第三十一話 汗と涙と魔力、そして導かれてきた変人
ライモの一日は忙しい。朝八時に出勤し、エドワード王についていき、大臣や議員たちの発言を聞いて批判を浴びせる。
「たまたま貴族の家に生まれて、たくさん良い思いをしただろう。たまには人一倍頑張ってはどうだ」と貴族の怠慢を叱り、「それで国民が幸せになると思うか。おまえを信じて投票してくれた者を裏切る気か」と衆議院議員を批判する。王には毎日「よかったな、今日もおまえは王でいられた。明日はどうかわからぬぞ」と釘を刺す。王は「そうだな」と無表情でしか答えない。
王の仕事は、ジーモンの指示に従うことばかりで、「印鑑を押す人」に成り下がった。各省の視察と大臣との対話、国民の生活への細やかな目配りができた「賢王エドワード」はどこに行ってしまったのだろう。人格が変わってしまった、そう思いたいが、時々、エドワードらしい目の光が見える時がある。それはジーモンが国民の徳となる良い指示を出した時だけだ。
王の膝に乗せてもらい、甘えていた時が嘘のような厳しい態度をとることに、ライモは胸が痛むが、だからこそライモは厳しく王に接して呼び覚まさないといけない。
ライモはエドワードの身長を追い抜いたのだ。
ライモが大学で勉学に励んでいた三年間、貴族院の復興、衆議院議員の汚職によって国民は政治に対して不信を抱き、「衆議院に投票しても何も変わらないのではないか」と投票率が下がった。貴族たちは保守派の国民の支持を集め、衆議院議員たちもそれにおもねる。王がしっかりしていないからこのような腐敗が起きている。
ライモはサウナの中で王について熟考した。
悲しいから涙ではなく汗を流す。熱した石がぱちぱちと心地よい音を立てている。サウナは魔力血管の流れを良くするため、魔術師の習慣として始まり、血流にも良いことから街にはサウナが増えた。ライモはヒノキのサウナが好きで、血流を促進するため体に叩きつける白樺の葉のヴィヒタがたくさん用意されている「龍のひげサウナ」の常連だ。
このサウナは、昔話の龍殺しの物語に出てくる、龍のひげを剣に変えた魔術師が住んでいたとされる魔術師商店街にあることから、その名がついている。
魔術街のサウナだけあって「魔力血管をよくするマッサージ」のサービスもあり、ライモは疲れた時は施術を受ける。
ライモはサウナを出て水風呂に浸かり、タオルで体を覆って外にあるベンチに腰掛けて外気浴をした。春の夕暮れの緑の匂いがする風が気持ちいい。
どくどくと脈打っていた血管が鎮まり、スーッと頭の中に透明な平行線が見える。よし、整った。ライモは水分をとり、すぐに脱衣所で服を着て騒がしい商店に出た。
薬局の横にある「クイナ診療所」に入る。
クイナは魔術騎士を辞めて、魔術師専門の小さな診療所を開業した。もともと魔術騎士は開業費を貯めるために勤めていたが、ライモの事件があって犯人捜索のため予定より一年多く続けてくれた。信頼できる部下にライモを襲った犯人の調査を引き継いでくれた。
去年の冬から開業されたクイナ診療所は、丁寧な診察で人気だ。
ライモは月に一度、クイナの診察を受けている。
魔力封じの針を刺されたときに、クイナが発見した。
ライモの魔力は、特殊である。本来なら刺されてすぐに魔力を失うほどの強力な毒針が効かなかった。この場合、一級魔術師、特級魔術師など強い魔力遺伝の者である可能性が高いが、ライモの遺伝子はそれとは異なるが「強力」であることは確かだ。
