第三十九話 夜の来訪者
ジーモンの別荘に連れてきたエドワードは、三日間はライモの魔術によって安らかに眠っていた。その間にレイサンダーは近くに住んでいる叔父夫婦に挨拶に行った。クイナ医師が連れてきた患者は、騎士団の重要人物で自分は護衛のために来たと嘘を伝えた。管理者の夫婦にも同じことを伝えた。
レイサンダーは三日間で別荘で護衛をしながら家事をする生活に慣れた。自分の母は、こんな大変な思いをしたのだな、帰ったら母に素敵なワンピースを買ってあげよう、と思う。
クイナとヒガラの兄妹ケンカは、自分と妹とのケンカよりもっと酷い。お互いにときどき、東洋の言葉を使うので大声で何を言っているのかわからず、止めようもない。
「キノコは嫌いだ。卵だけでいいのに、なぜ卵とキャベツを炒める」
ヒガラは偏食でレイサンダーの作る料理に文句をつけてばかりだ。
「おい、作ってもらっておいて文句言うな。偏食は体に悪いから、なんで食えと何度言えばわかる。まったくおまえは」
それに対してくどくどクイナの小言が始まり、ヒガラが食器をひっくり返すなどして、さらにクイナが怒る。やがてお互い呪文を唱えて魔術でケンカをして、カーペットをひっくり返したり、食器を割ったりと家がめちゃくちゃになる。
「もう、二人とも! こんな騒ぎでは、陛下がゆっくり休めないでしょう! それに、私の家事を増やすのはやめて!」
レイサンダーが悲鳴を上げると、クイナが正気に戻って、「すまなかった」と謝って後片付けをする。ヒガラは黙り込んで何もしない。
思っていたより、大変だ。大人になっても兄妹ケンカをするとは。ヒガラはクイナと性格は正反対だが、魔術師の腕は確かで、別荘には目に見えない結界で保護されていた。レイサンダーとクイナ以外は別荘に入れない仕掛けがしてある。
許可されない者が建物に近づくと、弾かれてしまう。
レイサンダーは虫が嫌いなので、蚊が窓に近づいてきて弾かれたのを見て、そこはヒガラには感謝している。しかし、言葉遣いも態度も悪く、好きになれる相手ではない。
しかし、騎士団の意地悪な男たちにいびられていた日々を思えばマシだ。敵はヒガラ一人だ。騎士団は敵ばかり。
「もっと男らしくしないと、俺たちの仲間には入れてやれないな」
「おまえ、どんなコネを使って王女護衛になれたんだよ、教えろ」
「キモいんだよ、男のくせに女みたいにして、このオカマ。何がクィアだよ、ただの変態だろ」
みんな、レイサンダーより剣術の下手な者ばかり、寄り集まって悪口を浴びせてきた。レイサンダーは頭が真っ白になって何も言い返せなかったが、心は折れなかった。ただ無言で耐えた。
レイサンダーは十八歳になって夜の街に出て、「お姉さん」と呼んでいるトランスの女性がいる。生まれてきた体の性別と、自認する性別が違う人、それがトランスジェンダーだ。そういう人たちは「変わり者」として夜の街の酒場で、接客をして暮らしている人がほとんどだ。
女なのに男の体で、それは辛い人生だと「姉さん」は教えてくれた。
「あなたのように男だけど女性性も持っていると、男社会の騎士団では生きづらいでしょう。でもあなたは誰よりも騎士道に誠実だから、どうか頑張って続けて欲しい。オカマ、と嘲られても自尊心はしっかり持っていて。でも、つらくなったら、いつでも話してね。あなたはまだ夜の街に通うのは若すぎるから、私がお休みの日にカフェでお茶しましょう」
体は男らしく筋肉質だけど、優しい目をしていて、繊細な心を持った姉さん、ティナの言葉がレイサンダーを支えてくれた。
ティナがお肌の手入れやお化粧、おしゃれを教えてくれた。
今は辛くて騎士団を離れたけれど、きっと見返してやる。
「その、本当にすまない……久しぶりにヒガラと暮らしていると、あいつの悪いところにどうしても腹が立ってしまってな。皿が足りないだろう、俺が明日買ってくる」
皿を洗っていると、クイナが頭を下げてきた。
