三十五話 絵師、紙を描く。変人、それを食す。
アンたちは城を出て、世界樹広場近くの喫茶店に入った。
ミラルダはカーディガンを羽織り、ライモは白シャツにニットと普通の服装に着替えてきた。二人は国会でジョン・セバスを追い詰めたことが嘘だったように、穏やかに微笑んでいる。
オーからミランダと自分の共通点である「無限星」について説明され、アンは腕を組んで考えこんだ。
「っていうことは、やで。うち、なんか大きい使命を果たさんとアカンっていうことかいな」
めんどくさ、うちは好きに絵を描いて楽しく暮らしていたいねん、と言いかけてアンは口をつぐむ。
「そうなるかと。俺が思うにきっとその使命は向こうからやって来ます、それはあなたにしかできないことで、あなたならできますよ」
オーが言った。凛々しい目元、高い鼻、やや角張った男らしい顔の輪郭、肩幅が広く喫茶店の赤いソファーが窮屈そうだ。この男は一寸の狂いもない彫刻のようだが。
「それにしてもオーさん、あんた変わってますなぁ。その能力があったら、なんぼでも稼ぐ手段ありまっせ。占いとか人探しとか、医療とか。なんでまた、ライモのパシリに」
アンが言うと、オーは人差し指を立てて左右に振った。
「違います。俺はライモ様の下僕です。それに俺は権力や金もうけに興味はない。それよりも、もっと楽しいことがしたい」
「ライモ、あんた出世したな。こんな立派な変人の男前を下僕にするとは」
「違うよ! こいつが勝手に下僕になるって言い出したの。こんなかさばる変人に下僕になれ、と言うほど僕はおかしくなってないよ。まぁでも、どうしてもと言うし、実際はとても役に立つからそばに置いてやったてんの」
ライモがぷんぷんしながら言う。
「ふっ、照れる」
オーが笑う。
「ふふふ、仲がよろしいことね。アンさん、あなたはこれから国会記録を絵で残してくれないかしら。私があなたを陛下に推薦いたしますわ」
ミランダが言い出して、アンはハッとした。
その手があったか。城勤めならいい給料がもらえそうだ。
アンは三つ編みにして落ち着かせるしかなかった赤毛を、ボブカットにして特殊なパーマでゆるやかなウェーブをかけて、ばっちり化粧して人気服飾師のオーダーメイドでおしゃれ……して歩く都会の生活を維持したい。
「ミランダさん、よろしゅう頼んます。うち、頑張ります! せや、三人のお姿を描きましょう」
アンは張り切って、三人を描いた。一人一分でデッサンした絵を渡されて、三人は喜んだ。
「とても速くこんなに描けるなんて、その才能は国会や会議の様子を記録するのに最適ですわ。そして、あなたに肖像画を描いて欲しいと依頼が舞い込みますよ」
ミランダの言葉にアンの心は浮き立った。
新聞社、辞めてよかった、ええ商売があった。
「ふむ! これはとてもいい絵だ。お礼におごりますから、何か注文なさってください」
オーが言う。
「そうだね。僕もお腹空いたから、サンドイッチ注文しよう。アンさんは何がいい?」
ライモがメニューを渡してくれた。
「ほうほう、このふんわりパンケーキにしよかな」
むしゃむしゃ、という咀嚼音が聞こえてきた。いや、テーブルに何も料理はないが。その音はオーから聞こえる。
オーが、アンが渡したスケッチの紙を食べている。
「な、なんで食うてんねん!」
アンは大声を出した。
ごっくん、と飲み込んでオーが満面の笑みを浮かべる。
「ごちそうさま、美味しかったです!」
「美味しかったや、あれへんねん! ヤギか、あんた!?」
「ふむ。そういえばヤギの乳を飲んでから、紙を食うようになったかもしれぬ。俺はヤギなのかもしれない」
「なんでやねん!」
「いい絵というのはな、とても美味しいんだ」
「食うな、もう絶対食うな! せっかく描いたのに食われたら嫌やわ!」
「アンさんが食べるようの絵を描いてくだされば、高値で買います」
「うち、コックさんちゃうわ!」
ライモが深いため息をついて、ミランダは苦笑いをしていた。
「はあ、ツッコミ疲れた」
アンは店員を呼んで、パンケーキと一番高いワインを注文した。