普通基準の魔術師ならば「魔力切れ」するなど疲労感が残る魔術も、ライモは使いこなしている。それを自分で不思議だと思わなかったが、クイナの発見により「自分は何者か」と知りたくなった。遺伝子や魔力に変化がないか、また「あの事件」による後遺症の治療を受けている。ライモは四つんばいの姿勢になることが怖く、後頭部を押さえつけられた苦しみが忘れられず、散髪してもらうときに後頭部を触られると未だにビクッとするので、事前に「後頭部を触る時は声をかけてください」と散髪屋にお願いしている。
「よう、ライモ。国会では大活躍だったな。顔色も良さそうで何よりだ」
白衣を着ているクイナはまったく変わらぬ童顔で、優しくライモを迎えてくれた。
倹約質素なクイナらしい、古い木造住宅を補強した診療所は狭いけれど、清潔で居心地がいい。
「はい、おかげさまで。サウナに行ってきました」
「それは良い」
クイナは言いながら、ライモの脈をとる。手首、首、足首。すべての脈を測って、クイナはうなずいた。
「うん、魔力血管は良い音をしている。今日は良い報告がある。おまえの魔力遺伝子は、変化している。いい方にな、つまり成長とともに力が上がっている」
「本当ですか!」
クイナの説明に、ライモは声をあげた。
「ああ。まだまだ研究途中だから、無茶はしてくれるなよ」
「はい。ありがとうございます」
ライモは診察室を出て、ガッツポーズをとる。よし、魔術師としてアイラの力になれる。
ライモは少し浮かれて、レストランに入った。予約をしていることを告げ、広いテーブルにつく。魔術師が経営しているレストランで、一風変わった料理が出てくる。
メニューを見て何を食べようか考えていると、リディア、エルサ、ノラがそれぞれ春らしい軽装でやってきた。レイサンダーは会議で来られない。
「あんた、気が早すぎだわ。春が来たばかりなのにもう夏のことを考えているなんてね」
席について早々、リディアが言った。今日はピンクの花柄のワンピースを着ている。
「だって、僕はアイラの誕生日を三年も祝ってない。三年ぶりなんだし、十八歳になったらアイラは城の外に出られる。特別な日にしたいんだ。王女にとって十八歳の誕生日は、婚姻のための結婚相手を探すお披露目式だとされてきた。アイラはそれを嫌がるでしょう。でも、アリス・ガード夫人だってまだ現役で王女のことを決める権限を持ってる。ガード夫人に勝手に誕生祭を先に決められるかも」
ライモが言うと、「それはそうね」とリディアは腕を組んだ。
「ガード夫人はお年ですから、国会のことがさすがに堪えるかもと思ったけれど、さらに息巻いてらっしゃるわ。アステールの女らしい伝統を復活させようって。ライモくんの、早く計画しておくこと賛成だわ」
ノラが憂いた顔で言う。
「それより、飯にしよう。腹が減った。ライモ、おすすめを注文してくれ」
エルサが言ったので、ライモは店員を呼んでポテトサラダ、生ハム、ピザを注文した。
飲み物が来たので、乾杯をする。エルサとライモはビール、ノラはワイン、リディアはオレンジジュースだ。サウナあとのビールはうまいなあ、とくぅっとライモが喉を鳴らすと、「おっさんくさい」とリディアに言われてしまう。店には次々と客がやってきて、騒がしくなってきた。
「ねぇ、お嬢さんたち。俺たちと飲まない?」
「みんな美人だね。俺たちと楽しく飲もう」
隣の席の男たちが声をかけてきた。
「嫌です。こっちは肝心な話があるので邪魔しないでください」
ライモが答えると、男たちは驚いた顔をした。
「なんだおまえ、男かよ。チッ、邪魔なのはおまえだ、失せな。ねーお姉さんは俺たちと飲みたいよねぇ」
男がノラの肩を触ろうとした。エルサがそれを払いのける。
「いってぇな、何しやがんだよ、この坊主女。おまえ、胸でかいのにもったいないなぁ、その頭で。髪伸ばしたら美人になれんのに」
男がへらへらと笑う。リディアが立ち上がり、かわいい顔を憤怒に歪めて、腕を振り上げた。
