第四十四話 引退、そして新しい風
王女の教育係は、貴族の夫人会で高嶺の存在であった。
教養が地位の高さとなる。アリス・ガードは少女時代から母にそう教えられ、懸命に勉強して完璧な淑女となる教育を受けた。男爵の夫と結婚、男の子を二人産んだ。夫は五十歳の若さで亡くなった。
未亡人となったがアリスは懸命に男の子二人を育て上げ、六十歳にして念願の「王女の教育係」となった。
しかし、アイラ王女は暴れ馬の方がまだマシだ、と思える強者だった。アイラは淑女という言葉に全力で反抗し、アリスを悩ませた。
しかし、アイラは「才女王女」と呼ばれるほど
頭がよく、母親が晩餐会で企てていた貴族復興に気付き王に進言するなど、アリスを驚かせた。貴族復興を望む年配の夫人たちはそれを良く思わなかった。アリスは何度も嫌味を言われ、やがて夫人会で孤立した。
アイラは、コルセットを窓から投げ捨てたことがある。
激しく怒るアリスを、じっと冷たい目でアイラは見返してきた。あの三白眼の緑色の瞳、反抗の塊。
宮廷道化師ごときの身分の者に恋をし、結婚すると言い出して、とうとうアリスの手に負えなくなってきた。
そこに現れたのが、ノラ・シェーンだ。
色気と美貌、そして話術でノラは社交界の花と謳われた。
彼女ならばアイラをなんとかできるかもしれないと、アリスはノラに教育係を任せることにした。ただ辞めるだけでなく、次の教育係を決める責任がアリスにはあった。
結果、これが失敗だった。ノラはアリスが恐れていたフェミニズム協会と繋がっていた。彼女は最初は淑女たちを肯定しながら、じわじわとフェミニズム思考を宮廷内に持ち込み、若い夫人に影響を及ぼした。それはやがて衆議院の妻、騎士団の妻にまで広がっていった。
女は女らしく、男を立てるために。
アリスは、政治に女が関わるなど、考えたことがない。
政治は男がする、女たちは仕事が大変な男を支える。
それが「淑女の美学」だと信じて疑わなかった。
国会に女たちが突撃するという大騒動が起きたあと、アリスは寝込んだ。まさか騎士団長の妻までもがあのような野蛮になってしまうとは。
アイラが病に伏した王の代行をする。
ここでもう、アリスは耐えられなくなった。
七十代に差しかかる体、もう身がもたない、隠居だ。
「アイラ王女。…………いいえ、アイラ王代行。わたくしは引退させていただきます。今まで側で支えさせて下さったこと、感謝いたします」
王の執務室で、アリスはアイラにそう伝えた。
アイラは勢いよく立ち上がり、アリスを抱きしめた。
「感謝するのは私のほうよ、ガード夫人。あなたが母代わりとして私を教育してくれた。あなたとはたくさんケンカをしたけど、でも心強かったよ。私みたいな、跳ねっ返りの王女の教育係で大変だったでしょう。今まで本当にありがとう」
アイラ王女の体はとても熱く、そしてアリスより大きくなっていた。
アリスは涙した。まさか抱擁されると思わなかった。
「いいえ…………この国において初めての王女となられる女の子を育てられて、幸せでしたよ」
こうしてガード夫人は引退したが、夫人会にはよく顔を出した。
国家で夫の罪を暴き、肩を出したドレス姿を披露したミランダ夫人が「いい年をして下品だ」という友達の夫人に、
「そうかしら。とても勇気ある行動だったわ」と答えて、ミランダ夫人と友達になった。
ノラともよく話すようになった。
「アイラ王女の話を、また聞かせてください」
ノラにそう言うと、ノラは優しく微笑む。
「アイラ王女に会って話されたらいいのに」
「いえ、わたくしは引退しました。アイラ王女にはもう必要がない。これからは、わたくしの時間です」
アリスはそう答える。
しかしアリスの教えたいという欲求は心から引退しておらず、屋敷内で小さな教室を開き、いろんな子供を招き入れた。
おてんばのアイラを教育したアリスは、どんな子も机に向かわせて学ばせることができた。
そうしていつの間にか、アリスはフェミニズム協会のドアを叩いていた。
