第三十話 やってやった
混乱の国会議事堂から王の控え室まで走り、そこでへなへなと、ライモは倒れた。三年間、大学でのディスカッションで舌は煽り言葉を覚えてしまっているが、国会議事堂の緊張感は予想以上だった。
新調した道化師の衣装がもう汗だくだ。こんなに体に張り付くデザインにしてもらわないほうがよかった、この衣装は暑い。
「おお、情けない」
ジーモンが笑いながら、水を差し出してくれる。
ライモは受け取って水を一気に飲み干す。
どうでした?と問いかけるように、ジーモンを見つめる。
「おまえはその容姿と声で恵まれているな。なるほど、道化師ながら滑稽な様ではなく、花嫁のように美しい道化師とはおもしろい。その鶏冠帽もやはりよかった」
ジーモンがニヤっとする。
「そうでしょう、僕はとても美しく愛らしいです。ですけど、このやたらとヒラヒラした衣装は暑いし動きにくい。もう一着、動きやすい、質素なものを僕は所望します」
ライモは背中に腕を回し、くるみボタンを取ろうとして、指がつりそうになる。うなじまであるくるみボタンは自分で外せない。着脱はジーモンの手を借りないとできない。
なんて不便な衣装だ。
「似合っているのに」
ジーモンが眉をひそめる。
「お父さんはいつもその窮屈そうな詰襟に暑苦しいコートで平気だろうけど、僕は肌触りの良い質素な服が好きなのに。これはぴったりで窮屈だ。国会に出るときだけですよ、さあ、着替えさせてよ」
ライモは立ち上がり、控え室から出る。
国会の混乱を治めるべく騎士たちが走ってきた。大変だね、とライモは騎士たちに涼しい顔で言った。
ライモは三年で大学を主席で卒業し、宮廷道化師として覚醒した。エドワード王の活躍が芳しくないことにライモは腹を立てている。
貴族院をなくすと言っておきながら、結局は貴族院の大臣の手垢まみれの手慣れた政治に頼っている。衆議院も保身から貴族院の派閥に加わる者が増えて、アステールの間接民主主義は貴族と地主が権力を持つ、欠陥のある民主主義のままだ。
そして女性参政権の必要をアイラがエドワードに進言するが、保守派の貴族たちの反対を押し切れず、議題に上がるがすぐ却下されてしまっている。エドワードはアイラにも「幸せな結婚」を望んでいる。家父長制の考えだ。
エドワードは明らかに、出会った頃に比べて色あせた。
堂々としたあの風格の、金色がない。今や灰色。
ジーモンが寝ずの番でエドワードを監視していると、真夜中にぼんやりと窓辺で佇んでいることが多いという。何か思い悩んでいるのだろうか。
その原因はアイラ、ジーモンの二人と調査中である。
ライモは大学生時代、貴族や名家の坊ちゃんたちに「慈悲深い宰相さまに拾われた子」「意地汚い身分のくせに」と馬鹿にされながら、名門の大学を三年で卒業した。論文に水をぶっかけられたときは、すぐに目の前で魔術で風を起こして乾かした。インクをこぼされても、破られても元に戻してみせた。
わざと廊下で肩にぶつかってきた者は、その場で転ばせてきた。友人になりたいと擦り寄ってくる者も跳ね除けてきた。
友達になりたい、と思った者もいたがライモにとって大学は戦いの場だった。学び尽くして自分を磨きあげる。教授を質問責めにして泣かせたことも数知れず。
宰相の養子という権利を使い十五歳で入学、宮廷道化師、魔術師という異端児を徹底した。だから「もう以上、いないでくれ」と三年で卒業できたのかもしれない。異端児は名門大学にとって目の上のタンコブだ。
ライモの卒論「三原則の掟を徹底するために宮廷道化師が必要である」は、平和、国民主権、人権の尊重の三原則を守ることが民主主義、人類の幸せであり、それを維持するために「どの身分にも属さない批判者」が政治に必要だという内容である二百ページに及ぶこの論文は園長が一度読んだだけで、すぐにライモを卒業させた。今は大学の図書館の書庫で保管されているそうだ。
大学生経験は「宮廷道化師として活躍し、アイラを女王にするため支える」という決意ができた。
アイラには長い手紙を書いた。
アイラを敬愛し女王になるために、この身を捧げると。