「まぁ、わかります。私は妹がいて、ちょっとしたことが憎らしくなったりしましたから。お皿は親戚の家に使っていないのがたくさんあるから、もらってきますよ」
「ありがとう。レイサンダーがいてくれて、よかった。俺とヒガラでは力を合わせる前に、どっちかが大怪我をしていただろう……なんだ、この気配は! レイサンダー、下がれ!」
クイナが突然、叫んだ。レイサンダーは一歩下がって、台所の窓から外を見る。白い馬が走ってくる。飛ぶような速さ、光り輝いていることから魔術によって出された馬だ。そして二人の細い影が乗馬しているのを確認できた。
「どちらも女性のようです」
馬は屋敷の前で止まった。
ヒガラが階段を駆け降りてきて、ドアを開けた。
レイサンダーも慌てて剣を携え、外に出る。クイナは階段を駆け上がり、王の元へ向かった。
「下品な魔術師のようだ。そこまでして己の魔力を見せびらかしたいのか。二人、どちらも同時に前へ三歩進んで、ここに来た訳を言え。そんなに力んで、何をしに来た」
ヒガラの重々しい声で、結界は一瞬だけ光り、より分厚くなったのがわかった。
「すんまへん。急ぎの用やったさかいに。そちらはんも、えらい力持ってはりますなぁ。この結界……触るとビリビリする」
白いローブで顔を隠している細身の魔術師らしい人物が、結界に触れると小さな亀裂が走って、その指を弾き返した。
「ここに、王がいてはるのは知ってますねん。うちは宮廷魔術師のヤグ、こちらのお方はうちが仕えさせてもらってます、スメラ国の王女クリスファーナ様」
横に立っていた少女が、黒いローブを取った。
ショートボブの頭には確かに赤いルビーがはめこまれた金のティアラ、胸元にスメラ国の紋章が刺繍されたドレスを着ている。
「突然の訪問、失礼致します。私はクリスファーナ・スメラ。クリスとお呼びください。私たちは王がご病気ではなく、呪われていると知っています。なぜなら、その呪いをかけたのは私の異母兄……イカル・スメラである証拠を見つけたからです。王の呪いはヤグが解けるはずです。そしてさらに、兄イカルについて重要な情報をお伝えしなくてはなりません」
クリスの言葉に、レイサンダーは驚いた。
「ふむ。そこまで知っているとは。しかし、おまえたちが本当に信用できる人物かわからんな」
ヒガラが言うと、ヤグがローブを取って顔を見せた。
透き通るような白い肌に紫色の瞳、銀色の髪をした美しい少女だ。
「そんなぁ。ヒガラ師匠、うちでっせ。ヤグ。この西の街で東洋魔術の稽古つけてくれはったやん。これも見て、これ。師匠がつけた傷、まだ残ってるのに」
ヤグがズボンの裾をめくり、足首を見せた。
そこには、無限星の印があった。
「その印、あなたも持ってる! 無限星の印!」
レイサンダーは声を上げた。
「ん、これ、なんか知ってるん? クリスもあんねん」
ヤグがきょとんとした声で言う。
「私もその印があります。クリスさんもなのですね。こちらは、この印の詳細についてお話ししましょう。ヒガラさん、あなたのお弟子さんですし、この無限星の印を持っているということは信用できる人物です。これは偶然ではありません。天の導きなのでしょう」
レイサンダーの言葉にヒガラは腕を組んで、考え込んでいる。
「ん、あれは教えた覚えはないぞ。たぶん、ヤグとかいう、おまえの思い込み。おまえがうっとうしいので魔術で追い払おうとしたのを、勝手に教えてもらったと思い込んでるぞ。痛いやつだ」
ヒガラに言われて、ヤグはガクガク震えた。
「うわぁ、ひどい」
「ヒガラ、また憎まれ口か。王を守るために、精霊を使った。妹が失礼しました、中に入ってください」
クイナが結界を一部解除して、二人を入れた。クリスが涙目のヤグの手を引いて、慰めている。
灯の下で見たクリスは猫のような目をした少女で、強気で威厳のある雰囲気がアイラに似ている。




