんとした小さなもの、割れやすいものを手にすることが、こんなに緊張するとは思わなかった。


「こ、これを割るのだな」


 エドワードが言うと、レイサンダーは手本を見せてくれた。

 机の角にぶつけてひびを入れ、指で割る。銀色のボウルの中に色の濃い大きな黄身が浮かんでいる。

 エドワードもレイサンダーと同じことをした。


「あ、」


 殻が少し入ってしまった。


「大丈夫ですわ。スプーンでこうしてすくって。さあ、これをあとは混ぜるだけです」


 エドワードはレイサンダーから手渡された混ぜ器で、そっと黄身を崩す。


「もっと大きくかき混ぜてください」


 レイサンダーに言われて、ガシャガシャと音を立てて混ぜる。黄身と白身が混ざっていく手応えがあった。次に熱したフライパンにバターを入れて溶かし、卵を流し入れる。


 フライパンを揺すり、卵を焼いて、皿に盛ってあるチキンライスの上に乗せて、完成だ。


「出来ましたね。さぁ、ケチャップをかけていただきましょう」


 レイサンダーは先ほど、お手本を見せるために自分で作ったオムライスに、鼻歌を歌いながらケチャップでハートを描く。


「ああ、そうしよう」


 エドワードもケチャップでハートを描いたが、うまくできなかった。

 それでも、よしとしよう。


「いただきます」


 エドワードは生まれて初めて、自分で作った料理を食べた。

 美味いと思った。自分の回復を感じる。


「ありがとう、レイサンダー。私のような不器用な者に料理を教えてくれて」


「いいえ。陛下は不器用ではありません。とても習得が早かったですよ」


「そうか、それは嬉しい」


 エドワードは心から笑う。


「ずっと気になっていたのだが…………ライモはあの事件から、本当に立ち直っているのだろうか」


 エドワードの問いに、レイサンダーは目を伏せて少し考えた。


「おそらくは。陛下もご覧になられたとおり、ライモは宮廷道化師として立派に成長しました。けれど、完全にあの事件の傷が癒えることはないでしょう。それはどんな性被害者にも言えること。それには専門の医療を受ける必要がありますが、クイナ医師がそれを担当していますから、安心です」


「そうか。帰ったら、ライモとも話したい。そしてアイラとも。私はずっと呪いで対話の機会を奪われてきた」


「きっと二人とも、陛下と話したいと思っていますよ」


 レイサンダーが微笑んで言った。

 療養を終えてエドワードはようやく城に帰る。もう少しゆっくりした方がいい、とクイナに言われたが、正気を取り戻してからは、やりたいこと、やらなければいけないことが頭に浮かんで落ち着かない。


 アイラはスメラ国と外交でイカルを呪いの罪で裁くと決意したそうだ。我が娘ながら賢明な判断だ。


「見てくれ、薬草がいっぱい採れたぞ! これでリュウマチのばあさんや、湿疹がひどい坊やを治療できる。ここはいい所だなぁ」


 背負ったかご、手に持っているかごからも溢れ出しそうなほど薬草を持って帰ってきたクイナが、嬉しそうに言った。

 クイナがライモを診てくれているなら、大丈夫だと、その笑顔を見てエドワードは納得した。


 ※


「ストレスの負荷で人の寿命は縮まる。お父様は若い頃から苦労をしすぎた。だからもう、引退していただくわ。それに私はこの王冠を取る気がないのよ」


 アイラは強い瞳で言った。

 その言葉にジーモンは従う。


「しかし、その前に私はキャリーに罰を下す。お父様が帰られたら、国会に出てもらう。王が正気に戻ったことを知らしめなければ、私が即位すると『王が狂ったからだ』と言い出す者がいるでしょうから。私がスメラ国に行っている間、あなたにアステールを託します、宰相ジーモン」


「はい、アイラ女王。あなたの仰せのままに」


 夕刻の執務室でのことだった。

 アイラの影が、頭を下げたジーモンを覆っていた。

 覚悟のある者だけが見せるその王威に、かすかにジーモンは震えた。

 アステール初の女王。それだけではアイラは計り知れない。

 もっと上をいく者だ。


 ※


 ミモザ騎士団のビリー、ティナ、官僚シモンズ、騎士団長の妻ハンナ。


 この四人の似顔絵をアンは描ききった。

 無限星の印を持つ者たちだ。

 世界樹の広場のベンチで、アンはため息を吐く。


 アイラ王女に「無限星の印を持つ108人の似顔絵を描いてほしい」という依頼を受けるんじゃなかった。描いても描いても終わらない。アイラ王女の顔面の圧に負けてしまった自分を悔いる。