アイラからは「待っていた。戻ってきてくれて、ありがとう」と手紙が返ってきた。
二人は手紙のみで、心を交わすことにした。
もう子供ではない。女と男である二人があまりに親密であると、周りが要らぬ噂を立てる。寂しいけれど、でも、同じ城の中にいれば互いの姿を目にすることはできる。
サーカスの夜の口づけは、熱く記憶に残っている。
※
翌日の新聞は、どこも「国会に暴走した女が襲撃」を書き立てている。アイラはどれも面白く読んだ。やってやった。
目に物を言わせてやった。
驚いた父エドワードの顔、うろたえる男ども、怯える大臣たち。いつも偉そうにしている大臣たちのうろたえる無様な姿は、落ち込んだ時に思い出そう。
「ああ、私の。私のライモはとても美しかった…………」
思ったより、背が高かった。背中が広かった。
そしてあの声、彼の声はとても心地の良い低い声をしている。ああ、この声でもっと名前を呼ばれたい。
「やーね、女王がにやにや気持ち悪く笑わないでよ。ねぇ、この記事、これ、この三文雑誌! あなた悪口書かれているわ。アイラ王女は胸がないとか女らしさがまるでない。あれで良い男が見つかるかどうかとか。顔は美人だけど女なのに可愛げない、これでは良い縁談は期待できないと。もうっこれ、最低よ!」
リディアが記事を叩く。
「ライモの色気はすごかった…………とても良い匂いがしたわ。まだ十八歳なのに香水でもつけているのかしら。でも彼ってそんなタイプではないのに。三年間で何があって、あんなに美しくなったの…………」
アイラは完全にライモを愛することで頭がいっぱいだ。
「ちょっともう! アイラってばライモのこととなると、すぐこれなんだから。これ読みなさい」
リディアはため息をつき、三文記事をアイラの目の前に突き出した。アイラはそれを手に取って読み、すぐにポイッと捨てた。
「はっ、勝手に書いておけばいい。絶対に見返してやる。それより、ライモのことは? ライモのことが書いていないことの方が腹が立つわ! あの顔は国宝よ、もっと褒め称えなさいよ! 縁談の心配も勝手にしていればいい。私はライモと結婚する! ライモの結婚式の衣装を考えないと!」
アイラは叫ぶ。
「あらあら、国宝とはすごいわねぇ。確かに美形に育ったわね、ライモは」
レイサンダーがティーポットとカップを乗せた銀のトレイを持ってきて言った。続いて入ってきたエルサが机の新聞を片付けて、ノラがお茶を入れる。
レイサンダーは王女護衛騎士で、エルサともにアイラを理解してくれる仲間の一人だ。
「私は誰かわからなかった。ライモは大きくなったな。人の成長は早い」
エルサがしみじみと言う。
「まぁね、ライモの論文は良かったわ。三原則の掟について、宮廷道化師の役割について。あいつ、文章も読ませてくるとは。大学では学友は一人も作らない、嫌な奴だけど天才だって評価されて。…………ったく、あいつは私の嫉妬心をとことん焼いてくる」
リディアは眉をひそめ、心底、悔しそうに言う。
「アイラも美しく成長したのよ。ジーモン宰相は我が国の王女はとても勇ましいと、それはとても嬉しそうにおっしゃるの。あなたが部屋のバルコニーに立つだけで、城の雰囲気が変わるそうよ。私も、そう思う」
ノラが微笑んで言った。
「そうよ。あなたこそ正当なる王女にして顔面国宝ですわよ。街の女の子たちはアイラ王女のような、凛々しいメイクをするでしょう。今年のトレンドはアイラ王女よ」
レイサンダーがノラの意見に賛同する。
「でしょうね。私はね、自分の中にある反抗心をいつも外に放出しようと心がけているわ」
アイラは自信満々に答える。
「アイラはレディな王女になるぐらいなら、犬になるって言っていた。アイラはあの十五歳の反抗心を持ったまま、十八歳だ」
エルサが言った。
「えっ、それって私が成長してないってことか?」
アイラはエルサに喧嘩腰になる。
「違うわよ。若い反抗心を持ち続けるのがすごいってことをエルサは言いたいのよ。反抗ってすごいエネルギーを使うの、それが変わらないのはすごいのよ。ねー、エルサ?」