※
アリス・ガード夫人のあっけない引退により、アイラの誕生祭計画を急ぐ必要はなくなった。しかしライモは「やろう」と決めたことを途中で投げ出すのが苦手だ。企画をまとめておかないと気が休まらない。そこで、日曜の休日、お茶会で誕生日をどうしたいか相談することにした。
リディア、ノラ、エルサと常に王女につく直近の家臣である「三官女」となった。リディアが侍女で秘書、ノラが外交、エルサが護衛をつとめる。
アイラと三官女は日曜はお茶会を開く。「来たい人は来なさいよ」とアイラは言っており、城の三階にある一番広い喫茶室で開かれ、おもに若い女性でいつも賑わっている。
「こんにちは、お嬢さん方。宮廷道化師ライモ、今日は日曜もお仕事です」
開かれた喫茶室に、ライモは気取った声で言いながら入っていった。手にはアイディアを書き留めるノートとペンを持っている。
「まあ、ライモ様だわ」
「今日も美しいわね」
「アイラ王女に会いに来られたのよ」
ひそひそと女性たちが話している。
「ヤダァ、オー様とライモ様のツーショット、尊い」
「二人が並ぶとそれぞれの美しさが引き立つのよ」
ライモは部屋のすみから聞こえた声に驚き、後ろを見る。
「オー! 今日は来なくていいって言っただろう!」
ライモは小声でオーに詰め寄る。
「心配でついてきた。ライモ、仕事を詰めすぎて三時間しか寝ていないだろう。疲れたらすぐにおんぶして帰るぞ」
オーが大きな声で言う。ライモは顔を赤くした。
「ようこそ、お休みの日も働く宮廷道化師さん。もし倒れたら、ライモは私の部屋で休むからいいのよ、オーは帰って」
アイラが言う。ピキピキ、と怒りで震える笑顔だ。
「ライモは寝相が悪い。それに部屋のベッドでないと熟睡できないようで、俺の部屋のベッドでは寝にくいと言っていた。王女にはわからないだろうが、庶民にとって王室のベッドは寝にくいと思う。ああ、すまない。寝床より、誕生祭の話だったな。俺はここにいるから、助けが必要なら呼んでくれ」
オーはそう言い、ドアの横にもたれかかって腕を組んだ。
なんでケンカ売るようなこと言うんだよ、ビ! とライモはオーを睨む。
「へぇ〜〜〜そうなんだぁ〜〜〜ライモってベッドにこだわりがあるのねぇ。ライモって寝相悪いんだぁ、ふーーん、私、知らなかったぁ」
アイラ、怒っている。でもライモが怒られる理由なんかない。
「なんと、オー様はライモ様のことをなんでも知ってるのね」
「見て、オー様の顔。全て自分に任せろ、という顔をしてらっしゃる」
「ライモ様はもじもじ、焦ってる」
「アイラ様、血管切れそう」
ざわざわと周りが騒ぎ出す。助けて、誰か。
「ふふふ、みなさん仲がよろしいのですね。それより、アイラ王女の誕生祭。私も楽しみです。どんなお祭りなのですか?」
クリスが笑い声をあげ、澄んだ声に場の空気が変わった。
「そうですわ、今年はもっと派手にしましょうよ」
「お菓子の種類を増やしましょうよ」
「アイラ王女に着ていただきたいドレスが」
令嬢たちに取り囲まれ、アイラの顔が穏やかに戻って、ライモはホッとする。
「僕から考えてきた案があります。その名も“みんな王女様、王子様クッキー”。子供が食べると、その子の好みに合わせた冠が頭に表れるのです」
ライモが言うと、アイラは微笑んだ。
「素敵だわ! それを採用します。私、今回の誕生祭は戴冠式を兼ねようと思うの。そうすれば費用も抑えられるし、各国から来る王族も一度で済むじゃない」
アイラの発言に、ライモはペンを落とした。
オーが拾いあげて、ライモにペンを持たせた。
リディア、エルサ、ノラの三官女を見ると、しれっとした顔をしている。アイラの爆弾発言、すでに知っていた顔だ。
「それは素晴らしい! そうですわ、もうみんなアイラ王女の王代行に虜です。ぜひ派手な戴冠式を!」
はっちゃけているメイド。
「ついに女王誕生…………」
泣いている令嬢。
ライモは、覚悟を決めなければならない。