「おやおや、楽しい食事の場でやめないか。お嬢さん、汚い物を叩くのはよくない。男、おまえはなんと失礼なことを言うのだ。謝ったほうが良い」
おそろしく背の高い男が登場した。
絡んできた男の手首をつかみ、引っ張り上げる。
大男は、つかんだ男の手のひらをベロっと舐めた。
「ふーーーむ、おまえは悪酔いしている。夜遅くまで起きているな、そして偏食だ。にんじんを食え。トマトも食え。不健康だから悪酔いするのだ」
大男が言うと、「ひえっ」と手のひらを舐められた男は叫んで、腰を抜かした。
「うーむ、その横の者も、どれどれ」
大男は呆然と立ち尽くしている男の手をつかみ、ベロっと親指を舐めた。
「うむ、おまえもだめだ。女関係がだらしない。だから悪酔いしてちゃんと酒を楽しめない。おまえたち、もう帰れ。ここは俺が支払っておく。店にいると迷惑だ。帰ってそれぞれ反省するように」
大男は腰に手を当てて言った。
「なっ、なんだよ、おまえ!」
「やめとけ、なんかこいつヤバいって!」
「逃げるぞ!」
男たちがドタバタと店の出口へ走る。
「おい、謝れ!」
大男が命令する。
「すみません!」
男たちは叫んでいった。
「どうも、素敵なお方たち。悪酔いした者に絡まれてお気の毒です。俺がお酒を奢りましょう。俺の名前はオー。職業は放浪の王、味覚と嗅覚による診察と風見占いを生業としています。ライモ殿、あなたを探していました」
オーはとても身長が高く、肩幅が広く、たくましい体でとてもハンサムだ。男前とは、こういう男をいうのだろう。目は黒で、赤茶色の髪は肩のところで無造作に広がっている。
「え」
ライモは名前を呼ばれて、ぞっとした。
この男に、どう対応すればいいのだ。無礼な男の手のひらをベロっと舐めていた。なぜだ。味覚と嗅覚による診察とはなんだ。
「なんだ、おまえ」
エルサが言った。それで固まっていたレストランが、騒がしくなった。あのたいそう立派な外見の男は何者だ。放浪の王、そんなの聞いたことないぞ。手を舐めただけで、なぜ偏食だとか女関係がだらしないとわかるのだ。
リディアがサッとエルサの後ろに隠れる。関わりたくない、という目を向けている。ノラはうっすら笑っている。
「ああ、申し訳ない。俺はいつもこうなのだ。俺はどうもすっとんきょうだからな。店のみなさん、すみません。シェフ、素晴らしい料理の邪魔をしてすまない。支給の方、申し訳ない。俺は大人しくします、皆さんは食事を楽しんでください」
オーが東西南北、すべての方角に頭を下げた。
ライモはすぐに勘定を済ませて、オーの腕を引いてレストランを出て、路地裏に引っ張り込んだ。
「おやおや、ライモ様! 強引ですな」
はっははは、とオーが笑う。
「あのな、こういう場合は店を出るんだよ! あの空気で平気でいられるか! だいたい、あんたはなぜ僕の名前を知っている!?」
「ああ、それは。あれは三年前、王女の誕生祭の夜、あなたは泣きながら歩いていた。俺にぶつかったのを覚えていないかな?
そのとき、あなたからはとても特殊な魔力の匂いがしたので追っていたのだ。そしてこの前の、女性たちが国会に押し寄せたあの日、俺は記者に混じって議事堂にいて、あなたを見つけたというわけだ。ふむ、やはりあなたならわかるかと思って、この印が」
ライモは三年前の夜を思い出す。そういえば、誰かにぶつかったような気がする。しかし、それで匂いで覚えるか、人を。顔ではなく。すっとんきょうにも程があるだろう、と考えていると、オーが髪をかきわけ、うなじを見せた。
「それは、無限星の印!」
リディアが叫んだ。
オーのうなじには、大きな無限星の印があった。