「さて、東町通りの商工会に行きます」


 オーが立ち上がって言う。

「匂い」で無限星の印を持つ者を探し当てる、キテレツな男と同行しなければいけない。これがストレスだ。


「ん、これは…………アンさん、急いで。近くで無限星の匂いがします」


 オーがせかしてくる。


「疲れたから、ちょっとその人、こっちに来てもろて」


 アンがぐったりして言うと、オーは頷いて歩き出した。


「来てもらいました。キキレイロウの王子フーオ様と、教育係のイーモンド先生です」


「え、お、おおう、王子!?」


 アンは驚いて目の前の少年を見る。

 栗色の巻き毛で、同じ色のくりっとした目の可愛らしい顔。額には堂々と無限星の印がある。額にあるのは、リディア以外で見つけたのは初めてだ。リディアは前髪で隠しているのに対して、フーオは額を出しているので、印がとても目立つ。


「こんにちは! 僕は勉強をしにアステールに来ています。王族だからと気を使わないでくださいね。このおでこのやつ、ずっと不思議だったので何かわかってよかったです」


 人懐っこく笑うフーオは、シャツにベストという町の子の服装で、王子と言われたら気品を感じるが、普通の少年だ。


「お、お、王子。これは大変なことですよ! あの謎多きパラダイス文明の無限星の印を持つということは、時代を変える責任を持つということです。あああ、どうしましょう。陛下にはアステールでしばらく留まると速達で手紙を出さなければ。あー、どうしよう。私はこの時代において王子の教育係として何をしなければいけないのでしょう」


 一方、イーモンドはとても焦っている。

 黒のスーツ姿で切れ長の目をした整った顔立ち。瞳も髪も黒だ。一つに結んだ黒髪は艶があり、庶民的な王子よりイーモンドの方が王子らしく見える。


「ま、そんな焦っても仕方ないですよ。さて、似顔絵を描かせてもらいますので、しばらく顔をこっちに向けといてくださいね」


 アンは鉛筆を握った。


「はーい! じっとしてます」


 フーオが良い返事をして、ぐっと唇を結んで固まる。


「似顔絵なんて恥ずかしい」


 その横でイーモンドが乙女のようにもじもじし出す。


 二人がどのような変異をもたらすのだろう。

 しんどい仕事ながら、アンは記録としての似顔絵描きにはまってきている。もっと描きたい、そう思わせるいい面構えばかり見れる。これってなかなかないチャンスだ。


 ※


 ライモはオーにクルミボタンを外してもらって着替え、久しぶりに書庫に向かった。サニーから「リディアが書庫で暮らし始めた」と聞いたからだ。

 リディアはライモが書庫に来たことに気づかず、本を開いては高速でめくり、本棚に戻すを繰り返している。


「リディア、ちょっとごめん。話したいことがあるんだ」


 振り返ったリディアは、きつい顔をしていた。いつもは二つ結びしている髪を一つに束ねて、なんの装飾もないワンピースを着ている。

 日が暮れた薄闇の書庫には、深い影があった。


「なんの話?」


「アイラの誕生祭、いや、戴冠式の話。戴冠式ってどうすればいいかな」


 ライモの言葉に、リディアの顔はさらに不機嫌になった。


「儀礼的なことを考える必要はないわ。アイラらしい派手な演出をすればいいんじゃない。それはノラに聞いてよ。私は忙しいの」


「うん、そうだね。ノラにも聞くけどさ……リディアとは付き合いが長いから、たまには話がしたくて。僕たち、学友だろ」


「違うわ。あんたはもう十八で大学を卒業した。でも私が行けるのはせいぜい女子大よ。でも何とかして、あんたが卒業した名門大に私も行きたい。そのためにも学力で殴るしかない。私は女に生まれてきたから、あんたの二倍は頑張らないといけないの」


「…………家に、帰ってないの?」


「えぇ。父がまだ私を婚姻で利用するのを諦めていないのよ。ミランダさんのことがあったというのに。家にいると、縁談を勧められるから、ここに逃げ込んでいるのよ」


「それは、大変だね…………」


「えぇ、大変なの。アイラは女王になる、私はさらに学ばないといけない。話はもう終わり?」


「うん、邪魔してごめん」


 ライモはそのあと、リディアが好きなカヌレを差し入れた。


「ふん、さすが気がきくわね、宮廷道化師のライモさま」


 そう言ってリディアは、少しだけ笑ってくれた。  

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