レイサンダーが言うと、エルサは「そうだ」とうなずいた。
「ふふふ、あの時のアイラにかまれたのは痛かったわね。今となっては良い思い出。アイラ、あなたは…………お父様の陛下が昔と変わってしまったのに、それでも落ち込まないで頑張っているわ」
ノラが悲しそうに言う。
そうだ、あれだけ尊敬していた父は変わった。アイラから見て今の父は「無能の王」だ。なぜそうなってしまったのかはジーモンが調査しているが、なぜ急に民主主義国家として王の采配を振るうことができなくなったのかは、わからないのだ。
「無能の王」は何を聞いても話しても、ろくな答えが返ってこない。何かの病のようである。
「だから、私ががんばらないといけないのよ。気落ちしている暇はない。さて、次は選挙に向けて。
『女が投票できないこの選挙は不当』の横断幕を投票日に掲げるわよ。そして私がバルコニーから同じ旗を下ろす」
アイラはバルコニーに立ち、街を見る。
この国のすべての人が「しあわせ」である世界を見たい。
そのために、前進する。
ライモが城に帰ってきた。
アイラは、前に進める。
※
フェミニズム協会を立ち上げて、女性参政権のために活動するが一向に進まない。
仲間は離脱していくし、男たちからは「女のくせに」とバカにされて、嫌がらせをされて事務所を何度も変えなければいけなかった。女性が政治に参加することに熱心だったフェミニズム活動家たちも諦めて結婚していく。
そんな中、もうすぐ十八歳の成人を迎えるアイラが計画してくれた「国会突撃」を、カレンは必死で女たちに知らせた。
男たちに知られぬよう、女だけで集まるのは大変でカレンは街の女性トイレを巡り、計画の手紙をこっそり渡していった。
エドワード王の貴族寄りの政治に不満を持つ者も増えており、思いのほか反響が起きて、フェミニズム協会に入っていない女たちも集まった。
カレンは国会突撃で大興奮した。血がたぎり、頭は急速に回転して、目の前で起きる歴史の変わる瞬間のすべてを記録しようと、必死になった。
無限星が左上腕に発見され、それが古代王朝パラダイスで起きた108人の英雄伝にまつわる印と知り、カレンの五臓六腑は「使命」のために動き出した。
私は、やらなければ。フェミニズム協会をなんとしてでも、やり続けると無限星に誓った。
カレンは、すぐに興奮する子供だった。おとなしい両親をいつも驚かせて心配をかけて、やりたいと望んだことも反対された。それでも優しい姉ハンナがいつもカレンの味方をしてくれて、自己肯定感を育むことができた。
「カレン。あんたってば子供のころから面白いイタズラばかりして、あたしを笑わせてくれたよね。あたしがぜん息で寝込んで、楽しみにしていたお芝居を見に行けなかった時は、あんたが一人劇であたしを楽しませてくれた。あんたは、あんたらしく、いればいいさ。あんたは最高だ」
十六歳で東部の田舎から王都へ家出すると打ち明けた時、ハンナはそう言って送り出してくれた。
王都に出てきて、新聞配達、酒場の給仕など仕事をしながら、夜学校で学んだ。
フェミニズムの祖である、独裁時代に女たちの反乱軍を率いたレイニー・オズの勇敢な意思を引き継ぐ。民主主義には女性の政治参加が不可欠である。
カレンは女たちの「そんなことできない」という声も受け止め、そして丹念に説得して仲間を集めて「フェミニズム協会」を発足した。無視されることを恐れずに、カレンは積極的にいろんな女に話しかけた。身分も年齢も職業も関係ない。嫌われても気にしない。相手を知って尊重し、その上で言いたいことを伝えたかった。
少しずつ輪が広がり、カレンが街頭で「女に選挙権を。女にも政治を変えるチャンスを」と訴えると人が集まるようになった。
そうしてフェミニズム協会を作った。絶やさない努力を続けていく。
アイラ女王が現れること、カレンはずっと以前から知っていたような気がする。その「予感」と不思議な無限星の印はカレンの中で合致した。人生も世界もどうなるかわからない。何が起きても不思議でもない。
だから、楽しい。
だから、より良い世界のために、戦う気概で奮い立てる。




